五色ヶ原、白山

五色ヶ原
白山


【日時】 2007年8月9日(木)〜8月12日(日) 1泊2日(テント泊)と日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 8月10日〜12日:晴

【山域】 北アルプス北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 浄土山・じょうどやま・2831m・なし・富山県
 獅子岳・ししだけ・2714m・なし・富山県
 鳶山・とんびやま・2616m・なし・富山県
【コース】 室堂より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/立山/立山、黒部湖
【ガイド】 アルペンガイド「立山・剣・白馬」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「剱岳・立山 北アルプス」(昭文社)
【温泉】 亀谷温泉白樺ハイツ 600円

【山域】 白山 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大倉山・おおくらやま・2038.6m・三等三角点・岐阜県
 御前峰・ごぜんがみね・2702.2m・一等三角点本点・石川、岐阜県
【コース】 平瀬道
【地形図 20万/5万/2.5万】 金沢/白山/立山、黒部湖
【ガイド】 アルペンガイド「白山と北陸の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「岐阜県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「白山、荒島岳」(昭文社)
【温泉】 大白川露天風呂 300円(石鹸使用禁止)、大白川温泉しらみずの湯 600円

【時間記録】
8月9日(木) 6:50 新潟=(北陸自動車道 経由)=23:00 有磯海SA (車中泊)
8月10日(金) 4:20 有磯海SA=(北陸自動車道、立山IC、岩峅寺 経由)=5:00 立山〜6:00 発=(立山ロープウェイ、高原バス 経由)=7:35 室堂―9:20 浄土山―11:05 獅子ヶ岳〜11:17 発―12:16 ザラ峠〜12:23 発―13:12 五色ヶ原キャンプ場―13:57 発―15:13 鳶山〜15:30 発―16:23 五色ヶ原キャンプ場  (テント泊)
8月11日(土) 6:10 五色ヶ原キャンプ場―7:33 雨量観測施設―7:40 刈安峠―8:45 平ノ小屋―13:36 黒部ダム〜14:00 発=(黒部ケーブルカー、立山ロープウェイ、立山トンネルトロリーバス、高原バス、立山ロープウェイ)=16:20 立山=(立山IC、北陸自動車道、東海北陸自動車道、白川郷IC、R.156、平瀬 経由)=21:00 大白川ダム  (車中泊)
8月12日(日) 5:32 大白川ダム―7:10 大倉山―7:15 大倉山避難小屋―8:01 ガンクラ雪渓見晴らし―8:35 賽の河原―9:00 室堂〜9:20 発―10:05 白山御前峰〜10:30 発―12:25 室堂〜12:36 発―13:30 ガンクラ雪渓見晴らし―14:12 大倉山避難小屋―14:15 大倉山―15:24 大白川ダム=(平瀬、R.156、白川郷IC、東海北陸自動車道、北陸自動車道 経由)=
8月12日(日) =0:20 新潟
 五色ヶ原は、立山の南、鷲岳と鳶岳の山裾に広がる台地である。立山から薬師岳への縦走路の途中にあることから、縦走の途中に訪れるか、立山から五色ヶ原に至り黒部ダムに下山するコースで歩かれている。黒部川にのぞむ針ノ木岳や烏帽子岳、赤牛岳の展望が広がり、高山植物のお花畑に彩られている。

 白山は、富士山、立山と並んで古来日本の三名山とうたわれ、霊峰としてあまねく知られている。白山火山帯の主峰である白山は、御前峰(2702m)、大汝峰(2684m)、別山(2399m)の三峰から成り立ち、手取川(石川)、九頭竜川(福井)、長良川(岐阜)、庄川(富山)の四大水系の分水嶺を形成している。最高峰の御前峰の頂上に祀られた「白山奥宮」は、全国各地に分布する三千余の白山神社の総根元社である。

 この週末に四日間の休みを作った。行きたい所を考えると、五色ヶ原が思い浮かんだ。昨年も行こうかと思ったが、花もあらかた終わっているだろう時期になっていた。今年は、花の時期が遅れているので、お盆前のこの週末でも、花が期待できそうである。立山から五色ヶ原を抜けて薬師岳を越えることも考えられるが、車の回収まで考えると4日では日程がきつい。今回は、五色ヶ原をメインとして黒部ダムへ下る1泊2日のコースとして、残りは室堂でキャンプして、立山を歩く計画をたてた。
 室堂へ入るのに、富山側と長野側のどちらから入るのか考える必要があった。歩き出しの室堂に早く入れる富山側の立山からの入山にした。
 立山ICで高速道を下りてから立山駅へはそれほどかからないことから、ETCの深夜割引をきかせるため、有磯海SAで夜を過ごした。
 翌朝、アルペンライン始発の6時に合わせて、車を走らせた。立山駅周辺には広い駐車場が設けられていたが、八分ほどが埋まっていた。もっとも、置いたままの車が多いようで、始発時間少し前に駅に入ると、登山者はそうは多くなかった。
 始発の立山ロープウェイに乗り、続いて高原バスに乗り換える。バスの乗車には、手荷物代が余計にかかった。立山と剱岳を登るために1993年に訪れた時は、小屋泊まりであったため、水を捨て、カメラを首からぶる下げて、制限重量に納めたが、今回は払うしかなかった。もっとも、ザックをあずけてしまって、室堂で受け取ることになったので、バスには身軽に乗り込めて良かったともいえる。
 高原バスの乗車は、結構時間がかかるが、その間、立山杉の解説や、称名の滝見物の一時停車など、観光のアナウンスであきなかった。車道沿いにも高山植物が多く見られた。
 台形に広がる立山が迫ってくると、室堂のターミナルに到着した。朝一番の到着便とあって、ターミナル内も、まだ朝の静けさが漂っていた。
 ターミナルの外に出ると、青空のもと、大展望が広がっていた。奥大日岳が印象的で、先回登っていなければ、そちらに行ってしまうところである。この眺めなら、観光客に人気があるのも、無理はない。石畳状の遊歩道が整備されているが、めざす浄土山への入り方が判りにくかった。先回も歩いているのだが、記憶は僅かである。
 ようやく進む方向が判り、軽装のハイカーに混じっての歩き出しになった。浄土山は、ピラミッド型の山頂を見せている。遊歩道の周辺は、お花畑になっており、少し時期は過ぎていたが、チングルマなどの花を見ることができた。立山や大日岳の眺めも素晴らしく、写真を撮りながらの歩きになった。コースタイム的には、五色ヶ原までは、そう急ぐ必要はないはずである。登るにつれて、室堂のターミナルは眼下に遠ざかり、みくりが池も見えるようになって、剱岳の山頂も姿を現してきた。
 室堂山と呼ばれるらしい展望台との分岐までは、石畳状に整備された道が続いていたので、この先も楽勝かと思い、浄土山の登りに取りかかった。消え残りの雪渓を渡ると、ガレ場の急斜面になった。カメラを体の前にぶる下げていたので、岩にぶつけないよう手で押さえる必要もあって、岩を乗り越すのに苦労するはめにになった。
 傾斜が緩むと、浄土山の山頂になる。分岐にザックを置いて、石組みの中に軍人慰霊碑と書かれた標柱の置かれた山頂に進むと、一ノ越を経て雄山に至る稜線が一望できた。雄山山頂の神社も目の前にあるような近さに見えた。先回は、ガスの中で、しかも位置を誤解して、ここから一ノ越へと下る登山道を探すというミスをした。
 このピークから先が最高点になるが、山頂標識のようなものはない。緩やかな稜線を辿り、僅かに登り返すと、富山大学立山研究室の建物が置かれたピークに出て、一ノ越と五色ヶ原との分岐になる。
 北の縁に移動して、まずは雄山方面の展望を楽しんだ。剣岳も鋭い山頂を見せていた。続いて、南の縁に移動すると、五色ヶ原から薬師岳に至る稜線の眺めが広がった。五色ヶ原は、眼下にあって、立山カルデアの崖に佇む赤屋根の小屋が印象的であった。この眺めから、後は下るだけと思ったのは、大間違いであった。
 龍王岳の山裾を通り過ぎると、急斜面の大下りになった。足場の悪いガレ場の下りになった。ここまで、ゆっくりと歩いてきたためか、歩きのペースは遅いまま上がらなくなっていた。
 鬼岳との鞍部付近には残雪が広がっていたが、ここはなんなく通過した。僅かに登り返すと、鬼岳の肩に出た。振り返ると、龍王岳が高く聳えていた。周囲は険悪な岩山の姿を見せて、室堂付近のたおやかな山の眺めとは全く違っていた。
 先をうかがうと、登山道は大きく下り、その先で獅子岳への登り返しがまっていた。下りの途中、残雪のトラバースになった。残雪の縁は薄くなって、踏み抜く危険性があった。一部では、脇のガレ場を歩いたが、穴の開いた残雪を足を大きく開いてまたぎ越すようなところも現れた。幸い、雪渓の下は、すり鉢状の窪地になっており、滑落しても、致命的なことにはならないように思われた。

 その後、僅かに登り返すと、獅子岳の山頂に到着した。重荷を背負ってのアップダウンに草臥れて、ひと休みになった。登山者も二人、このピークで休んでいた。振り返れば、龍王岳からの下りが荒々しい姿を見せていたが、気になったのは、次の目標地点のザラ峠の位置であった。ここまでは山影になって見えていなかったのだが、五色ヶ原は少し低い位置であるが、ザラ峠までは、標高差360mの大下りになっていた。
 元気を取り戻して、下りに取りかかった。緩やかな下りを少し続けると、急斜面の一気の下りになった。足下にザラ峠を見下ろすことができ、ザックを下ろして写真を撮ることも数度になった。足下が不安定で、梯子もかかり、カメラを首から下げて下ることはできなかった。
 下りきったザラ峠は、西からザレ場になった谷が上がってきており、その名前の由来のように思えた。佐々長政の冬のザラ峠の故事を思い浮かべながら、峠でひと時を過ごした。富山県側は、冬でもまだ歩けるような気もするが、東に下って黒部川沿いに入っては、その先はとうてい越せないように思える。真偽はともかく、伝説を偲ぶことにした。 峠には、イワギキョウやミヤマコゴミグサのお花畑が広がっていた。
 ザラ峠からは、急斜面の登りになった。幸い、標高差100mほどで、傾斜も緩やかになって、ようやく五色ヶ原の一端に到着する。木道を歩いていくと、五色ヶ原ヒュッテ経由でキャンプ場に至る道が左に分かれた。五色ヶ原ヒュッテは、営業を停止しており、戸締まりはしっかりしているようだが、静かに廃屋化が進んでいるようであった。
 木道を下っていくと、キャンプ場に到着した。かなり広いキャンプ場で、小石が取り除かれて砂地になったテントサイトも幾つもあった。トイレと水場も設けられていた。雰囲気としては、雲ノ平のキャンプ場と似た感じであった。
 よさそうな場所を選んで、テントを張り、昼食にした。持ち上げたビールも、さんざん汗を流した後だけに旨かった。
 ひと休みの後に、鳶山まで歩いてくることにした。最小限の荷物を持っただけなので、体も軽かった。キャンプ場の周辺には、チングルマやハクサンコザクラ、ハクサンイチゲ、コバイケイソウ、ミヤマキンバイのお花畑が広がっていた。花を見ながらの、そぞろ歩きになった。
 五色ヶ原山荘の前の広場では、泊まり客がテーブルを囲んで、ビール片手に話しこんでいた。縦走を西に進んで、鳶山をめざした。登山地図には、小屋の先にクロユリと書かれていた。時期は遅めのようで、終わった花が現れた。それでも、探し続けながら歩いていくと、盛りの花が現れた。雪田跡の草地に咲いていたので、雪融けの時期の関係で花が遅れたのであろう。
 鳶山への登りは、花も多く、写真撮影のために足がしばしば止まった。振り返ると、台地の中に五色ヶ原山荘がぽつんと佇んでいた。広大な五色ヶ原の中で、山荘は小さく見えていた。
 鳶山の山頂に到着した時は、薬師岳方面の稜線には雲がかかって、展望は閉ざされていた。この先への縦走もしてみたいが、スピードの上がらないテント泊では、日程を確保できないでいる。
 戻りの途中、小屋によって、ビールを500と350mlのビールを一本ずつ買ってから、テントに戻った。夕方までの時間、キャンプ場周辺で、花の写真撮影に興じた。立山方面や、黒部川対岸の針ノ木岳、烏帽子岳、野口五郎岳、赤牛岳の展望も広がった。
 夕食を済ませた後、木道に腰を下ろし、コーヒーカップ片手に沈みゆく太陽を眺めるのは、テント泊の醍醐味であった。ただ問題は、小さな虫がわいてきて、むらがってきたことである。刺す確率は低いが、油断すれば、刺されて腫れ上がる。荷物の関係で、防虫スプレーは持ってきていなかった。
 翌朝の計画を再度考えた。黒部ダムに下山してから気になるのは、アルペンルートの混み具合であった。ダムから室堂へは、黒部ケーブルカー、立山ロープウェイ、立山トンネルトロリーバスと、三種の乗り物を乗り換える必要がある。観光客に混じっての待ち時間も長くなる可能性がある。時間的には、今日の歩きで苦労したといっても、来た道を戻った方が早い。しかし、黒部ダムの湖畔道も、将来の読売新道歩きなどを考えれば歩いておきたい。ということで、予定通りに黒部ダムに下ることにした。
  翌日も快晴の日になった。薬師岳への縦走者も多いのか、早立ちの者が多かった。朝の風景を楽しんだりして、出発は、テントも残り僅かになってからになった。
 南に向かって緩やかに下っていく木道の歩きが続いた。周囲の写真を撮りながらの、のんびり歩きも樹林帯に入ったところで終わった。カメラをしまい、下りに専念することになった。次の目標地点の刈安峠までは、標高差400mほどの下りになる。幸い、歩きやすい登山道で、足も快調に進んだ。樹林帯に囲まれた尾根道であるが、時折展望が広がった。
 雨量計の施設が現れると、その先で刈安峠に到着した。ここで、尾根をはずして、山腹をつづら折りにぬう下りになった。気温も高くなって汗がしたたり落ちるようになり、ブナ林が作る木陰が気持ちよかった。ヌクイ谷沿いに下り立ってからも、小さなアップダウンのある道が続いた。
 早いペースで平ノ小屋に出て、ひと安心したが、これは油断であった。釣り客も入っており、後はダムまでの散策路というイメージを持っていた。
 小屋から黒部川に向かって下っていくと、平ノ渡しの桟橋が、急斜面の下に見えていた。この分岐からは、再び登りになった。これからは、幅の狭い崩壊地でも、梯子で大きく登って高巻き、再び下るということが続いた。最初に出会う大きな沢の中ノ谷を越すのも、大きく内陸部に迂回するために、距離が長くなっていた。小さな沢を越すのに、梯子を何段にも連ねた上り下りをするところもあって、体力を消耗していった。
 日陰を選んで、休みを取る必要も出てきた。ただ、水場は豊富で、水を我慢する必要はないのは助かった。途中、大きな沢を刈り橋で渡るところもあり、増水時は、通行不能になりそうであった。
 湖面には、遊覧船が観光案内をしながら行き交っていた。船に乗せてもらえれば、あっという間なのだがと、恨めしい気分にもなった。
 予想外に時間がかかったが、ロッジくろよんにようやく到着して、難路からも開放された。コースタイムはかなり超過していた。この後は、コンクリート敷きの遊歩道が続いた。
 最後の力を振り絞り、立派な吊り橋のかんば谷橋を渡ると、黒部ダムに到着した。
 ダムの見物をしてから、観光客にまじって、黒部ケーブルカーの列にならんだ。幸い、待ち時間もなく、黒部ケーブルカーに乗り込むことができた。この段階で、次の立山ロープウェイの整理券が渡されていた。黒部ケーブルカーは、トンネル内で、展望はない。次の立山ロープウェイも、満員すし詰め状態で、風景を眺める余裕はなし。大観望のテラスに出て、ようやく展望を楽しむことができた。黒部ダムは眼下に遠ざかり、黒部川を挟んで針ノ木岳が向かい合っていた。次の立山トンネルトロリーバスも、地下を走って展望はなし。
 アルペンルートは、通り抜けると、料金は高額なものになるが、観光客はそれでも満足しているようである。いろいろな乗り物を乗り継ぐ点では、一度経験する必要もあるが、黒部ダムあるいは室堂の各登山口からの往復だけで充分のように思える。
 黒部ダムからの乗り継ぎで、人混みにあたった感じになった。また時間も遅くなっており、これから雷鳥沢のキャンプ場に入っても、良い場所は埋まっているだろうし、大混雑になっているはずであった。五色ヶ原で、静かなキャンプ場を楽しんだ身にとっては、辛い泊まりになりそうである。これ以上室堂に留まる気にはならず、切符を買って、下山することにした。美女平で少しの待ち時間が出た他は、順調な乗り継ぎで山を下ることができた。
 車に戻ってひと安心になった。車は、登山基地も兼ねている。今回は、予備の山として、白山の計画も考えてあった。白山には、石川県側から入るのが普通であるが、金沢経由でアプローチが遠くなるのと、始めにシャトルバスに乗る必要があるため、お盆休みに入ったこの時期に、このルートはとりたくない。一方、岐阜県側からの大白川ダムコースは、アプローチの林道が、舗装道路とはいえ細いところがあるのが問題なくらいで、登山道は良く整備されており、日帰り可能なコースである。富山からでは、そう遠くはない。
 温泉に入って汗を流すと、山登りの気力も戻ってきた。現在、高速が白川郷ICまで延びており、以前よりも時間の短縮になっている。平瀬から大白川ダムへの林道に進む。この林道は、大雨の時にはすぐに通行止めになるようなので注意が必要なようである。車のすれ違いが難しいところもあるが、夜間のため、車の接近が判るので、昼よりも走り易いともいえる。
 途中で車のナビが沢沿いではなく、山中に入り込んでいるのに気が付いた。道は間違っていないはずなのだが、崖をえぐったへつり道が続いたりして、位置が狂ったようである。ハンディーGPSはともかく、車のナビの位置が大きく狂ったのははじめてであった。
 大白川ダムを訪れるのは、これが二度目である。ロッジ前の他に、登山口前にも大きな駐車場が設けられており、ここに車を停めて寝た。登山者のものと思われる車も他にあったが、山頂で泊まっている者が多いようで、中に登山者がいる車は少ないようであった。夜間も、登山者の車が到着していた。
 未明から歩き出す登山者もいたが、そう急ぐ必要もなく、少し明るくなったところで出発した。登山口には「ようこそ白山国立公園へ」と書かれたアーチがかかり、平瀬道登山口の大きな標柱もたっている。室堂までは、6.9kmとある。その脇には、下山後の靴の泥落としのためか、水道の蛇口も設けられている。しっかりした登山道が続く。尾根沿いの登りであるが、細かくジグザグが切られているので、歩きやすい。少し高度を上げると、大白川ダムの湖面が下に見えたが、ほとんどは木立に囲まれて展望のない登りが続いた。岩が露出した斜面の登りも時折現れたが、おおむね良く踏まれた土の道で、歩くスピードも上げることができる。途中、先行の登山者を追い抜くことができた。昨日までの、テント泊の大荷物での歩きでは、軽装の小屋泊まりの登山者に追い抜かれたが、軽装になればスピードはあがる。
 大倉山に到着すると、木立が切れて、朝日に照らされる別山の眺めが広がった。細尾根を進むと、御前峰も見えてきた。僅かに下ると、大倉山の避難小屋に到着した。先回の訪問後に建て替えられて、新しい小屋になっていた。中には、携帯用トイレの使用部屋が設けられていた。この避難小屋には水場はないので、ここに泊まるなら、水を下から持ち上げる必要がある。ただ、翌日に白山に登れば水は手にはいるので、水の量は最低限ですますこともできる。
 これから登る急な尾根を目で追うことができた。僅かに下った後、頑張り所になった。汗を流して登っていくと、周囲は、シモツケソウ、シシウド、ハクサンフウロ、ハナニガナといった草原性のお花畑になった。カメラを取り出して、のろのろ歩きになった。
 ガンクラ雪渓見晴らしに出ると、御前峰は目の前に大きくなって、その間に雪渓が落ち込んでいた。この後も、尾根沿いの急な登りは続いたが、花も多く、疲れをまぎらわせてくれた。イブキトラノオが群落になって、風に揺れていた。
 傾斜が緩むと、室堂のある台地の一郭にでる。ハイ松帯の中を進んでいくと、南龍ヶ馬場からの展望歩道が合わさる。別山を眺めながら進むと、室堂も迫ってくる。周囲には、ハクサンフウロのお花畑が広がり、クロユリの花も見つかった。クロユリは、一旦目に留まると、そこらじゅうに咲いていた。クロユリのおおさか。らいったらぴか一といえる。室堂を目の前に、足止めをくらった。
 室堂の広場には、大勢の登山者がいたものの、静かな雰囲気がただよっていた。朝食の休みにしたが、風がでてきて山シャツを着る必要がでてきた。青空はそのままなので、風景写真には支障はないが、花は揺れて撮影が難しくなった。
 ひと休みの後、御前峰への登りに取り掛かった。室堂から山頂までは、石畳状の遊歩道が整備されている。室堂の泊まり客は、山頂でご来光を迎えるというので、暗い中でも歩けるように遊歩道が整備されているのであろう。
 山歩きに慣れていないような登山者が多く、のろのろ歩きであったが、こちらもカメラを構えて、立ち止まってばかりなので、ゆっくりペースは気にならなかった。むしろ、こんなに花が咲いているのに、急いではもったいないよと言いたかった。ただ、時折聞こえてくる花の名前は、私の乏しい知識でも、間違っていると思うものも多かった。
 振り返ると、赤屋根の建物が立ち並ぶ室堂は、下方に遠ざかり、その向こうに別山が大きく左右に尾根をひいた眺めが広がった。登るにつれて、その風景も少しずつ違って見飽きない。南龍ヶ馬場のキャンプ場も小さくみることができた。  御前峰の山頂には、石垣に囲まれた白山比眸神社奧社が鎮座している。周辺には大岩が転がり、その上に立つと展望が広がる。大汝峰と翡池の眺め、槍穂高連峰を中心とした北アルプスの連なり、乗鞍岳。快晴に恵まれて素晴らしい眺めであった。大勢の登山者が休んでいたので、少し離れたところに腰を下ろして休んだ。
 最近の昼食では、おにぎりと一緒にゆで卵を食べるのが恒例になっている。コンビニで、塩の味付けをしたゆで卵が普通に売るようになっている。山でゆで卵を食べるのは、昔の遠足を思い出してなのだろうか。下山にかかる時間を考えれば、ビールも解禁。
 ひと休みして、池めぐりコースに進んだ。ガレ場を下っていくと、剣ヶ峰の下の油ヶ池と紺屋池の縁に出た。残雪が池の縁を彩っていた。翠ヶ池を眺めながら緩やかに登っていき、血ノ池を回り込むと、大汝峰への分岐に出る。先回登ったので、大汝峰には寄らず、お花畑コースに進んだ。山裾を大きく迂回するため、距離は長くなるが、その分、花を楽しむことができる。室堂の手前で、雪渓から流れ出る沢が水場になっている。汲んで飲むと、冷たく、腹にしみいった。
 室堂に戻り、花の写真を撮りながら、ゆっくりとではあるが、下山にうつることにした。花の名山としては、横綱級として、大雪山、白馬岳、そしてこの白山がまず挙げられるのではないだろうか。その次には、鳥海山、飯豊山、尾瀬ヶ原などが、大関級として続く。江戸時代には、食べ物屋や遊女など、さまざまな分野の番付が作られたという。それにならって、花の名山番付などというものを考えてみるのも面白いだろう。
 花の写真を撮りながらなので、何組もの登山者に追い抜かれた。時間が遅くなっているにもかかわらず登ってくる登山者も多かったが、気温が高くなって、みな疲労の色が濃かった。
 大倉避難小屋手前のお花畑でカメラをしまい、下りに専念することにした。今度は、先行の登山者を追い抜くペースで歩くことができた。
 下山後、登山口にある大白川露天風呂で汗を流すことができるのは、このコースの楽しみである。ただ、環境保全のために石鹸が使えないため、車を動かして国道に出たところにある大白川温泉しらみずの湯に入りなおした。  もう一日休みをとっていたが、五色ヶ原と白山で、展望と花を満喫でき、心が飽和状態になった気分になった。一旦、心のリセットが必要ということで、家に帰ることにした。
 
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