鋸山

鋸山


【日時】 9月17日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
鋸山・のこぎりやま・764.9m・一等三角点補点・新潟県
【コース】 登り:長稜尾根コース 下り:花立峠コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金
【ガイド】 新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)

【時間記録】 8:30 新潟=(北陸自動車道、中ノ島見附IC、R.17、R.352、栖吉 経由)=10:00 花立峠登山口〜10:12 発―10:33 長稜尾根コース分岐―10:51 沢から離れ―11:15 三省清水―12:05 鋸山〜12:26 発―12:46 花立峠―13:18 長稜尾根コース分岐―13:33 花立峠登山口=(栖吉、R.352、R.17、三条燕IC、北陸自動車道 経由)=16:00 新潟

 鋸山は、長岡市の東に連なる東山連峰の最高峰であり、古くからの信仰の山である。鋸山の名前は、小さな峰を連ねて、鋸に似ていることから付けられている。一等三角点が置かれ山頂からは、守門岳をはじめとする展望を楽しむことができ、地元の登山者にも親しまれている。

 三連休二日目の天気予報は、曇り時々雨というものであった。歩行時間も短い山を考えていき、鋸山が思い浮かんだ。2004年10月23日の新潟中越地震によって、長岡と山古志の間に位置するこの山にも被害が及んだ。最近になって、登山口までの道路も復旧し、一般の登山者も訪れるようになってきたようである。復興も進んでいるようで、この付近の山にも、そろそろ足を踏み入れていく必要がある。
 長岡スキー場入口の栖吉の集落を過ぎると、栖吉川沿いの道になる。国道352号線と名前が付けられているが、この先は行き止まりである。一部狭くなるところもあるが、二車線幅の車道が続いた。少し前までは、平日は工事のために一般車は通行為止めになっていたというが、問題のない道が続いて、車道の終点に到着した。この車道終点が花立峠登山口となる。駐車場はないため、路肩駐車となり、5台ほどの車が停められていた。
 登山口の標柱の脇には、「注意 この先土砂崩れなどにより、大変危険な箇所があります。十分な注意が必要です。 長岡市教育委員会」という看板が立てれいた。通行不能と書かれていないので、歩けることは判った。
 天狗清水の前から、山裾を巻いていく道が始まる。尾根を回り込んだところで、土砂崩れの跡が現れたが、問題のない登山道が整備されていた。
 木の橋がかかっており、沢の左岸に渡る。橋の下付近は、黒い岩のナメになっており、変わった雰囲気である。烏滝という標識が上流部を示しているが、土砂崩れが起きたためか、滝のようなものは見当たらなかった。
 小さな沢に沿って登っていくと、杉林に出て、長稜尾根コースという標識が現れた。「長稜尾根コース このコース変化多く、新しい為によく踏まれていないので、足下に注意。最後のロープ場を登りきると、ひょっこり鋸山頂に出ます。」という看板もかけられていた。メインの花立峠へは、しっかりした道が続いていたが、それに比べると、長稜尾根コースはあまり歩かれていないようであった。
 この長稜尾根コースの開設は知らなかったが、道があるなら歩いてみなければならない。杉林の中を緩やかに下っていくと、沢に下り立った。沢を徒渉して右岸沿いの登りを続けると、やがて沢の中を登るようになった。前夜の雨で草が濡れていたため、スパイク長靴を履いてきていたため、水量は少ない水の中を、気にせずに歩くことができた。テープやペンキマークがしっかり付けられていたため、コースははっきりしていたが、崩壊地の通過や、流木の乗り越しなどで、足元に注意する必要があった。
 沢から離れると、鋸山と北西の538mピークに囲まれた谷間の登りになった。夏草や萱が繁茂した中に、仮払い道が続いていた。2mほどの段差を乗り越えるところがしばしば現れて、どうも廃田跡の様な感じである。この登山道は、私の持っている古いガイドブックの「新潟のハイキング(1984年初版)」に通行不能と書かれている道を復活したもののようである。
 雨でも歩ける山としてやってきたものの、本気の登山になってしまった。コースの目印を見落とさないように神経を使う必要があった。前方に聳え立つ鋸山の山頂が迫ってきたところで、三省清水の標識が現れた。標識の少し先で、パイプが斜面に差し込まれ、プラスチックケースが水受けに置かれた水場が設けられていた。大汗をかいており、水を汲んで飲んだ。冷たい水で、ひと息つくことができた。
 トラバース気味に登っていくと、長稜尾根の標識が木に付けられており、細尾根の上に出た。風谷山から538mピークを経て鋸山の山頂へと続く尾根である。昔は、この尾根を乗り越してトラバースを続け、大入峠へと通じていたようであるが、その方面の道は消えていた。
 ここからは、急な尾根をロープや木の枝を掴みながらよじ登ることが続いた。標高差180m程の棒登りが続いた。急な泥斜面も現れ、ステップも切られていないため、ロープを頼りに這い上がる必要があった。登りは楽ではないが、この道は下るのは、滑落の危険性もありさらに難しい。
 枝尾根の上に出てひと息ついたが、登りをもうひと頑張りする必要があった。切った枝が登山道上に散乱しており、歩きにくかった。コース整備が行われたのは、最近のようであった。
 GPSで確認しており、山頂まで僅かな距離になっていることは判っていた。ロープを頼りに急斜面を登り終えると、鋸山の山頂広場に飛び出した。
 山頂には、若い男女が休んでいるだけであった。雨の予報のためか、鋸山としては遅い到着時間のせいであろうか。山頂広場は、山頂標識、一等三角点、石の祠、展望盤が並べられて、いささか狭くなっている。控えめな長稜尾根コースの標識も置かれているが、上から見ても、登山道は隠れている。山頂標識に付けられていた鐘が無くなっていたのは、登山道の整備などで、そこまで手が回らなかったということだろうか。
 曇り空ながら、展望が広がっていた。東には、守門岳、浅草岳、毛猛山塊。東には、米山や刈羽黒姫山、その遠くに妙高連山。雲の上に弥彦山と角田山が山頂を浮かべていた。鋸山は、一等三角点ピークに相応しい展望の山である。
 ひと休みの後に、花立峠への道に進んだ。鋸山は、たとえば、長岡駅の新幹線ホームから見ると、たしかにギザギザの峰を連ねている。しかし歩いてみると、緩やかな尾根歩きが続く。長岡に面した西斜面は急激に落ち込んでいるが、半蔵金に面した東斜面は、緩やかでブナ斜面が広がっている。以前の冬に、半蔵金からスノーシュー歩きで登ったことがあるが、素晴らしいコースであった。半蔵金の復興が済んだならまた歩いてみたいものである。
 緩やかに下っていくと、半蔵金への道が左に分かれた。草も刈ってあり、登山道は維持されているようであった。そのすぐ先で花立峠に到着する。ここには石仏と長工新道の記念碑が置かれている。
 峠からは、しっかりした道が続いている。昔からの峠道のためか、カーブを連ねながらゆるやかに続いている。足早に下っていくと、谷間に下り立ち、周囲には萱原が広がるようになる。杉林の中に入ると、じきに、長稜尾根コースとの分岐に出た。後は、判っている道ということで、気楽に歩いて登山口に戻ることができた。
 この日の目的は、鋸山の登山道復旧の確認であったが、新しい登山道が整備されているのに出会って驚かされた。この日、山古志では、闘牛場が復興されて闘牛が再開されたというニュースがテレビで流されていた。新潟中越地震の被害からの復興も進んでいるようである。

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