杁差岳、頼母木山

杁差岳、頼母木山


【日時】 2004年6月16日(土) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大石山・おおいしやま・1567m・なし・新潟県
鉾立峰・ほこたてみね・1573m・なし・新潟県
杁差岳・えぶりさしだけ・1636.4m・三等三角点・新潟県
頼母木山・たもぎやま・1730m・なし・新潟、山形県
【コース】 奧胎内より足の松尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/杁差岳、二王子岳
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭分社)

【時間記録】
16日(金) 20:00 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、玉川 経由)=21:30 胎内ヒュッテ  (車中泊)
20日(土) 3:15 胎内ヒュッテ発―3:54 足の松尾根取り付き―4:40 姫子ノ松〜4:45 発―5:09 岩場奪取―5:25 滝見場―6:03 水場入口―7:12 大石山分岐〜7:20 発―8:07 鉾立峰―8:53 杁差岳〜9:30 発―10:17 鉾立峰―11:11 大石山分岐―12:08 頼母木山〜12:30 発―12:44 頼母木小屋―13:30 大石山分岐―14:31 水場入口〜14:41 発―15:18 滝見場―15:33 岩場―15:59 姫子ノ松〜16:05 発―16:44 足の松尾根取り付き―17:30 胎内ヒュッテ発=(往路を戻る)=19:10 新潟

 杁差岳は、飯豊連峰主脈北端を代表する山であり、日本二百名山にも選ばれている。その名前は、「杁差しの爺や」と呼ばれる残雪形が名前の由来であるといわれている。杁差岳への登山道としては、胎内ヒュッテが起点となる足の松尾根を登って大石山を経由するコースが一般に用いられ、新潟からの飯豊登山の入門コースになっている。

 飯豊の夏山は、ハクサンイチゲの大群落の出現と共に始まる。ハクサンイチゲは、夏の盛りになっても雪田周辺で見られるが、大群落は、6月10日頃が目安で、最盛期を中心として前後一週ほどの短い時期が見所である。今年は、6月9、10日の週末が最盛期になったようであるが、あいにくと雨になって杁差岳は断念するしかなかった。この週末の天気予報もかんばしくなかったが、直前になって晴の予報が出た。
 他の山の予定をたてており、天気予報によって急に杁差岳をめざすことになったので、泊まりの準備をする余裕もなく、日帰りで登ることにした。
 杁差岳に日帰りで登る時は、4時発としている。出発時間が遅いと、登りの途中で気温が高くなって、辛い思いをする。朝の涼しいうちに稜線まで上がってしまい、後は稜線歩きを楽しむのが良い。奥胎内への道路も格段に良くなって、新潟市内から奥胎内へは1時間半程で到着できる。ただ、4時発となると、2時前には起きる必要があり、眠い目をこすりながらの車の運転は避けたい。前夜のうちに奥胎内に入っておくのが、通例になっている。
 目覚ましの音で目を覚ますと、霧雨が降っていた。天気の回復は遅れているようであった。明日に延ばそうかとも思ったが、天気予報を信じることにした。
 ゼリー食品とバナナ、コーヒーで、朝食をとって歩き出した。3時とあっては、まともな食料は胃に入らない。
 新装なった胎内ヒュッテからもれてくる明かりに送られて、真っ暗な林道を歩き出した。林道の入口にはゲートが置かれているが、大型観光バスの走行にも支障のない、二車線幅の立派な車道である。歩き始めは、坂も急で、いきなり脈拍も上がる。
 先回は、林道歩きを楽するために、折りたたみ自転車を持ち込んだが、この坂道で足に負担がかかり、帰りの下りでは楽ができたものの、山行中の足の状態がどうも思わしくなかった。林道歩きは、準備・整理運動と思えば良い。
 車道の周囲には、大木のブナ林が並んでいる。深夜の歩行のために、LEDとキセノンランプのツーウェイ方式のヘッドランプを持ってきていたので、足元の照明には問題は無かった。
 突然、光った点が現れて、宙を舞った。蛍にしては明るい。ライトを当てて良くみると、空を飛ぶ鳥の目が光っていた。まさにファイヤーバードだなと思った。実際に、なんの鳥かは判らなかった。
 胎内川の奥地で建設中のダム工事現場の入口である奥胎内橋までは、この立派な車道が続く。ここまでは、枝沢に三本の橋がかかって直線化が進んで、旧道よりも距離が短くなっている。この橋が、車道歩きのほぼ中間点である。この先は、未舗装の道に変わるが、路面の状態は悪くはない。
 足ノ松沢を渡ると、その先の広場が、大石山への登山口になる。6月とあって、早くもあたりは白み始めていた。
 ブナ林の広がる台地を抜けると、尾根の末端となり、木の根を足がかりにしての急登が始まる。北アルプスの登山道のように、急坂といっても、細かいジグザグが付けられて歩きやすくなっている登山道は違う。手も使う、胸付きの急坂を登り続ける。幸い、体はともかく、頭は眠っているので、余計なことを考える必要もなく、黙々と足を運んでいれば良い。
 急坂の途中でヘッドランプの明かりも必要なくなった。傾斜が緩んで、ちょっとした岩場を二ヶ所ほど越すと、姫子ノ松に到着した。標高730m地点である。この最初の区間で、この日の体調も判るが、まずまずのようである。以前よりも、時間は少し延びてきているが、疲労を抑える歩きに変わってきたのだろう。ヘッドランプを仕舞い込み、ひと息いれた。
 この先は、地図上では標高差もあまりないように見えるが、小さなピークの乗り越しが続いて、体力を消耗する。標高830mの鞍部で、両脇の切り落ちた岩場の通過になる。ロープが張ってあるといっても、体を支える助けにはならないので、足元に注意して通過する必要がある。
 こかからは、登りが続くようになる。標高920m地点で、尾根の左手が刈り払われた小広場が現れる。右手の木に、滝見場と書かれた標識が付けられている。足ノ松沢にかかる滝を見下ろすことができる。目では小さく見えるが、滝の音が届いていた。
 尾根の途中からは、頼母木川の谷越しに二ツ峰の眺めが広がるのだが、稜線部はガスに隠されたままであった。青空の期待に暗雲がたれこめた。
 尾根の途中に現れる二重山稜風の地点では、残雪も現れたが、融けて消えかかっていた。1095mの小ピークを越すと、水場への分岐となり、窪地は残雪で埋もれていた。水場へは、左手に下りる必要があるが、残雪のある時は、右手の斜面の落ち口にいくと、雪解け水が流れ出ていて、水を得ることができる。ただ、残雪上は、登山者の休憩場所になっているので、衛生面では保障の限りではない。
 体調も良いため、そのまま登り続けた。この先しばらくはブナ林の中の登りになる。やがて潅木帯に代わり、尾根も痩せてくる。大石山から鉾立峰へ続く稜線の鞍部が目の高さに迫ってきて、登りも後僅かになってきたことを知ることができた。
 マイズルソウやシラネアオイの花も出てきて、お花畑の期待も高まってきた。
 傾斜がようやく緩むと、大石山の分岐に到着した。あいかわらずガスはかかったままであった。まだ朝の7時過ぎということで、これから天気が大きく変わる可能性は残されていた。まずは、杁差岳を目指すことにした。
 大石山の下りで、ハクサンイチゲの群落が現れたが、盛りは少し過ぎていた。時期を逸したかと思ったが、下っていくと、盛りのハクサンイチゲが現れた。残雪の消えた時期と関係しているようで、鞍部の雪田跡の花は、今が盛りになっているようである。歩きに専念して、写真撮影は後回しにすることにした。とりあえず、現れる花を覚えながら歩いた。
 大石山から標高差140m下って、鉾立峰への150mの登りは、いつもながら足に堪えた。一旦70m下って、140mの登り返し。大石山まで登ってきても、杁差岳まで足を伸ばさない者も多いのも頷ける。晴れていれば、この苦労に見合う絶景が広がっているのだが、杁差岳の山頂はまだ視界に入ってこない。
 杁差岳への最後の登りは、傾斜の関係か、鉾立峰への登りに比べれば、そうきつくは感じない。シラネアオイ、ハクサンチドリ、ハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、コイワカガミ、コシジオウレン、タカネスミレの花が現れて、天上の楽園を楽しませてくれた。
 山頂直前でガスが晴れて、避難小屋と山頂が急に姿を現した。手前の草原には、ハクサンイチゲの群落が広がっていた。山頂目前で、写真撮影のために足を止めることになった。
 小屋からひと登りで、杁差岳の山頂に到着する。これが5回目の登頂で、回数としてはそう多いわけではない。新潟からは最も近い日帰りの山であるにもかかわらず、飯豊本山の8回と比べると少ないのは不思議である。
 山頂で大休止として、ガスが切れるのを待った。鉾立峰がうっすらと姿を現すのがやっとであった。単独行が登ってきて、先に下っていった。待っていても切がないので、写真撮影がてら歩き出すことにした。
 青空と残雪をバックにしたハクサンイチゲの群落の写真は諦めて、霧の中に広がるハクサンイチゲの群落がテーマになった。体の動きと息を止めて、風が収まる一瞬を待ってシャッターを切るのは、なかなかハードでスポーツ的であった。
 杁差岳のこの時期の見所の一つに、白花のシラネアオイがある。他の山では、突然変異的な固体が出現するのに対し、この山では、紫、ピンクに混じって白花が普通に咲いている。この白花のシラネアオイだけでも登山者を集めることはできると思うのだが、幸いにしてあまり知られていないようである。ただ、シラネアオイの花は終盤で、散ったり痛んだ花が多く、盛りの花を探す必要があった。
 花の写真撮影をしながらのんびり歩いて大石山まで戻った。頼母木山に向かって歩いたあたりには、ハクサンイチゲの大群落がある。見事なお花畑が広がっていたが、青空は隠されたままであった。時間の余裕はまだあったので、先に進んでいくと、ガスが切れて、頼母木避難小屋が姿を現した。頼母木山まで進むことにした。
 頼母木避難小屋では、泊まり客の話声が中でしていた。頼母木山への登りでは、残雪上の歩きも現れたが、危険は無かった。足ノ松尾根経由で杁差岳あるいは頼母木山への登りでは、少なくとも花の季節になってからでは、ピッケル・アイゼンは必要としないのはありがたい。
 頼母木山に到着した時は、青空が広がって、お地蔵様が出迎えてくれた。地神山が正面に大きく、その左肩には飯豊本山も姿を見せていた。この青空もつかの間で、再びガスが流れてきた。正午を回っていたので、昼食とした。
 下山の時間も迫ってきて、青空は諦めるしかないようであった。大石山へと戻ることにした。大石山の手前で、インターネットの知り合いにばったりと出合った。山の世界は、意外に狭いようである。
 タイムリミットを考えていた1時半に大石山からの下山を開始した。水場分岐まではカメラを下げて、取り残しの花の写真を撮りながら歩いたが、この先はカメラもしまい、下りに専念することにした。といっても、足にも疲労が出てきて、ペースはなかなか上がらなかった。姫子ノ松から先の最後の下りでは、力を振り絞る必要があった。飯豊は、登りよりも下りで苦労させられる。林道に下りたって、最後の歩きを頑張ることになった。
 胎内ヒュッテに戻ったのは5時半で、予定通りではあった。
 コースタイム合計は15時間10分、休憩を入れた実際の山行時間14時間15分となり、久しぶりの長時間山行になった。もっとも頑張って歩いていたのは、杁差岳の山頂に到着するまでで、あとは写真撮影のためののんびり歩きなので、後半のコースタイムは他の人には参考にならない。
 杁差岳を代表する花といえば、ニッコウキスゲも挙げられる。この花の季節にも出かける必要がある。

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