高太石山、白馬石山、戦山、深谷葉山、二ッ森、大火山、比曾羽山

高太石山、白馬石山、戦山、深谷葉山、二ッ森、大火山、比曾羽山


【日時】 2006年12月16日(土)〜17日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 16日:晴れ 17日:曇り

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高太石山・こうだいしやま・863.7m・三等三角点・福島県
【コース】 みちのくグリーン牧場より長沢源泉コースへ周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/川俣/上移、飯樋
【ガイド】 新・分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 白馬石山・しらまいしやま・820.7m・三等三角点・福島県
【コース】 羽附より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/川俣/上移
【ガイド】 阿武隈の山を歩く(新ハイキング社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 戦山・たたかいやま・863.2m・三等三角点・福島県
【コース】 R.399の峠部より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/川俣/飯樋
【ガイド】 なし

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 深谷葉山・ふかやはやま・657.3m・四等三角点・福島県
【コース】 あいの沢入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/萩平
【ガイド】 なし
【温泉】 あい・らぶ・湯(300円)沸かし湯

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 二ッ森・ふたつもり・630.6m・二等三角点・福島県
【コース】 糟塚より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/相馬中村/磐城草野
【ガイド】 阿武隈の山を歩く(新ハイキング社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大火山・おおひやま・825.6m・三等三角点・福島県
【コース】 大火より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/萩平
【ガイド】 なし

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 比曾羽山・ひそはやま・825.6m・四等三角点・福島県
【コース】 大火より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/川俣/飯樋
【ガイド】 なし

【時間記録】
12月15日(金) 8:40 新潟=(R.49、安田IC、磐越自動車道、船引三春IC、R.288、R.349、R.459、上田代、行合道 経由)
12月16日(土) =1:00 山木屋境(車中泊)
7:45 山木屋境―8:00 みちのくグリーン牧場―8:31 分岐―8:42 高太石山―8:50 大ブナ―8:58 西高太石山分岐―9:04 長沢源泉―9:22 分岐―9:43 山木屋境=(行合道、上田代、R.459 経由)=10:00 羽附―10:07 尾根取り付き―10:36 白馬石山―10:58 尾根取り付き―11:06 羽附=(R.459、下津島、R.399 経由)=11:57 峠―12:33 戦山〜12:45 発―13:15 峠=(R.399、臼石 経由)=14:12 あいの沢林道取り付き―14:44 葉山―15:05 あいの沢林道取り付き=16:30 糟塚  (車中泊)
12月17日(日) 7:54 尾根取り付き―8:24 二ッ森〜8:29 発―8:46 尾根取り付き=(臼石、R.399 経由)=9:08 大火―10:05 大火山〜10:11 発―10:46 大火=(R.399、飯樋、比曾 経由)=11:28 羽山参道入口―11:51 羽山神社―11:57 羽山―12:01 羽山神社―12:23 羽山参道入口=(比曾、山木屋、R.114、行合道、上田代、R.459、R.349、R.288、船引三春IC、磐越自動車道 経由)=16:10 新潟

 高太石山は、阿武隈山地の浪江町と川俣町の境界に位置する山である。花崗岩の大岩が点在にする山であるが、そのために砕石所も設けられて、山が削られている。

 白馬石山は、阿武隈山地の浪江町と川俣町の境界に位置し、国道114号線をを挟んで高太石山と向かい合う山である。

 戦山は、阿武隈山地の飯舘村にある山である。山頂には、金花山神社が置かれ、東の峠部から林道が通じている。

 飯舘村の村民の森の入口脇にある657.3mの四等三角点ピークは、葉山と呼ばれている。地図には名前が記載されていないが、飯舘村のホームページに、村内の山として紹介されている。

 大火山は、阿武隈山地では比較的知られている花塚山の北東部に位置する飯舘村にある山である。名前は火山を思い起こさせるが、東山麓にある地名の大火から付けられている。昔話からすると大きな山火事があったことに由来するようである。

 
 阿武隈山地の飯舘村の比曾の集落の背後にある羽山は、地図には名前は記載されていないが、山頂に羽山神社のお堂があり、参道が設けられている。

 山と渓谷社の分県登山シリーズは、全国各地の里山を取り上げており、中高年登山ブームの中での画期的な出版である。現在、新シリーズが刊行されているが、「福島県の山」で加わった山として高太石山がある。ガイドブックに取り上げられている阿武隈山地の山もかなり登ってきている。高太石山も登ろうと考えたが、この山だけでは、時間もあまりかからず、他の山を考える必要がある。一般登山道の無い藪山レベルになると、頼りはインターネットの情報ということになる。今回の山行では、福島登高会及び、飯舘村のホームページが参考になったことを特に付け加える。
 ETCの深夜割引を利かせるため、高速を下りるのは0時を回ってからになる。この0時を中心に、出発の時間と、登山口の到着時間が決まってくる。言い換えれば、高速を下りてから1時間内で野宿の場所を考える必要がある。
 船引三春ICで高速を下りて、阿武隈山地を北上した。暗い田舎道で、周辺の様子も判らないままに、車を走らせるのはナヴィだけが頼りであった。真夜中の疾走というのも、山へのアプローチの苦労というよりも楽しみである。
 夜も遅くなったが、なんとか高太石山の登山口のみちのくグリーン牧場に到着することができた。広い駐車場が設けられていたが、実際に牛を買っている牧場で、観光客用に営業しているようであった。車を停める断りをいれないと不審者と間違えられそうなので、少し離れたところの静かな脇道を見つけて夜を過ごした。
 翌朝は、ゆっくりと起きた。日が昇るのも遅くなっており、早起きして薄暗い登山道を歩くのも面白くない。まずは、下山口の山木屋境の確認のために車を動かした。この登山口には、大きな標識が立てられていたが、登山道は、田圃脇を進んでいくようで、あまりはっきりとはしていなかった。こちらは、車を停めることのできる空き地になっていたので、ここから歩き出すことにした。
 まずは、グリーン牧場への車道歩きで始まった。ガイドブックで困るのは、こういった二つの登山口を周回するガイド文が掲載されているにもかかわらず、両登山口間の時間が書いてないことである。幸い、15分の歩きであった。
 朝の空気を吸いながら、牧場沿いの道を歩いたと書けば、牧歌的な雰囲気になるが、実際には牧場の糞尿の匂いに悩まされた。現実は、甘くはない。それでも、厩舎から出てきた牛の群れが、一様にこちらを向いている様は面白かった。
 牧場の駐車場には、観光客用のためか、山羊がつながれてお出迎えしてくれた。高太石山の標識に従って進むと、レストハウスの脇に出て、行き止まりになった。少し戻って林を東に向かってつっきると、民家の間を抜けてきた登山道にでることができた。
 牧場の柵に沿って回り込んでいくと、松林の中の道となり、枝尾根を乗り越すと、林道跡に飛び出した。この林道跡を辿る登りが続いた。町界線の通っている尾根が目前に迫っても、その一段下を通る道が続いた。
 緩やかに登っていくと、案内図の置かれた分岐に出た。左は展望岩経由の山頂迂回コースのようなので、右の道に進んだ。ここからは、ようやく登りに専念するようになった。ツツジと積み重なった大岩が現れるようになると、山頂に到着した。山頂で見るべきものは、大岩と三角点で、展望はさほど良くなかった。
 西高太石山に向かって、北西への尾根を辿った。緩やかに下っていくと、展望岩への分岐に出たが、その方面への道ははっきりしていなかった。その先で、大ブナに到着した。登山道の左手に、ブナの大木が佇んでいた。幹周りはそれほどないが、枝を横に広げている姿はどうどうとしていた。雪国のブナとは枝ぶりが違うのが面白い。
 尾根を下っていくと、右手に砕石跡の台地が広がるのが目に入ってきた。砕石現場の縁をかすめて、登山道は、左にそれていった。すぐ先で、登山道にロープが張られており、西高太石山への道は閉鎖されていた。前方では、砕石作業のような騒音も聞こえており、西高太石山の山頂近くまで砕石現場が広がっているのが見えていたので、登山道も危険な状態になっているようである。
 下山のために、「長沢ガンタ(巨石群)〜渓流」とある、左に下る道に進んだ。浅い谷沿いに下っていくと、長沢源泉の標識のある水場に出た。この先は、登山道上の笹がうるさくなった。朝露がまだ残っており、ストックで叩きながらの歩きになった。ハイキングコースとしては、快適な道とはいえない。周りは雑木林であるが、登山道だけが笹に覆われており、植林のための作業道が、荒れてきたようである。
 傾斜も緩んで台地に出ると、T字路になった。左は、山頂に至る道のようで、下山のためには右に進む。荒れた林道の歩きになると、沢沿いの歩きになって、最後は、山木屋境の登山口に飛び出した。この下山路は、林道跡を利用したためか、かなり大きく迂回しており、方向が掴みにくい。ガイドブックの登山道の表記も、649m点は通らず、大きく違っている。
 続いて、白馬石山を目指すことにした。地図上では、町界線に沿って破線が記載されているが、「阿武隈の山を歩く」に出ている1978年の記録では、このコースは藪であったとある。白馬石山の北山麓は、モーターランドをはじめ民家も並んで、取り付きにくい感じであった。インターネットの情報を基に、南の羽附から取り付くことにした。
 昨晩通過した道を戻り、国道459号線に入った。国道から分かれて羽附の集落に入ると、前方になだらかな山頂を広げる白馬石山が目に飛び込んできた。車道が山の中腹まで延びていたので、登っていくと、民家の前庭で右に曲がってその先は未舗装の道になった。この周辺は、道幅も狭く、未舗装の道に進むのも気が引けたので、一旦山を下り、麓の平坦部の民家脇の路肩帯に車を停めた。
 今度は歩いて車道を登っていき、民家の脇から未舗装の林道に進んだ。すぐ先で家庭用テレビアンテナが立てられている所に、尾根が落ち込んできており、ここから取り付くことにした。尾根は、藪も薄く、歩くのに問題は無かった。すぐに右手から登ってきた植林用の作業道に飛び出した。この道を辿っていくと、谷間の伐採地に出た。伐採地は、棘のある藪になって歩きにくく、左の尾根に上がった。この先は、下生の少ない疎林となり、落ち葉を踏んでの気持ちの良い歩きになった。
 町界線に出ると、笹藪に変わった。足でかき分けるのに抵抗がある程度で、見晴らしも良く、歩くのに支障になるほどではなかった。土塁も現れたが、踏み跡は見当たらなかった。山頂は台地状であったが、GPSを頼りに進んでいくと、測量のための旗が立てられた三角点に突き当たった。傍らの木には、福島勤労者山の会のプレートが付けられていたが、山名はすでに消えていた。三角点の周囲は、笹が下生えの林で、展望は無かった。
 なだらかな山頂を持つ山だけに、下りは、意外に難しく、GPSを見てコースを修正する必要があった。一般には、赤布を付けて登る必要があり、藪漕ぎ山行の練習にも良い山である。
 次は、戦山を目指した。国道399号線に出て、北上した。長泥からは、二車線幅の立派な道路が、つづら折りになって一気に高度を上げた。途中には、展望地も設けられていた。峠部が戦山の取り付きであるが、見ると林道が始まっており、奉納と書かれた石柱が両脇に立てられていた。
 この様子なら登頂は確実と安心して、車の中で腹ごしらえをした。車道の反対側には、陽の出石峠と書かれた標識が取り付けられていた。
 林道の入口には鎖がかかっておらず、タイヤの跡も見られたが、途中でぬかるみもあり、長い道のりでもないので歩いた方が良い。途中で緩やかな登りも現れるが、峠から山頂までの標高差は、僅かである。のんびり歩いていくと、左手に放置車を見ると、その先が戦山の山頂である。
 左にそれていく林道から分かれて、直進するように道が付けられている。笹原の中の幅広の切り開き道を登っていくと、新しい木のお堂の立つ戦山の山頂に到着した。三角点は、お堂の脇に埋められていた。お堂をのぞくと、赤い毛氈が敷かれており、祭壇には金花山と彫られた石が祭られていた。この「金花山」は、宮城の金華山のことで、阿武隈山地北部では、この信仰が広まっているようである。
 この戦山の名前は、お堂の中に掲げられた願文によれば、南朝の忠臣北畠顕家郷父子が北朝軍足利氏と戦ったことに由来するようである。
 お堂の前の道を下ると、新しい石の鳥居が立つ、参道入口に出た。地元では信仰の厚い神社のようである。こちらが表参道で、先ほどの林道分岐のすぐ先である。
 登山計画をまとめていく時、山のことだけではなく、食料買出しのためのコンビニと、入浴施設の有り場所を考える必要がある。翌日は、大火山を目標にしていたが、国道399号線をさらに北上すれば、臼石の十字路でコンビニ、近くの村民の森に入浴施設がある。阿武隈山地の内陸部では、この二つが揃っているところも少ないので、この一帯の山巡りの際の基地になりそうである。
 村民の村に向かう途中の左手に、657.3mの四等三角点ピークの葉山がある。地図には記載されていないが、飯舘村のホームページを見て知った山である。なぜか、車のナヴィ画面には、この山の名前が表示されている。市ノ沢林道の起点標識のある道路脇を見ると、幅広の山道が始まっていた。時間もまだ早く、山頂の神社までの参道が続いているのかと思って、気軽に考えて歩き始めた。
 谷間に入ると、落ち葉で道が判りにくくなった。小潅木の枝がうるさくなって、道をはずしたことに気が付いた。道は、左右の尾根にそれていったのだろうと思い、とりあえず、左の尾根に上がることにした。尾根上に山道のようなものは無かったが、歩くのは難しくはなかったので、先に進んだ。右手から尾根が合わさると、踏み跡らしきものもはっきりしてきた。どうやら右の尾根に上がるのが正解のようであったが、いずれにせよ、歩き始めのはっきりした道ではなく、踏み跡レベルあった。歩いていくうちに、再びはっきりした踏み跡に変わった。別な登り口があるようである。登りついたピークは、手前の南東ピークである。一旦僅かに下ると、踏み跡は、山腹を巻いて下っていってしまった。尾根伝いに登っていくと、羽山の山頂に到着した。木立に囲まれて、三角点だけが頭を出していた。羽山信仰を示すような祠は見当たらなかった。周囲の木にはピンクのテープが取り付けられていたが、はっきりした山道は見あたらなった。
 下りは、尾根の分岐に気をつける必要があった。もっとも、迷って別な尾根を下っても、里に下りられることは確実な山ではある。
 4山を登ったことで、この日の登山は終わりにして、アイ・ラブ・湯で入浴した。温泉ではないが、きれいな浴槽で、値段も安く利用価値の高い入浴施設である。しかし、この名前は、趣味が悪くいただけない。
 食料を買い込んで、翌日の山の二ッ森へ向かった。県道原町川俣線は、新しく石ポロ坂トンネルができて、ショートカットするようになっている。その旧道沿いの糟塚で、広域農道が分かれているが、その分岐が二ッ森の取り付きである。その晩は、道路わきの空き地に車を停めて寝た。
 二日目の朝は、霧が立ち込めており、少し遅い歩き出しになった。
 古い道路との分岐から尾根に取り付いた。下生えも少ない雑木林で、歩きやすかった。尾根は、しばらくは、車道と平行して続いた。緩やかな登りを続けていくと、南からの尾根が合わさる580m標高地点で、土塁が続くようになって、踏み跡がはっきりするようになった。このまま山頂まで続くのかと思ったが、600m標高地点で北に続く尾根へとそれていった。再び藪漕ぎになったものの、歩くのに問題は無かった。葉が完全に落ちた12月という季節が良いのか、この付近の山では、どこでも歩ける状態が続いている。
 特に難所もなく、二ッ森の山頂に到着した。山頂一帯は、背の低い笹がまばらに生える台地で、中央に二等三角点が頭を出していた。傍らには、金華山と彫りこまれた石碑が立てられていた。地面に朽ちたトタン板や酒の空瓶も転がっているところを見ると、小さな祠のようなものがあったのがつぶれて残骸になったようである。現在は訪れる者は少ないようではあるが、信仰の山であることが判った。
 車に戻って、大火山に向かった。事前にインターネットで調べたところ、大火山の山頂には、テレビの中継基地があるらしい。地図を見ると、北の臼石小学校脇から林道が延びており、南斜面には牧場が山頂近くまで広がっている。東の大火からは、山頂直下まで破線が延びており、最後の藪漕ぎは尾根沿いの登りになる。前日、大火を通過する際に、大火側からは、舗装道路が始まっているのを確認していた。同時に、車道脇の牧場の境界は、鉄条網で囲まれ、部外者が立ち入った場合は罰金との警告文が掲げられていた。南の牧場も、立ち入りができるのかどうかが判らない状態であった。臼石からの林道の終点付近からは、登りのルートが取りにくく思われた。ということで、大火からの破線コースを使うことにした。
 国道399号線沿いにあるニュートラックいいたてという、競馬の場外売り場らしき施設の入口から飯樋側に下ったところの民家横から舗装道路が分かれている。この道に車を乗り入れると、300m程で右にカーブして民家の前庭に出る。このカーブ地点から未舗装の林道が始まっていたので、ここから歩き出すことにした。
 林道は、すぐに流水で大きくえぐられて、車の通行はできない状態になっていた。杉の植林地で、林道跡も判りにくくなった。地図の破線は、この林道跡を示しているようなので、GPSも参考にしながら、この道を辿った。植林のためらしき作業道を見送って緩やかに左にカーブしていくと、沢沿いの登りになった。すぐに沢は深く掘り込まれるようになって、左岸沿いの登りを続けることになった。この沢は、地図を見ても読み取れないのもやっかいである。悪いことに、笹藪が急に密生して、前進できなくなるようになった。沢の両岸は藪が深いが、右手に沿うようになった枝尾根は、落ち葉の枯れ草色に染まって笹藪は無かった。破線を辿ることは諦めて、右手にコースを変えることにした。
 浅い谷間に入ると、笹藪は無くなった。岩が転がる谷間の、気持ちの良い登りに変わった。そのまま登りを続けて、大火山の山頂から北に延びる尾根上の小ピークに出た。予定よりは少し北よりであったが、尾根上は軽い藪漕ぎ状態であったので、問題は無かった。
 山頂への登りに取り掛かると、左手に土塁も現れた。笹が少し煩くなったが、歩きの支障になるほどではなかった。ようやく山頂に到着と思ったら、右手からケーブルを通すための切り開きが上がってきているのに飛び出した。このケーブル道を辿って、テレビ中継基地の設けられて大火山の山頂に到着した。
 中継施設の背後に三角点を見つけることができた。その脇は有刺鉄線で仕切られていたが、その切れ間から南側に入ると、林道が上がってきていた。少し下ってみたが、つづら折りの道が続いていた。草や潅木も生えておらず、路面の状態はそう悪くは無さそうだが、車が走ったような形跡はなかった。人が歩いた形跡もなく、南の牧場から道が通じているが、登ってこれるかは判らなかった。
 登りの時は最後まで気が付かなったケーブル道を下ってみると、750m標高地点で、尾根からは左にそれていった。臼石小学校脇からの林道の半円状カーブ地点付近に通じているようであった。林道に車が乗り入れるなら、このケーブル道ルートが一番簡単そうであるが、面白みには欠けるであろう。今回の大火山へのルートは、満点というわけではないにせよ、歩いて面白いことは確かだと思う。
 この大火山の情報を集めるため、インターネットで検索していると、次のような福島県のローカル放送の、昔話が目に留まった。
 大昔、飯舘と月舘の真ん中辺りに太郎坊山と大火山という二つの山があった。しかし大火山は、大火事で、木が全て燃えてしまった。それ以来太郎坊山は大火山のことをからかうようになり、二つの山の仲は険悪になっていった。大火山は南の暖かい国で木を早く育てて来ると言ったが、10年たっても 20年たっても、大火山は全く動く気配が無かった。そして100年経ったある時、太郎坊山は大火山に頭の後ろはどうなっていると聞かれた。太郎坊山が頭に手を伸ばしてみると、昔は木々でいっぱいだった山肌がツルツルになっていた。反対に大火山の後は木々が青々と生えていた。大火山は、太陽が当たるように少しずつ体を動かしていたと話し、太郎坊山に負けを認めさせた。今では二つの山はいがみ合いができないほど離れてしまった。
 太郎坊山は、12月3日に訪れたばかりである。確かに、大火山は、南山腹に牧場が開かれて、木々を失っているが、太郎坊山は、山頂一帯に伐採が進んでいる。木を失った禿げ具合ということなら、太郎坊山の方が、ひどい状態である。偶然なのか、伝説は現在の状況を予言しているようで面白い。
 前日からは、短い登りの山が続いたが、幾つも登ると、それなりに疲れてきた。藪漕ぎ山行も面倒になって、最後の山は登山道のある山ということで、比曾羽山を選んだ。山頂にある羽山神社までの参道が利用できるようである。
 比曾の集落が近づくと、前方にいかにも里山といった感じの羽山が近づいてきた。道路の角に大きな羽山神社の石碑が立てられており、少し先の道路わきに鳥居が立てられていた。路肩のスペースに車を停めて歩き出した。
 いかにも参道といった杉林に囲まれた道が続いた。ただ、この道は、車道と平行に続き、なかなか登りに転じない。民家の裏庭脇に出たところで、ようやく山に向かって登り始めた。
 二つ目の鳥居を過ぎると、尾根の脇の窪地に登山道は続いた。右手に伐採地が広がるのが見えたが、登山道脇までは広がってこなかった。山頂までもう少しかなと思うところで、再び鳥居が現れた。
 鳥居をくぐると、杉林の中の急な登りが始まった。山頂には、お堂が建てられていた。周囲は、木立に囲まれて見晴らしはなかった。地図では、神社マークは、山頂の西に少しずれたところに記載されているが、最高点に置かれている。
 三角点は、さらに南に下がったところにある。笹藪が広がっていたが、境界線なのか、標柱が埋められており、踏み跡が続いていた。坂を下っていくと、頭が赤く塗られた三角点に行き当たった。山頂とはいえないような斜面の途中であった。
 これで、山登りも終わりにして、帰路についた。途中に現れる山をみては、また訪れなければという思いがわいてきた。阿武隈山地の藪山訪問は、ようやく始まったところである。

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