岨巒堂山、松倉山、平城畑

岨巒堂山
松倉山から平城畑


【日時】 2007年4月7日(土)〜8日(日) 1泊2日
【メンバー】 佐渡汽船親睦登山 (40名)
【天候】 7日:晴 8日:晴

【山域】 大佐渡
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 岨巒堂山・しょらんどうやま・751.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 相川/相川/両津北部、金北山
【コース】 梅津古峰登山口より
【ガイド】 なし

【山域】 大佐渡
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 松倉山・まつくらやま・803.8m・三等三角点・新潟県
 平城畑・ひらじょうばたけ・653.8m・三等三角点・新潟県
【地形図】 相川/相川/金北山
【コース】 後尾登山口より石花登山口へ
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月7日(土) 8:00 新潟港=(ジェットフォイル)=9:00 両津港=(バス)=9:50 梅津古峰登山口―12:40 岨巒堂山〜13:50 発―15:42 梅津古峰登山口=二ツ亀フィッシャーズホテル泊
4月8日(日) 7:40 二ツ亀フィッシャーズホテル―9:00 後尾登山口〜9:10 発―12:20 稜線上ピーク〜13:00 発―13:28 松倉山―14:34 平成畑〜14:50 発―15:22 石花登山口=(バス)=17:00 両津港〜17:30 発=(ジェットフォイル)=18:30 新潟港

 岨巒堂山は、佐渡島の大佐渡山脈の金北山とどんでん山の中間点から東に分かれる支脈上にある山である。山頂からは、大佐渡山地の眺めがパノラマ状に広がっている。地元では、古くからの信仰の山であったという。登山の対象として名前が出ることはほとんど無いが、難読山名として取り上げられるのを目にすることがある。

 松倉山は、大佐渡山地の西の外海府側にある山である。また平城畑は、松倉山の西にある山で、両ピーク一帯は牛の放牧場として使われていたこともあり、芝生で覆われた山頂を持ち、大佐渡山地の眺めが広がっている。

 地元新潟の山を重点的に登ってきたといっても、佐渡の山は手付かずのままになっていた。一般的になっている金北山からどんでん山の間を歩いて終わりにするのではなく、ある程度の深さを持って登ろうとするならば、腰をすえて取り掛かる必要がある。佐渡は雪割草を始めとする花が美しいと聞いているが、この季節は残雪の山と重なっており、時間が取れないでいた。今年は、暖冬で雪が少なく、残雪の山も、いまいち調子がのらないでいる。
 ホームページを見て、佐渡汽船勤務のFさんとTさんがコンタクトしてきて、佐渡の山の資料をいただき、それと合わせて、佐渡汽船関係者向けの懇親会山行を紹介された。内容を見ると、一般的ではない岨巒堂山や松倉山の山行が組まれていたことから、参加させてもらうことにした。団体での歩きはあまり好まないが、今回は、雪割草の写真撮影が目的のため、ゆっくりペースは有りがたい。
 佐渡汽船のフェリー乗り場に駐車場所を確保してもらっていたため、新潟港へは車で出かけた。乗り場に張ってあった掲示によれば、万代島の駐車場も、フェリー利用の場合は、800円と格安になったようである。それでも今回は、二日分の駐車代が節約になってありがたい。
 受付をして渡された参加者名簿を見ると、40名の大人数であった。ジェットフォイルの待合室は、我々のグループで大部分が占められていた。
 4月のこの時期のジェットフォイルは、8時が始発で、両津港へは1時間の船旅である。フェリーでは、2時間30分かかるので、ずいぶんと早い。久しぶりの晴天の日となって、青い海原を、滑るようにジェットフォイルは進んだ。以前は、小木への出張があり、年間を通じて毎月のように佐渡海峡を渡っていたが、ひさしぶりの船旅となった。同じ航海でも、仕事と遊びとでは、感じ方は大違いである。
 小佐渡の姫崎を回り込むと、両津湾内に入る。両津港が近づくと、金北山を盟主とする大佐渡山脈の眺めが広がるが、まだ真っ白に雪を頂いていた。その前山は、すでに茶色に変わっていたので、岨巒堂山は、山頂部で残雪が現れる程度で済みそうであった。
 マイクロバス二台を連ねて、登山口に向かった。梅津から、海津川に沿ったドンデン山へ通じる道路に入り山に向かった。金北山の山麓を巻くように走る国仲北林道に入り、すぐ先のカーブ地点で、未舗装の林道に進んだ。100m程で車を降りることになったので、タクシーの場合は、この入口までで充分ということになる。林道脇の斜面には、早くもキクザキイチゲの花が現れて、花の期待も高まった。
 岨巒堂山への登山道には、途中、二回の徒渉があるという。前もっての偵察で、春先の融雪によって増水し、渡るのが難しくなっているとのことであった。停車位置は右岸であるが、すぐ先の橋を渡って、左岸からの歩き出しになる。左岸の道を進むのが本来のコースであるが、徒渉を避けて、迂回路を行くことになった。沢の右岸にある発電施設のような建物への橋を渡り、その背後から沢沿いの薮を進んだ。ヤブコギというほどでも無かったが、大人数のために、ノロノロ歩きになった。いきなり、キクザキイチゲ、カタクリ、フクジュソウ、雪割草が現れて、最後尾近くに位置しての撮影モードでの歩きになった。
 枝沢を一本渡って本流沿いに進むと、右手から本来の道が合わさる第一徒渉点に出た。見ると、金属板を置いた仮橋は水に漬かっていた。ただ、水量も減っており、帰りは飛び石伝いに渡って、本来の道で帰れそうであった。この先で、本流の第二徒渉点となった。ここにも金属製の板が仮橋として置かれており、難なく渡ることができた。この後は左岸沿いの登りが続き、徒渉の心配はない。
 登山道の周囲には明るい雑木林が広がり、雪割草とカタクリの花が絶えることなく続いていた。ピークハントが目的であるといっても、この沢沿いの道だけでも充分楽しめる。雪割草も、新潟付近のものは、盗掘の影響もあって白い花が多くなっている。ここの花はピンクが標準的な色で、赤に近い色のものも多く、白はむしろ稀であった。カタクリも林の奥まで広がっていた。白花のカタクリにも出会え、喜びも大きくなった。
 谷奥へと進んでいく、緩やかな登りが続いた。山頂から南に下ってくる尾根を巻き、その先で枝沢を渡るところが少し足場が悪くなっていたが、危険なほどではなかった。その先で、登りの傾斜が少し増した。ひと登りすると、残雪に覆われた台地に出た。前方に横たわる尾根上に出ると、山頂に向かっての一気の登りが始まった。ここまでは幅広の山道が続いていたが、山頂への最後の登りは、少し薮っぽくなった。高度差100mの一気の登りであった。
 岨巒堂山の山頂は、ガレ場状で、周囲は低潅木に覆われて、遮るもののない展望が広がっていた。まず目がいくのは、レーダードームを置いた金北山であった。山腹の中ほどまでは残雪に覆われていた。そこからドンデン山まで続く主稜線を目で追うことができた。振り返れば、両津湾に加茂湖の眺め。国仲平野の向こうには、真野湾の眺めも広がっていた。山と海の眺めを同時に楽しむことができた。
 暖かい日差しを浴びながら、山頂での大休止になった。最後尾も少し遅れたが、無事に到着し、全員が山頂に揃った。
 この日は、車の運転もないので、気兼ねなくビールを飲めるのもありがたかった。花に酔い、眺めに酔い、酒に酔った。
 下りも花の写真を撮りながら歩いた。午後になって、早くもキクザキイチゲは、花を閉じ始めていた。
 飛び石伝いに渡る第一徒渉地点は、全員が越すのに少し時間がかかったが、無事に渡ることができた。
 この岨巒堂山であるが、今回のコースタイムを見ると、新潟から日帰りで雪割草見物に訪れるのに良さそうである。花の写真が目的なら、今回と同じようなコースタイムをみれば良いだろう。朝8時のジェットフォイルに乗り、両津港からはタクシーで登山口へ。10時に登り始めて、登り3時間で、山頂には1時着。休憩1時間で、下りは2時間をみて、登山口にタクシーを4時に呼んでおく。17:30のジェットフォイルに乗れば、18:30に新潟着。料金の方も、春割り切符を使うと、ジェットフォイル往復6520円。万代島駐車場800円。両津港から登山口までのタクシー往復約4000円。1万円を少し越すくらいで、谷川や妙高方面に出かけるのと、料金的には変わらない。岨巒堂山へのコースも判ったので、来年も雪割草見物に訪れることにしよう。
 この日の宿泊は、大佐渡先端の二ツ亀にあるフィッシャーズホテルであった。二ツ亀までは、海岸道路が続き、風景を楽しむことができた。
 フィッシャーズホテルは、風光明媚な外海府にあるリゾートホテルで、登山の宿としては、これまでに経験したことのない贅沢になった。割り振られた部屋は、ツインベッドルームのシングルユースであった。ベランダの向こうには、海の眺めが広がっていた。夕食も、登山に来たのとは思えない、海の幸尽くしであった。お酒も入ってすっかり酔ってしまい、ベッドにもぐりこむと、そのまま朝まで爆睡してしまった。
 朝食もしっかりと食べて、8時少し前には出発。車窓から外海府の海岸線の眺めを楽しむバスツアーがしばし続いた。
 松倉山へは、後尾から沢沿いの林道に進むことになる。集落内の道が細く、林道の入り方も判りにくかった。細い林道を進んでいくと、カーブを繰り返すようになり、坂の途中で止まった。ここが登山口ということで、車を降りると、杉林の中に植林のための道が始まっていた。
 松倉山の山頂に向かっては、地図にも破線が記されている。歩き始めは、谷間と杉林のため、GPSで軌跡がとれなかったが、橋を渡って水平に進むと、尾根に向かっての登りが始まった。取り付き部は、地図とは少し違っているような気もするが、赤い頭の境界杭が連続的に打ち込まれた山道が続くので、それに従えば良い。
 杉林に囲まれた薄暗い木立の広がる尾根であったが、早くも雪割草が現れた。先に進めば、明るい雑木林になって、雪割草も楽しめるだろうと、期待も高まった。
 この山の雪割草は、色とりどりのものが揃っており、昨日の岨巒堂山の花とも違っていた。雪割草の写真撮影は、始めると止まらなくなる。花の一つ一つの色形が全て違い、株の大きさ、生え方で、写真に変化も生まれる。これが別の花の写真撮影なら、多くても二三十枚撮れば、これで充分ということになろう。雪割草の花が小さく、ピント合わせが難しいのも、気を抜くことができず、撮影を面白くしている。今回は、90mmマクロも持ってきていたが、団体行動のためレンズ交換の余裕はなく、50mmマクロ一本だけで撮ることになった。
 途中で、福寿草の群落も現れて、参加者一同を喜ばせてくれた。新潟付近の山で福寿草を見ることはないが、佐渡では、福寿草が自然に咲いているのはうれしい。
 山道の途中には、倒木があったりして、歩く者は少ないようであった。尾根の傾斜が増す600m地点で、山道はトラバースするように右手の谷に逸れていった。この分岐には注意する必要がある。この先は、踏み跡を辿るような登りが続いた。薮の中には雪割草のお花畑が広がっており、時折先がつかえるのを良いことに、花の撮影を行った。
 再び傾斜が緩むと、残雪も現れるようになった。登りをもうひと頑張りすると、芝地に飛び出して、稜線上のピークに出た。目の前の小ピークの向こうが松倉山の山頂のようであった。眺めの良いピークで、芝地に腰を下ろして、昼食になった。どんでん山が目の前で、金北山に至る稜線も一望することができた。昨日の岨巒堂山とは反対側から、大佐渡山脈を見ていることになる。
 この先は、潅木帯と芝地を交互に辿る歩きになった。松倉山の山頂へは、地図の破線とは異なり、西を通過した後に南から戻るようにして登った。三角点が置かれているだけで山名板は無かったが、芝地の山頂からは、周囲の展望が広がっていた。先ほど休んだピークと同じ眺めであるが、少し高いだけに、高度感も増している。
 松倉山からは、緩やかな下りになり、歩きの速度も上がった。小ピーク手前の鞍部に出ると、カツボラ池と呼ばれるらしい小さな池が現れた。追分と呼ばれるT字路になっており、ジャバミを経て、主脈の石花越に至る大佐渡自然歩道と呼ばれる道に合わさった。この先の平城畑を経て石花に下る道は、主要な登山道として良く整備されていた。
 松倉山の山頂付近では花は無くなっていたが、再び福寿草や雪割草の花が現れるようになった。ほぼ平坦な道を行き、僅かに登ると、平城畑の山頂に到着した。この山頂には、立派な山頂標識が置かれていた。背後には金北山の眺めが広がり、芝地の広がる山頂でひと休みになった。この山頂の雰囲気は、サウンド・オブ・ミュージックの冒頭の有名なシーン、マリアが歌うアルプスの牧草地と似ている。下山の時間が迫っており、そうゆっくりできないのは残念であった。
 平城畑からの下山は、地図の破線とは全く違っているので注意が必要である。芝地のため、登山道の始まりが判りにくい。一旦、登山道に乗れば、迷う心配の無い幅広の道が続いている。
 平城畑からの下山路も、福寿草や雪割草の花がひときわ見事であった。下山の時間が迫っており、写真撮影のために時間が取れないのは残念であった。
 石花から延びる林道のどこまで車が入れるのかと思っていたら、370m標高で、山腹をほぼ平行に走る車道に飛び出し、マイクロバスが回送されていた。山頂からは30分の下りであったので、登りは50分くらいのものであろうか。コースタイムが短いのは、花の写真を撮りながら歩くのに都合が良い。ただ、登山口が外海府側で、両津から少し遠いのは難点である。
 舗装道路は水平道だけで、山を下っていく林道は未舗装であった。舗装道路に変わると、段丘上の畑地に出て、その先で石花の集落に出た。ここの入口には、大佐渡自然歩道の標識が立てられていた。
 相川を経て両津に戻った。結局、大佐渡を一周したことになる。ジェットフォイルの発着前には、お土産の買い物タイムまで設けられ、至れり尽くせりのツアーであった。
 ジェットフォイル1時間の船旅で、新潟に戻ることができた。佐渡の山は意外に近く、花の魅力に溢れていることを実感できたツアーであった。
 最近は、佐渡山も雑誌に取り上げられられるようになっているが、5月に入っての金北山からどんでん山への縦走コースである。そのため、4月の雪割草については、ほとんど知られていないようである。この季節は、金北山といった標高の高い山は、まだ雪に覆われている。雪割草を求めるなら、もう少し低い山を目指すのが良いが、こういった低山の情報は少ない。私にとっての佐渡の始めての山が、金北山やどんでん山ではなく、花一杯の岨巒堂山であったことは、幸運なことであったと思う。

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