方丈山、当間山、苗場山、霧ノ塔

方丈山
当間山
苗場山、霧ノ塔


【日時】 2007年7月14日(土)〜15日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 14日:曇り 15日:曇り 16日:曇り

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 方丈山・ほうじょうさん・843.2m・三等三角点・新潟県
【コース】 湯沢パークスキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/越後湯沢、土樽
【ガイド】 なし
【温泉】 岩の湯 300円

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 当間山・あてまやま・1016.5m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/塩沢
【コース】 当間高原リゾートより
【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山(新潟日報事業社)
【温泉】 岩の湯 300円

【山域】 苗場山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 神楽ヶ峰・かぐらがみね・2029.6m・三等三角点・新潟県
 苗場山・なえばさん・2154.3m・一等三角点補点・新潟県
 霧ノ塔・きりのとう・1993.6m・三等三角点・新潟県
【コース】 払川コースより
【地形図 20万/5万/2.5万】 20万/5万/2.5万】 高田/苗場山/苗場山
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)
【温泉】 街道の湯 500円

【時間記録】
7月14日(土) 6:00 新潟=(関越自動車道、越後湯沢IC 経由)=7:45 湯沢パークホテル駐車場〜8:03 発―8:14 ブナ林コース登山口―8:38 尾根上―9:01 方丈山〜9:08 発―9:58 ゲレンデ上―10:26 湯沢パークホテル駐車場  (車中泊)
7月15日(日) 6:30 越後湯沢=(R.17、石打、R.353、田沢、R.117 経由)=7:30 当間高原リゾート駐車場〜8:30 発―8:50 珠川登山口―9:19 水場―9:22 ブナ回廊上の分岐―10:01 展望台―10:16 当間山〜10:19 発―10:35 最高点―10:53 スカイライン登山口〜10:57 発―11:16 最高点ピーク―11:36 当間山―11:50 展望台―12:22 ブナ回廊上の分岐―13:17 見晴らし池―13:32 当間高原リゾート駐車場=(R.117、田沢、R.353、石打、R.17 経由)=16:00 三俣  (車中泊)
7月16日(月) 6:24 祓川登山口―6:44 五合目―7:15 六合目―7:38 下ノ芝―8:04 中ノ芝〜8:09 発―8:18 上ノ芝―8:24 小松原分岐―8:38 神楽峰―8:53 雷清水―9:40 苗場山〜10:11 発―11:11 雷清水―11:32 神楽峰―11:44 小松原分岐―12:45 大日蔭山―12:56 霧ノ塔〜13:15 発―13:27 大日蔭山―13:50 小松原分岐―14:55 上ノ芝―15:05 中ノ芝―15:32 下ノ芝―15:54 六合目―16:19 五合目―16:35 祓川登山口=(R.17、越後湯沢、関越道 経由)=17:10 新潟

 上越国境の蓬峠のすぐ北側から西に延びる尾根を足拍子山稜と呼ぶ。この尾根は、シシゴヤノ頭、コマノカミノ頭、足拍子岳、荒沢山、柄沢山といったピークを連ね、方丈山で終わっている。方丈山の山裾の西には中里スキー場、北には湯沢パークスキー場が広がっている。湯沢パークスキー場から登山道が開かれているが、まったく知られていない。名前の由来は、この地にある名刹「瑞祥庵」の開祖(方丈様)が、 この山頂で座禅を組んで修行をしたことで命名されたと言われている。

 当間山は、信濃川と魚野川に挟まれて南北に連なる魚沼丘陵にある1000m級のピークである。山の知名度は高くはないが、上越国際スキー場の当間ゲレンデとして、名前が知られている。当間山には、魚沼スカイラインあるいは当間高原リゾートからの遊歩道が整備されている。

 上信越国境にある苗場山は、4キロ四方に及ぶ平らな山頂を持ち、矮小化したオオシラビソの原生林の間に湿原が広がっている。この山の名前は、日本有数の豪雪地の辺境秋山郷を著した鈴木牧之の「北越雪譜」によって世に広められた。登山道は各方面から通じており、和田小屋より神楽峰を経ての祓川コースや、車を利用すると短時間で登ることのできる小赤沢コースの利用者が増えている。苗場山から北に向かっては、神楽ヶ峰から霧ノ塔、日蔭山と稜線は連なり、その先には、苗場山の湿原に劣らぬ規模を持つ小松原湿原が広がっている。
 海の日がらみの三連休は、普通なら考えることもなく飯豊と決めている。残雪も豊富で、花も満開の夏山を楽しむことができる。しかし、それも晴れてのこと。今年は、西から台風が接近している。しかも、初日の土曜日は、東京で夜に祝賀会があり、出席しなければならない。朝出発の1泊2日でも、飯豊のテント泊は行えるが、天候が許してくれない。
 頭をひねった後に、山の計画をたてた。まずは車で湯沢に向かい、土曜日の午前中に軽く山に登って、スーツに着替えて新幹線で東京へ。夜遅く湯沢に戻って、車の回収。幸い、湯沢止まりの上越新幹線タニガワは、最終が遅いのも都合が良い。日、月は、天気の様子を見ながら、日帰りで湯沢周辺の山に登ることにした。ただ、まとまった雨も覚悟しなければならず、沢の徒渉のあるコースは避けなければならない。
 方丈山は、2006年7月1日に登って以来、三度目になる。コースの記憶も新しいので、気楽に歩くことができる。ラジオで天気予報を聞きながら車を走らせると、群馬県側では、高速道が50km規制になって、本降りの雨になっているようであった。県境に近づくほど雨の確立は高くなるが、湯沢に入っても雨は降り出していなかった。
 湯沢パークホテルの前にも駐車場が設けられているが、登山者は、入口手前から分かれる車道に進んだところにあるスキー客用の駐車場に車を置くようになっているようである。
 駐車場の奥から草むらの中の踏み跡に進むと、下から上ってきているスキーのコースに飛び出す。この下のプール脇の入口には、方丈山と書かれた小さな標識が置かれている。しばらくは、スキーの滑降コースの登りになる。初心者用の林間コースといった感じであるが、歩いて登ろうとすると、意外に傾斜があって、汗が吹き出てくる。この季節は、気温が高いわりには湿度が高く、汗が蒸発することもないので、体がずぶぬれ状態になってしまう。
 右手から沢が入り込むところで、この沢沿いの道に進む。ここにも登山のための標識が置かれている。沢沿いの道は、整備されているといっても、歩く者は少ないために、落ち葉で判りにくくなっているが、ピンクのテープが連続して取り付けてある。  沢の二股に出て、その中尾根を進むと、すぐに右手の沢を横断して対岸の斜面を登るようになる。この一帯は、美しいブナ林が広がっており、ブナ林コースの謂れになっている。ジグザグの登りであるが、下生えが少なく、どこでも歩けるために、かえってコースを見失いやすい。ひと汗かくと尾根上に出る。
 この先は、潅木に囲まれた細尾根の登りが続く。標高差180mの登りであるので、頑張って足を前に出していればそのうち山頂に到着する。山頂手前で傾斜は増して、足元も滑りやすくなるが、ロープが連続して張られており、助けになる。
 方丈山の山頂は、小広場になっており、周囲の展望が広がっている。まず目に入るのは、岩峰を連ねた足拍子山稜の眺めである。この尾根の登山道が荒廃して歩けなくなってしまっているのは残念である。上越のマッターホルンとも呼ばれる大源太山の山頂は、雲に覆われていたのは残念であった。飯士山や正面山といったピークも良く眺めることができる。不似合いな高層マンションが並ぶ湯沢の町も眼下に見下ろすことができる。1時間程で登れる山としては、素晴らしい展望である。
 湯沢周辺の半日コースとして、利用価値の高いコースなのだが、知られていないのは残念である。最近では、新潟ファミリー登山といったガイドが発刊されているが、この方丈山、小出の大力山、小千谷の城山が掲載されていないようでは、著者の勉強不足としかいえない。
 下山は、「三本松コース」に向かう。山頂直下のざれた細尾根は、右に回り込む迂回路が設けられている。再び尾根に戻って下りを続けると、足拍子山へと続く尾根から分かれて、北東に向かう尾根に進むようになる。この分岐付近で、あるいは足拍子山方面への山道はないかと見たが、道はないようであった。
 潅木に囲まれた、尾根の下りが続く。良く整備された歩きやすい道である。アカモノの赤い実を沢山見かけるものの、高山植物が期待できるような山でもないと思って歩いていると、イチヤクソウの花に出会うことができた。やはり山を歩けば、なにかしらの出会いがある。
 678m点を越えてさらに下りを続けると、小岩峰に出る。岩の上に立つと、周囲の展望が広がる。方丈山の山頂も振り返ることができ、大源太山や飯士山の眺めも広がる。最後の展望を楽しむことができる。
 ここからは、僅かな下りでゲレンデに飛び出す。左手にゲレンデを下るが、夏草がややうるさい。やがてレストハウスの脇に出て、山裾を回りこんでいくと、ホテルの裏手に出て、駐車場に戻ることができる。
 方丈山は、半日コースとして、手頃な山である。
 山を終え、いつもの岩の湯で温泉に入ってさっぱりした。車を湯沢の高架下の町営駐車場に移動し、時間を見計らって新幹線に乗り込んだ。東京では、本降りの雨になっていた。
 宴会を終えて湯沢に戻り、再び、山モードに戻った。帝国ホテルの宴会料理よりは、自由気ままに食べるコンビニ弁当の方がしょうにあっている。
 二日目の日曜日は、台風が関東南岸を通過し、新潟でも雨が本降りになりそうであった。朝起きてみると、雨雲が垂れ込めていたが、雨は止んでいた。本格的な山は無理であっても、低山歩きなら問題はなさそうであった。  低山を考えていき、当間山に向かうことにした。2000年10月21日に魚沼スカイラインから登っており、今年の冬の1月28日には当間ゲレンデよりスノーシューで登ったばかりである。最近出版された「新潟日帰りファミリー登山」のガイドブックでは、西側の当間高原の珠川方面からの登山道が紹介されている。少し長めのコースであるが、ブナ林の中の登山道で、雨の日に歩くには良さそうである。
 湯沢からは、山越えをして十日町側の山の反対側に移動することになる。当間高原リゾートホテルヴェルナティオの標識が道案内になる。珠川の集落から、リゾート施設の南の外縁に沿って山に向かうことになる。未舗装の駐車場に出て、その先は道路が細いため関係者以外の車の進入禁止とある。先をうかがうと舗装道路で、細めながらも車のすれ違い場所も各所にありそうであった。関係者に叱られるのもいやなので、ここから歩き出すことにした。
 雨雲が流れてきて、しばらく様子見をしてから歩き出すことになった。歩いていくと、左手に小さな天文観測所が現れた。ホテル付属の野外活動用のもののようであった。脇には、広い駐車スペースがあるので、ここまで車を進めても良いかもしれない。送電線の下を通過すると、未舗装の林道になり、すぐに登山道の入口になった。
 しばらく潅木帯の中を進むと、ブナ林が広がるようになった。ブナ回廊という遊歩道が左に分かれた。帰りに、その道を歩いてみることにして、先を急いだ。ガイドブックでは、このブナ回廊のことには全く触れていない。このガイドブックは、平成18年の調査をもとに記載してあるというが、本当に最近歩いているのだろうか。あるいは、当間山への登山道だけを調査すれば良いということで、脇道のことは一切無視したのだろうか。
 緩やかな登りが続いたが、湿度が高いためか、大汗が流れ出た。小さな沢を越しながら、左に少しずつコースを変えていった。途中、水場が現れたが、雨の後ということで、勢い良く流れ出ていた。
 その先僅かで、ブナ回廊の上の分岐に出た。帰りは、ここからブナ回廊に進むことにした。ひと登りすると、小ピークに出たが、ここが一本杉と呼ばれるところのようであった。細尾根の先に、山頂はまだ遠くに見えていた。  少し傾斜が増して、それを登り切ると、木製の展望台が現れた。ここが山頂かと思っていただけに、少し残念であった。もうひと頑張りする必要がある。
 ブナも太い木が目立つようになると、山頂も迫ってきた。右から山道を合わせると、山頂下になる。ひと登りしたところで、この道は、山頂下をそのまま通過していってしまうため、これから分かれて少し細い道に進む。尾根沿いに進むと、当間山の山頂に到着する。狭い切り開きの中に山頂標識が置かれて、三角点が頭を出している。この山頂は、ブナの木立に囲まれて展望はない。
 不思議なのは、ガイドブックには、「三角点標識は地中に没したか、崩れたか、跡形もない」と書かれていることである。三角点は、山頂に立てば、いやでも目に入ってくるし、2000年10月21日に登った時も、この三角点を確認して山頂に立ったことを確かめている。ガイドブックの著者がどこを見て書いているのか疑問が湧いてくる。
 天気ももっているので、魚沼スカイライン登山口まで往復してくることにした。一旦戻って、山頂を巻いていく道に進んだ。幅広の良い道が続く。山頂から大きく下った後に、1020mピークへの登りになる。このピークにかけては、美しいブナ林が広がっている。今年の冬に歩いた時には、このピークへの登り返しに苦労した。
 1020mピークに登りつくと、「猫石周遊コース入口当間山三角点まで880m」と書かれた標識が置かれていた。登ってきた道とは別に、少し荒い刈り払い道が始まっていた。確かに当間山の山頂には、もう一本の道が上がってきていた。帰りにこの道を確かめることにして、先に進んだ。
 緩やかに下っていき、小ピークを越すと、ほどなく魚沼スカイラインに飛び出す。この登山口には、トイレもあり、展望園地が設けられている。展望園地に立つと、飯士山や巻機山、湯沢市街地の眺めが広がっていた。
 再び来た道を戻ったが、足も疲れてきた。1020mピークから新しい道に進んだ。途中で枝道が分かれたが、下り方向の道に進んだ。途中でメインの道を外したようだが、鞍部付近で再びメインの道に戻ることができた。テープが付けられているといっても、少し判りにくいところもあり、現在のところ、初心者は入らない方が無難のようである。登りを続けていくと、当間山の頂上に直接到着した。
 当間山の下山の途中から、ブナ回廊に入った。少し若いが、美しいブナ林が広がっていた。登りのコースとは、間に一本尾根を挟んだ、二本目の尾根を下ることになる。案内板が要所に置かれているが、次第に現在位置が判らなくなり、ブナ林の中をさ迷うといった感じになる。熊の爪跡を示す案内板が幾つも取り付けられていた。
 登山コースに戻る枝道が分かれたが、そのまま下降を続けるように道が続いていた。そのまま下りを続けた。送電線の下を通過してさらに下降を続けていくと、溜池の畔に出た。車道に出て、そのまま下っていくと、ホテル施設の外縁に出て、左に曲がると、歩き始めの駐車場に戻ることができた。途中で、登りに使ったコースに戻る道を何箇所かで見送ってしまったが、偶然にも、大きな周回コースとして歩くことができた。
 再び湯沢に戻り、翌日の山のために待機した。翌朝、雨は上がっていたので、予定通りに苗場山をめざすことにした。  三俣の定例の野宿場所で夜を過ごした。翌朝は、雨も上がっていたので、林道に進んだ。払川の登山口に到着してみると、他に車は無かったが、朝食をとっているうちに、登山者の車が続々と到着した。
 先回は2005年10月1日で、何度も歩いているコースなので、気楽に歩くことができる。
 トイレ脇から登山道に進むと、すぐに林道に出る。しばらく林道歩きが続くが、意外に傾斜があるようで、汗が噴き立てくる。和田小屋で林道歩きも終わり、ここから登山道の登りが始まる。
 木道が随所に整備されているが、岩を伝い歩くようなところもあって、歩き辛い。トラバースに時折つづら折りが入る樹林帯の登りで、汗を流しながら耐えるしかない。後方から、若い二人連れが追いついてきて、追い越していったが、しばらく後に休んでいるところを追い抜くと、そのまま引き離すことになった。
 下ノ芝に出てひと息つくことができるが、樹林帯の中の登りはまだ続く。まだゲレンデの最上部には到着していない。中ノ芝まで上がると、ようやく高山帯に出ることができる。背後に展望が広がるところなのだが、ガスがかかっていた。ここからは傾斜も少し緩やかになる。続く上ノ芝の少し先で霧ノ塔への分岐になる。今日の目的の一つに、霧ノ塔まで足を延ばすことがあったが、まずは苗場山に向かうことにした。
 稜線の一段下をトラバースしながら進んでいくと神楽ヶ峰に到着する。標高も2000mを越えるが、登山道脇の通過点にしか過ぎない。三等三角点(2029.6m)が置かれていたようだが、現在は失われており、国土地理院のWeb上での電子地図でも、この三角点は記載されていない。
 神楽ヶ峰から下っていき、鞍部がすぐ下に見えるようになったところに、雷清水がある。この清水は、いつも美味しく飲ませてもらっている。晴れていれば、目の前に切り立った苗場山の側壁を眺めることができるのだが、ガスに隠されていた。  下った鞍部付近は、このコース随一のお花畑が広がっている。花の写真は、後回しにしてまずは苗場山の山頂をめざした。この先の急登は、カメラを首から下げて歩くには辛い。
 山で一眼レフを首から下げて歩いている中高年をしばしば見かける。元気に歩いている者はそれで良いのだが、へたばっている者は、カメラをザックにしまったらどうかなと思う。カメラを首から下げての歩きは、体力の消耗も多くなる。それとは逆に、大型三脚を背負っていながら、展望の尾根やお花畑でも、カメラはザックの中にしまったままで通過していく。ここで写真を撮らなければ、どこで撮るのだろうと不思議に思ってしまう者もいる。
 急登を終えれば、苗場山の山頂の一郭である。後は、湿原や池塘を眺めながらの木道歩きが続く。ガスのため、木道周辺しか見えず、風景写真は諦めるしかなかった。花もチングルマは終わっており、キンコウカやイワイチョウもまばらで、花の期待は外れた。
 まずは、遊仙閣背後の一等三角点にもうでて、苗場山頂ヒュッテ先まで少し歩いたが、ガスに閉ざされて見るものもないため、霧ノ塔のために下山を開始した。
 池塘の脇で花の写真を撮っていて立ち上がると、体が揺れた。足を大きく開いたが、あやうく木道を踏み外しそうになった。一瞬、病的な発作が起きて、立てなくなったのかと思ったが、目の前の水面に大波が立って、白く泡だっているのを見て地震と知った。揺れは、この一回のみであった。被害の状況を考えたが、林道への落石が起きている可能性はあるものの、奧に和田小屋もあることから、問題があればすぐに対応するはずであった。そのまま霧ノ塔への登山を続けた。この地震は、後ほど中越沖地震と名前が付けられ、柏崎を中心に大きな被害を生じていたことは、この時には考えてもいなかった。
 鞍部のお花畑では、ミヤマウスユキソウやオノエランの花を楽しむことができた。 
 神楽ヶ峰へ登り返し、霧ノ塔への道に進んだ。すぐに岩を乗り越す様な状態になった。特に僅かに下った先の鞍部付近は、大岩を伝い歩くような状態で、下の隙間も深く、足下に注意が必要で、コース判断も難しくなっていた。
 この露岩帯を突破してひと登りすると、その先の1984mピーク一帯には、楽園のような草原が広がっていた。特にヒメシャクナゲが目立っていた。
 ピークから下っていくと、薄暗い樹林帯の道になった。ギンリョウソウが多いのが目立っていた。田中澄江の「花の百名山」にもこの霧ノ塔が取り上げられており、この縦走路でのギンリョウソウのことは書かれている。もっとも、この山での花はトキソウとされているが、実際には、小松原湿原で見ており、今回の苗場山から霧ノ塔への間では、この花を見ることはなかった。  登りの途中で話を交わした夫婦連れは、霧ノ塔が目的のようで、登山道の様子とともに、トキソウが咲いているかと聞いてきた。途中の草原で咲いているかと思ったのだが、トキソウは無く、この夫婦連れの期待は外れたようである。もしも「花の百名山」を読んで訪れたとすると、誤解を招きやすい山と花の組み合わせタイトルのせいである。
 草付きの急登を終えて、霧ノ塔到着かと思ったが、2000mの大日蔭山であった。小さなプレートが木に取り付けられていた。霧ノ塔へはもうひと頑張りする必要があった。
 幸い、その先に大きな高低差はなかった。小さなピークを越え、緩やかな稜線を辿ると、霧ノ塔の山頂に到着した。ガスのために展望は閉ざされていたものの、霧ノ塔の山頂自体は、木立に囲まれて、展望はあまり良くないようであった。すぐ手前が、展望を楽しみながら休むのに良いようであった。
 山の名前にちなんでか、霧が流れて、展望は開けないままであった。
 霧ノ塔の往復には、思ったよりも時間がかかり、下山の時間も遅くなった。山頂付近では終日霧が流れるといった具合であったが、麓では雨になっていたのか、登山道は泥だらけになっていた。
 車に戻ってラジオを付けると、柏崎で大きな被害が出て、北陸道は不通。関越道は点検が終わってようやく通れるようになったことを知った。もしも上越方面に出かけていたら、帰宅には大迂回が必要になっただろうし、三日目も雨であったとなると、米山あたりに登っていた可能性もある。帰りの高速の流れもスムースで、偶然が重なったとはいえ、地震の影響を全く受けないで帰宅することができた。

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