高陽山

高陽山


【日時】 2006年10月29日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 高陽山・こうようざん・1126.5m・二等三角点・新潟県、福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/大日岳/飯里
【コース】 中ノ沢登山口より往復
【ガイド】 会津百名山(歴史春秋社)

【時間記録】 6:30 新潟=(磐越自動車道、津川IC、R.49、徳沢、R.459、新町 経由)=8:00 堰堤下〜8:30 発―8:44 旧道分岐―9:05 伐採地下部―10:20 高陽山〜10:44 発―11:28 伐採地下部―11:45 旧道分岐―12:00 堰堤下=(新町、R.459、徳沢、徳沢 経由)=14:00 新潟

 飯豊連峰の三国岳から南東に延びる尾根上には、疣岩山、卷岩山、鏡山、七森山、立石山、高森山のピークが次第に標高を落としながら続き、その最後に高陽山がある。標高はそれほどないが、周囲に高い山がないため目立つ山である。山頂はブナ林で覆われており、西会津方面からは、白く輝く飯豊連峰の前に「黒森」とも呼ばれるようにどっしりとした黒い姿を広げている。福島・新潟県境線上の山であるが、山頂には山浦と中ノ沢の人々の安置した祠があり、福島県につながりの深い山である。

 昨日に引き続き、飯豊の端山である高陽山に出かけた。この山も、登ってはいたものの、地図を見ていても、登山道がどのように続いているか見当の付かない山である。
 今年の3月18日に高森山に登ったついでに高陽山まで足を運んでいるが、中ノ沢からの登山道を使って登ったのは、1998年6月20日のことで、少し時間が経っている。この時は、堰堤の工事中であり、その完成によって登山口付近の様子も大きく変化しているはずである。
 飯豊の登山口の弥平四郎方面への入口である奥川の郵便局の角から中ノ沢への道に進んだが、途中から高陽山という標識が現れて、それに従えば良いということになった。以前は、中ノ沢に辿り着くのが最初の難関であった。
 中ノ沢の集落内に入ると、林道の入口に標識があり、登山届けのポストも置かれていた。どこから歩き出すか迷ったが、そのまま車を乗り入れた。民家の脇をすり抜けるように細い道を進むと、ゲートがあったが、鎖は外されていた。そのまま畑の中を登っていき、林道が左に曲がる所で、高陽山の登山口の案内図が置かれていた。左に曲がり、沢を越した先が登山口とのことであった。
 坂を下りて、沢の脇に車一台を置けるスペースがあったので、ここから歩くことにした。この上が堰堤のようであった。この林道は狭く、駐車スペースもほとんど無いことから、集落内から歩いた方が無難な気もする。
 前回は、工事中の堰堤を乗り越えるという荒業で登山道に進んだが、現在の入り方が判らない。歩き初めてみると、沢の右岸沿いに、草が被り気味の道があったが、堰堤の下に出そうであった。登山口の標識も無く、少し先の尾根沿いに登山道があるのかと思って先に進んだ。
 畑の中を歩いていくと、右に舗装された道が分かれた。この道に進むと、すぐに二手に分かれた。右手の道は、用水堀に沿った水平の道であった。登山口の標識は無かったが、夏草を刈り払ってあり、方向的には正しそうであったため、この道に進んだ。少し歩くと、堰堤が下に見えて、かなり高度を上げていた。簡易水道施設を過ぎて、水平な道を辿ると、谷が次第に浅くなってきて、左岸沿いに山道が通じているのが見えた。結局は、この旧道に合わさった。
 この分岐の少し先で、また簡易水道の施設が現れた。登山道沿いには、その先も導水のためのホースが敷かれていた。谷も広がり、明るい様相を見せていた。沢の左岸に渡ると、水道施設なのかマンホールが埋め込まれて、その周囲にはブルーシートが地面に広げられていた。
 その先をひと登りすると、伐採地になった台地に出る。前回は、木の枝が散乱していたが、左の谷の縁に、夏草を刈り払った道が続いていた。美しく紅葉に彩られた高陽山の山頂も姿を見せていた。周辺の伐採地の潅木が、鮮やかな紅葉を見せていた。伐採地がこのように美しいのは驚きであった。
 伐採地を過ぎると、杉林の中に入る。しばらく谷沿いに進むと、尾根の登りが始まる。ここまでは緩やかな登りであったが、一転、急登の連続になる。急坂のせいもあったが、周りのブナ林が黄金色に輝くのを見て、思わず足が止まった。
 先回は、県境尾根に早めに取り付いてから、これを辿ったつもりでいたのだが、県境稜線の南をほぼ平行に走る尾根を登っていた。地図読みといっても難しい。
 夏道を歩く目的の一つに、雪山の偵察がある。夏道のある尾根は、急すぎて使えない。別なコースを考える必要があるが、これは今後の課題である。
 傾斜が少し緩んで山頂も近づくと、ブナの大木も現れるようになった。高陽山の山頂一帯は、台地上になっている。
 山頂広場には、大岩が転がり、その下に石の祠が置かれている。以前は、岩の上に置かれていたという。その奥に三角点が頭を出している。周囲は笹薮に囲まれて、ブナ林が見えるだけである。飯豊連峰もすぐそばであるが、その眺めはない。展望は無くとも、心落ち着く山頂であった。展望を楽しむなら、雪のある時期に登るべきである。それ以外の季節は、ブナ林に囲まれた山頂を楽しむ余裕がなくてはならない。
 しばしの休みを取り、誰も来ぬ山頂を後にして、紅葉を楽しみながら下山した。急坂は、足が止まらないままに一気に下った。その後は、のんびりした沢沿いの歩きになった。
 分岐に戻ったところで、旧道に進んだ。沢沿いに進む旧道も、ぬかるんだところもあったが、良く整備されていた。堰堤手前で右岸に移ると、草ぼうぼうであるが、林道跡にのって、堰堤脇に出た。振り返ると、高陽山が山頂を見せていた。その先は、カーブを交えながら下っていくと、停めた車の脇に出た。この二通りの道は、どちらを辿っても良いが、行きは上の用水堀、帰りは堰堤脇に出る旧道を使うのが良さそうである。
 紅葉の山に充分ひたることができ、時間は早かったが、家に戻ることにした。

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