岩岳、手倉山、鎌倉山、太郎坊山、長寿山、無垢路岐山、御幸山

岩岳、手倉山、鎌倉山、太郎坊山、長寿山、無垢路岐山、御幸山


【日時】 2006年12月2日(土)〜3日 前夜発2泊2日各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 2日:晴 3日:晴

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
岩岳・いわだけ・430m・なし・宮城県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/角田/丸森
【コース】 第一登山口より第二登山口へ周回
【ガイド】 新・分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)、新版東北百名山(山と渓谷社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
手倉山・てくらやま・672.1m・一等三角点本点・宮城県、福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/相馬中村/青葉
【コース】 テレビ塔管理道
【ガイド】 阿武隈の山を歩く(新ハイキング社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
鎌倉山・かまくらやま・340.1m・三等三角点・宮城県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/角田/丸森
【コース】 南平登山口
【ガイド】 新・分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 青葉温泉青雲閣 500円

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
太郎坊山・たらぼうやま・551.1m・三等三角点・福島県
長寿山・ちょうじゅやま・560m・四等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/萩平
【コース】 林道庭坂峠登山口より周回
【ガイド】 なし

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
無垢路岐山・むくろぎやま・672.4m・二等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/萩平
【コース】 水境
【ガイド】 阿武隈の山を歩く(新ハイキング社)

【山域】 阿武隈山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
御幸山・ごこうぜん・476.8m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/保原/保原、月館
【コース】 七ツ森林道テレビ中継塔管理道から観音堂参道へ周回
【ガイド】 新ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【時間記録】
12月1日(金) 20:40 新潟=(R.49、安田IC、磐越自動車道、東北自動車道、国見IC、梁川、山舟生、丸森 経由)
12月2日(土) =1:10 不動尊公園  (車中泊)
7:50 第一登山口―8:02 第三登山口―8:15 岩岳―8:44 第一見晴台―8:51 第二見晴台分岐―8:57 第二見晴台―9:02 第二見晴台―9:12 第二登山口―9:20 第一登山口=(鷲ノ平、町営牧場 経由)=10:40 手倉山=(青葉)=11:48 鎌倉山登山口―11:52 登山道入口―12:29 鎌倉山〜12:36 発―13:00 登山道入口―13:05 鎌倉山登山口=(青葉、旗巻峠、相馬、R.115、大平、布川、R.399、月館、岩阿久、長寿泉 経由)=16:00 太郎坊山登山口 (車中泊)
12月3日(日) 7:43 庭坂峠登山口―7:46 庭坂峠登山口―8:00 中島田代分岐―8:07 太郎坊山〜8:10 中島田代分岐―8:26 庭坂峠―8:45 長寿山登山口―8:58 長寿山―9:07 長寿山登山口―9:17 庭坂峠登山口=(R.399 経由)=9:50 登り口―10:10 無垢路岐山―10:27 登り口=(R.399、月館、R.349、R.115、下小国、七ツ森林道 経由)=11:15 管理道入口―11:33 テレビ塔―12:00 御幸山―12:25 観音堂参道―12:41 管理道入口=(R.115、茶屋沼、福島西IC、東北自動車道、磐越自動車道 経由)=16:20 新潟

 岩岳は、阿武隈山地北部の宮城県丸森町にある山である。標高も低く、地図にも名前の記載されていない山であるが、県立公園に指定されて登山道も整備されている。この山が東北百名山に取り上げられているのは、クライミングの山として地元で親しまれていることからであるものと思われるが、山頂に岩が転がるものの、一般登山道を歩くぶんには岩場は現れない。山頂には羽山神社が祭られており、羽山と呼ばれていたようだが、多数ある羽山と区別するために、岩岳と呼ばれるようになったという。

 手倉山は、宮城・福島県境にある一等三角点ピークである。山頂にはアンテナ施設が設けられて、管理道が通じている。奥田博著「ふくしまブナ巡礼」には、阿武隈山地に残された最後のブナ林があると紹介されているが、周囲は伐採地となって、僅かな雑木林が広がっているにしかすぎない。

 鎌倉山は、宮城県の南部、福島との県境近くの丸森町にある山である。東山麓の佐野では羽山、北の南平では鎌倉山と呼ばれ、山頂に羽山神社が置かれた信仰の山である。

 太郎坊山は、旧月館町と川俣町との境界にある山で、山頂には羽山神社が置かれ信仰の山である。長寿山は、地図には記載されていないが、太郎坊山の南に位置する四等三角点ピークである。現在、この稜線の山腹に林道が上がっており、短い時間で登ることができる。

 無垢路岐山は、旧月館町と飯舘村の境界にある山で、南山麓を国道399号線が通過している。登山道はないが、阿武隈山地特有の町境の土塁に沿って踏み跡が続いており、軽い藪漕ぎで登ることができる。

 御幸山は、近くにある霊山と同じく、東北ではめずらしく、やまではなく「せん」と呼ばさせる山である。山頂には羽山神社の奥の院が置かれている信仰の山である。

 いよいよ新潟でも、冬の始まりを告げるみぞれ混じりの悪天候が始まった。新潟での山歩きを諦め、晴天を求めて太平洋岸へと脱出することにした。
 東北百名山は、2003年にまとめて登って残り僅かになっていたが、最後の岩岳はのばしのばしになっていた。というのも、歩行時間も僅かなため、この山を目当てに出かける気にはなれず、阿武隈山地のシーズンともいえる12月になったら出かけようというつもりで、数年機会を逸していた。日本百名山の時のような、なにがなんでも数を揃えるという気持ちは薄くなっている。
 岩岳をめざすにしても、他に組み合わせる山を考えるのは、なかなか難しい。すでに、うつくしま百名山に選ばれている山は登り終えているため、もう一段マイナーな山となる。幸い、ガイドブックやインターネットの情報から、登る山の候補を幾つか拾って、とりあえずの計画を立てた。
 高速料金の深夜割引を利かせる為の時間調整も兼ねて、安田ICから高速に乗った。最終PAで僅かな時間調整をしただけで、高速を下りた。その後は、車のナヴィの示すままに夜道を走ることになった。阿武隈山地では、登山口に辿り着くのが最初の難関なので、車のナヴィは大きな助けになっている。
 途中で、以前羽山に登った際に通過した道を走っていることに気が付いた。阿武隈渓谷の景勝地の不動尊公園に到着したところで、時間も遅くなっており、広い駐車場もあったので、車を停めて夜を過ごすことになった。岩岳の登山口までは後僅かであるが、この先は、脇道に入ることになり、分岐の目印や道路の状態が不明であるので、深夜の走行は避けた。
 翌朝は、ゆっくりと起き出して、車を再び走らせた。日の出も遅くなっており、低山だけに、明るくなってから歩き出したい。不動尊公園のすぐ先で、岩岳の標識があり、左の脇道に進んだ。この分岐には手倉山という標識も置かれていた。一等三角点ピークとして手倉山にも興味を持っていたのだが、どこからアプローチしてよいか判らなかったので、良い機会ということで、岩岳の次の山が決まった。
 最初に現れる登山口は、下山に使うコースで、もう少し先に進む必要がある。到着した第一登山口は、トイレも付属する広い駐車場が整備されていた。案内図があり、コースに目を通した。
 登り始めは杉林であるが、すぐに雑木林が広がるようになる。小さな沢を渡り、これに沿って浅い谷を遡ることになる。あっけなく、稜線の上に出てしまった。右に曲がってひと登りすると、第三登山口からの登山道が左から合わさった。
 山頂もすぐ近くのようだが、岩岳の山名に相応しいように大岩も現れるようになった。岩の上に出てしまい、どのように下りるのか迷ったが、すぐ手前から左に巻き道が付けられていた。
 特に難しいところもなく岩岳の山頂に到着した。山頂には大岩が転がっており、祠も祭られていた。岩の上に立つと、北側の眺めが広がった。目の前の低山の連なりは、馴染みの薄い阿武隈山地の宮城県内の山ということで皆目判らなかった。遠く、蔵王連峰が見えているようであったが、厚い雪雲に覆われていた。陽だまりの山頂で、雪雲に覆われた蔵王連峰や吾妻連峰、安達太良山を眺めるというのも、冬の安達太良山ならではの楽しみである。
 第二登山口へ下山するため、稜線を東に進んだ。山頂からの下りは、急で要注意であった。ステップはしっかりあるのだが、落ち葉に覆われているため、うっかりすると落ち葉とともに滑落する恐れがあった。登山道の幅が充分あるのも掴むものが無いのも、やっかいであった。端にルートをとり、木の枝を掴みながら慎重に下った。
 急坂を下りると、後は稜線伝いの穏やかな道になった。途中で振り返ると、岩岳の山頂は、烏帽子状のとがった姿を見せていた。最低鞍部から登り返した小ピークで、左に第一見晴台への道が分かれた。第一見晴台は大岩の舞台で、岩岳の山頂を振り返ることができた。
 稜線をさらに進むと、第二登山口の下降点となり、第二見晴台への道が先に続いていた。第二見晴台までは少し距離があったが、木立に囲まれて展望は良くなかった。
 分岐に戻って、下りを始めると、急坂が続き、一気に第二登山口に出てしまった。
 車道歩きで第一登山口に戻ると、5名ほどのグループが出発するところであった。冬の阿武隈山地は、登るのに相応しい季節だと思うのだが、何回も訪れているが、人と会うことは少ない。
 東北百名山の最後の山としては、一周1時間半で、少し物足りなく終わってしまった。
 続いて、手倉山を目指すことにした。手倉山は、一等三角点が置かれていることから気になっていたのだが、宮城県側からアプローチする必要があるため、先延ばしになていた。山頂まで車道が延びていると聞いているが、山頂近くまでのどの経路で入ったら良いのかが判らなかった。幸い、岩岳登山口から先へは、少し細いが問題の無い車道が続いていた。
 車のナヴィをセットすると、手倉山の山頂までルートを示してくれた。これで楽勝と思って、車を走らせた。ただ、ナヴィの音声案内が利かなくなっており、途中で、違う方向に曲がって引き返すことにもなった。町営牧場に出て、その先のアンテナの立つピークが手倉山であろうと見当がついた。
 町営牧場の先から脇道に入ると、民家の先で、荒れた道に変わった。畑の縁でなんとかユーターンをして戻った。地図を見ると、砂川と書かれた耕作地に入り込んだようである。ここから山頂まで車道が通じているように書かれてあるが、アンテナ施設の管理道ではないことは確かであった。そうなると、牧場から延びている道かと思って、引き返した。牧場の入口には、関係者以外立ち入り禁止と書かれていた。冬になって、誰もいないようであったが、進むのに躊躇した。
 牧場入口と砂川との間のヘアピンカーブ地点に、もう一本脇道があった。地図では、二重線ではなく、ただの実線であるが、砂利も敷いてあり、利用されている道のように思われた。この道に進むことにした。
 と、ここまでの結論に辿り着くには、GPSで周辺の道路沿いにルートを作り、現在地を確認する必要があった。路肩に車を停めて、コンピューターの操作をしている姿は、登山の準備をしているとは思われないであろう。
 未舗装の道に進むと、民家があり、その先からは少し荒れた道に変わった。左から舗装されているが荒れた道が合わさった。これが砂川からの道のようである。道は、細くなり、木の枝が車をこするようになった。牧場からの道が合わされば良くなるかなという期待と、車を停めるスペースもなく、そのまま車を先に進めることになった。対向車が来たら、窮地に立たされそうであった。牧場からの道は合わさらないまま、そのうち稜線沿いの道に変わった。路面が荒れた所もでてきた。
 手倉山の山頂が迫ったところで、車を置けるスペースが現れた。この先は急坂になることから、歩き出すことにした。すぐ上に通信施設のアンテナが見えていたので、林の中を登った。金網で囲まれた施設の脇に出て、三角点を探しながら先に歩いた。
 管理道の終点近くで、目指す一等三角点を見つけることができた。管理道を歩いてきたのならば、左の小高いところを探せばよいことになる。展望も無い山頂であった。
 車乗り付けの三角点のため、歩行時間は意味はない。車の運転と性能に自信があれば、終点まで車を乗り入れることは可能である。
 管理道を戻り、一般道に出てようやくひと息ついた。管理道を歩くとなると、2kmほどであろうか。歩けない距離でないが、間違った道に迷い込んでいないという確信が必要である。歩くべきか、車を進めるか、こういった車横付けのピークハントの難しさでもある。
 道路地図を見て、次の山を考えた。来た道を進んでいくと青葉に出ることができて、鎌倉山が近い。山の候補は考えてあったが、幹線道路以外は、現地に入ってみないと、道路の状態が判らなく、次の山の候補が変わってくる。
 青葉から佐野に回ると、ここからも登山道が通じており、羽山登山口という標識が立てられている。こちらから登るか迷ったが、鎌倉山という名前を優先することにして、南平登山口に向かった。
 雉子尾川を渡ると、すぐ先で赤い鳥居が現れ、ここが鎌倉山の登山口になる。脇から林道が始まっているが、鎖が掛けられている。林道入口の脇に車を停めて歩き出した。林道を進むと、じきに左手に鎌倉山への登山道の入口が現れた。
 ゆるやかに登っていくと、やがて尾根の上に出て、そのすぐ先で、岩場が現れた。ロープが取り付けられていたが、高めに張ってあるので、ロープを持つとかえって不安定であった。ステップはしっかりしているので、一段ずつ登っていけばよかった。
 急坂を登りきると、ゆるやかな稜線伝いの道になって、羽山神社のお堂に出た。お堂の前は木立が切られて、展望地になっていた。目の前に、鹿狼岳が、尖った山頂に木立を乗せた特徴のある姿を見せていた。
 お堂の中は、土間になっており、中で雨宿りをするのには具合が良い。奥に神棚が祭られていた。壁には絵馬が掲げられていたが、いたずら書きで汚されていたのは残念であった。
 鳥居をくぐって先に進むと、三角点が置かれた鎌倉山の山頂に到着した。稜線上の代わり映えのしない地点であった。その先は緩やかに下っていき、すぐ先で分岐に出た。左は佐野、右は林道へ下る道のようであった。どちらも良く整備されているようであった。
 下りもそれほどの時間はかからずに車に戻ることができた。
 阿武隈山地では、福島県内の常盤と竹貫にある鎌倉岳が良く知られている。どちらも小さいながら、鎌のように細い尾根を持ち、山頂部に岩場をのせた山である。この鎌倉山は、北西面に岩場マークがあるものの、登山道を歩いているだけでは、岩山を感じさせないな穏やかな里山であった。
 三山を巡り終えたところで、この日の山は終わりにした。近くに青葉温泉があり、入浴することができた。鄙びた一軒宿で、良い湯であった。機会があったらまた利用したいが、なかなか訪れる機会の無い場所にある。
 翌日の太郎坊山のために、どのようなルートをとるか考える必要があった。夕食を含めて、食料の買出しがあった。旗巻峠を越えれば相馬に出ることができる。以前、羽黒山に登るために旗巻峠を訪れて様子は判っている。後は、霊山の登山口をかすめる国道115号線で、内陸部に戻ることになる。相馬の弁当屋で夕食を買い込んで、太郎坊山へと向かった。
 太郎坊山と長寿山は、隣合う山であり、長寿山の方が少し標高は高いものの、地図には名前は記載されていない。登山口へ続く林道の入口は国道349号線沿いの岩阿久である。近づくと、長寿泉の標識が現れた。この後は、これか長寿山の標識が現れて、導いてくれた。
 広瀬川を渡って集落を抜けると、急斜面をつづら折りで登っていく道になった。立派な車道で、走行には問題は無かったが、冬場に凍結すると危なそうであった。後で判ったことだが、東面の田代前を経由する道は、なだらかに続くので、凍結の危険性がある時は、そちらから入ったほうがよさそうである。
 一気に高度を上げて、稜線が近づいたところで、長寿泉が現れた。水汲み客も多いのか、立派な水場が整備されていた。
 長寿泉のすぐ上の峠を越した先が長寿山の登山口で、少し下ったところに庭坂峠登山口があった。両登山口の間に、広場があったので、車を停めて寝た。夜の間にかなり冷え込んで、ホッカイロを使うことになった。
 朝起きてみると、車の窓ガラスには氷が張っていた。まずは湯を沸かして朝の準備をした。暖かいコーヒーで、歩き出すための元気を取り戻す必要がある。
 太郎坊山と長寿山をつなげて歩くには、幾通りかの道順が考えられるが、庭坂峠登山口から歩き出すことにした。
 庭坂峠登山口からは、荒れた林道が始まっているが、町道の路肩に車を停めて歩き出した。林道の周囲には、伐採地が広がっていた。ひと登りで庭坂峠に到着した。西面に向かっても荒れた林道が下っていた。峠の一段上には、馬頭観音の石碑があり、古い峠道であることを示していた。
 太郎坊山方面へは、鎖を跨ぎこして、林道を進むことになる。伐採のための作業道のようで、周囲には伐採地が広がっていた。
 小ピークを回り込むと、谷向こうに太郎坊山の山頂が姿を現した。林道は稜線沿いに続き、落ち葉が積もった道は、のんびり歩くのに相応しかった。右手の伐採地が終わると、左右から荒れた林道が登ってきている峠に出た。
 ここからは、登山道に変わって、ひと登りで太郎坊山に到着した。山頂には新しい石の祠が置かれて、紙の御幣が飾られていた。傍らの杭に鯉のぼりが取り付けられているのは、なんの意味なのだろう。
 西側から山道が上がってきており、表参道・羽山神社・中島と書かれた標識が取り付けられていた。登ってきた道は、裏参道ととのことであった。長寿泉にある絵看板の案内図を見ると、中島からの林道を上がった所から表参道が始まっているようであった。
 山頂は、木立に囲まれていたが、その間から展望を楽しむことができた。蔵王連峰にかかる雲は黒々と厚く、昨日よりも大荒れのようであった。
 来た道を、庭坂峠まで戻り、林道の反対の斜面に取り付いた。登山道ではなく、杉の植林地の縁に続く踏み跡を辿る歩きになった。藪が少し煩いところもあり、葉の落ちた冬枯れの時期には問題なく歩けるが、夏は避けたほうが良さそうである。左下には林道が平行に走るのが見え隠れしていた。
 登山道の両脇が切り落ちた細尾根になると、その先で長寿山登山口の峠に到着した。長寿山の登山口周辺は、杉の刈り払いの集団が入って山仕事中であった。伐採のための林道跡のような幅広の道が続いていた。大きくカーブして稜線上にでると、後は緩やかな登りで長寿山の山頂に到着した。地図にも名前の記載されていないピークであるが、展望は遮るものがなく素晴らしかった。近くに見える山としては、霊山が大きかった。
 長寿山登山口に戻り、後は庭坂峠登山口への車道歩きになった。下り坂のため、車道歩きも気にならなかった。
 太郎坊山を巻く林道は状態も良いので、このまま進んで、無垢路岐山を目指すことにした。予定はしていなかったのだが、地図を見ていて、道順にあたるので、急遽決めたものである。まずは、コンピューターを立ち上げて、GPSのためのトラックデータを転送し、地図を印刷した。
 国道399号線も良い道で、一気に高度を上げることができた。尾根が落ち込むところを登り口の峠と思い、歩き出す準備をしたが、GPSを立ち上げると、まだ手前であった。
 再び車を走らせ、畑の広がる台地を進むと、いいたてと書かれた石のオブジェの立つ飯舘村と川俣町の境界線に出た。車道の幅も広いので、路肩に車を寄せて停めた。
 境界尾根を見ると、踏み跡があるので、登山を開始した。民家の脇をかすめるように、山に向かった。はじめは土塁の上を歩いていたが、そのうちに溝を挟んで左側に踏み跡が続くようになった。始めは、腰下の笹薮であったが、下生えも少ない雑木林に変わっていった。方向も、土塁に沿って歩いていれば良いので、気楽な藪山であった。
 傾斜が緩むと、台地状の無垢路岐山の山頂に到着した。笹の背も低く、のんびりした気分になれる山頂であった。
 無垢路岐山は、登り下りにそれほど時間のかからない山であるが、登山道が整備されていない山は、小さな山でも達成感がある。阿武隈山地の魅力を味わうには、登山道のある山だけではなく、このような境界の土塁を辿って藪漕ぎで登る山にも登る必要がある。
 続いて、御幸山に向かった。御幸山の山腹を七ツ森林道が通過しており、その起点は、下小国である。下小国で国道115号線から分かれて下小国川を渡り、川沿いに進むと、七ツ森林道の起点に出る。入口には立派な看板が立てられていた。女神山などの名前は書かれていたが、すぐ近くの御幸山は載っていなかった。
 広域林道なのか、立派な車道が続いた。山腹を巻きながら進んでいくと、路肩の草も目だってきた。あまり利用されてはいないようであった。
 アンテナ施設への管理道の分岐に御幸山の標識があったので、その手前の路肩帯に車を停めて歩き出すことにした。ガイドには、観音堂登山口から登るように案内されているが、楽をしようと、管理道を登りに使えるこちらから歩き出すことにした。
 未舗装の林道歩きが続いた。標高差も150mあるので、ひと汗かく必要があった。アンテナの立つ稜線上の広場から、御幸山への道に進んだ。
 踏み跡状態の道でアンテナの立つ小ピークを越えると、荒れた林道が右から合わさり、以後はこの道を辿ることになった。古い地図には、平からアンテナピークの峠越えの道が記されている。管理道の終点広場から少し下ると、この荒れた林道の分岐になるようである。
 しばらくは稜線沿いの緩やかな道が続いたが、御幸山の山頂が近づくと、傾斜も増した。山頂下に到着したところで、地図にある神社を探したが、現れない。そのうち、山頂直下を巻いて、林道は緩やかに下り始めた。藪漕ぎで山頂を目指そうかとも思ったが、登山道のある山では、それは感心しない。
 山頂から下ってきた稜線がすぐ近くまで下りてきたところで、山に向かう林道が分かれた。下には、お堂が見えて、十字路になっていた。折り返すように荒れた林道を登っていくと、山頂に到着した。山頂は露岩帯となって、その基部に、羽山神社が置かれていた。御幸山の山頂は、西側が開けていた。
 来た道を戻り十字路の先へ下ると、十一面観音堂の裏手に出た。鐘楼も置かれていたので、軽く叩くと、深い響きの音が出た。遠慮して、強く叩かなかったが、参拝の印に鳴らしても良かったのかもしれない。山中としては立派なお堂であった。お堂の前には、石造りの観音像が置かれていたが、いずれも頭の部分が折られて無くなっていた。
 この先は参道を下ることになったが、草が少し煩いところもあった。最近で出版された「新ふくしまの低山50」の地図を参考にしていたのだが、読み取ってGPSに転送していたコースとは大きく違っていた。方向さえ間違っていなければ、七ツ森林道に出るのではあるが、釈然としない気持ちを抱いての歩きになった。結局山頂から東に延びる尾根の一本南の尾根を下っていた。著者が、それくらいの地図読みができないはずはないであろうが、低山ハイクなら概念図は適当でも良いと思ったのなら、それこそ問題のように思われる。
 参道の途中には、山の神の石碑と小さな鳥居も現れた。七ツ森林道に下り立った登山口の参道脇には、木製の金精様が二本立てられていた。ここからは、菖蒲沢の集落がすぐ近くに見えていた。車で七ツ森林道を走ってくるよりは、菖蒲沢からこの登山道を目指した方が楽なようである。
 車に戻る途中、霊山の眺めが広がった。光線の具合か、岩壁も良く眺めることができた。
 冬型が強まっているようで、帰宅途中の道路の状態が心配になった。早めに山は終えて、帰宅することにした。猪苗代付近から、高速道の周囲は銀世界に変わった。悪天候の新潟への逆戻りである。

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