丈ヶ山、箕冠山、藤巻山、霧ヶ岳、雨飾山

丈ヶ山、箕冠山
藤巻山、霧ヶ岳
雨飾山


【日時】 2007年9月22日(土)〜24日(月) 2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 22日:晴 23日:曇り 24日:曇り

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
丈ヶ山・たけがやま・571.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田東部/安塚
【コース】 山寺薬師先の峠
【ガイド】 なし

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
箕冠山・みかぶりやま・242m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田東部/新井
【コース】 箕冠城址登山口より
【ガイド】 なし
【温泉】 やすらぎ荘(500円)

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
藤巻山・ふじまきやま・944.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/赤倉、関山
【コース】 休暇村妙高より
【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
霧ヶ岳・きりがたけ・507.1m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田東部/安塚
【コース】 登り:霧ヶ岳温泉ゆあみより 下り:小谷島コース
【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山

【山域】 海谷山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
雨飾山・あまかざりやま・1963.2m・二等三角点・新潟県、長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/越後大野、雨飾山
【コース】 大網登山口より
【ガイド】 山と高原地図「妙高・戸隠・雨飾」(昭文社)
【温泉】 道の駅「北小谷」深山の湯 (500円)

【時間記録】 9月22日(土) 7:00 新潟=(北陸自動車道、柿崎IC、板倉、山寺薬師 経由)=10:38 峠―10:51 林道終点―10:55 丈ヶ岳〜11:04 発―11:06 林道終点―11:46 峠=(西貝屋 経由)=11:46 箕冠城址駐車場―11:56 箕冠山〜12:00 発―12:08 箕冠城址駐車場=(新井、R.18、妙高高原、杉野沢 経由)=18:00 笹ヶ峰  (車中泊)
9月23日(日)6:00 笹ヶ峰=(杉野沢、赤倉、関温泉 経由)=7:52 休暇村妙高―8:02 下山口―8:33 登山口―9:04 城跡―9:12 藤巻山―9:29 下山口―9:42 休暇村妙高=(R.18、高田、上名柄、R.253 経由)=12:09 ゆあみ―12:13 滝見所―13:02 水場―13:17 肩の峰―13:28 霧ヶ岳〜13:47 発―13:53 尾根上分岐―14:01 水場―14:12 水場―14:26 登山口―14:36 入山橋―14:51 ゆあみ=(R.253、R.8、R.18、北陸自動車道、糸魚川IC、R.148、平岩、大網 経由)=18:50 大網登山口  (車中泊) 9月24日(月) 6:15 大網登山口―6:41 前沢徒渉点―6:53 取水施設―7:11 水場―8:23 稜線上(1673m)―9:20 雨飾山〜9:52 発―10:40 稜線上(1673m)―11:29 水場―11:40 取水施設―11:50 前沢徒渉点―12:17 大網登山口=(大網、平岩、R.148、糸魚川、R.8、名立谷浜IC、北陸自動車道 経由)=18:10 新潟

 丈ヶ山は、上越市板倉にある里山である。麓には、かつては山寺三千坊といわれた山寺薬師がある。

 箕冠山は、高田の平野部の縁にある里山で、上杉謙信の武将の大熊備前守朝秀の山城が置かれていた。

 藤巻山は、妙高連峰の一郭をしめる神奈山から東に延びる尾根の末端にある山である。ハイキングコースが設けられている。

 霧ヶ岳は、旧安塚町と旧浦河原村との境界に位置する山である。現在、北側の霧ヶ岳温泉から登山道が開かれている。

 妙高連峰西端の雨飾山は、百名山に選ばれていることもあり、交通の便は良いとはいえないにもかかわらず、休日は山頂直下の上り下りで渋滞になるほどの人気の山になっている。登山道が四方から開かれているが、その中でも、大網コースは、アプローチの林道が通行不能のことも多く、登山者はまれな状態になっている。

 この秋分の日を含めた三連休は、無理に指定された代休を合わせて四連休になって、大型山行のチャンスになった。テントをかついで、北アルプスあたりにいち早い紅葉を見に行こうかとも考えていた。ところが、風邪を引いてしまい、木曜日がピークとなって回復傾向にはあるものの、土曜日の朝から歩き出すことはできそうもなかった。秋の課題であった焼山を目標にして、体力の回復と天候を見て登る計画に変更した。
 土曜日は、夜までに笹ヶ峰に入ることが一番の目的。高速道のETC割引になる100km圏内の柿崎からいける山として、丈ヶ山を目指した。新潟日報にも、故郷の山の再生というような記事で、丈ヶ山への登山道を整備したというような記事が最近掲載されている。問題は、登山道の紹介はおろか、登山口がどこか書かれていない。
 板倉町から山寺薬師を目指した。山間の細い道に変わると、山寺薬師の駐車場に到着した。広い駐車場の割には、あまり流行っている感じはなかった。樹齢数百年ともいわれる杉林の中に石段が続いていた。中断まで登ると、石段の左右に石仏が置かれるようになった。それほど古いものではないようであったが、そのうち苔が付けば風格も出てくるのであろう。それぞれの名前は判らなかったが、千手観音ははっきりしている。境内には、こじんまりした薬師堂が置かれていた。脇にある赤く塗られた納経堂の方が目立っていた。 広場の奥に踏み跡があったので、これが丈ヶ山への道かと思って進んだが、ひと登りしたところで、日枝神社の石の祠があり、道はそこまでになった。この祠には、見ざる聞かざる言わざるの猿の石像が置かれていた。登山道を探しながら、境内に上がってきている車道を下っていくと、延命清水脇にでて、その下が駐車場であった。
 山寺薬師からの登山口が判らなかったので、車道を進み、東の峠から歩き出すことにした。上関田に向かっており始める峠部から林道が分かれており、ここが歩き出しになる。脇には、車を置くスペースもある。
 山を下っていく林道に進むと、すぐに左に分かれる林道が現れた。地図にも、この林道が山頂直下まで続いていることが記載されている。植林のための林道のようで、周囲には杉の植林地が広がっていた。林道歩きであったが、体調はやはりあまり良くないようで、汗が流れ出てきた。
 林道の終点からは、踏み跡状態の道が続いていた。テープの列が続いていたが、登山口を示すような標識はなかった。
 ひと登して夏草の茂みをかきわけると、丈ヶ山の山頂に到着した。三角点の周りをなぜかロープで囲ってあった。かたわらにはヤアボウシ植栽記念と書かれた標柱が置かれていた。高田方面の眺めは広がっていたが、南葉山付近の山の稜線は雲に隠されていた。
 踏み跡は、南に向かって続いていた。予想していた山寺薬師の境内ではなく、南西尾根を下り、最後は猿供養寺に続く実線道へ出るようであった。下山してから車に戻るのが面倒に思えて、来た道を引き返した。
 丈ヶ山に続いて、近くにある箕冠山に向かった。地図では、北の中之宮から破線が通じているが、西貝屋から山頂近くまで車道が通じている。この林道入口には、箕冠城城跡公園と書かれた武者姿の看板が置かれていた。大熊川と小熊川に挟まれた段丘を走っていくと、箕冠山の案内板が置かれた城跡公園の駐車場に到着した。この先の道は未舗装で少し荒れていたので、ここから歩き出すことになった。
 林道歩きも僅かで、城跡に到着した。土塁のような斜面に取り囲まれ、溜池もあって、なかなか堅固な山城であったようである。丸太の段々を登っていくとすぐに、本丸跡に到着した。高田方面の眺めが開けていた。この山城は、高田の春日城の守備網の一旦を担っていたことが良く判る眺めである。城跡一帯には桜が植えられており、春には花見で賑わうのであろう。
 日差しがきつく、暑さが堪える状態になっていたので、体力温存ということで、山歩きは終えて、近くのやすらぎ荘で温泉に入った。ここの温泉で面白いのは、地滑り防止のためのボーリングで、鉱泉が湧き出てきたため、それを温泉に使っているとのことである。二つの浴槽には、それぞれ別な源泉からの湯が入れられていた。
 食料を買い込んで、夕方、笹ヶ峰に入った。駐車場には、かなりの車が停められており、三連休で登山者も多いようであった。
 翌朝は、霧が垂れ込めていた。体調は完全ではなく、テント泊の大荷物をかつぐのに不安があった。あっさりと諦めて、計画変更にした。
 予備の山として考えていた、妙高山塊の神奈山の尾根末端にある藤巻山に向かうことにした。この山は、最近出版されたハイキングのガイドブックにも紹介されているが、国立妙高青少年自然の家主催で、スノーシュー歩きを行っているようなので、夏の間に下見として歩いておきたかった。
 登ってくる登山者の車とすれ違いながら山を下った。赤倉温泉から関温泉に出て、すぐ下の休暇村妙高の駐車場に車を停めた。自然観察会でも行われているのか、パンフレットを持った一団がホテルに戻ってきていた。
 一旦外の道に出て、すぐ下から林道が始まっている。この入口には、ゲートが置かれていた。ホテルの敷地をかすめて進んでいくと、幕ノ川に出た。橋を渡ると、すぐ先で、藤巻山の登山口に出た。下山口と書かれているように、ここにおりてくることになる。
 この先は、長く感じられる林道歩きが続いた。途中には、一斗缶が吊るされ、「熊対策 このカンを5回以上たたいてから進みましょう」と掲示されていた。神奈山一帯は、熊の生息地になっているとも聞いているので、ガンガンとならしてから先に進んだ。この空き缶は、この先数箇所に現れた。
 ガイドブックに載っている地図では、819m点の東が登山口のように書かれているのだが、そこを過ぎても、登山口は現れなかった。もしや見落としたかと思いながら歩いていくと、尾根の末端部でようやく登山口に到着になった。このようなハイキングコースで、わざわざ地形図を見ながら歩く者もいないであろうが、新潟県山岳協会監修のガイドブックとしては、おそまつである。おそらく、林道歩きの途中で現在位置が判らなくなってしまったに違いない。現在市販のガイドブックでは、地図上での登山道の不正確さがめにあまる。以前ならともかく、市販のガイドブックでは、GPSにてコースを確認することは、現在では最低条件であろう。
 階段状に整備された急坂をひと登りすると、尾根上に出た。美しいブナ林が広がっていた。819m小ピークを越えると、緩やかな登りが続くようになった。右手の沢越しには神奈山の山頂が木立の間から見え隠れしていた。
 小広場に出ると、城跡という標識が置かれていた。どのような謂れのある城跡かは、書かれていなかった。
 標高差50mほどの登りで藤巻山の山頂に到着した。尾根の途中といった雰囲気で、刈り払いの広場と山頂標識、三角点がなければ、そのまま通過してしまうような地点であった。木立の間からは、東の平野部の眺めが広がっていたものの、妙高山方面は木立で隠されていた。
 幅広尾根を先に少し進むと、南東尾根に沿った下りが始まった。急坂であったが、ロープも付けられて、良く整備されていた。あっという間に林道に下りたってしまった。
 車に戻り、この後の計画を考えることにした。時間もまだ早いので、もう一山と明日の山を決める必要がある。まずは、これから霧ヶ岳に登り、明日はまだ歩いたことのない大網コースから雨飾山を登ることにした。昨日から行ったり来たりで、効率が悪いがしかたがない。
 北陸急行に沿ったR.253に出て、内陸部に進んだ。登山口は、国道沿いの霧ヶ峰温泉ゆあみにある。2001年5月12日に坊金方面から踏み跡を辿って登ったが、現在、ここを基点とした登山道が整備されているという。トンネルを越すと、その先が、霧ヶ峰温泉ゆあみであった。
 一段上の駐車場に上がると、トンネル側のはずれから登山道が始まっていた。駐車場脇には、アスレチック施設が並んでおり、子供たちが遊んでいた。運動してひと汗かいた後の温泉ということで、霧ヶ岳への登山道も整備されたようである。  階段状に整備された幅広の道で始まった。歩幅があわずに、脇に踏み跡が続いていた。尾根に出ると、滝見所の標識が現れた。谷間をのぞくと、一枚岩に一条の細い流れが落ちていた。
 左に遊歩道を分けると、その先は胸突八丁の急な細尾根の登りになった。さえずり広場に出て、傾斜は少し緩やかになったが、登りはまだ続いた。霧ヶ岳の山頂までは、標高差400mがあり、意外に体力が必要である。登山道は、しっかりしているが、歩いている者は少ないようで、蜘蛛の巣がびっしりと張っていた。ストックを振り回しながら歩く必要があり、手もくたびれてきた。
 地図上で尾根の続きを見て、そのまま山頂に突き上げるのかと思ったら、右の谷間に下りていった。水場になった沢の源頭部を越して、一旦、西に並行する尾根にのった。緑の回廊と呼ばれる樹林帯の緩やかな登りになった。一旦登りついたピークは肩の峰で、霧ヶ岳の山頂は、もう少し先であった。
 一旦僅かに下ってから緩やかに登っていくと、霧ヶ岳の山頂に到着した。短い丈の草地の小広場になって、石のお地蔵様が収められた祠が置かれていた。ガイドブックによれば薬師地蔵とのことである。先回は、三角点は見ているものの、この祠には気が付かなかった。潅木に囲まれて気が付かなかったのか、その後に置かれたのかは判らない。腰を下ろして、ひと休みした。雲が垂れ込めて、峰々の様子は判らなかった。
 下りは、南東の尾根に向かった。急な下りであったが、潅木の枝を掴めるので、問題はなかった。標高差50mを一気に下ると、尾根から小谷島登山口へそれる分岐になった。直進方向の坊金登山口への踏み跡もはっきりと見分けられた。先回は、この踏み跡を登ってきたことになる。ヤブコギとはいっても取り付きから20分ほどの登りであったので、山頂部分の登山道がしっかりしていることを考えると、坊金からのコースは現在でも短時間で登れるのかもしれない。
 ここからは、草地の中の緩やかな下りになった。すぐに、左手の沢の源頭部にパイプから流れ出る水場が現れた。この先は、植林などの山仕事のために古くからあったような道に変わった。トラバース地点では、短い距離で二ヶ所の水場が設けられていた。
 つづら折りの下りを続けていくと、溜池に上がってきている林道の脇に飛び出した。この後は、林道を下っていき、入山橋を渡ると国道に出た。ここからゆあみまでは、そう遠くない距離であった。
 登山口が温泉であるのはありがたい。すぐに温泉に入り、さっぱりすることができた。夕方のETC割引を使って、糸魚川に移動した。夕食をとってから買い物を済ませ、大網登山口に向かった。
 大網への入り方は、白馬岳登山口の平岩から入る。何度も訪れているが、大網に向かうのは始めてである。蓮華温泉に曲がる十字路の反対の道に進み、橋を渡って姫川温泉を通り抜ける。カーブを交えながら登っていくと、大網の集落に到着する。塩の道沿いの、思っていたよりも大きな集落であった。案内図を見ると、大網峠や大峠・地蔵峠と並んで、雨飾山への登山道が書かれていた。いつか、塩の道もしっかり歩いてみる必要がある。
 大網までは、幅広の車道が通じていたが、この先は細い道になった。日が沈んで暗くなった中での林道の運転は神経を使った。対向車の心配が無いのだけが救いであった。国有林地内通行不能という標識が置かれていたが、大網登山口までは入れますと書かれていた。結局、集落から登山口までは、10.2kmで、そのうち最後の3.8kmが未舗装区間であった。ガードレールのない崖際の走りや、未舗装部分で路面の荒れているところがあるので、注意が必要である。
 横川を渡って上り返し、カーブの先で大網登山口に到着した。広場になっており、車8台と登山地図には書かれているが、それ程の車は入らないであろう登山口である。雨飾山登山口の標識と並んで、雨飾山・天狗原山植物群落保護林の大きな看板が立てられていた。林道のへは、三角コーンが置かれて通行止めになっていた。林道の路肩崩壊で、工事が行われているようであった。
 駐車場は傾斜していたため、車を水平に置ける場所を求めて、車を前後に移動する必要があった。
 翌朝、5時過ぎに、一台の車が到着したところで目が覚めた。どうも登山者ではないようで、車の中で、そのまま休んでいた。
 歩き始めは6時過ぎで、前夜泊としては、ゆっくりとした出発になった。登山道に進むと、小さな沢の徒渉になった。登山口で宿泊するような場合に水が必要な場合には、ここで水を得ることができる。
 ひと登りすると、ブナ林の中の水平道になった。幅広で、崖際の切り開きを見ると、林道跡のようであった。尾根を回り込むと、一旦下って、萱や夏草の繁った原の通過になった。この先で、再びはっきりした林道跡に乗った。地図でも上に崖マークが記されており、土砂崩れによって林道跡は流されてしまったようである。
 その先で、前沢沿いの道になった。上流に向かうと、沢が近づいてくると、徒渉点に到着した。地図における破線は、沢沿い部で実際と少し違っていたが、徒渉点については同じであった。徒渉点前後は、夏草が少しうるさく、岩に付けられたペンキマークを注意して見る必要があった。徒渉も、飛び石伝いに問題なく渡ることができたが、大雨の後は注意が必要になりそうであった。徒渉後の上り返し部は、足場が悪いところがあったが、ロープが掛けられており、それを頼りに登ることになった。  右岸沿いに上流に向かうと、右手の沢に取水施設が設けられていた。沢沿いに続く道は、この取水施設に続くもので、雨飾山へは左の道に進むことになる。ここには、雨飾山登山道と書かれたブリキ板が杭に打ち付けられているが、半分めくれて古びている。この分岐付近は、夏草が繁っており、この標識を見落とさないように注意が必要である。
 分岐からひと登りすると、美しいブナ林が広がるようになって、はっきりした登山道が続くようになった。ひと汗かくと、登山道脇に水場が現れた。斜面に突き刺されたパイプから水が勢い良く流れ出ていた。水を汲んで飲むと、ブナ林から流れ出る清水だけだって、冷たく美味しかった。
 この後の登山道は、地図の破線とは異なっていた。地図にあるように左の尾根に取り付いて1426m点に出るのではなく、右にトラバースしながら登っていき、最後は細かいつづら折りを繰り返して、1440m付近で尾根上に出た。落ち葉のクッションも利いており、登り易い登山道であった。登山者が少ないためか、ブナ林には、キノコも多く見られた。キノコ好きとは歩けないコースである。
 尾根の登りになったが、ここでも細かいじぐざぐが切られており、楽をすることができた。1673m点付近で、県境線に乗ると、雨飾山の山頂部の眺めが広がった。逆光で黒々として、細部を見極めることができなかったが、急な尾根の上にドーム状のピークが見えていた。後で判ったことだが、このピークは、1842m点付近の尾根の張り出しのようであった。背後を振り返ると、明星山が岩壁を屹立させていた。その先で尾根が痩せると、駒ヶ岳から鬼ヶ面山を経て鋸岳に至る岩稜の眺めが広がった。  急な細尾根の登りが始まったが、潅木に囲まれて、しっかりした道が続いているので、危険はなかった。石畳状のガレ場の登りになると、下から見てピークに見えていた1842m点の肩に到着した。目の前に、鋭く天を突く雨飾山の山頂がそそり立っていた。
 地図では、両脇を岩場マークに挟まれた尾根であるが、歩いてみると、問題のない道が続いた。周辺には、夏はお花畑が広がりそうな草付きになった。ハクサンタイゲキなのだろうか、赤く染まった葉を広げていた。  最後に岩を乗り越すと、石仏が並ぶ雨飾山の西峰に到着した。後ろ向きの登山者が、突如現れた登山者に不意をつかれた感じになって、どちらからと聞いてきた。大網登山口からといったが、地図を良く見ていないと、このコースは知らない者が多いであろう。
 東峰にあたる雨飾山の山頂はすぐ目の前である。雨飾山は、双耳峰と紹介されることが多いが、地形的には二つのピークはすぐ脇にあり、間の鞍部も明瞭ではない。周囲から双耳峰として見えるのか、疑問が出てくる。
 9時半のまだ早い時間とあって、雨飾山の山頂にいる登山者も多くは無かった。この山頂は、笹平にザックを置いて空身で往復という者が多いため、山頂に到着しても短時間で下ってしまう登山者が多い。笹平を見下ろすと、登山者が続々と登ってくるのが見えていた。一般的な小谷登山口からのコースタイムは3時間なので、6時に登山口を出発した足の早い登山者がようやく到着したところである。三連休とあって、これから混雑するのであろう。
 腰を下ろして眺めを楽しんでいると、これまで見えていた焼山の山頂や駒ヶ岳は早くも雲に隠されてしまい、眼下の笹平も見え隠れするようになった。これ以上の展望の回復は期待薄ということで下山に移ることになった。
 急坂を足元に注意しながら下り、1673m点を過ぎると、足早の一気の下りになった。良く整備されている登山道にもかかわらず、この日は、登山者は私だけであった。小谷コースと比べれば、同じ山とは思えない静かな山歩きを楽しめるコースである。  この大網コースを歩いて、雨飾山の登山道は、小谷側のメインコース、新潟県側の雨飾山荘からの二つのコース、金山からの縦走路を含めて、全ての登山道を歩いたことになる。
 下山途中、対抗車は無かったが、ダンプカーに追いついた。対向車の心配がなくなったと思って後をついていったが、気をきかせて追い抜かせてくれた。林道の途中の数箇所で工事を行っており、この林道を走る時は、ダンプカーに出会わないように幸運を祈る必要があるようである。
 大網の集落から国道に戻り、北小谷の道の駅で、温泉に入った。温泉から出ると、風が出てきた。翌日の天気は期待できそうもなく、山歩きに疲れてきたので、家に戻ることにした。翌朝の新聞を見ると、朝方に床上浸水の激しい雨になったという。家に帰って正解ということになる。

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