権現山

権現山


【日時】 2006年11月18日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
権現山・ごんげんやま・630.5m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/高石
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:00 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=8:10 中河原橋〜8:30 発―9:35 尾根上―9:47 巡視路分岐〜9:52 発―10:18 権現山―10:25 鉄塔(No.89)〜10:32 発―11:25 林道哺土原線―12:21 中河原橋=(往路を戻る)=14:00 新潟

 権現山は、早出川の左岸に立つ、川内山塊の入口にある里山である。ピラミッド型の山頂が村松や周囲の山からも良く目立つ山である。一般登山道があるものの、山の知名度は高くはないが、雪崩にあった主人を二度までも助けた「忠犬タマ公」の活躍舞台として登場する山である。なお、この「忠犬タマ公」の銅像は新潟駅構内、新潟白山公園、そして村松にもあるという。この縁で、新潟駅と渋谷駅は、姉妹駅という。
 新潟は、この一週間悪天候が続き、週末は晴天を求めて県外脱出を図ろうかと思ったが、それには冬用タイヤの交換が必要である。今年は、冬用タイヤを交換したほうが良さそうである。幸い、週末は天気がひさしぶりに回復して、山歩きを楽しめそうであるが、帰宅後にタイヤの交換をするため、近場の山ですます必要がある。
 権現山をひさしぶりに登ることにした。権現山は、1997年3月8日に中退となった後に、1997年3月20日に山頂を踏んだが、二度とも雪山であった。登山道のある山なら、それを歩いてみないことには、登ったことにならない。
 権現山のメインの登山道は、中川原の集落から始まるが、山頂直下に送電線の大鉄塔が立てられているため、上杉山と田川内方面から巡視路が整備されている。少々の車道歩きを覚悟して、中川原から登って、田川内に下山する周回コースをとることにした。
 晴の天気予報が出ていたのだが、曇り空が広がっていた。村松を過ぎると、権現山のピラミッド型の山頂が目に飛び込んでくるが、背後の川内山塊は雪で白くなっていた。中河原橋のたもとに、忠犬タマ公の案内板があり、その脇のスペースに車を停めた。
 忠犬タマ公の案内板には、以下のように書かれている。
「 忠犬タマ公(人命救助)発祥の地
 忠犬タマ公の由来
 昭和九年二月五日、主人刈田さんは、猟に出かけました。なだれにあい、深く埋まってしまいました。この知己タマの大活躍で刈田さんは助け出されました。
 二年後の昭和十一年一月十日、刈田さんは、近くの人達三人と猟に出かけ、なだれにあいましたが、タマの活躍でこの時も助かりました。
 タマ公の育ったところは、川むこうの中川原集落です。一回目のなだれにあった場所は、前方に見える八滝沢です。救助された近くにローソク岩が見えます。」
 
 美談には違いないが、少々ローカルすぎる話ではないだろうか。三つも銅像を作るほどのことだろうか。もっとも渋谷の忠犬ハチ公だって、日常の習慣から抜け出せずに帰らぬ主人を待っていただけの話である。ともかくも、最近流行の御当地検定のような新潟の雑知識では、忠犬タマ公は、必修知識であろう。
 紅葉も終わりかけの権現山を眺めながら橋を渡った。渡った先のT字路は右へ。竹林の前の民家の軒先に、権現山への登山標識が置かれている。この先、民家の前庭をかすめるように路が続き判りずらいが、曲がり角には標識が置かれている。逆にいうと、標識の無い道には進まないようするということになる。
 集宅の背後に抜けると、沢の右岸の急斜面の登りになる。ひと登りすると、段丘状になって杉林になる。しばらくは緩やかな登りが続く。標高145m付近で、飛び石伝いに沢を渡る。この後は、右岸伝いの登りになる。
 地図では、山道を示す破線は、登りはじめでは、沢との関係が逆になっている。また459mピークに上がることになっているが、実際は、南の鞍部で尾根上に出ることになる。459mピークの東面は切り落ちた岩壁で、昔であっても道があったとは思えない。
 沢に沿った登りを続けていくと、やがて二又に出て、右の沢沿いに進む。すぐ先で、水量の少ない沢を跨ぎ越すと、幅広尾根の登りになる。背後の木立の間からは、兎平の眺めが広がり始める。周囲には雑木林が広がるようになり、散り残りの紅葉が、くすんだ茶色の風景の中で、鮮やかな赤や黄の色を見せていた。
 傾斜が緩むと、459mピークの東に広がる谷間に出る。岩が転がっているのを見ると、その先で、もう少し大きな岩が現れる。その先は、湿地が広がっていた。雪の季節には、カールに取り囲まれた雪原の眺めが広がり、楽しめる場所である。459mピークの岩壁が、紅葉に彩られて美しかった。
 岩壁を眺めながら台地を通り抜けて、尾根上に向かっての登りを始めると、意外に簡単に尾根上に到着する。この先は、痩せ尾根の登りが続くことになるが、所々で傾斜が増す。
 ひと登りすると、右手から送電線の巡視路が合わさる。少し下ってみると、白山や粟ヶ岳、川内山塊の眺めが広がった。粟ヶ岳や川内山塊の奥の山は、すっかり白くなっていた。白山や粟ヶ岳は、新雪を求めて、多くの登山者が入っているであろうが、権現山は、他に登山者がいる様子はない。
 分岐からの眺めでは、山頂まではまだ遠い。この先の登山道の状態は、巡視路として管理されているようで、格段に良くなる。急な登りを終えて山頂到着かと思うと、期待ははずされる。菅名山塊や新潟平野、角田山、弥彦山の眺めが広がり、しばしば足が止まった。
 権現山の山頂は杉木立に囲まれて見晴らしはない。三角点を中心にした広場の脇に、木の屋根囲いがあり、中には石の祠が収められていた。先回は、この屋根部分だけが見えていたので、ようやく中を確かめることができた。陰気な山頂のため、写真を撮っただけで、先に進むことにした。
 田川内への巡視路も良く整備されていた。初めての道を下山することになるのだが、しっかりした道であるため、不安を覚えるようなことはなかった。急坂を下ると、紅白に塗られた大鉄塔の脇に出た。下山路からは少し外れていたが、鉄塔に寄っていくことにした。
 この鉄塔は、中越幹線No.89であり、村松方面から眺める時、山頂直下のこの鉄塔が良く目立っている。山の雰囲気を損なっている感はあるが、その代わりといってはなんだが、巡視路を利用させてもらおう。
 鉄塔の下は、川内山塊の展望台になっていた。木六山は目の前にあり、銀次郎山、銀太郎山、五剣谷岳、青里岳と連なる稜線を目で追うことができた。その右手には、灰ヶ岳、毛石山、粟ヶ岳と横に並んでいる。川内山塊の核心部は、雪に覆われていた。来年の春に、新しいピークを踏むことができるだろうか。枯れ草の上に立ち、雪に覆われた山を眺めて、今年の山の終わりを感じ、来年に思いを馳せた。
 このコースを下るなら、権現山の山頂よりは、この鉄塔下で昼の大休止にした方が良い。
 この先は、マンダロク山、日倉山、日本平山を眺めながらの下りになった。小さなピークが途中に現れたことにもよるが、意外に長く感じられる尾根であった。振り返ると、権現山の山頂を眺めることができた。
 麓近くになると、ナラが目立つ雑木林になり、美しい紅葉が広がっていた。
 最後は荒れた林道の終点に下り立ち、その少し先で舗装道路にでた。田川内は、左のため、左に曲がって僅かに登ると、鉄塔の下で車道は終わった。車道に出たら、右に曲がるのが正解であった。車道を下っていくと、すぐに林道哺土原線に出た。ここの入口は、鎖が掛けられ、車の進入ができなくなっていた。この林道哺土原線は、悪場峠を越して上杉川へ通じているが、途中で通行不能になっているようであった。木六山の登山口になる悪場峠へは、こちらからなら入れるようであった。
 後は、車道歩きで車に戻ることになった。早出川の流れと周囲の紅葉を眺めながら歩いた。1時間で戻ることができたので、我慢の範囲内であった。
 権現山は、登るのにそれほど時間のかからない山なので、展望を楽しむ上でも、今回の周回コースを取ることを勧める。

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