勝山、戸倉山、神奈山

勝山、戸倉山
神奈山


【日時】 2007年5月26日(土)〜27日(日) 前夜発2泊2日各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 26日 曇り 27日:晴

【山域】 親不知周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 勝山・かつやま・328.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/糸魚川/糸魚川
【コース】 勝山城址登山口より
【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山48山(新潟日報事業社)

【山域】 海谷山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 戸倉山・とぐらやま・975.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/越後大野、雨飾山
【コース】 雨飾山麓しろ池の森より
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新潟日帰りファミリー登山48山(新潟日報事業社)
【温泉】 塩の道温泉ホテルホワイトクリフ 400円

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 神奈山・かんなさん・1909.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/赤倉
【コース】 関温泉スキー場より
【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山48山(新潟日報事業社)、山と高原地図「妙高・戸隠・雨飾」(昭文社)
【温泉】 関温泉登美屋 500円

【時間記録】
5月25日(金) 21:10 新潟=(北陸自動車道 経由)=23:30 蓮台寺PA  (車中泊)
5月26日(土) 5:30 蓮台寺PA=(北陸自動車道、糸魚川IC、R.8 経由)=5:50 勝山城址登山口〜6:10 発―6:50 勝山〜7:03 発―7:33 勝山城址登山口=(R.8、糸魚川、R.148、根小屋 経由)=8:32 しろ池の森駐車場―8:51 白池〜9:00 発―9:22 角間池―9:53 戸倉山〜10:22 発―10:41 角間池―10:55 大網峠〜11:02 発―11:36 白池―11:52 白池下―12:12 しろ池の森駐車場=(根小屋、R.148、糸魚川、R.8、高田、R.18、関山 経由)=15:30 関温泉  (車中泊)
5月27日(日) 6:37 関温泉登山口―7:14 ゲレンデ上―8:04 大ブナ林―8:44 八方睨―9:10 神奈山〜9:44 発―10:13 八方睨―10:39 大ブナ林―11:36 ゲレンデ上―12:04 関温泉登山口=(関山、上越IC、北陸自動車道 経由)=16:00 新潟

 勝山は、北アルプスが日本海に落ち込む親不知海岸の西の、子不知と呼ばれる海岸線にのぞむ尖った山頂を持つ山である。越後の上杉氏が、越中方面からの織田信長の進行に備えるための山城が築かれている。

 戸倉山は、新潟県糸魚川から長野県小谷村へ抜ける塩の道の、県境の大網峠の北側に位置する山である。山麓には、「雨飾山麓しろ池の森」と呼ばれる公園が整備され、旧街道の塩の道と合わせて、山歩きを楽しむことができる。山頂からは、北アルプスや雨飾山、駒ヶ岳の遮るもののない展望が広がっている。

 神奈山は、赤倉山、三田原山、大倉山と並ぶ、妙高山の外輪山の一つである。この山だけに登山道が開かれており、山頂から妙高山の大展望を楽しむことができる。

 最近、新潟関係のガイドブック二冊が相次いで出版された。そのうち登っていない山をめざして、上越方面の山に出かけることにした。朝出発しても、時間的には充分な山ではあるが、高速代の深夜料金を利かせて節約するために、前夜発とした。
 まずは、勝山に向かった。糸魚川で高速道を下りてR.8に向かった。海沿いの細い道に変わったところで、勝山城跡登山口に到着する。海側の向かいには、廃業しているドライブインがあり、その駐車場の片隅に車を停めた。交通量も多い幹線国道沿いなので、路肩スペースに車を停める脇にもいかない。車がなかったので無人かと思ったが、下山の時に建物の中に人がいたようなので、駐車にはことわる必要があるようである。
 小さな沢が落ち込む脇から登山道が始まる。勝山城址登山道と書かれた石碑と、城跡のいわれの書かれた案内板が置かれている。コンクリートの階段をひと登りして砂防ダムに進むと、すぐにつづら折りの道に変わる。はじめは草がかぶり気味であったが、尾根沿いの登りに変わると、しっかりした道が続くようになった。急斜面の登りが続き、高度も一気に上がった。振り返ると、日本海の海原が眼下に広がっていた。
 花もひと段落したようで、ナルコユリが目立つくらいうであったが、ユリの蕾が所々で目に留まった。どうやら、ササユリのようであった。ヒメサユリと同じようなピンクの花が咲くが、新潟県では、富山県境のこの付近だけのようである。最近は見ていないので、この花が咲いている時に登りたかったので残念である。
 標高250mの案内板を見ると、岩場の登りも現れたが、鎖やロープが整備されており、歩くのに問題はなかった。
 山頂は、木立に囲まれた広場になっており、奥に石の祠が置かれていた。
 傍らの案内板には、以下のように書かれていた。
「勝山城跡
 勝山城は、戦国時代上杉氏が領国の経営と国境守備のため、春日城の支城として各地に保有した番城や砦の一つで、謙信没後その跡を継いだ上杉景勝が、越中方面からの織田信長の脅威に備えて築いたものである。はじめ地名から落水(オチリミズ)城と呼ばれたが、後に勝山城と改められ、秋山守綱、萩田主馬丞らが城将であったことなどが古文書に記されている。
 勝山城は、標高三二八米の山城で、足下に日本海がせまり、遠く西は親不知や越中宮崎の鼻が、東は姫川河口から不動山城(早川)や徳合城(能生町)が望まれ、望楼としても優秀であった。山頂には壕で守られた三廊の主陣地帯を設け、これを核として、さらに西南に次第に高く続く尾根には、削平地や空壕が長城のように構えられている。山頂への道は、海岸の落水から尾根づたいに急坂を登る道と谷川に沿って地獄谷を通る道、大沢部落から七曲りを通り権現山へ達する道の三本があるが、今は最初の道だけを利用している。
 豊臣秀吉は、越中の佐々成政の征伐が終わると石田三成以下のわずかの供を従え勝山城へ乗り込み、この地で上杉景勝と会見し、固い盟約を結んだことは大いに有名である。時に天正十三ね(1585年)夏のことであった。
 山頂の石祠は、昭和十三年に青海青年会が建てたもので、上杉ゆかりの高田の春日山神社から、お礼をうけてまつってある。」
 歴史を秘めた山頂は、潮騒も遠く、静まりかえっていた。
 山頂の先に山道が続いていたので、進んでみた。すぐ先で、横堀が走っているのが城跡らしかった。下りにかかるところで、刈り払い道は終わり、その先は薮になっていたので広場に戻った。北側の刈り払い部からは、日本海を眺めることができた。
 下りは、急坂のために足元に注意が必要であったが、時間はそれほどかからずに、登山口に戻ることができた。
 次に、戸倉山に向かった。糸魚川からR.148に入り、根小屋で国道からわかれる。途中から、しろ池の森という案内が出てくるので、これに従うことになる。シーサイドバレースキー場の下を通り過ぎ、案内板に従って右に分かれる道に進む。幅広の車道を登っていくと、森林公園敷地内に入り、大きな駐車場に到着した。この駐車場の先に、中心施設の原の館があり、その脇から白池に続く林道が始まっているが、入口には鎖がかかっていた。
 この駐車場と取り付き道は、地図にも記載されていない。最近出版された二冊のガイドブックに、この戸倉山は取り上げられているが、駐車場の位置は、GPSで確かめた実際の位置とは全く違っていた。整備された公園内では、かえって地形が把握できない。GPSに頼らない限りは、登山道を正確にトレースすることは難しいのだが、こういったガイドブックの執筆者でも、GPSを使っていない者が多いようである。ガイドブックでも、そこに掲載されている地図は、地形図を丸写ししただけか、根拠が判らない誤りをおかしていることが多く正確さに欠ける。市販のガイドブックなら、GPSを使った記録をもとに地図をおこすのが、最低条件であろう。
 白池へは、未舗装の車道歩きがしばらく続く。林道終点の広場から山道をひと登りすると、白池の畔に出た。湖畔には休憩小屋も設けられていた。湖面の向こうには、駒ヶ岳から鬼ヶ面山を経て鋸岳に至る岩峰を連ねた稜線を眺めることができた。その右手には、雨飾山が高く聳えていた。池の畔の遊歩道を回りこむと、めざす戸倉山の山頂を見上げることができた。
 静かな池を後にして、塩の道に進む。ひと登りで、諏訪神社の祠があり、眼下に白池を見下ろすことができた。
 緩やかな山道が続いた。塩の道は、ここを通って上杉謙信が武田信玄に塩を送ったという謂れも残っており、物資の輸送に使われたという。文久元年(1861年)建立の石碑があり、「右 松本街道 左 中谷道横山」と掘り込まれている。ウトウと呼ばれる、牛や人が歩いて溝状に掘り込まれたところも現れた。
 美しいブナ林が広がると、角間池に到着した。林の中に広がる静かな池である。池の畔に立って、汗を拭った。
 大網峠への道から分かれて、戸倉山への道に進んだ。ブナ林の中をひと登りすると、尾根上に出て、ここからは傾斜も少し増した。緩やかな登りが続いてきたので、これくらいの登りは、山登りの気分が高まって良い。
 ひと頑張りすると、戸倉山の山頂に到着した。広場になっており、周囲の展望が広がっていた。北アルプスの白馬岳付近や雨飾山、駒ヶ岳から鬼ヶ面山を経て鋸岳に至る岩稜も良く眺めることができた。明星山の岩壁も目の前にそそり立っていた。素晴らしい展望の山であった。黄沙のために、写真写りは良くなかったが、目で楽しむには充分であった。山頂でゆっくりとすることにした。季節を変えてまた訪れたい山頂であった。
 角間池に戻ったところで、大網峠によっていくことにした。池を回りこんで登っていくと、地図読みから思っていたよりも早く大網峠に到着した。GPSで確認すると、地図で示される峠の位置よりも西であった。峠の南半分も歩いてみたいものである。昔は旅人が行き交った道であるが、聞こえるのはブナ林のざわめきだけであった。
 角間池に戻ると、グループが休んでいた。ハイキングとして、ここまで歩いてきたようである。白池に戻ったところで、池の周りの遊歩道を周回した。
 登山口の駐車場に戻った時間は早かったが、強風が吹くようになっていたため、山は終わりにした。近くに、手頃な日帰り温泉もあった。
 高速代の節約のために一般道を走ったが、日本海の海岸線を走ると、強風で車が横揺れをするほどであった。
 関山温泉に到着したところで登山口の偵察を行い、少し戻ったところで、静かな駐車スペースを見つけて夜を過ごした。
 朝になって関温泉に向かう途中、神奈山の眺めが広がった。左奥には妙高山が聳えていたが、神奈山も負けない高さを持っていた。そう簡単には登らせてくれそうにはなかった。
 関温泉スキー場のゲレンデ脇に車を乗り入れてとめた。管理道が、右手の尾根上に向かっており、これに進めば良いはずであったが、入口には関温泉展望台まで1.0kmと書かれた標識が置かれていた。神奈山登山口と書いてあれば、確信を持って歩き出せるのだが、この標識では、不安が残った。その先にも標識があり、これには関温泉スキー場ハイキングコースと書いてあった。
 管理道を登っていくと、レストハウスがあり、リフトの下に出た。このままゲレンデを歩いても良さそうに見えたが、ゲレンデは見た目よりも傾斜があるので、少しでも楽をしようと、そのまま進んで尾根上に出た。
 尾根沿いの初心者用コースに出たはずなのだが、歩いてみるとなかなか辛い。地形図の等高線の込み具合からすると緩やかな登りのはずなので、遠くまで見通せるため、つい早足になってしまっているのかもしれない。登るに連れて、ゲレンデの奥に妙高山の山頂が姿を現してきた。麓から上がってきたリフトの終点からは、斜面も急になった。幸い、ゲレンデの中に大きくジグザグを切るように道がつけられていた。
 ゲレンデ終点まで登って、リフト山頂駅の木のテラスの上でひと息ついた。妙高山が北地獄谷の奥に聳える姿が、素晴らしかった。称名の滝も眺めることができ、まさに展望台であった。
 ここからようやく登山道になるが、この入口に立てられた標識には、関温泉口と書かれていた。木立に囲まれた登山道が始まった。ゲレンデよりは歩きやすくなった。ツバメオモトの花が現れて、写真を撮ると、その後は群落状態で花が登山道脇に続くようになった。これだけツバメオモトがまとまって咲いているのは始めてであった。
 標高1300m付近で、地図では尾根を南に外すように書かれているが、実際は逆に北に外し、しばらくトラバースした後に、つづら折りの登りになって1500m付近で尾根に戻ることになる。さすがに、昭文社の登山地図では、そのように書かれているが、「新潟日帰りファミリー登山48山」のガイドブックでは、地形図の誤った破線をそのままなぞっている。
 トラバース道に入ると、シラネアオイとサンカヨウが群落状態で現れた。期待以上の花の山であった。特にシラネアオイは、山頂付近まで登山道脇を彩っているのが素晴らしかった。
 崩壊地を渡るところがあったが、足場も切られロープも張られて、歩くのに問題はなかった。窪地の残雪を登るところが一箇所あったが、短い距離であった。ただ、大雪の年で時期が早いと、このトラバース部分は、残雪で苦労するかもしれない。
 つづら折りを終えると、大ブナの標識が現れて、尾根上に戻った。この付近は、美しいブナ林が広がっていた。しばらくは尾根の一本登りが続いた。山頂も近づいたかなと思うと、八方睨に到着した。展望が開け、谷向こうには妙高山の山頂が大きく広がっていた。登山道の先は、岩場を右に巻いて急な登りになっていた。
 ここからが、最後の頑張り所になった。岩場の通過も現れたが、コース整備も充分に行われており、特に問題はなかった。傾斜が緩んでようやく山頂かと思ったが、しばらく先に進む必要があった。
 神奈山の山頂は、低潅木に囲まれた小広場になっていた。三角点を探したが見つからなかった。おかしいと思ってGPSを見ると、通り過ぎていることに気が付いた。地面を見ながら戻ると、登山道脇に頭を出しているのが見つかった。三角点の位置からは、山頂広場が目の前に広がり、つい先に急いでしまう。
 山頂広場からの眺めは、木が少し邪魔をしている。展望を求めて、先に進んだ。崩壊地の縁を抜けて尾根が下りに転ずるところまで進むと、遮るもののない展望が広がった。少し不安定な場所であったが、ザックを下ろして休憩とした。
 妙高山の山頂も、目に前に迫っていた。残雪も豊富で、まだ緑の季節を迎えていなかった。火打山の山頂も遠くに見えていたが、まだ真っ白であった。大倉山に向かう尾根は、ダケカンバに覆われ、誘うかのように続いていた。神奈山からは黒沢ヒュッテへと登山道が続いており、機会を見て歩いてみたいものである。
 朝からの青空も、かげりはじめていた。風も冷たく、再び歩き出す必要が出てきた。花の写真を撮りながら下山することにした。妙高連峰では、火打山が花の名山として名高いが、まだ花を楽しめる季節ではない。その点、この神奈山は、雪解けも早く、5月終わりから6月初めに花を楽しめる。特にシラネアオイは、他の山と比べても数が多く素晴らしい。この日の登山者は、私だけであったが、もっと登られて良い山である。
 花を楽しみながらスキー場に戻ると、濃いガスがかかっていた。
 車に戻り、近くの旅館で温泉に入った。妙高付近は、各所に温泉があるため、関温泉に入るのは初めてであったが、鉄分なのか、茶色を帯びた温泉は、登山後の疲れに利く感じがした。
 神奈山は、花の名山であることが判ったので、これからの定番の山になりそうである。

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