木六山

木六山


【日時】 2006年11月19日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 木六山・きろくやま・825.1m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/高石
【コース】 杉川登山口より周回
【ガイド】 新・新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)

【時間記録】 6:55 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=8:05 登山口駐車場〜8:20 発―8:46 徒渉点―9:21 水無平―10:01 焼峰の神様―10:40 グシノ峰分岐―10:44 木六山〜11:13 発―11]16 グシノ峰分岐―11:55 グシノ峰―12:53 杉川沿い登山口―13:01 堰堤小屋―13:18 登山口駐車場=(往路を戻る)=15:00 新潟

 新潟平野の入口で阿賀野川にそそぎこむ早出川の流域には、川内山塊と呼ばれる山々が広がっている。川内山塊は、深く刻まれた渓谷に雪崩によって磨かれた岩壁が落ち込み、また低山であるために密薮に覆われ、登山道も一部にしか付けられておらず、藪山愛好家のあこがれの山域になっている。木六山は、その中でも登山道が整備されている数少ない山であり、また銀次郎山、銀太郎山、五剣谷岳といった山塊深部への入口の山として、登山者に親しまれている。
 前日の土曜日には権現山に登ったが、本命は木六山であった。晴の天気予報にもかかわらず雲が厚かったため、川内山塊の展望を楽しみにしていた木六山は諦めて、手頃な山として権現山に計画変更したものである。日曜日は、午後から下り坂になるようだが、朝は晴れ間が広がったので、木六山をめざすことにした。
 木六山の登山道は、杉川沿いの登山口からのグシノ峰コースと水無平コース、悪場峠からの水無平コースの三通りがある。前二回の木六山訪問では、五剣谷岳のための偵察と本番ということで、悪場峠から入ったが、木六山だけを目指すには、お手軽すぎるきらいがある。杉川沿いの登山口から登ったのは、1996年6月2日であるので、かなりの年数が経っている。グシノ峰周辺の登山道が付け換わったとも聞いているので、このへんで再度歩いてみる必要がある。
 村松からは早出川ダムに向かい、暮坪で杉川沿いの道に進む。この後は、杉川チャレンジランドの標識に従って車を走らせることになる。杉川チャレンジランドは、アウトドア施設のようだが、駐車場には施設利用者以外は、駐車禁止の立て札が立てられている。この先は未舗装で車のすれ違いは困難な林道になるが、林道終点には、車10台程は停められる広場が設けられている。
 ひさしぶりの晴天で、賑わっているかと思ったが、登山者は誰もいなかった。まずは、コーヒーを飲んで一服してから歩き出した。広場から水無平への登山道が始まっている。グシノ峰コースから登ることも考えられるが、水無平コースは、ガイドブックでは道がやや不明瞭とあるので、登りに使うことにした。
 杉林の中を登ると、すぐにへつり道が続くようになった。沢からはかなり離れた高い所に続いていた。地図では、沢沿いに破線が記されているが、それとは違っている。危険なほどではないが、足元に注意が必要なへつり道である。
 やがて沢が近づいてきて、少し下ると、左手から枝沢が入る所で徒渉点となった。飛び石伝いに渡ると、山の斜面のつづら折りの登りが始まった。落ち葉に道が埋もれ気味であるが、不明瞭というほどではない。急斜面の登りで汗が吹き出てきた。朝は冷え込んでいたが、歩き出すとやはり暑くなる。
 傾斜が緩んで水無平かと思ったが、緩やかな登りをもうしばらく続ける必要があった。周囲の木立のほとんどは、葉を落としていたが、所々に色鮮やかな紅葉が残されていた。
 水無平の北のはずれで、悪場峠からの道が合流点する。地図に記されている丸い窪地マークの北側であり、水無平から稜線に上がるまでの登山道の走り具合は、地図とは全く違うので注意が必要である。といっても、水無平はカール状の台地なので、地形だけを見て現在地を判断することは難しい。登山道をただ辿るのならともかく、地図との比較を行うには、やはりGPSは必須である。
 水無平は、ススキの原となって、穂が逆光の中に輝いていた。原を横断すると、再び急な登りが始まる。やがて、尾根沿いの登りになると、北に向かう稜線の上に出て、焼峰の神様の祠が現れる。東面の眺めが開け、日本平山が目の前に横たわっている。
 ひと休みの後に歩き出すと、この先は、緩やかな登りが続く。尾根の幅も広がり、落ち葉を踏んでの穏やか気分での歩きである。
 前方に木六山の山頂が迫ると、再び急な登りが始まる。以前は、トラバースによって南に回りこんでから山頂に登っていたが、現在では、稜線通しである。残雪の時期にも登っているが、この時よりも急に感じられた。グシガ峰との分岐からは、ひと登りで木六山に到着する。
 誰もいない山頂であった。周りには、雪で染まった山々の眺めが広がっていた。北東の空に、真っ白に染まった飯豊連峰が横たわっているのが、ひと際印象的であった。純白の峰は、宗教的な感動を心の底に呼び起こす。大日岳がひときわ大きく、高く、その右手の飯豊本山は目立たない。飯豊連峰は、北股岳を経て二王子岳へと長く続いているのを目で追うことができた。
 川内山塊の眺めはもちろん素晴らしかった。ただ、昼近くなっても太陽が低く、逆光気味であるのは残念であった。粟ヶ岳の山頂は、すっかり白くなっていた。ラッセルの覚悟をしないと登れないようである。銀次郎山、銀太郎山、五剣谷岳と続く稜線の先には青里岳の山頂が見えていた。来年は、この山を目指したいが、どのような作戦を練ろうか。
 腰を下ろすのも忘れて、しばらく展望を楽しんだ。日差しはあるものの、風は少し冷たかった。
 下山は、少し戻った分岐からグシノ峰へと進んだ。木の根や岩角をステップにして下りる急な下りが始まった。人もあまり歩いていないようで、落ち葉が積もっているので、余計に危なくなっていた。スリップは、致命的な滑落に通じるため、慎重に下る必要があった。少し下ると、ロープも現れ、下りも楽になった。
 一気に下ったあと、グシノ峰への登りになる。グシは屋根の棟(グシ)を意味し、頂上が横に長い屋根形の山を形容していると、「越後の山旅」には説明されている。
 591mピークに登ると、その先は、露岩帯の細尾根となり、周囲の展望が開ける。木六山の山頂はすでに高くなり、周囲の山の斜面に広がるスラブが、険悪な表情を見せている。水無平も見下ろすことができた。
 展望を楽しみながら歩いていくと、西のピークへの登りになる。以前は、このピークは通らずに、東斜面の草付きをトラバースしていた。ひと登りして到着したピークは木立に囲まれて展望はない。ピークからは、固定ロープに助けられての急な下りになった。急坂を下り切ると、旧道との合流点になる。ここからの木六山の眺めは、ガイドブックにも使われる定番ともいえるものになっている。
 この少し先で、尾根から外れてトラバース気味の下りになる。途中、枝沢の通過で、足場が悪く、ロープを頼るようなところも現れる。再び尾根に乗ると、その先は歩きやすい道になった。
 水音が近づいてくると、杉川沿いの道に飛び出した。少し先で堰堤小屋を通過し、杉の植林地を抜けていって枝沢をアルミの橋で渡ると、駐車場に戻ることができた。
 駐車場には他に車3台が置かれていた。下山口近くで、単独行に会っているので、他の二組は、水無平経由で登っているようである。先回の4月に五剣谷岳を目指した時には、木六山やその先のピークを目指して、大勢の登山者が入っていたのに比べると、格段に少ない数である。雪の訪れとともに、この山のシーズンも終わったようである。

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