狢森山、堂峰山、立岩山、富士山

狢森山、堂峰山、立岩山、富士山


【日時】 2006年11月23日(木) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 北会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 狢森山・むじなもりやま・411.4m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/喜多方/喜多方西部
【コース】 下川角より寺内へ周回
【ガイド】 なし

【山域】 北会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 堂峰山・どうみねやま・332.4m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/喜多方/喜多方西部
【コース】 森林スポーツ公園
【ガイド】 なし

【山域】 北会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 立岩山・あついわやま・430m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/喜多方/喜多方西部
【コース】 立岩より
【ガイド】 なし

【山域】 北会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 富士山・ふじさん・508.8m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/野沢
【コース】 漆窪より泥浮へ周回
【ガイド】 新ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【時間記録】 7:00 新潟=(磐越自動車道、西会津IC、R.49、山都 経由)=9:00 下川角〜9:22 発―9:27 大山祇神社―9:59 狢森山〜10:04 発―10:32 寺内砂防ダム下―10:40 下川角=11:02 森林スポーツ公園駐車場―11:17 堂平山―11:25 車道―11:28 あずまや―11:36 森林スポーツ公園駐車場=12:01 立岩―12:12 立岩山―12;24 立岩=12:40 漆窪―13:17 富士山―13:32 泥浮―13:49 漆窪=(下野尻、R.49 経由)=16:30 新潟

 狢森山は、飯豊の福島県側の登山口である山都の町の北東にある里山である。
 堂峰山は、山都の森林スポーツ公園として遊歩道が整備されている山である。
 富士山は、飯豊連峰の南山麓の、喜多方市と西会津町の境に位置する山である。山頂に富士権現が置かれていることから、この名前で呼ばれている。
 立岩山は、この富士山の東隣の立岩集落にある小岩峰である。地図にも記載されていないが、富士山との背比べの伝説も残る、地元では大切にされている山である。

 週の半ばの祝日は、前の山の疲れも残っており、あまり気が乗らない。高い山を目指すよりは、里山歩きに心が動いた。福島県の山都周辺の山に出かけることにした。
 磐越自動車道の西会津PAからは、真っ白な飯豊連峰の眺めが広がっていた。観光客の一行も、山の知識は無いようだが、この眺めに歓声を上げていた。
 会津坂下で高速を下りて山都を目指した。山都は、飯豊の福島県側の代表的登山口である川入への入口の町である。ただし、初回の飯豊は川入から登ったものの、その後は、弥平四郎や大日杉から登ってばかりいて、川入には足が向いていない。この付近の飯豊の端山にも興味があり、来年は通いたいと思っているので、この一帯の地形を把握しておく必要がある。
 狢森山は、下川角から登れるという情報を得ていた。下川隅のバス停の脇から川に向かって下りていく道に進むと、使われていない道のようで、細くて落ち葉が積もっており、バックして引き返すはめになった。川入方面に少し進んだところから、下川角への車道が分かれていた。
 一ノ戸川を渡った先の左手に、小さな下川角公民館があり、その前から奥に通じる車道が狢森山への取り付きになる。川沿いの車道の路肩に車を停めて歩き出した。
 坂道を登っていくと、民家の前庭で、車道は終点になる。山道が始まっており、尾根への登りになる。尾根末端の急坂を終えると、赤い鳥居と石の祠が置かれた大山祇神社に出た。ここまでは、参道も兼ねており、刈り払いもしっかりしていたが、その先は、踏み跡状態になった。境界見出し標の杭が一定の間隔で埋め込まれているので、その関係の道のようである。葉も落ちた季節なので問題なく歩けるが、藪が少しうるさいところもあり、夏には敬遠した方がよいであろう。
 細尾根のため、ルートに関しては迷う心配もなく、登り続ければ良い。所々急な所もあり、汗も吹き出てきた。
 山頂手前は藪も濃くなったが、それを突破すると、山頂広場に飛び出した。三角点の周りが刈り払われて、北の方面の展望が開けていた。飯豊の展望が広がっていたが、朝と違って雲が出てきて、稜線部が隠されているのは残念であった。
 南北に連なる稜線には、踏み跡が続いていた。北か南のどちらに下山路をとるか迷ったが、印刷してきた地図では、南しか載っていなかったので、南に進むことにした。帰宅後に地図を確認すると、北に進めば、大沢口から延びる林道に出るように思われる。
 南へは、ナラの目立つ雑木林の中の緩やかな下りが続いた。踏み跡は注意して見分ける必要があったが、境界見出し標が埋められて、テープも付けられており、下生えも少なかった。
 整備された登山道とは異なり、どこに出るかもはっきりせず、緊張感のある歩きとなったが、このような歩きも面白い。
 336点の手前で、西に分かれる枝尾根に、踏み跡は向かった。下には集落も見えており、一気の下りになった。最後に尾根を左にはずすと、砂防ダムが三つ連なる沢に下り立った。地図では、寺内と書かれている字の上の位置である。ここからは、車道歩きで、下川角に戻ることになった。
 まずは、あまり知られていない山に登れたことに気をよくし、続いて、近くの堂峰山に向かった。
 堂峰山一帯は、森林スポーツ公園として整備されている。ナイター照明も備えた野球グランドが整備されており、その脇に管理棟があり、その前に駐車場が設けられている。管理棟脇に遊歩道の案内図があるので、歩くコースの確認を行う。こういった公園の遊歩道では、地図を見ただけでは歩けない。
 車道を戻ったグランドの東端から遊歩道が始まっている。幅広の道で、急坂には丸太の段々で整備されている。遊歩道の周りは雑木林で、展望は利かない。
 ひと登りで傾斜は緩やかになる。台地状の山頂を進んでいくと、三角点が現れ、かたわらにはベンチも置かれていた。利用者もいないのか上には落ち葉が積もっていた。すぐ先の下降部の先で送電線が横切っていたので、進んでみたが、木立は切れたものの、飯豊は前山に隠されていた。ここまでの登山道は、「いいでの道」と名前が付けられているが、飯豊が見えないのでは、誇大広告的である。
 つづら折りの道を下っていくと、すぐに車道に飛び出した。ここからはあずまやへの道に進む。登り坂となり、ここには「いっき坂」という名前が付けられているものの、特に急でもない普通の登りである。ひと登りであずまやの置かれた小ピークに出る。このピークは三ツ合山という名前が付けられているが、三方から道が合わさっていることに由来するように思われる。ここからは、一気の下りで、グランド背後の池の畔に出て、車に戻ることができた。
 時計を見ると、まだ時間も早いので、富士山に向かうことにした。富士山には、1996年12月6日に登っているが、この時は陣ヶ峯峠から伐採地の藪漕ぎで登っており、登山道は歩いていない。また、富士山とともに伝説の残る近くの立岩山にも登りたかった。
 阿賀野川沿いの道から、県道上郷下野尻線に進むと、立岩の集落に到着する。T字路に立岩山の案内板があり、以下のように書かれている。

「太古のロマン景勝の立岩山
 立岩、前に堤とそこにそびえ立つ岩山、立岩山は村を代表する景勝地であり、頂上からは会津平を一望できるところである。
 また昔話と伝説によれば、立岩山と富士山の背比べをし、高い方が地主になり天下を取ることになった。勝負の結果は、天女に邪魔された立岩山が負け、富士山が地主神になったというさらに昔、干ばつに見舞われた際、地区民が天に届くように頂上に登り雨乞いを行ったところ、突然雷雨となり大杉に落雷し穴があいたという言い伝えがあり通称雷山とも呼ばれている現在も穴のあいた大杉があり今でも、信仰されている。
標高
立岩山 430M
富士山 508M」

 案内板に書かれている立岩山の絵で、左奥に見える頂上に杉が数本並んだ岩山がそれだと、すぐに判った。ただ、案内板の下に雷山30M左と書かれているものの、どこが登山口かは判らなかった。
 とりあえず左に進むと溜池があり、立岩山が影を映していた。池の左手から幅広の道が始まっていたので、ここからだろうと思って歩き始めた。山裾に近づいたところで道は無くなってしまった。岩壁が落ち込んでいたが、左に回り込めば、尾根沿いに登れそうであった。下生えも少ないので、コースは外しているのは承知の上で、登り続けた。
 急登ではあるが、特に難しいところもなく、山頂に到着した。山頂からは、溜池や集落の眺めが眼下に広がっていた。ベンチも設けられ、展望を楽しみながら一服するには良い山頂である。
 登山道はとみれば、崖と反対の西側から上がってきていた。この道を下っていくと、北に進んで、泥浮へ通じる破線道に飛び出した。この分岐には、登山道の標識が取り付けられていた。荒れた林道を東に向かうと、民家の軒先をかすめて、案内板近くの車道に飛び出した。
 結局、案内板からの歩き出しは、T字路を右に曲がって陣ヶ峯方面に進み、すぐ先の民家の前を通り抜けて林道に進むと、登山道が左に現れる、といった説明になる。
 時間もそれほどかからないので、富士山登山の際に、セットで登るのが良いであろう。
 立岩の集落から陣ヶ峯峠を抜けて、漆窪に向かった。県道とはいっても狭い道で、峠越えには車の運転に注意が必要であった。陣ヶ峯峠では、山頂はすぐ上に迫っていたが、峠の先は高度を一気に下げてしまった。
 漆窪は、県道から入ったところにある小さな集落である。集落内のY字路の右手に消防団の資材置き場があり、ここが帰りに歩いて戻ってくることになる林道漆窪泥浮線の起点になっている。路肩にスパースがあったので、ここに車を停めた。Y字路の左手に富士川が流れており、この川べりに富士山の登山標識が置かれている。
 朽ち掛けた橋で川を渡り、お寺のように見える古峯神社の後ろに出ると、山道が始まっている。川沿いに進むと、砂防ダムの堰堤を見下ろすようになり、ここから尾根に向かっての登りになる。
 富士山の山頂一帯は、伐採されて杉の植林地になっている。先回は、陣ヶ峯峠から伐採地の作業道を使って登ったのだが、この漆窪からの登山道も、植林地の縁を辿るように続いていた。
 ひと登りして振り返ると、集落の民家が点在する向こうに飯豊連峰が白く輝いているのが目に入った。手前に黒々とした山頂を並べているのは、高陽山と高森山であった。富士山は、予期していなかった飯豊の展望台であった。
 前方に富士山の山頂が近づいてくると、陣ヶ峯峠もすぐ下に見えるようになった。
 富士山の山頂は、杉に囲まれて、石灯篭と富士権現の祠がひっそりと並んでいる。展望はなく、陰気な感じである。この広場の少し先に三角点がある。
 下りは、泥浮登山口へと向かった。しばらく尾根を辿った後に右手に曲がると、杉の植林地の中のジグザグの下りになる。落ち葉の関係もあるが、道ははっきりしないところもあって注意が必要であった。
 ススキの原になった畑跡に出ると、その先で、林道に飛び出した。登山口の前には、民家が一軒あり、このような山奥にと驚かされた。この泥浮登山口には、立派な標識があり、入口だけは迷う心配はない。
 後は、舗装道路を戻るだけであるが、下り坂で楽であったことと、飯豊の眺めが広がっていて、楽しみながら歩くことができた。
 漆窪と泥浮登山口とでは、泥浮の方が標高が高い。林道歩きで登りに汗することを考えると、漆窪から泥浮へと周回する方が良いように思える。
 車に戻ると、そろそろ日も傾きはじめ、山登りを終えることにした。

山行目次に戻る
表紙に戻る