毛猛山

足沢山、太郎助山、百字ヶ岳、中岳、毛猛山


【日時】 2007年5月3日(木)〜5日(土) 2泊3日
【メンバー】 4名グループ
【天候】 3日:晴 4日:晴 5日:晴

【山域】 毛猛三回
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 足沢山・あしざわやま・1107.1m・三等三角点・新潟県
 太郎助山・たろうすけやま・1417.6m・三等三角点・新潟県
 百字ヶ岳・ひゃくじがたけ・1448m・なし・新潟県
 中岳・なかだけ・1443m・なし・新潟県
 毛猛山・けもうやま・1517.1m・二等三角点・新潟県、福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/毛猛山
【コース】 末沢川第11鉄橋より
【ガイド】 なし
【温泉】 しろがねの湯(650円)

【時間記録】
5月3日(木) 5:40 新潟=(関越自動車道、小出IC、シルバーライン、銀山平、シルバーライン、小出、R.252、大白川 経由)=10:08 末沢川第11鉄橋―11:42 762m点―13:18 こったが沢分岐〜13:58 発―14:45 足沢山〜14:53 発―15:10 足沢山南肩のテン場 (テント泊)
5月4日(金) 5:15 足沢山南肩のテン場―7:28 太郎助山〜7:40 発―8:15 百字ヶ岳―8:50 中岳―9:50 毛猛山〜11:00 発―11:35 中岳―12:20 百字ヶ岳〜12:37 発―13:11 太郎助山〜13:30 発―15:50 足沢山南肩のテン場 (テント泊)
5月5日(土) 7:00 足沢山南肩のテン場―7:11 足沢山―7:39 こったが沢分岐―8:53 711.2m三角点―10:40 末沢川第11鉄橋=(R.252、小出、シルバーライン、銀山平、シルバーライン、小出IC、関越自動車道 経由)=16:10 新潟

 毛猛山塊は、会越国境を貫く六十里越の南に広がる山塊である。北面は国道252号線に沿って開けているが、東面は只見川の田子倉ダム、西面は黒又川の黒又川ダムに挟まれ、南には未丈ヶ岳までの長い稜線が続いている。豪雪地にあるため、冬は雪によって閉ざされ、夏は猛烈なヤブで、人を容易に寄せ付けない秘境になっている。毛猛沢を囲む太郎助山、百字ヶ岳、中岳、毛猛山、前毛猛山の峰々と、西に外れた桧岳が核心部のピークになっている。

 今年は例年にない小雪の冬になった。例年の5月連休は、残雪を利用して、この時期ではなければ歩けない縦走を行ってきたが、今年は計画が難しくなった。毛猛山から未丈ヶ岳への縦走という計画を立てたが、雪の状態が悪い場合には、毛猛山の登頂後は、来た道を引き返すという二段構えの計画が可能なことも、この山を選んだ理由である。
 連休前半に、毛猛山の取り付きと、下山予定の日向倉山の偵察を行い、連休後半の毛猛山行をむかえた。幸い、三日間晴天が続くようであった。
 小出からシルバーラインを抜けて、銀山平の石抱橋で、宇都宮からの一行の到着を待った。先日は、橋の周辺は、車で一杯であったが、今回は数台が止められていただけだった。先日の日向倉山までの偵察山行の際と同じように、快晴の朝になった。越後駒ヶ岳の眺めを楽しみながら、到着を待った。
 私の車を置いて、毛猛山登山口に向かった。小出に引き返し、R.252を大白川に向かう。1時間半近くかかる距離で、縦走で歩ける距離かという疑問もわいてくるが、山を大きく迂回するために、車では遠い距離になる。
 毛猛山へは、六十里越えから前毛猛山を経由するコースと、足沢山から太郎助山を経由するコースが考えられる。一般に使われる後者のコースを使うことにした。
 足沢山へは、2000年4月23日に内桧岳を登った際に使ったこったが沢からと、足沢左岸尾根を経由するコースが考えられる。連休前半の4月28日に偵察したところ、こったが沢の徒渉点には、沢縁の崖にロープが掛けられているものの、水量が多く、幅は狭いものの深いため、徒渉困難であった。どうしてもということならば、末沢川との出会いの浅瀬を渡るのが良さそうであった。
 結局、足沢左岸尾根を使うことにした。大雪沢2号スノーシェドの手前で、道路脇に線路が寄ってくる。ここには車を止める空き地もあって、登山のためにも都合が良い。取り付きは、線路を渡った先であるが、鉄橋のコンクリートには、末沢川第11と書いてある。車が数台止められており、登山者と山菜採りが入山しているようであった。
 只見線を通る列車は数が少なく、9時半を過ぎれば、昼過ぎまで無いはずであった。念のために、大白川駅で時刻表を確認してきていた。
 今年初めてのテント泊となり、ひさしぶりの大型ザックは、肩にずっしりと食い込んだ。上流部に向かって鉄橋を渡る。線路の中央には金網が敷かれ、サイドウォークも付けられており、鉄橋を渡るのは問題はない。短い鉄橋であるが、線路を歩くのは落ち着かず、急いで渡って線路脇の林に入った。
 線路脇は薮であるが、その奥は、下生えの少ないブナ林になっている。斜面に向かって左に斜めに登っていき、尾根に取り付く。尾根の末端部はツバキの薮であるが、その脇を登っていくと、尾根沿いの踏み跡が現れる。この取り付きは、わざと判りにくくしてあるようである。
 しばらくは、急登に耐える必要があった。542m点を過ぎると、傾斜は少し緩やかになって、歩きにも余裕が出てきた。ザックの重荷にも体が慣れてきたようである。
 残雪が現れて、踏み跡を辿るのも難しくなったが、見失うことはなかった。残雪の上には、先行者の足跡が付けられていた。762mの小ピークに登りつくと、足沢山が目の前に迫ってきたが、その間には、痩せ尾根が続いていた。この後の尾根は、地図でも読めないような痩せ尾根が長く続いていた。
 ヒメコマツが並ぶ尾根には、はっきりした踏み跡が付けられていた。ただ、しっかりした登山道ではないため、ザックに枝がぶつかってバランスを崩す恐れがあった。また、両脇から崩壊が進んでおり、一歩の幅であるが、バランスをとって渡る必要のある、馬の背状のところも現れた。歩くのに気疲れする道であった。
 雷鳴のような音が谷に轟いた。見ると、谷向こうの沢に張り付いた残雪が、崩落して雪崩れていくのが見えた。安全なところにいるといっても、気持ちの良いものではない。
 メンバーの一人が、木の根に足を挟みこんでひねり、そのためか、体調不良という状態になった。ペースも落ち、翌日の体調の回復をみるまで判らないが、無理をしないために、縦走は止したほうがよいかなと思うようになった。
 こったが沢方面からの尾根の合流点に到着して、ひと休みした。ブヨが出てきて、休んでいると群がるのが煩わしかった。まだ、防虫剤を用意していなかった。
 山頂が近づくと、残雪の斜面が広がるようになった。息がきれるものの、キックステップを入れながらの気持ちの良い登りが続いた。
 足沢山の山頂は薮が出ていた。南の肩に出てザックを下ろしてから、山頂に立った。足沢山には、二度目の登頂になった。太郎助山の山頂に至る稜線を眺めると、雪が少なかった。雪堤はほとんどつかえず、太郎助山へは、ヤブコギが続くようであった。溜息の出る眺めであった。時間を見ると、この日に太郎助山までは登れそうはなかった。縦走のためには、最低限、太郎助山までは登っておく必要がある。この時点で、未丈ヶ岳までの縦走はなくなった。
 毛猛山の往復というなら、テン場をそれほど進める必要はない。足沢山付近で泊まることを考えて、テン場を探しながらの歩きになった。山頂から僅かに下ったところで、平らな雪原が現れたので、この日は、ここまでとした。内桧岳への分岐になる小ピークの手前で、先回の内桧岳山行の時と、ほとんど同じ場所のようであった。
 二日目も、快晴の朝になった。内桧岳との分岐になる1084mピークは、東斜面をトラバースして通過した。雪原歩きもそれほど続かず、雪の消えた尾根に追いやられた。幸い、薮には踏み跡があり、枝をかき分ける必要があるといっても、そう難しい歩きではなかった。
 鞍部から太郎助山の山頂までは、標高差350mの登りになる。途中の標高1200mから1250m地点までは、傾斜がきつくなるが、踏み跡に助けられて、難なく通過することができた。雪がついている場合よりは楽であったのかもしれない。標高1300m地点で傾斜も緩やかになって山頂かと思ったが、もうひと登りする必要があった。山頂手前には、テン場に良さそうな雪原が広がっていた。
 太郎助山に到着すると、ようやく毛猛山の眺めが広がった。太郎助山と毛猛山の標高差は、100mにしか過ぎない。しかし、その間には、百字ヶ岳と中岳が、障害として立ちはだかっている。
 毛猛山へと続く稜線の右手には、桧岳が鋭い山頂を見せていた。足沢山の山頂からも桧岳は見えていたが、歩くにつれて姿を変えており、目が離せない。
 太郎助山から百字ヶ岳へは、雪堤がかなり使えて、意外に簡単に到着することができた。ちょっとした岩場を登ると、百字ヶ岳に到着した。続く中岳は、岩稜帯となっており、その上に立つと、毛猛山が目の前に迫った。ここまでくれば、登頂は確実である。足どりも軽くなった。中岳からの下りは、南斜面の雪原に逃げて、トラバースして通過した。
 毛猛山への登りは、半分以上は雪を使えたが、最後はヤブコギになった。毛猛という名前に相応しい手ごわい薮であった。笹薮の中にシャクナゲが混じっており、行く手を遮られた。
 中岳からは、1時間の歩きで、毛猛山の山頂に到着した。小広場の中央に三角点が頭を出しており、新しい山頂標識が置かれていた。
 山頂に到着して、まずやらなければならなかったのは、これからの予定を考えることであった。到着時間は10時少し前。ここまで4時間半の登りであったので、下りは4時間を見れば充分であろう。手早くテントを撤収すれば、この日のうちに下山することも可能である。しかし、簡単に登れる山ではない。二度目があるだろうか。急いで下るのは、もったいない、もう1泊することにしようと、皆の意見がまとまった。晴天の山頂に腰を下ろした。
 最近では、日帰りで登るものも多くなっている毛猛山であるが、山中で時間を多くすごせば、さらにその山を楽しんだことになるのではないだろうか。
 毛猛山は薮山であるが、山頂部の薮は低く、遮るもののない展望が周囲に広がっている。気になるのは、未丈ヶ岳へ続く稜線である。三角形をした未丈ヶ岳の山頂が、存在感を示している。近くのように見えるが、間には黒々とした稜線も見られて、実際に歩くとなるとはるか遠くの山頂のようである。その向こうには越後三山と荒沢岳が並んで聳えていた。その左には、平ヶ岳が頭をのぞかせていた。燧ケ岳から会津駒ヶ岳、会津丸山岳、会津朝日岳に至る稜線が視野一杯に広がっていた。その手前には、毛猛山塊以上の秘境ともいえる、村杉半島の山々を眺めることができた。北には福島県との県境となる稜線が続き、前毛猛山の向こうに、浅草岳が大きな姿を見せていた。振り返ると、苦労して越したきた百字ヶ岳や中岳を良く眺めることができ、その向こうには守門岳が大きな裾野を広げていた。山々にぐるりと囲まれた山頂であった。
 結局、食事をゆっくりとりながら、1時間以上休んでから下山に移った。先も急がないことから、各ピークで休みながらの下山になった。ヤブコギといっても、下りは、やはり楽である。といっても、次第に暑さが気になるようになってきた。水は1.5L持ってきていたが、すでに1L消費して、休むごとに水を飲む必要がでてきた。この日、魚沼地方では26度を越えて夏日になったと、帰宅後の新聞で知った。各ピークの登り返しでも体力を消耗していった。ヤブコギでは、日差しを遮るものがなく、雪の上では照り返しが痛いほどであった。
 この日の反省としては、帽子を被っていなかったことである。途中でタオルを頭に巻いたが、すでに遅かった。太郎助山からの下りで、体温が上がっている割に、汗が出なくなり、眠くなってきた。熱中症の一歩手前まで追い込まれたようである。すでにテントも目に見えている距離であったが、休まずにはいられなかった。ブナの大木が作った日陰でしばらく寝て、なんとか歩くだけの気力を取り戻した。ようやくテントに戻ったが、お茶を一杯飲むのも、喉を通らず、時間を掛ける必要があった。夕食もとらずに、早い時間から寝てしまった。
 三日目は、下るだけということで、ゆっくりと朝食をとってから、出発の準備に移った。体調も回復しており、歩くのに問題のない状態になっていた。
 登りに使った尾根は、痩せ尾根が続き、歩きは短くとも、楽しくはない。こったが沢コースを辿り、途中の711.2m三角点から、北東尾根を下り、歩き始めの鉄橋脇に戻ることにした。このコースなら、緑も濃く、山菜取りもできそうであった。
 下山の用意を終え、雪原をひと登りすると、足沢山の山頂に出る。そこからは、雪原の一気の下りになり、山頂はあっというまに遠ざかった。尾根沿いの緑も濃くなり、カタクリやイワウチワの花が薮の下に広がっていた。
 分岐からこったが沢への尾根に進むと、こちらの方が、道もしっかりしており、お目当ての白木の芽を探しながら歩く余裕もでてきた。
 緩やかに下っていき、僅かに登り返すと、711.2mの三角点ピークに到着した。三角点も、刈り払い広場の真ん中に頭を出していた。2000年4月23日の内桧山山行の際に、点の記を参考にして薮の中から掘り起こした時とは大違いである。この三角点と、朝日連峰前衛の石黒山の三角点は、私が掘り起こしたと、密かな誇りのようなものを感じている。
 三角点周辺は薮ぽかったが、少し下ると、歩きやすい尾根になった。右手には、残雪に覆われた美しいブナ林が広がっていたので、寄り道した。途中、台地状のところもあり、尾根の続きが判りにくいところもあったが、GPSで地図上に現在位置を表示していれば、コース判断は問題はなかった。今回は、このコースについては、事前にトラックデーターを作って転送していなかったので、GPSの使い方もいつもより難しくなっている。
 尾根が痩せるところでは、ヒメコマツが並ぶようになったが、歩くのに問題は無かった。踏み跡まではいかないが、人が通っているような尾根であった。木の枝を掻き分けるところもあるので、登りに使うと苦労をしそうであるが、下りに使うぶんには問題はない。ただ、枝尾根に引き込まれそうになる所も多いので、コース取りには注意が必要である。鉈を手にしたグループが少し歩けば、コース整備ができそうである。このコースの良い点は、徒渉や痩せ尾根の通過が無いことである。
 車の音が近づいてくると、線路脇に下り立った。最後に、歩き始めとは反対の鉄橋を渡り、駐車広場に戻った。
 駐車広場は車で一杯になっていた。大型三脚を立てている者もいて、鉄道マニアが集まっているようであった。聞いてみると、あと50分程で列車がくるとのことであった。事前に大白川駅で調べた時刻表では、昼過ぎまで列車は無いはずだった。後で調べると、只見新緑号という臨時列車が通過するようであった。列車が通過しないと油断していると、危ないところであった。
 銀山平に車の回収のために戻り、そこのしろがねの湯に入り、三日間の山行の汗を流した。
 快晴の山を楽しみ、快晴の山に苦しんだ山行であった。


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