御嶽山、権現堂山

御嶽山
権現堂山


【日時】 2006年10月8日(日)〜9日(月) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 8日:雨 9日:曇り

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
御嶽山・おんたけさん・306.0m・四等三角点・新潟県
【コース】 栃原峠入口より周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小出
【ガイド】 新潟のハイキング(新潟日報社)
【温泉】 こまみの湯 500円

【山域】 権現堂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 下権現堂山・しもごんげんどうさん・896.6m・三等三角点・新潟県
 上権現堂山・かみごんげんどうやま・997.9m・二等三角点・新潟県
【コース】 戸隠神社より周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/小千谷、須原/小平尾、須原
【ガイド】 新・新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)

【時間記録】
10月8日(日) 9:50 新潟=(関越自動車道、堀之内IC、月岡公園 経由)=10:50 栃原峠入口〜11:28 発―12:02 栃原峠―12:31 テレビ塔―12:52 大平分岐―13:08 御嶽山〜13:25 発―13:34 大平分岐―13:52 栃原峠入口=(小出、R.17、六日町、三国川ダム 経由)=19:00 十字峡  (車中泊)
10月9日(月) 6:00 十字峡=(R.291、小出、新保 経由)=7:00 戸隠神社〜7:32 発―8:49 弥三郎清水―9:14 下権現堂山―9:48 中越―9:53 新道分岐―10:25 上権現堂山―11:05 新道分岐―11:11 中越分岐―12:01 林道分岐―12:13 戸隠神社=(R.252、上条、R.290、栃尾、R.351、R.8、中之島見附IC、北陸自動車道 経由)=14:50 新潟

 御嶽山は、魚野川左岸の堀之内の背後に広がる魚沼丘陵にある山である。御嶽講の修験者によって開かれた山のようであるが、地元の山の会の手によって、登山道や山小屋が整備されている。栃原峠への縦走路や、堀之内城跡への周回コースなど変化に富んだハイキングを楽しむことができ、もっと取り上げられても良い山である。

 権現堂山塊は、小出の奧の守門岳・浅草岳山塊、毛猛山塊と越後三山の間に位置する山塊である。周囲にいわゆる名山が並んでいるため損をしているきらいはあるが、下・上権現堂山は、展望に優れたハイキングの山として地元には親しまれている。

 体育の日がらみの連休は、高い山では、雪になる可能性もあり、天候には充分注意する必要がある。土曜日は、雨の中なんとか登山を行ったが、天気予報によれば、日曜日も雨、月曜日になってようやく曇り後晴で、天気が回復するようである。
 月曜に期待して、越後三山ならびの本谷山を登る計画をたてた。ここの紅葉は素晴らしく、写真撮影が目的である。前夜に十字峡に入るため、日曜日のために中越方面の山を考える必要があった。おそらく、本降りの雨のはずなので、最低ラインの山として、堀之内の御嶽山を登ることにした。御嶽山には、9月16日に登ったばかりであるが、今回は、栃原峠から御嶽山の間を歩くことにした。
 所属する山の会で、来年の6月に会山行をまかされて、どの山にするか決める必要があった。テーマは、低山ハイクで、誰でも歩ける簡単な山を選ぶ必要がある。新潟の山なら、どこにも負けないほどの情報を持っており、その会員が知らない山を選ぶのは、たやすくはない。しかも6月では、藪山や雪山というわけにはいかず、登山道のある山が対象になる。このような条件にあった山として御嶽山を考えた。先回は、月岡公園側からの周回コースとして歩いたが、できたら栃原峠からの通しで歩きたい。その下見も兼ねている。
 日曜日は、午後にかけて天気も回復してくるかと思って、普通の時間に起きて、朝食をとった。時折激しく、雨は振り続けていた。新聞の天気図を確認すると、巨大化した低気圧は北東に遠ざかろうとしていたが、その影響はまだ残りそうであった。また、白馬岳と穂高岳で、遭難騒騒ぎが起きていることを知った。このような悪天候の中で、3000m級の北アルプスを登っている登山者がいることは驚きである。白馬岳のパーティーは、ガイドツアーのようなので、ガイドの天候判断が、今後の問題になりそうである。
 遭難の報道で、山への気持ちも消極的になってしまったが、ともかく出発した。
 月岡公園の入口をかすめて県道128号線を進むと、西又川を渡るカーブ地点に、旧三国街道栃原峠入口の標識が現れる。雨が本降りのため、車の中でしばらく様子見となった。
 雨が小降りになったところで出発した。田圃の中に未舗装の道が続いた。農家の車か、轍も残るのどかな道であった。前方に堰堤が見えるところで、道は終わった。よく見ると、草がかぶった車道跡が堰堤の右にカーブしながら続いていた。このカーブ地点に栃原峠という標識があり、細い道が堰堤を越すように続いていた。丸太の段々も整備されていたが、すっかり草に覆われていた。足元が不安定な所もあったが、堰堤を越すと、池の脇に道が続いていた。堰堤のために旧街道が寸断されてしまったようで、この後は、問題の無い道かと安心したのもつかの間、草をかき分けながらの歩きになった。沢に行き当たり、見ると2m程の崖になって落ち込んでいた。朽ちた丸太が、落ち込んでいた。この沢を越すことはできそうになかった。
 これまでかと思ったが、右手の少し上が平坦になっているのが見えた。草をかき分けて登ってみると、堰堤手前で分かれて迂回してきた林道跡に飛び出した。沢も問題なく通過することができた。谷もすぐに狭まり、丸太橋を渡っても、この林道跡に合わさったようである。
 歩くうちに、林道跡なのか、旧街道なのか判らなくなった。幅広の道なのだが、周囲の木立が延びて覆いかぶさっていた。道の上には、草が茂り、表面は湿ってぐずぐずであった。雨の中で歩くには避けたい道であったが、雨のために長靴を履いていることが幸いした。
 辿るべき道ははっきりしていたため、先に進んでいくと、右上に車道の法面が現れた。先回の偵察の時も、峠方向に車道が分かれているのを確認していたが、この先通行止めとあったため、どこまで通じているのかは確かめていなかった。
 結局、峠で旧街道と車道は合わさった。左手に山道が分かれ、これが御嶽山への登山道のようであった。旧街道は、同じように草に覆われて、八色方面に下っていた。峠まで車道が延びたために、旧街道を歩く者もいなくなって、消えようとしているようであった。車道は、峠部の狭い区間のみが舗装工事で通行不能であった。
 峠から僅か登ると、左手に赤い鳥居が並ぶ赤坂稲荷に出た。お堂の前には、石造りの狐が、狛犬代わりに置かれていた。お堂は古びてはおらず、旧街道のさびれ具合とは対照的であった。
 お堂の前から、御嶽山への登山道が始まる。階段登り僅かで、尾根の上に出る。この先は展望の開けたヒルウォークが続く。前方には、最初の目標のテレビ塔を眺めることができる。八色原と魚野川の眺めが眼下に広がっていた。天気が良ければ、権現堂山や越後三山の眺めが広がっているはずだが、厚い雨雲が垂れ込めていた。
 尾根沿いの木立は、この標高にしては背が低い潅木で、随所で展望が開けた。アンテナ塔は、二基が並んでおり、管理道が上がってきている。管理道を進むと、すぐに、左に登山道が分かれる。ここには標識も置かれているが、間違って管理道をそのまま進まないように注意が必要である。
 潅木帯の中の登山道が続く。適度にアップダウンもあり、単調さを和らげてくれる。再び林道に乗ると、その先で左に林道は下るように分かれる。地図にある、栃原峠入口から登ってきている破線道のようである。今回の山行では、来た道を戻るか、縦走を行ってから車道歩きで戻る覚悟をしていたので、これ幸いと、この道を下山に使うことにした。この分岐には、大平―栃原街道と書かれた標識が置かれている。このピークは地図を見ても平坦な山頂を持っているので、大平というのがこのピークの呼び名のようである。
 この分岐のすぐ先で、あずまやが現れた。展望も開け、休むには良いところであった。御嶽山の山頂も目の前に迫っていた。登山道は良く整備されているが、馬の背と名づけられた細尾根部もあり、低山と思えない変化に富んでいる。一旦下って登ったピークが御嶽山の山頂である。山頂に到着するのと同時に激しい雨が降り始めた。山頂の石碑や眺めを見る暇も無く、近くの避難小屋に逃げ込んだ。床は土のままの簡単な小屋であるが、雨を避けて休めるのはありがたい。屋根が、雨に打たれて大きな音を立てていた。
 ひと休みの後、大平から下山するために来た道を戻った。分岐からは、植林のための林道が続いていたが、途中からは、立派な林道に変わった。意外なほどの短い時間で山を下ることができた。栃原峠入口までの車道の除雪が行われているならば、この林道を使って、スノーシュー歩きで大平へ登れば、素晴らしい展望を楽しめそうである。
 月岡公園の先に車道を進むと、小出の駒見の湯の脇に出ることができる。濡れて冷えた体を温めに温泉に向かった。
 温泉入浴の後、六日町で食料の買い物と、ブックオフの古本屋で時間をつぶした。夕方になっても、本降りの雨が続いた。翌日の天気もあまり期待はできそうになかった。天気の回復が遅れれば、曇り後晴であっても、昼まで山頂に雲がかかっている可能性が高い。
 とりあえず、十字峡に入って翌日は本谷山をめざす計画を進めることにはしたが、なかば諦めになっていた。
 夜中に到着した十字峡には、車が一台停まっているだけであった。車の中で寝ていて夜中に目を覚ますと、まだ雨が降り続いていた。翌日の本谷山は諦めになった。だめもとで登る山としては、厳しすぎる。先回の2002年10月5日に登った時は、紅葉の盛りで快晴であった。それ以下の条件で登っても意味がない。天気の良い時に、再度登りにくることにした。
 ゆっくり起きて、権現堂山に変更して、小出に移動することにした。
 権現堂山のメインの登山道である戸隠神社からのコースは、1997年6月21日以来で、しばらくぶりである。戸隠神社周辺は、水辺を含めて、公園化がすっかり進んでいる。駐車場も整備されているが、登山者の車はなかった。
 まずは、石段を登って神社のお堂の前に出る。権現堂への登山口は、右手に進む。以前には無かった遊歩道も整備されており、うっかり迷いこまないように注意が必要である。登山道に進むと、右手に中越への道が分かれるが、こちらは下山に使うことにして、左の道に進む。ひと登りで、尾根の張り出し部にでると、神社を見下ろす眺めが広がる。ここには、業の秤と書かれた標識が置かれている。この先は、急な尾根の登りが続く。
 三合目の標識を過ぎると傾斜も少し緩やかになるが、山頂までは少し距離がある。山頂が近づいてくると、山腹をトラバースするようになる。沢音が近づいてきたと思うと、弥三郎清水に到着した。大岩の下から湧き出る清水であるが、雨上がりのせいか、勢い良く流れ出ていた。以前、夏に訪れた時は、静かに湧き出ており、落ち葉を掃除してから、水が清まるのを待ってから汲んだものだが、今回は、水があふれていた。山頂近くで、このような水場は珍しい。
 この先は、つづら折りの登りになった。登山道の脇に大岩が現れ、そのうちの一つでは、石舞台のように上が平らになっており、絶好の展望地になっていた。
 登りをもうひと頑張りすると、神湯、旧AXIONスキー場からの登山道を合わせると、すぐに下権現堂山の山頂に到着する。誰もいない山頂であった。山頂の周囲には潅木が取り巻いているが、周辺に転がる大岩の上に立つと、周囲の展望を楽しむことができる。魚沼平野や守門岳、毛猛山塊の眺めが広がっているが、山の頂は雲に覆われていた。断念した本谷山が気になるが、やはり、それなりの高さのある山では天気の回復は遅れているようであった。
 上権現堂山への縦走路に進むと、登山道にかぶる木の枝がややうるさくなった。最近は刈り払いを行っていないようであった。権現堂山は、比較的知られた山であるが、下権現堂山だけで引き返してしまう者が多いようである。
 展望の良い尾根道が続く。途中には858mの小ピークがあり、上下権現堂山の眺めを楽しむことができる。紅葉には少し早いが、ウルシが多く、真っ赤に色づいていた。
 858mの小ピークを下っていくと、中越の鞍部に到着する。ここから戸隠神社へ下る道が分かれているが、少し先からも下れるので、上権現堂山からの下山には、この分岐には戻らないことになる。250mほど歩くと、この分岐に出る。下りの道はしっかりしているが、標識はないので、注意が必要である。
 上権現堂山へは、鞍部から標高差150m程の登りになる。苦しい登りになる。到着した上権現堂山の山頂は、木立に囲まれて展望はない。広場の傍らに腰を下ろして、ひと休みした。当然といって良いか、独り占めの山頂であった。各地の山は、ようやく天気も回復したということで、大賑わいになっていることであろう。
 下りは、分岐から戸隠神社への道に進んだ。ブナ林をトラバース気味に下っていくと、中越から下ってきた道に合流する。トラバースしながらの下りが続く。沢沿いになると、夏草がうるさくなるが、沢から離れればしっかりした道になる。一気に高度を下げて、麓も近いように感じるが、なかなか着かない。
 ゴール間近で、林道と神社の二方向に道が分かれる。先回と同様に神社への道に進んだが、少し荒れた感じであった。林道へ下る方が近いようで、そちらの方が一般的になっているのかもしれない。
 駐車場に戻ると、他に五台ほどの車が停まっていた。晴天とまではいかないまでも、雨にも会わずに静かな山を楽しんだことに満足して、家に戻った。
 この日は、北朝鮮が核爆発の実験を行ったということで、ニュースは、その報道一色になっていたが、連休中の大量遭難の報道も入ってきた。どうやら、2006年の体育の日の連休は、台風崩れが爆弾低気圧に発達し、降雪によって、大勢の遭難者が出たということで、記憶にとどまりそうである。

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