湯の岳、赤坂山、那須沢山、権現岩

湯の岳、赤坂山
那須沢山、権現岩


【日時】 2007年10月20日(土)〜21日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 20日:曇り 21日:曇り

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
湯の岳・ゆのだけ・729.3m・二等三角点・福島県
【コース】 砂子原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/宮下/宮下
【ガイド】 なし

【山域】 南会津 【山名・よみ・標高・三角点・県名】
赤坂山・あかさかやま・773m・なし・福島県
【コース】 昭和の森キャンプ場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/針生/大芦
【ガイド】 なし
【温泉】 昭和温泉しらかば荘 500円(ボディーシャンプーのみ)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
那須沢山・なすさわやま・1044.9m・二等三角点・福島県
権現岩・ごんげんいわ・1036m・なし・福島県
【コース】 赤土峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/田島/田島
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 弥五島温泉郷の湯 300円(石鹸なし)

【時間記録】
10月20日(土) 8:20 新潟=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、桧原、西山温泉 経由)=10:30 北の又沢橋〜10:42 発―10:52 林道終点広場―11:12 祠―11:48 湯の岳―12:07 祠―12:19 林道終点広場―12:27 北の又沢橋=(小野川、R.401、両原 経由)=13:40 林道入口―13:56 赤坂山―14:14 林道入口=(R.400、舟鼻トンネル、下郷、R.289、下郷、R.121、会津田島、R.400、高野 経由)=17:30 赤土峠  (車中泊)
10月21日(日) 7:48 赤土峠―8:32 那須沢山―9:09 1020mピーク―10:20 権現岩〜10:41 発―11:41 1020mピーク―12:23 那須沢山―12:47 赤土峠=(高野、R.400、R.121、会津田島、湯野上 芦ノ牧温泉、会津本郷、新鶴PA、磐越自動車道 経由)=17:20 新潟

 湯の岳は、福島県柳津町の西山温泉の西に聳える里山である。温泉地の背後にある山のため、山名に湯という文字が入っているのであろう。

 赤坂山は、福島県昭和村の中心部に位置し、昭和の森キャンプ場の脇にある山である。山頂にはテレビ中継アンテナ施設があり、そこに至る荒れた林道を使って登ることができる。

 会津田島の北を流れる阿賀川の左岸沿いには、那須沢山、権現岩、見明山といった1000m級の山が連なっている。これらの三山は、会津百名山に選ばれているが、登山道が整備されているのは那須沢山であるが、稜線部には境界見出し標の巡視の踏み跡が続いている。

 土曜日は、朝起きると本降りの雨。布団にもぐりこんだのが悪く、遅い出発になってしまった。会津の低山巡りの予定であったので、ともかく出かけることにした。
 まずは、会津の柳津町の西山温泉脇にある湯の岳をめざした。二等三角点ピークのため、地図でも目立つピークになっているが、登山道は地図には記載されていない。登山ガイドにも取り上げられていないが、「福島登高会ホームページ」に、踏み跡があることが報告されており、これを参考にさせてもらった。
 阿賀野川沿いのR252から分かれて、西山に向かう。現在の県道は、バイパス道で、集落をかすめて真っ直ぐ伸びている。砂子平に入るところの北の又橋の手前で、旧道がクロスするので、集落内に通じる右へと曲がる。曲がった所で、右に林道が分かれている。この角には、「柳津西山地熱支線」の送電線巡視路の黄色い案内標識が置かれている。また向かい合って熊注意の看板も置かれている。この道は地図にも記載されていないので、林道入口から歩き出すことにした。
 林道入口付近は舗装されていたが、すぐに未舗装に変わった。カーブ地点の向こうに無線中継塔が立てられていた。しばらく杉林の中を歩いていくと、林道終点の広場に出た。林道沿いには電柱が続いていたので、この広場にはなんらかの施設があったようである。おそらく、途中にあったアンテナ施設が移動した跡なのかもしれない。
 ここからは、山道に変わった。杉林の中を進んでいくと、急登が始まった。地図で予想していたよりも、急であった。最大傾斜線に沿って、真っ直ぐに刈り払いが行われているので、余計にきつく感じられる。
 汗をしたたらせながら登っていき、傾斜が緩やかになると、石の祠が現れた。ひと息入れるには良い地点である。  この先は、踏み跡といった状態になった。すぐ先で、再び急な登りが続くようになった。
 700m標高付近で、台地状の地形になる。方向を北東に変える必要があるが、踏み跡もなくなっており、方向を見定める必要がある。特に帰りは、尾根への下降点が判りにくく注意が必要である。踏み跡ははっきりしないが、薮の下生えも少ないので、歩くのに問題はない。
 湯の岳の山頂は、刈り払いの小広場になっており、その中央に三角点が頭を出していた。周囲を木立が取り巻いており、展望は閉ざされていた。
 下山は、尾根に乗れば、後は、足が止まらない一気の下りになった。
 これで山を終えて温泉にするにはまだ早い時間であった。といっても、移動の時間を考えると、歩きの時間はあまり残されていない。翌日の山のために、会津田島方面に移動する必要があり、その途中の山を考える必要があった。地図を見ると、昭和村の中央部に赤坂山というのがあった。山頂にアンテナマークがあり、そこまで破線が続いている。おそらく、アンテナ施設の管理道が続いているはずであった。一山には違いないので、この山を登ることにした。
 両原の集落から昭和の森キャンプ場への道に進んだ。峠部の道路脇は伐採地になって、美しい紅葉模様が広がっていた。路肩のスペースも充分あって、車を停めることができた。見ると、ススキが倒れかかっていたが、舗装された細い道が始まっていた。
 この道に進むと、坂を登った所で、未舗装に変わった。車は入らなくなっているようで、道の中央部は草が伸びており、歩くには良い道に変わっていた。
 歩きも僅かで、山頂に到着した。山頂には、テレビの中継施設が二つ並んでいた。山頂は木立に囲まれて、展望はなかった。下りの途中、展望が広がり、会津百名山にも選ばれている大仏山が向かい合うように聳えていた。
 時間の関係もあり、登山は終了し、以前にも入ったことのある昭和温泉しらかば荘に向かった。山歩きで体が冷えるようになってきた。
 翌日の山としては、那須の旭岳か会津田島近くの権現岩を考えていた。どちらの山も、まずは会津田島方面に出る必要がある。舟鼻トンネルを抜けることになったが、この峠付近は美しく紅葉していた。やはり紅葉の期待できる山が良いということになって、旭岳の登山口の甲子峠に向かった。
 甲子峠に続くR.289に進むと、大規模な工事が行われていた。R.289は、車の走れない国道として有名で、甲子峠の栃木県側は山道で、そこに国道標識が置かれているという。ようやく、工事が進みだしたようである。
 足倉山の下部付近で、道路にロープが張られて通行止めになっていた。ロープは外せるようになっていたが、小雨が降っており、翌日の天候が心配な状態であった。那須は、強風でも有名で、荒れた状態では旭岳は難しくなってしまう。無理をして甲子峠まで入っても、翌朝、天気が悪いからと、山を下るはめになりそうである。
 あっさりと諦めて、権現岩を目指すことにした。来た道を引き返し、会津田島の町から、赤土峠に向かった。
 立屋沢の集落から始まる林道は、舗装されており、奥の集落から会津田島へ出るための生活道になっているようである。
 峠の少し手前が登山口で、那須沢山登山口の標識も置かれていた。車を停めるスパースもあり、ここで夜を明かした。
 朝になって明るくなると、登山口のすぐ奥が、赤土峠で、目印の杉の大木も見えていた。
 那須沢山は、1998年4月25日に登っており、これが二回目となる。今回の目的地は、権現岩であり、那須沢山は通過点にしかすぎない。
 権現岩へのガイドとしては、「会津百名山ガイダンス」の本には、阿賀川側から大沢沿いに登るコースが紹介されている。地図にも稜線近くまで破線が記されているが、現在の状況がどうなのかは不明である。先日、権現岩の隣の見明山に登った際も、稜線に上がるまでの道がはっきりせず苦労したが、稜線通しには、しっかりした踏み跡が続いていた。権現岩へは、那須沢山から踏み跡を辿って、稜線伝いに歩いた方が確実であろうと判断して、今回のコースになった。
 朝は冬を思わせる冷たい風が吹いており、毛糸の帽子に、手袋を身につけることになった。男鹿山塊方面であろうか、木立の間から見えている山の稜線は厚い雲に覆われていた。那須連峰も雪が積もったことを後日知った。
 赤土峠は、会津西街道が、阿賀川の増水で不通になった時の間道として使われていたという歴史のある峠である。峠の左手の一段高いところには、石仏や石碑がも置かれていた。那須沢山へは右手の、杉の大木の根元部から取り付く。いきなり急な登りが始まる。杉林から雑木林に変わると、1040mピークを右手から回り込むように登山道は続く。那須沢山への登山道は、最近、地元の人の手で刈り払いが行われたようであるが、それでも普通の登山道と比べると、少し薮っぽい。
 稜線に出てからもうひと登りすると、那須沢山の山頂に到着した。広場の中央に三角点が頭を出しており、山頂標識も置かれていた。今回は、ここがスタート地点をいってよい。
 那須沢山の先には、尾根が二本延びている。GPSを確認して、東に続く稜線に進んだ。踏み跡は認められるものの、薮が濃く、手で掻き分けるようなところも出てきた。ただ、境界見出し標の杭が埋められた所では、脇の木にテープが付けられており、良い目印になった。
 那須沢山から東に伸びた台地の縁になる標高1000m地点で、方向を北東に変えて下る必要がある。続いて、1020m小ピークで、北に方向を大きく変える。ここの下降点は、尾根の続きが判りにくく、少し下ってから方向を修正することになった。
 1020m小ピークの東斜面には杉の植林地が広がっていた。少し下ると、谷を巻いていった先に、権現岩のドーム状の山頂を望むことができた。今回のコース中、権現山の山頂が見えたのは、ここだけで、後は終始木立の中を歩くことになった。急坂を下っていき、再び緩やかな傾斜に変わると、地図で大沢方面から延びる破線の延長線に到着した。谷間方面を眺めると、歩きやすそうな疎林であったが、踏み跡は見つからなかった。
 この鞍部から先、踏み跡は明瞭になった。970m点付近は幅広の尾根になって、下生えも少なく、気持ちの良い歩きになった。下草は色づいていたが、木立は緑のままなのが残念であった。
 970m点を過ぎると、権現岩に向かっての急登が始まった。標高差100mほどであるが、足もそろそろ疲れてきた。
 権現岩は、見明山に至る主稜線から僅かに外れている。分岐からは、痩せた岩尾根になたが、踏み跡も明瞭で、問題なく歩くことができた。
 権現岩の山頂は、薮に覆われて、東と南の方向だけが開けていた。この山には、三角点は置かれていないので、最高点と思われるところで、登頂ということになる。かたわらの木には、テープが付けられていたが、山頂標識のようなものは見当たらなかった。
 見明山への稜線や、阿賀川沿いの集落を眺めることができた。二岐山や斉藤山、那須連峰を望むことはできたが、山頂部は雲に覆われたままであった。風は冷たく、腰を下ろして休む間も、帽子を被りなおす必要があった。那須沢山から権現岩までは、2時間はかからなかったので、ヤブコギ山行とすれば、順調な歩きであったことになる。
 ひと休みの後、来た道を戻ることになった。行きには気が付かなかったような枝尾根に引き込まれそうになるところもあり、油断はならなかった。帰りでは、1020m小ピークへの登り返しが体力的に一番の難所になった。
 那須沢山に戻れば、後は一般登山道で、一気の下山になった。権現岩の登頂は、見明山に登った際に稜線通しの踏み跡を確認したことで、ほぼ確実なものになったといえる。


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