番屋山

番屋山


【日時】 9月24日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 守門岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 番屋山・ばんやさん・933.2m・二等三角点・新潟県
【コース】 遅場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/森町
【ガイド】 関越道の山88(白山書房)

【時間記録】 8:10 新潟=(北陸自動車道、三条燕IC、R.289、下田村、八木向、経由)=9:30 遅場〜9:46 発―10:50 吉ヶ平〜10:55 発―11:08 馬場跡―11:30 雨生池―12:30 番屋山〜12:53 発―13:38 雨生池―13:59 馬場跡―14:11 吉ヶ平―15:16 遅場=(往路を戻る)=17:05 新潟

 番屋山は、越後と只見を結ぶ旧街道の八十里越を見下ろす山である。麓には、伝説の残る雨生池がブナ林の中に、静かな湖面を広げている。
 
 この秋に八十里越を再び歩く計画が入った。登山口の吉ヶ平への道路は、遅場でゲートによって閉鎖されていると聞いている。余分な歩きにどれほどの時間がかかるのか、確かめておきたかった。番屋山に登れば、吉ヶ原まで歩くことも無駄にならない。
 八木前から守門川沿いの道に進み、遅場の集落入口を過ぎ、水ノ木峠からの車道の合流点で、ゲートが設けられていた。手前の路肩は広くなっており、車を停めるのに都合が良かった。
 ゲートの脇に置かれた看板を見ると、道路と橋、砂防ダムの工事が行われているようであった。10月いっぱいは、橋の工事が行われるようなので、八十里越を歩く際には、ゲートがあると考えた方が良さそうである。
 吉ヶ平への車道歩きを開始した。およそ、4km強の距離がある。吉ヶ平が近づき、対岸に猿ヶ城の山頂を見るところで、対岸に渡る工事中の橋が現れた。旧道は、がけ崩れで完全になくなっていた。橋は工事中であったが、河原に通した仮設道路で通ることができた。しばらく猿ヶ城の山麓を辿った後に、再び左岸に戻ると、その先で吉ヶ平に到着した。
 その先で、吉ヶ平に到着した。吉ヶ平は、集団移転して、かつての分校の校舎だけが吉ヶ平山荘として残されている。管理人も入って校舎を宿舎として利用していた時期もあったが、現在では無人となって、廃屋になりかかっている。
 入口の扉が、鍵もかかっておらずに開いたので、中に入ってみた。広間は、椅子が並べられてそれなりにかたずいていたが、脇の小部屋は窓がこわれて、雨が吹き込む状態になっていた。二階には上がらなかったが、屋根もかなり傷んでいるようであった。ござが敷かれた一隅もあって、寝ることもできそうであったが、このような廃屋で寝るのは、テントよりも怖いような気もする。
 まずは、守門川を樽井橋で渡る。上流部では、大きな砂防ダムが工事中であった。この工事のために、吉ヶ平までの車道は、開放されないかもしれない。
 湿っぽい坂を登って原に出ると、八十里越と雨生池との分岐の馬場跡に出る。ススキの原に、二筋の道が開けれている。八十里越への道は、夏草が茂っており、今の季節に歩くのは難しそうであった。雨生池への道は、幅も広く、草も刈ってあった。
 左手に沢を見ながら登っていくと、雨生池のすぐ手前で、右手の杉林への道が現れる。杉木立の中を登っていくと、小さな祠があり、雨生池の奥の院になっている。道は、行き止まりになていおるので、引き返す。
 この神社入口の手前に、以前は布倉越分岐の標識があったと思うのだが、無くなっていた。帰りにそれらしい道を探したが、夏草に覆われて、それらしい道は見当たらなかった。
 この先、200m弱の歩きで、雨生池の北の畔に到着する。ブナ林の中に広がる静かな池である。番屋山の一部が湖面に影を落としている。静かな池として、それなりの人気があり、吉ヶ平まで車で入れた時には、ここまではハイカーも入っていた。現在は、人気は全く無く、静寂が広がっていた。
 湖畔の北岸を辿り、緩やかに高度を上げていくと、番屋山の山頂から延びてくる尾根の末端にでる。この尾根の一段下をへつる道に変わって、枝沢を二つほど越すと、番屋山への標識が現れる。杉林の中を登っていくと、行き止まりになる。ここは、右手に曲がる必要があるが、道は夏草に覆われている。先回の1995年9月10日の時も、迷った所である。前回の記憶のおかげで、迷わずに草むらに突入した。
 帰りのために、ストックで草を倒して目印にしておいた。沢状の窪地に入ると、その先の杉木立の並ぶ尾根に道が続いている。尾根に出ると、道もはっきりして、迷う心配は無くなった。急坂が続くので、大汗を流しての登りになった。途中、急斜面をトラバースするところには、トラロープが固定してあった。
 傾斜が緩んでから、もう少し奥に進むと、ようやく番屋山の山頂に到着した。小広場になって、守門岳が、火口壁を落としこむ、荒々しい姿を見せていた。山頂広場からは、守門岳方面の眺めが広がっているだけであったが、潅木の中の踏み跡を辿ると、川内山塊の眺めが広がる切り開きに出た。粟ヶ岳が大谷ダムの向こうに聳え、光明山の岩尾根が横たわる向こうに青里岳と矢筈岳が並んでいた。また、別な踏み跡を辿ると、雨生池を見下ろすことができた。先回は、このような切り開きはなかったと思う。
 下りは、滑りやすい急斜面に、足元に注意が必要であった。一気に山を下りて、雨生池でひと休みし、伝説に思いを馳せた。

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