鳥海山、月山

鳥海山
月山


【日時】 2007年10月6日(土)〜8日 前夜発3泊4日 日帰りと1泊2日(避難小屋泊まり)
【メンバー】 単独行、4名グループ
【天候】 6日:晴 7日:晴 8日:雨

【山域】 鳥海山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 新山・しんざん・2236m・なし・山形県
 七高山・しちこうざん・2229.2m・一等三角点補点・山形県
【コース】 鉾立より往復
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/鳥海山、大沢口/鳥海山、湯ノ台
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、山と高原地図「鳥海山、月山」(昭文社)
【温泉】 酒田健康ランドゆうゆう 500円

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 小岳・おだけ・1225.7m・三等三角点・山形県
 月山・がっさん・1984m・なし(1979.5m・一等三角点補点)・山形県
【コース】 肘折コースより姥沢コースへ
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/月山/肘折、葉山、立谷沢、月山
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、山と高原地図「鳥海山、月山」(昭文社)
【温泉】 志津温泉 かしわ屋 500円

【時間記録】
10月5日(金) 8:50 新潟(R.7、鶴岡IC、、山形自動車道、酒田みなとIC、吹浦、鳥海ブルーライン 経由)
10月7日(土) =0:30 鉾立  (車中泊)
5:50 鉾立―6:48 賽の河原―7:12 御浜―7:57 千蛇谷分岐―9:04 御室―9:24 新山―9:49 鞍部―10:02 七高山〜10:18 発―11:46 千蛇谷分岐―12:16 御田ヶ原分岐―12:41 万助小屋分岐―13:06 長坂道分岐―13:22 御浜―13:43 賽の河原―14:37 鉾立=(R.7、鶴岡、R.112、月山大橋、志津 経由)=19:20 姥沢  (車中泊)
10月8日(日) 5:50 姥沢=(志津、月山大橋、R.112、羽前高松、R.282、東根、R.13、新庄、R.47、本合海、R.458、肘折温泉 経由)=8:35 肘折登山口〜8:50 発―9:17 大森山下―9:40 西の肩―10:36 猫又沢―11:53 赤沢川―13:28 小岳〜13:50 発―14:22 三日月池―14:47 念仏ヶ原小屋  (避難小屋泊)
10月9日(月) 5:51 念仏ヶ原小屋―6:44 立谷沢―8:50 岩場下―9:22 千本桜―11:10 月山〜11:20 発―12:19 姥沢小屋分岐―13:35 姥沢=(志津、月山大橋、R.112、羽前高松、R.282、東根、R.13、新庄、R.47、本合海、R.458、肘折温泉、古口、R.47、R.345、鶴岡、R.7 経由)=22:20 新潟

 鳥海山は、日本海にその裾野を洗う成層火山であり、秀麗な山容から出羽富士あるいは秋田富士と呼ばれている。北関東・東北では燧ヶ岳に次ぐ標高を持ち、山頂部は複式火山特有の変化に富んだ地形になり、花の山としても名高い。

 月山は、羽黒山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれ、古くからの信仰の山である。なだらかな山頂を持ち、日本海近くの豪雪地にあることから、夏遅くまで残雪を抱き、高山植物が豊富なことから人気の高い山になっている。古くから歩かれてきた登拝道が現在でも残っているが、その中でも肘折からの道は、途中で1泊を要するロングコースである。途中の念仏ヶ原は、弥陀ヶ原と並ぶ、月山を代表する湿原である。

 今年の体育の日の三連休は、肘折から月山を目指すことにした。月山山行は、後半二日を予定したため、初日は、月山近くの山を考える必要があった。当初、簡単な山と思っていたのだが、晴天の天気予報が出た。今年の紅葉は遅れているため、紅葉見物のためには高い山を考える必要がある。しかも、新潟を夜の9時近くに出発して、登山口に入れる山という条件になる。朝日連峰にも心が傾いたが、結局、鉾立登山口から鳥海山を登ることにした。鳥海山は、これまで三回登っているが、いずれも花を目当ての夏であった。鳥海山と月山の紅葉を同時に確かめてみたい。
 現在では、鶴岡までの日本海沿いの道は、良く整備されており、快速なドライブが続く。鶴岡からは、高速にのって時間の短縮を図った。夜中近くになっては、30分程の短縮でも、睡眠時間の確保には重要である。
 鉾立の駐車場は、工事中で半分の広さになっていると聞いていたので、手前の駐車場で夜を過ごし、朝になってから鉾立に移動した。
 朝の鉾立の駐車場は、半分に満たない埋まり具合であった。明るくなって周囲を見渡したが、紅葉はまだであった。歩き出してすぐ先の展望台に立ったが、紅葉はもう少し登らないと、見られないようであった。眼下には、日本海の海岸線が大きく広がっていた。
 鉾立からのコースは、観光客よりは少し歩けるハイカーが入るため、石畳状に整備されている。夏には登山者が途切れることはなかったが、今回は、たまに追い抜く程度であった。
 尾根を登りきった所に広がる賽の河原は、夏には残雪が広がり、涼を求めて一服するところだが、岩が転がる枯れ野になっていた。少しさびしい眺めであった。
 賽の河原からは、トラバース気味の登りになって、御浜に到着する。夏には、この付近からお花畑が途切れなく続き、すっかり足が止まってしまう。稜線上に出ると、鳥海湖の眺めが広がった。湖周辺の草原は、すっかり茶色に染まっていた。  扇子森へは幅広の尾根が広がっている。その向こうには、逆光の中に鳥海山の山頂が聳えていた。一旦下ってから登りに転じると、七五三掛になる。そこから少し登ったところが、千蛇谷への分岐になる。ここまでは、夏には時間を要した花の写真撮影もないため、足早な歩きが続いた。
 分岐から谷へ下っていくと、谷の横断になる。雪渓は完全に消えて、大岩を伝い歩くようになった。不安定な岩もあり、足場に注意する必要があった。その後は、右岸沿いの登りが続く。草原の中にしっかりした登山道が続くので、秋の千蛇谷コースは、特に問題はない。
 前方に新山の山頂が迫ってくる頃には、足も草臥れてきて、辛い登りになった。御室に到着してみると、神社周辺は、ブルもあげられており、工事が行われていた。この後、一日中、ヘリが御室へと往復するのを見ることになった。ヘリは、バスケットを吊るしており、どうもコンクリートを運んでいるように見えた。コンクリート打ちの基礎工事を行っているようであったが、山小屋でも新しくするのであろうか。
 新山への山頂は、岩場の登りになる。夏は、すれ違いに苦労するが、今回は、その点では楽に登ることができた。ペンキマークを頼りに岩場を登っていくと、新山の山頂に到着する。数人でいっぱいの狭い山頂なので、写真を撮るなり、下山に移った。
 登ってきた方向の先に進むと、胎内くぐりの前にでるが、ここには入らず、左に進む。先回は、この胎内くぐりに進んでしまったため、登ってきたコースに戻ってしまった。岩場を伝っていくと、急な下りになる。落石を起こさないように注意しながら下っていくと、外輪山との鞍部に下り立つ。
 この鞍部には雪渓が残り、夏には良い水場になっている。秋になって、雪渓もすっかり小さくなっていたが、水はまだ流れ出ていた。流れも細くなっているためか、少しにごっているようで、そのままでは飲めないような感じであった。
 鞍部からは、外輪山に向かっての、鎖やロープが整備されている急な登りになる。すれ違う登山者も急に多くなった。各登山口から登ってきた登山者が、ちょうど到着する時間になったようである。
 稜線の上に出て左に少し進むと、七高山の山頂に到着する。ガスが流れて、周囲の眺めは閉ざされていた。ガスが切れるのを、岩陰に腰を下ろして待った。
 一休みすると、周囲の眺めが広がった。目の前に、岩が積み重なった新山の山頂が高さを競うように並び立っていた。眼下に広がる唐獅子平一帯は、紅葉が進んで、赤や黄色のパッチワークになっていた。
 風も冷たく、山頂での長居はできなかった。展望が広がったのをきっかけに腰を上げて下山に移った。稜線歩きの途中から振り返るごとに、新山の姿は変化した。稲倉岳の裾野や千畳ヶ原付近では色鮮やかな紅葉が広がっていたが、稜線上では、色づいた紅葉は見られなかった。
 七五三掛に戻り、扇子森との鞍部に下っていくと、茶色に染まった草原が広がるようになった。時間も早いことから、鳥海湖を回っていくことにした。トラバース道に進むと、草原の中の道になり、日の光がさすと黄金色に輝いた。千畳ヶ原も近づいてきて、木道が光っているのが見えた。
 分岐からは、丸太の段々で整備された遊歩道に変わった。鳥海湖は、水は少なくなっており、窪地の中には、草地に囲まれた小さな池が別にできていた。振り返ると、鳥海山の山頂が姿を現していた。池の周辺では、木道も整備されて、歩きやすくなっていた。眺めも良いので、鉾立からのコースをとった時には、下山時には、鳥海湖に寄り道をすると良い。
 池の縁を回りこんでひと登りすると、御浜に戻ることができる。この途中には、季節はずれのハクサンイチゲの花を幾つも見ることができた。
 鉾立への下りは、石畳状に整備されているため、足がかえって痛くなってきた。隣の尾根の紅葉が美しく、眺めを楽しみながら下りを続けた。
 鳥海山下山後は、翌日のために、姥沢へ移動する必要がある。時間に余裕があり、お金の節約のために一般道を走った。意外に時間がかかって、夜になって姥沢に到着した。
 スキー場のために大駐車場が設けられており、その片隅に車を停めて寝た。三連休とあって、遠くからの訪問者なのか、数台の車も夜を過ごしていた。
 翌早朝、姥沢に私の車を置いて、Tさんの車で肘折温泉へ向かった。最短距離はR.458を抜けることであるが、葉山の稜線近くまで上って下る道で、カーブの連続、途中からは未舗装の難路である。先回の六十里越え街道歩きの後に、どれほど時間が掛かるかの偵察と思ってこの道を通ったところ、車の運転で疲労困憊してしまった。登山の前後の移動に使える道ではない。遠回りになるが、新庄を経由していくことになった。早朝で道路もすいており、途中で高速道の無料開放区間もあり、2時間少々で移動でき、予定よりも早く肘折温泉で埼玉からの二人と合流することができた。
 肘折温泉の温泉街は道が細く、車を乗り入れると停める場所も無く、そのまま進むしかないため、登山口への林道の入り方を確認する余裕がなかった。新庄方面から進んできた際の入り方を記すと、坂を下っていくと、温泉街の狭い通りにでる。左折して進むと、バスの発着所があり、その先で銅山川を橋で渡る。左折して畑地の中を進むと、発電所手前で、右に分かれる未舗装の道がある。ここを登ると、右手から上ってくる舗装道路に出るので、この道を左に進む。この後は、地図に朝日台と書かれている台地に出て、道なりに直進していけばよい。下山の時に判ったことだが、坂を下って温泉街に出たら右折し、橋を渡ると幅広の舗装道路に出る。温泉街を散策するなら、この付近の路肩に車を置くことができるようである。この道路を道なりに進めば、先の道と合流して月山登山口へ向かうことができる。
 金山方面への道を分けると、未舗装の林道が始まる。途中、路面が荒れていたり、路肩が崖の縁になっているところもあって、気を抜けない林道である。対向車とすれ違いできない所が続くが、幸い、行き帰りとも、対向車に出会うことはなかった。  ダムへの道を左に分けて、杉林の中を直進していくと、左へカーブしたところで、登山口の広場に到着した。立派な登山標識も立てられており、この登山口は見落とす心配は無い。すでに、二台の車が停められていた。肘折温泉まで4kmという標識が置かれていた。
 今回は避難小屋泊まりなので、いつもの70Lザックではなく、55Lザックにしたが、シェラフも3シーズン用に変わり、翌日の雨の予報のために着替えも一式持って、荷物は結構重たくなっていた。
 歩き出してみると、思っていたよりもしっかりした登山道が続いていた。つづら折りの登り僅かで尾根の上に乗り、大森山が最初の目標地点になった。左にトラバースしていき谷の眺めが広がると、大森山という標識が現れた。地形図の破線と違って、大森山の山頂は通らないように登山道は続いていた。トラバースを続けて大森山の西の肩に戻り、その先は尾根の一段下の登りが続いた。周辺はブナ林が広がっていたが、まだ緑一色であった。
 尾根を乗り越して谷への下降が始まった。地図に記載されているよりも、上流で沢の徒渉となり、ここには猫又沢という標識が置かれていた。水量も少なく、この徒渉に問題は無かった。
 再び登りが始まった。赤砂山の肩に出る手前で、6名程のグループに出合った。昨日は姥沢から月山経由で念仏ヶ原に下り、避難小屋泊まりで、肘折温泉への下山とのことであった。昨晩も念仏ヶ原の避難小屋は貸切状態であったという。明日の天気はかんばしくないので、今晩の小屋は、我々の貸切状態になりそうであった。
 町界線尾根からは、再び沢に向かっての下降になった。下った先の赤沢川で、水を汲んで飲み、一息いれた。登っては下りで、一向に高度は上がってこない。
 赤沢川より、小岳に向かっての登りが始まった。尾根の一段下を行き、時折つづら折りとなって高度を上げるという道が続いた。小ピークをかすめると、ようやく前方に小岳の山頂が迫った。
 そろそろ小岳への最後の登りかなというところで、「登山道入口」と書かれた環境庁の大きな看板が現れた。ここまでの歩きはなんだったのだという気になった。ここからが、自然保護区域ということを言いたいようであった。  丸太の段々で整備された坂を登りつめると、突如といった感じで湿原が現れた。草は黄色に染まり、周辺の潅木は、赤や黄に色づいていた。ここまでの歩きで、紅葉の時期には早すぎたのかと、残念に思っていただけに、予想外の驚きになった。写真撮影に興ずることになった。紅葉の潅木の向こうには、葉山の山頂が頭をのぞかせていた。
 木道を進むと、小岳と書かれた標識が現れたが、最高点はまだ先である。緩やかな登りを続け、下りにかかるところで、大休止にした。昼食は遅れており、このまま先に進むと、念仏ヶ原に到着してしまう。小岳の三角点は、登山道から80mほど外れている。潅木の間をのぞいたが、密生しており、通過は難しかった。明日のこともあるので、三角点探しは諦めた。
 小岳から先をうかがうと、小さな草原が断続的に現れて、登山道がその中に続いているのを見てとることができた。
 小岳から下っていくと、足場の悪いトラバースも現れ、慎重に通過した。尾根が広がると、湿原に敷かれた木道となり、その両脇に池が現れた。三日月池と呼ばれるようで、箱庭のような美しさであった。池の向こうには、月山の眺めも広がった。月山は、まだまだ遠かった。
 この先で、この日最後になる男女の登山者とすれ違った。この日は、他に単独行二名とすれ違っており、念仏ヶ原までの往復が一般的のようである。しかし、時間を考えると、この男女は、日没までには下山は難しいと思うのだが。
 僅かに登り返して1185mピークの肩を通過すると、一気の下りになった。潅木帯を抜けると、突然といった感じで、念仏ヶ原の避難小屋が現れた。三角屋根で二階建ての立派な建物であった。中をのぞくと、期待していたように、誰もいなかった。ザックを置くなり、カメラを持って、念仏ヶ原の散策に出かけた。
 原は、黄金色の草に覆われ、周囲の潅木は、鮮やかな赤や黄色に染まっていた。まさに紅葉の盛りであった。原に敷かれた木道を歩いていくと、潅木帯に入り、それを抜けるとまた原が広がるといったことが繰り返された。行けども行けども先が続くといった広大な原であった。原の向こうには、月山の山頂が広がっていた。一日歩いて、ようやく月山の麓に到着したことになる。木道の上には、熊の大きな糞が置かれていた。下りになったところで、ようやく引き返しになった。これほど広いとは思わず、写真撮影の枚数も相当なものになって、カメラのメディアが満杯になってしまった。一旦小屋に引き返し、カメラのメディアを交換し、ビール片手に原に引き返した。日が陰って、写真撮影も難しくなったところで、小屋に戻った。この紅葉見物のひと時は、忘れられないものになった。
 日が沈むと気温も下がってきて、夕食のラーメンが暖かくて美味しかった。早起きや、歩きによる体力消耗もあって、早々と寝ることになった。
 二日目の天気予報は、北海道の北で低気圧が発達し、寒冷前線が通過するというものであった。行動は、朝の天気次第ということになった。
 6時出発を予定して、4時起床ということにした。4時頃より、雨が降り出したが、外に出てみると、小雨で、気温も高かった。ゆっくり朝食を取り、歩き出す準備を整えた。原に出て、風と雨の状態を見た上で、今後の行動予定を相談することになった。  風も弱く、雨も小降りであった。雨具を着込んでいれば、歩きには問題は無い状態であった。ただ、月山は、厚い雲に覆われていることから、稜線部に出れば、風雨ともに強くなるはずであった。また、前線が通過すれば、気温も下がって、冬型の大荒れ状態になる可能性があった。念仏ヶ原の紅葉を堪能できたことから、このまま引き返すことも考えられたが、やはり月山越えを行うことにした。幸い、姥沢登山口へ下山するなら、山頂の先は、稜線歩きはほとんど無く、一気に高度を落とすことができる。
 太陽の光も充分ではなく、茶色に染まった念仏ヶ原を進んだ。原の先は、ロープや鎖が掛かる足場の悪い下りになった。枝沢に下り立ち、下流に向かうと、立谷沢の徒渉点に出た。ここには立派な清川橋が掛けられていた。
 沢沿いに上流に向かってしばらく進んだ後に、尾根上に向かう急登が始まった。ひどのような窪地の登りになって、足場が悪いところがあった。ここの登りも、地形図の破線とは異なっていた。
 尾根の上に出ると、傾斜は一旦緩やかになった。尾根が広がると、草原も現れた。背後を振り返ると、念仏ヶ原を見下ろすことができた。
 尾根が痩せてくると、崖マークに挟まれた急斜面になった。ここを越せば、後は緩やかな登りで山頂まで続くはずであった。雨も本降りになってきて、この先は樹林帯を越して、風雨の影響を受けるはずであった。まずは、急登を終え、その先の潅木帯の中で、一旦脱いでいた山シャツを着込み、帽子に手袋も身につけて、雨対策をした。
 草原は美しく紅葉していたが、横殴りの雨のため、一眼デジカメはもちろん、ウェストバックに入れたコンパクトデジカメも取り出せなくなってしまった。雨の中でも美しく感じられる風景が広がっていただけに残念であった。
 草原の中に千本桜という標識が現れた。周囲に桜の木のようなものはないので、ミネザクラのような桜の潅木が広がっているのだろうか。それともヒナザクラであろうか。
 緩やかな登りが続くのだが、体力は次第に消耗してきた。GPSをのぞいて、後どれくらいか確かめることが多くなってきた。右手の沢が近づいてきて見ると、ごうごうと激しい波を立てて流れ落ちていた。稜線までの標高差もそれほど無い地点でこの濁流では、麓では相当な増水になっているようであった。念仏ヶ原への退路は絶たれて、なにがなんでも月山越えをする必要が出てきた。
 賽の河原と呼ばれる、岩が転がる地形を過ぎると、短いが急な斜面が現れた。登山道は水の通り道になっており、岩角に手を掛けて登るのも、沢登りのようなシャワークライムになっていた。
 この急斜面を突破すると、ようやく山頂台地の一郭に到着した。山小屋はすでに締められていた。避難小屋はないのかと探したが、建物は全て鍵がかかっており、唯一、トイレだけが開いた。入口に入ったところで、風を避けてひと息ついた。
 山頂に近づいたところで、雨が激しくなったのと同時に、背後から吹いていた風が、正面の北西から吹くように変わっていた。どうやら前線が通過して、いよいよ冬型が強まる段階になったようである。これは、山頂から一刻も早く下がる必要がある。他のメンバーは、もっと休んでいたそうであったが、歩き出してもらうことにした。
 姥沢コースは、山頂台地の歩きも僅かで、すぐに急降下が始まる。風当たりも強く、しばらくは忍耐の歩きになった。岩場の下りではあったが、大勢が歩くコースため、良く踏まれているのが幸いした。一気に高度を下げて牛首から尾根を外れると、風当たりも弱まった。危険地帯から脱出することができてほっとした。
 今回、姥沢へ下山の予定であったので、なんとか下れたが、もし八合目へと下山予定であったら、稜線歩きが長いため歩ききれなかったかもしれない。
 山頂から牛首付近までの間、他の登山者は誰もいなかった。この様子では、リフトは運休のはずであった。歩いて姥沢へ下山することになった。
 リフト乗り場へ続く遊歩道から分かれて、姥沢への歩道に進んだ。こちらの道も、木道が敷かれて良く整備されていた。これまで、姥沢からは、リフトの往復ばかりで、この道は歩いていなかった。単なるリフト料金節約のための歩道ではなく、草原の中の道が長く続き、花の季節には楽しめそうであった。次の機会には、花を求めてこの道を歩くことにしよう。
 途中のちょっとした沢の横断も、増水によって、踏み石を確かめる必要があった。最後に、尾根を横切ると、その先で姥沢小屋に到着し、山歩きは終わった。
 本降りの雨の中では、着替えや荷物の整理が問題になるが、駐車場のトイレには、スキー客用に、更衣室が設けられていた。そこで、濡れた衣類を着替え、荷物の整理を行うことができた。
 一番近い志津温泉で入浴し、さくらんぼ東根駅に二人を送り届け、後は、車の回収のために肘折温泉へと戻った。車の回収を終え、肘折温泉へ下った時には、日没になってあたりは真っ暗になっていた。暗い中での車の運転を避けたい林道であったので、ぎりぎりのタイミングで間に合ったということになる。
 二日目は、荒天に悩まされたが、一日目の念仏ヶ原の見事な紅葉は、一期一会というべき忘れられないものになった。

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