古峰山、日向倉山、大力山、黒禿の頭

古峰山
赤崩山、日向倉山
大力山、黒禿の頭


【日時】 2007年4月28日(土)〜30日(月) 前夜発3泊3日
【メンバー】 28日:単独行 29日:3名グループ 30日:単独行
【天候】 28日:雨 29日:晴 30日:晴

【山域】 巻機山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 古峰山・ふるみねやま・700m・なし・新潟
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/巻機山
【コース】 沢口登山口より周回
【ガイド】 山と高原地図「越後三山」(昭文社)
【温泉】 小出・こまみの湯(500円)

【山域】 奥只見
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 赤崩山・あかくずれやま・1164.8m・三等三角点・新潟県
 日向倉山・ひなたぐらやま・1430.7m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/奥只見
【コース】 石抱橋より
【ガイド】 なし
【温泉】 しろがねの湯(650円)

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大力山・だいりきさん・504m・なし・新潟県
 黒禿の頭・くろはげのかしら・790m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/小千谷、須原/小出、大湯
【コース】 干溝より周回
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月27日 9:00 新潟=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、R.351、栃尾、R.290、渋川、R.252 経由)=23:00 大白川  (車中泊)
4月28日 9:30 大白川=(R.252、小出IC、関越自動車道、六日町IC、R.17、R.291 経由)=10:57 T字路―11:01 林道終点広場〜11:25 発―11:38 古峰山登山口―11:57 第一展望台―12:07 第二展望台―12:22 古峰山―12:48 下降点―13:04 沢―13:29 林道終点広場〜13:37 発―13:54 古峰山登山口―14:01 林道終点広場―14:06 T字路=(R.291、R.17、小出、R.352 経由)=18:00 大湯温泉 (車中泊)
4月29日 5:40 大湯温泉=(シルバーライン 経由)=6:05 石抱橋〜6:28 発―7:40 赤崩山の肩〜7:52 発―8:03 赤崩山―9:48 日向倉山〜11:20 発―12:42 赤崩山〜13:04 発―13:44 石抱橋=(シルバーライン 経由)=4:30 大湯温泉  (車中泊)
4月30日 7:20 宝泉寺―7:46 水道山コース分岐―8:20 大力山〜8:28 発―8:45 城山分岐―9:04 三角点―9:36 見晴台―10:30 黒禿の頭〜10:46 発―11:19 下降点―12:15 林道終点―13:27 宝泉寺=(小出IC、関越自動車道)=15:30 新潟

 古峰山は、巻機山の割引岳から西に延びる尾根の末端にある岩山である。巻機山の登山口である清水集落に至るR.291脇にあるにもかかわらず、気が付かない山であるが、麓に立つと、小さいながら一気に頭を持ち上げた姿に登頂意欲をそそられる。

 奥只見の銀山平の北側の北ノ又川左岸に沿って、赤崩山から日向倉山に至る稜線が連なっている。この稜線は、日向倉山で北に向きを変えて、未丈ヶ岳を経て毛猛山塊へと続いている。赤崩山から日向倉山にかけての稜線は、幅の広い雪原となっており、残雪期ならば、越後駒ヶ岳や中ノ岳、荒沢岳を眺めながらの稜線漫遊を楽しむことができる。この山の知名度は低く、一般には毛猛山塊からの縦走の下山路として歩かれているが、この展望を楽しむために日帰り山行で訪れるだけの価値のある山である。

 小出町の南で魚沼川にそそぎ入る大池川の源頭部には、城山から大力山、黒禿の頭、駒の頭、トヤの頭を経て鳴倉山に至る稜線が環状に続いている。このうち、城山から黒禿の頭までの間と鳴倉山には、一般登山道があり、越後三山を望みながらの山歩きを楽しむことができるが、知名度は高くない。現在、黒禿の頭から駒の頭の南鞍部から大池川の源頭部に下降する登山道が整備され、干溝から周回できるようになっている。
 
 今年の5月連休後半の山行は、毛猛山をめざし、条件が良ければ、未丈ヶ岳への縦走を行うことを計画した。今年は例年にない暖冬であったので、雪の状態が気になるところである。昨年の巻機山からネコブ山への縦走は、大雪のため林道が雪のために不通になっており、縦走の予定が歩き始めから狂うことになった。新潟の山であるので、できるだけ偵察を行うことにした。まずは、毛猛山の取り付きと、銀山平から日向倉山へ登って稜線の雪の状態を確認することにした。
 毛猛山の取り付きの偵察とともに、こったが山か土崩山あたりを登ってみたいと思い、時間に余裕を持たせるため、前夜発とした。天気予報では、雨になるというが、外れることもある。
 毛猛山の取り付きの一つには、鉄橋を渡る必要がある。只見線の時刻表を調べていなかったので、大白川駅で見ておこうと思ったが、夜中に駅は鍵がかかっていた。朝まで待つことにして、近くの路肩で夜を過ごした。
 朝になると、雷が鳴って雨が降り出した。雨が小降りになったところで、末沢川第11鉄橋からの取り付きとこったが沢の偵察を行った。偵察を終えたところで、簡単な山でも登ろうということになった。坂戸山でも登ろうかと思っていたのだが、雨の中では花は閉じたままである。昭文社の登山地図「越後三山」の中で、巻機山の割引岳から西に下る尾根の末端に、古峰山という山があり、登山道が周回するように付けられているのが目にとまった。一周2時間ほどなので、気楽にピークハントという気持ちで向かった。
 六日町へ高速道を使って移動し、巻機山の登山口の清水に向かうR.291に進んだ。沢口の交差点で、左に曲がると、未舗装の道に変わって荒れた感じのサッカー場の脇に出た。前方に、二つの峰を並べた岩山が見え、それが古峰山のようであった。サッカー場を回り込んだところで、T字路になり、右手へ進む林道入口に車が止めてあって進めなかったので、ここから歩き出すことになった。登山地図では、案内板があると書かれていたが、それらしきものは見つからないので少し変だなとは思った。
 古峰山は、急遽思いついた山で、事前の準備はしていなかった。登山地図にも記載されているコースなので、GPSにコースを転送し、2万分の1地図を印刷する程ではないと横着したのが、苦労の始まりであった。ここからは、登山口を捜しての迷走が始まった。右手の林道を進むと、すぐに林道の終点になった。左にも山道が分かれたので、ここが登山口かと思って先に進んだ。橋を渡ると、杉の植林地の広がる谷間に入った。沢が左手にあるのでおかしいと思って引き返したが、25分のロスになった。林道終点広場に戻って左手の道に進むと、すぐに、台地に広がる畑脇の農道に飛び出した。その先には、古峰山の山頂が見えて、進むべき方向は判った。
 林道終点部で渡った沢は神字川であった。登山地図に従うならば、T字路では左折して、姥沢新田からの道に出て、折り返すように進むことになるようであった。
 地図には記載されていない農道歩きで、古峰山の登山口に到着することができた。ここには大きな登山口の標識が立てられていた。
 尾根の南に進んでから北に方向を変えると急な登りが始まった。登山道は良く整備されており、急登にもかかわらず、歩きやすかった。雑木林の尾根をひと登りすると、第一展望台にでた。麓の集落の眺めが眼下に広がっていた。登山道周辺もしだいに岩場状態に変わっていき、西峰に出ると、ここには第二展望台と書かれていた。
 岩稜を辿った先には、ピラミッド型の岩山がそそり立ち、その背後に白い雪を抱いた巻機山の稜線が広がっていた。予想していなかったアルペン的な眺めであった。その先の岩稜歩きは、難しくはないとはいえ、足元には注意が必要であった。高さ4m程の垂直の壁が現れたが、梯子が掛かっており、難なく通過できた。イワウチワやイワナシの花が多く、目を楽しませてくれた。最後に、急斜面を足場に注意しながら登ると、古峰山の山頂に到着した。
 古峰山の山頂には、古峰神社と書かれた石柱が置かれていた。狭い山頂の縁には、転落防止の立ち入り注意のロープが張られていた。眼下には高度感のある眺めが広がり、岩尾根の先は、割引山へと続いていた。登っていないピークということで、さほどの期待感もなくやってきたが、存在感のあるピークであった。
 登山道が続いていることに引かれて先に進んだ。ピークを乗り越していく岩稜歩きが続いた。再び雨が降り出して、下山を急ぐ必要が出てきた。左手の姥沢川が近づいてきたので、下降点はまだかと思いながら歩いた。鞍部から登りに転じたところで、ようやく下降点になった。登山道は、尾根沿いに先に続いているので、どうなのだろうと興味が湧いてくる。
 足場の悪い泥斜面の、固定ロープ頼りの下りになった。幸い、標高差100m程で、下りも長くはなく、姥沢川に下り立った。丸木橋は、落ちて傾いており、飛び石伝いに渡った。その先で、荒れた林道に飛び出した。金属柱に古峰山登山口、馬止めと書かれていた。この先は、杉林の中の道となり、雷雨になって余計に薄暗く、落ち葉に覆われた道が判りにくくなった。学校林一本杉という天然杉の大木も現れた。この一帯の杉林は、どこかの学校の所有物のようである。
 沢にかかる丸木橋を渡ると、その先で車道の終点となって、古峰山の案内図が置かれていた。車もここまで上がってきていた。
 登山口に戻る台原・学校林連絡路を探したが見つからなかった。地図を良く見ると、丸太橋を渡る手前から分かれているようであった。目の前に車道が見えているとなると、ついそちらへ行ってしまう。
 沢を飛び石伝いに渡ると、山裾を巻いていく道が続いていた。あまり歩かれていないようで、倒木や草がうるさかった。ようやく登山口に戻った時には、傘だけで歩き通していたため、ずぶぬれになっていた。
 今回歩いた古峰山への登山道は、藤島玄氏の「越後の山旅」において、「姥沢・桧廊下・割引山」の項で述べられているコースの一部であった。巻機権現信仰登拝道としては、里に近いことから現在のメインコースの清水からのものよりも早くから開かれたという。登山地図にも一旦は、このコースが赤線で記載されたものの、今年は消されてしまっている。下から見て、山道が高みに続いているのが見えており、どこまで歩けるのか、一度確かめてみたいものである。
 しかし、このような面白い山が知られていないことは残念である。最近も「新潟日帰りファイミリー登山48」という新潟県山岳協会監修のガイドブックが出たばかりであるが、大力山や小千谷城山といった日帰り登山に相応しい山は取り上げられていない。専門山岳会というのは、高山や沢については知っていても、低山についてはまじめに向かい合っていないのではないだろうか。
 車に戻って着替えてから、小出に戻り、大湯温泉の公園駐車場で夜を過ごすことになった。翌日の日向倉山登山で一緒に歩くインターネット仲間と、ここで待ち合わせる約束をしていた。ビールを飲んでいるうちに、無事に合流することができた。
 日向倉山は、今回の毛猛山からの縦走の下見という意味もあったが、この山の日帰り山行を取り合えず行っておきたかった。2002年4月29日に登っているのだが、その山頂からの越後駒ヶ岳や荒沢岳、未丈ヶ岳他の展望の素晴らしさには圧倒され、展望の山として、お気に入りになっている。仮に縦走に成功したとしても、日向倉山に辿り着いたときには、体力を使い果たして下山を急いでいるばかりで、展望を楽しむ余裕はないはずである。山の魅力を味わうには、その山だけを目標とする必要がある。
 朝も早くなっており、行動開始も早くできるようになっている。朝食をとってからシルバーライン経由で銀山平に向かった。丸山スキー場へと向かう車が多かった。
 小出の町は、桜も満開の春であったが、トンネルを出ると、銀世界が広がっていた。日向倉山へは、石抱橋から歩き始めることにした。トンネル出口から二本目の尾根に取り付くというコースも歩かれているようだが、先回の登山の際には、この尾根は雪消えが早かった。
 石抱橋を渡った先で、枝折峠方面の車道は鎖がかかって閉鎖になっている。何台もの車が止められており、スペースを見つけてとめることになった。ここには、魚釣りの監視所とトイレが設けられている。越後駒ヶ岳へ向かう山スキーヤーもいたが、大部分は釣り人であった。日向倉へ向かう登山者は、当然といって良いが無し。
 朝霧が晴れて、青空をバックにした越後駒ヶ岳が浮かび上がった。展望の期待が高まった。石抱橋の上に出て、北ノ又川を前景にした越後駒ヶ岳の風景を楽しんだ。
 車道から、残雪が広がる河原に進む。雪もしまっており、快適な残雪歩きになりそうであった。スノーブリッジを利用して沢を一本渡る。下山時は雪もゆるんで踏み抜きに注意が必要であったが、流れが出ても、飛び石伝いに渡ることは難しくはない。
 登る尾根は、赤崩山の西の肩に続くものである。沢を越した先が段丘状になっていて、取り付きが見えにくくなっている。少し行き過ぎてから戻るようにして尾根に取り付いた。尾根の末端は雪が消えてヤブコギになったが、歩くのにそれほど難しくはない。じきに、尾根の右手にできた雪堤に乗ることができた。先回よりも残雪は多かった。
 背後には、荒沢岳の前衛峰の前山がそそり立っていたが、登るにつれて荒沢岳の山頂が姿を見せていた。谷間には朝霧がただよっていたが、晴れるのも時間の問題であった。尾根は右にカーブするように続いており、赤崩山の山頂も、そう遠くない距離に見えていた。登り口から稜線の上までは、標高差350mほどなので、そう急ぐ必要もない。変わっていく風景を眺めながら足を進めた。
 雪もほどほどに柔らかく、キックステップが気持ちよく入った。ピッケルを手に持ったが、アイゼンは持参したものの、必要ではなかった。冬の間も雪山を登り続けてきたといっても、スノーシュー歩きが続き、結局、アイゼンは使わずに終わりそうである。
 最後に少し急な雪原を登り切ると、ブナの木が点在する稜線の上に出た。ザックを下ろしての大休止になった。ここまでの登りで草臥れたというよりは、展望があまりに素晴らしい。北ノ又川の谷奥には、越後駒ヶ岳と中ノ岳が並んで、まだ真っ白な姿を見せていた。枝折峠から小倉山を経て越後駒ヶ岳に至る稜線も目で追うことができた。中ノ岳の左には、荒沢岳が屏風のように岩壁を横に連ねた姿を見せていた。初めての越後駒ヶ岳登山や越後駒ヶ岳から荒沢岳への縦走など、苦労や楽しさが思い出されて、飽きることはない。
 再び歩き出すと、ひと登りで赤崩山の山頂に到着する。その先で薮が少し出ていたが、左を簡単に巻くことができた。小ピークを越すと、ブナが点在する台地状の地形が続くようになる。僅かな起伏も気にはならず、残雪歩きを楽しむことができる。前方には、日向倉山の山頂が、まだ高みに聳えている。1196m点では、尾根がクランク状に曲がっているので、視界が閉ざされた下山の時には、直進して間違った尾根に入り込まないように注意が必要である。
 日向倉山の山頂が近づいてきて登りに転ずるところでは、雪が割れて薮が出ていた。先回もここは薮が出ていたところである。左の雪原をトラバースしたのち、尾根に戻った。雪が堅くてトラバースが危険であったら、薮は濃いが短い距離なので、そのまま尾根を進んでも良いかもしれない。
 ここからは、山頂まで標高差160mの一気の登りになる。山頂での新たな展望を楽しみに足に力をこめて登り続けた。山頂部は薮が出ていたので、右に回りこむと山頂に到着した。
 まず目が行くのは、北に続く稜線の先の未丈ヶ岳の眺めである。黒いところも少し見えていたが、白い姿を見せていた。手前の丸山スキー場からの合流点の三角ピークも雪がしっかりと付いていた。先回の山行時よりも、雪は多い感じであった。未丈ヶ岳の向こうには、毛猛山塊が険しい姿を見せていた。毛猛山の山頂部は黒く薮が出ていた。山腹は真っ白なので、稜線部の雪庇がどれほど利用できるかが鍵のようであった。毛猛山からの縦走の偵察という点では、可能かなとも思われる眺めであった。
 越後駒ヶ岳、中ノ岳、荒沢岳も姿を変えながら見え続けていたが、さらに燧ヶ岳から会津駒ヶ岳から丸山岳、会津朝日岳に至る長大な稜線が見えるようになった。荒沢岳の左の肩からは、平ヶ岳も山頂部をのぞかせているようようであった。
 風が強かったので、薮の際に腰を下ろした。今回は、一人ではなかったので、山の話をしながらゆっくりと昼食を楽しんだ。
 下山は、展望を楽しみながらと思っても、自然に足は速くなった。山をゆっくり楽しんだものの、早い時間での下山になった。
 下山後の温泉は、近くのしろがねの湯に向かった。最近できたログハウス群の奥にある温泉施設であるが、湯船からは、越後駒ヶ岳と中ノ岳の眺めが素晴らしかった。連休にもかかわらず、お客も少なく、ゆっくりと温泉を楽しむことができた。
 翌日の山をどこにするか迷った。車での移動も面倒になり、小出の黒禿の頭を登ることにした。食料を買い込み、再び大湯温泉の公園駐車場で夜を過ごした。
 大力山へは、これまで5回登っており、登山頻度の高いやまになっているが、黒禿の頭はこれまで二回で、先回は2001年10月21日だったので、かなり時間が経っている。新緑に囲まれた稜線歩きを期待して、この山を選んだ。宝泉寺から大力山に登って、黒禿の頭からは、谷中山登山口に下山しても城山トンネルを通過すれば、2kmほどで戻ることができる。
 朝になって、干溝の宝泉寺に移動した。大力山への登山道は、中部北陸遊歩道として整備されているが、知名度は低い。お寺は無人のようで、玄関には連絡先が張られていた。境内には一台の車が止められていたが、山菜採りなのか、山中で人に会うことはなかった。
 三十三観音の石仏を見ながら登っていくと、 古びたお堂の秋葉堂が置かれた広場に到着する。前方には、新緑に彩られた大力山が頭をもたげていた。
 登山道脇には、タムシバやオオカメノキが白い花を付けていた。オオイワカガミの花も咲き始めており、季節の移り変わりを感じさせてくれた。送電線の巡視路を分けて、硬質ゴムを埋め込んだ階段が現れると、マキノスミレが現れた。周囲の薮には咲いておらず、人工的な段々の縁にだけ咲いているのは面白い。植物によっては、人の手が入って、日当たりが良くなった方が生育条件が整うようである。自然保護といっても、人の手が加わらなければ良いというものでもないようで、難しい。
 ひと登りで、尾根の上に出ると、三角点を経由してくる水道山登山口からの道に合流する。大力山の山頂はすぐそこのように見えるが、ここからが、本格的な登りになる。
 標高350m地点で、中間点の標識が現れた。窪地沿いと、尾根通しの道の二つが分かれるが、すぐ先で一緒になる。カタクリの花が残っていたので、窪地沿いの道に進んだ。ユキツバキやイワウチワ、ショウジョウバカマの花も見ることができた。
 傾斜が緩んだ後もしばらく進むと、大力山の山頂に到着する。山頂には、あずまやが置かれて、周囲は薮が刈り払われた展望地になっている。この山頂標識は、最高点の504m点ではなく、北に張り出した台地に置かれているので、GPSなどに山頂の位置を入力する際には、注意が必要である。
 大力山の山頂からは、右手から回りこんでいく尾根の向こうに黒禿の頭を望むことができるが、その向こうに白い頭を見せている越後駒ヶ岳に目が引き付けられる。その右手には、八海山が残雪をまとった姿を見せていた。北の大池川の対岸には鳴沢峰からトヤの頭から駒の頭に続く稜線が横たわり、その向こうには、権現堂山から唐沢山に至る稜線が広がっている。小出の町も眼下に広がり、高度感のある眺めである。
 ひと休みの後、先に進んだ。最高点を越えて緩やかに下っていくと、T字路に出る。右手に曲がれば城山に続き、この道は中部北陸遊歩道として整備されている。黒禿の頭へは左の道に進む。
 ひさしぶりの道であるが、以前よりも整備が進んでいる感じであった。三角点を越えると、右手から伐採地が迫ってくる。林道が上がってきていることから、山菜取りが入山しており、人声が聞こえていた。
 カタクリが、登山道を埋め尽くすように、遅い時期の花を咲かせていた。右手に白い八海山の眺めを楽しみながらの歩きが続いた。
 緩やかな登りを続けていくと、尾根を右に外したブナ林に出る。そこからひと登りすると展望台という標識が現れた。うっかり、「松の木尾根を経て芋赤に至る」という標識の置かれた下山予定地点を通り過ぎていた。ここには、「一の沢尾根を経て芋赤に至る」という標識が置かれているが、倒れていた。登山道をうかがうと、草がかぶった感じであった。黒禿の頭への登山道が整備されているのに対し、芋赤方面の道は利用されなくなっているのではないかという疑問が湧いてきた。
 ここで、思い出したのが、黒禿の頭の先に、刈り払い道が続いていたことであった。トヤの頭付近に登山道は開かれていないようであったが、その代わりに、大池川沿いに林道が通じていることが、今年の冬の駒の頭の偵察でわかっている。黒禿の頭への途中から大池川に向かって下降して林道に下り立つのではないだろうかとの推測がうかんできた。ともかく、黒禿の頭に向かうことにした。
 この先は、尾根も痩せて、周囲の展望が開ける。振り返ると、台形状の山頂を持つ大力山が、下方に遠ざかっていた。
 黒禿の頭には、小出町最高点と書かれた標柱が立てられている。木立に囲まれた山頂であるが、西側は切り開かれて、登ってきた尾根と大力山を見下ろすことができた。
 広域基幹林道高石中ノ又線に向かっても道が開かれているが、駒の頭方面に向かってもしっかりした道が付けられていた。三方向の道を比べても、どれも同じような整備状態に見えた。尾根の先の小ピークには、刈り払い道が続いているのを眺めることができた。
 こうなれば、仮説を確かめなければならない。まずは、大休止とした。暑い日で、日陰を選んで腰を下ろす必要があった。
 黒禿の頭からは、急な下りになった。残雪も現れて、切り開き道を外さないように注意も必要になった。滑りやすい泥斜面に固定ロープが取り付けてあるのを見て、登山道として整備されていることが確かめられた。場所によっては、数メートル幅の道が開かれており、新緑を楽しみながらの下りになった。黒禿の頭は、みるみる高みに遠ざかっていった。
 この道が下りきれない場合には、山頂に登り返さなければならないので、その点は少々気が重かった。東斜面に杉林が広がるところもあり、東面の芋川沢に向かって道が通じている可能性もある。そうなれば引き返すしかない。
 651mの小ピークを越えて、そろそろ下降点かと思ったが、道はそのまま続いた。駒の頭の手前の小ピークへの登りに転ずるところで、道は無くなり、前方は薮になった。谷に向かう道が分かれるはずと思って良くみると、落ち葉の積もった泥斜面に道が続いているようであった。木の枝が鋸で引いてあるので、登山道であることが確認できた。
 ひと下りで台地に出た。残雪でコースが判りにくくなったが、左手の沢に沿うと、尾根沿いの下りが始まった。すぐに右手からの沢が合わさり、その後は、沢に沿った下りが続いた。誤って、登山道でもない沢に迷い込んだかという不安も湧いてはきたが、所々で沢岸にはっきりした道が続いていた。キクザキイチゲや、ミヤマカタバミ、キジムジロ、オオバキスミレの花も多く咲いていた。沢沿いの道なので、知識があれば、山菜も見つかったのかもしれない。
 沢が狭まって道が判らなくなるところでは、他に行くところもなく、そのまま沢を下るしかない。ある地点から、はっきりした道に変わった。川が近づいたところで、道は一旦左に曲がっり、308m点近くでヘアピンカーブを描いて、川に沿ったトラバース道になった。この付近ともなると、林道跡といった感じの道になっていた。堰堤が現れ、左岸に林道が通じており、その終点に車が停まっていた。川をどのように渡るのかと思うと、堰堤の下は暗渠状態になっており、左岸に移ることができた。
 林道を下っていくと、先回歩いて見覚えのある大倉沢にかかる堰堤下に出た。大池川にかかる堰堤の下流部で、鳴倉峰へ通じる干溝林道へ上がる道と、沢沿いに通じる林道干溝支線に分かれる。沢沿いの道は、途中で崩壊部があり、車の通行は不能になっていた。そのおかげで、花を見ながらののんびりした歩きになった。
 干溝の集落に出て宝泉寺に戻り、黒禿の頭の周回は完了した。この周回コースによって、黒禿の頭の魅力は増した。変化に富んだこれだけのコースが知られていないというのはもったいない。
 連休前半は、展望の山を楽しみ、新しい山やコースの発見で充実したものになった。

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