火打山、放山

火打山
放山


【日時】 9月9日(土)〜10日(日) 前夜発各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9月9日:曇り 10日:晴後雨

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
火打山・ひうちやま・2461.8m・三等三角点・新潟県
【コース】 笹ヶ峰より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山、湯川内
【ガイド】 アルペンガイド「妙高・浅間・志賀」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)
【温泉】 杉野沢温泉苗名の湯 450円

【山域】 妙高山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 放山・はなれやま・1189.5m・二等三角点・新潟県
【コース】 シャルマン火打スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/湯川内
【ガイド】 なし
【温泉】 権現荘 770円

【時間記録】
9月8日 21:00 新潟=(北陸自動車道、上信越自動車道、妙高高原IC、杉の沢 経由)
9月9日 =1:00 笹ヶ峰  (車中泊)
6:00 笹ヶ峰―6:30 黒沢橋―7:05 十二曲り上〜7:10 発―7:47 富士見平―8:28 高谷池〜8:35 発―10:07 火打山〜10:55 発―12:18 高谷池―12:41 茶臼山―13:03 黒沢池ヒュッテ―13:50 富士見平―14:20 十二曲り上―14:45 黒沢橋―15:19 笹ヶ峰=(杉の沢、R.18、中郷PA、上信越自動車道、北陸自動車道、能生IC、柵口 経由)=19:20 シャルマン火打スキー場  (車中泊)
9月10日 6:45 ゲレンデ下―8:11 ゲレンデ上―8:20 大池分岐―8:36 小池―8:55 ブナ遊歩道分岐―9:10 放山〜9:30 発―9:40 ブナ遊歩道分岐―10:08 大池分岐―10:14 ゲレンデ上〜10:21 発―11:18 ゲレンデ下=(柵口、能生IC、北陸自動車道 経由)=15:00 新潟

 火打山は、妙高連峰の最高峰であり、まろやかな円錐状の頂上を持つ女性的な山である。かつては死火山と考えられていたが、複式火山の妙高山と、活火山で現在登山禁止中の焼山の中間にあって、この山だけは火山ではないことが明らかになっている。火打山は、高山植物も豊富であり、高谷池ヒュッテや黒沢池ヒュッテといった小屋も整備され、笹ヶ峰から比較的容易に登ることができることから、人気の高い山になっている。

 放山は、火打山から北に延びる稜線の末端部に位置する山である。山腹にシャルマン火打スキー場ができ、リフトの終点部からは、1時間程の歩きで到達できることから、オフビステのスキーヤーやボーダーに人気の山になっている。山頂からは、火打山から焼山、海谷山塊、鉾ヶ岳の遮るもののない展望が広がっている。放山への登山道も開かれているが、歩く者は少ないようである。

 
 9月初めは、夏山も終わり、さりとて紅葉の山には早く、目的が定まらない。8日の金曜日に、予約しておいた新発売のデジカメ一眼レフCANON kiss digital Xが手に入るので、カメラ向きの山に出かけたかった。火打山ならば、紅葉が始まっている可能性がある。日曜日の山がいまいち決まらなかったが、とりあえずの計画を立てて出かけた。
 カメラを受け取り、家に戻って、まず電池に充電を行った。山の準備を済ませたが、充電が終わるのを待つ必要があった。予備電池は、車の中で充電しながらいくことにした。カメラの使用説明書を読む時間は無かったが、初代のkiss digitalを使っているので、使用法はさほど変わっているはずはないはずである。
 新潟から妙高高原まではおよそ2時間。ETCの深夜割引を利かせるための0時を過ぎたところで高速を下りることになった。笹ヶ峰の駐車場は、夜を過ごす登山者が多いので、いつもの静かな場所で夜を過ごした。
 朝になって駐車場に移動した。夜の間は満天の星空であったのだが、雲が垂れ込めていた。
慣れ親しんだ山であるので、ゆっくりと出発することにした。歩き出そうとする時、大型観光バス5台が到着した。中には中学生が乗っており、学校登山の一行のようであった。この団体に巻き込まれては大変と、のんびりムードは消し飛んで、先を急ぐことにした。
 笹ヶ峰の登山口のゲートを過ぎると、木道が続く。見た目よりも傾斜があり、歩いているうちに汗が吹き出てきた。秋にもかかわらず気温が高くなっていた。黒沢にかかる橋も、登山者のグループが休んでいるのをみて、そのまま通過した。緩やかなトラバース道を登っていくと、十二曲りの下にでる。このカーブは、左右の折り返しを数えていくと、丁度十二番目で尾根の上に出る。この十二曲りよりも、この先しばらくの尾根登りの方が、岩まじりのところもあって、きつく感じられる。傾斜が緩むと、針葉樹林帯の登りになる。
 黒沢ヒュッテへの道を分ける富士見平に到着すると、黒沢岳が目の前に姿を現す。この先の黒沢岳のトラバースからは、火打山の山頂を眺めることができるのだが、雲がかかって展望は閉ざされていた。今日も、山頂からの展望は諦める必要がありそうであった。
 トラバース道を終えると、高谷池に到着する。高谷池ヒュッテの前のベンチも、ひと組が休んでいるだけであった。水場の脇に出ると、高谷池の眺めが広がった。ガスが垂れ込める下に、黄色く色づいた湿原が広がっていた。いよいよ紅葉のシーズンの始まりである。
 天狗の庭での眺めを楽しみに先に進んだ。高谷池の北を回りこんで登りにかかると、背後に高谷池の眺めが広がる。高谷池ヒュッテの三角屋根が良いアクセントになっていた。
 ひと登りした2147m点の脇は、木道が敷かれており、お花畑が広がっている。イワイチョウが黄色く色づいている脇で、ハクサンコザクラが紫の花を広げていた。コイワカガミやイワイチョウの花も残っており、夏と秋が同居していた。
 台地を越えてわずかに下ると、天狗の庭である。池塘が湿原の中に点在している。残念ながら、その向こうに広がる火打山の山頂はガスに隠されていた。写真を撮りながらなので、のんびりした歩きになった。2000mを越えた標高に広がる天狗の庭は、新潟の山の中では、もっとも早く紅葉を楽しめるポイントである。
 湿原を越えてひと登りすると、尾根の上に出る。この先は、山頂までの登りが続く。ミョウコウトリカブトやオオヤマリンドウが登山道の周囲に咲いているのを見ることができた。
 山頂手前のザレ場は、荒れており、木で土砂の流出が防止されているが、登山道も少し付け代えられていた。ふと見ると、二羽の雷鳥が登山道脇を歩いていた。今年は、北アルプス方面で良く雷鳥を見てきたが、妙高山系では初めてであった。人には慣れているようであったが、空を警戒しているようであった。
 雷鳥が姿を見せたことで、晴も期待薄になった。到着した火打山の山頂にも、数名がいるだけで、静かであった。ビール片手に腰を下ろし、晴れ間を待った。日本海側は時折雲が切れて日本海の海岸線が見えるものの、焼岳方面の眺めは閉ざされたままであった。
 50分程待って山頂も込み合ってきたことから下山に移ることにした。下っていく途中、中学生の一行が登ってくるのと出合った。下山後にバスの表示を見ると、千葉県松戸の中学校の学生であった。団体にしては早いペースと思ったが、下山後にバラバラになった学生群に出会うことになった。どうやら、早いものだけが山頂をめざして先に進み、12時をめどに引き返すという予定のようであった。このおかげで、登山道全体に学生がばら撒かれて、渋滞を引き起こしていた。なぜ、千葉の子供が、故郷の山でもない火打山に登るのか。運動靴に、学生服のスカート姿もおり、ビニール雨具を持っていれば良い方か。2500m標高の山を登るにはおそまつな装備である。なによりも、全員が登れるはずもない山を選ぶことがどうかと思う。もっと低い山を選んで、小グループに分けて、助け合いながら、全員で山頂に立つという方が山登りの教育に相応しいはずである。
 天狗の庭で、しばらくガスが上がるのを待ったが、結局火打山の山頂は姿を見せなかった。
 高谷池ヒュッテの手前から黒沢ヒュッテへの道に進むと、登山者にも出会わなくなった。茶臼山を越えると、黒沢池周辺に広がる湿原が眼下に見下ろすことができるようになった。北の端には、黒沢ヒュッテが、丸いドーム型の姿を見せていた。火打山の二つの山小屋は、それぞれ異なった姿を見せて、風景に良いアクセントを付けている。黒沢岳と三田原山に挟まれた谷間には、湿原が広がり、その中に木道が通じている。途中、ひとグループの登山者にすれ違っただけの静かな歩きが続いた。
 湿原の端からは、黒沢岳の山腹をトラバースしながら緩やかに登っていくと、富士見平の分岐に到着する。学生の集団や、他の登山者も多く、機会を見つけては追い抜きながらの下りが続いた。早いペースで歩いたつもりであったが、下山は、3時過ぎになっていた。
 下山の途中、翌日にどこの山を登るか考えていた。山頂で能生方面の視界が開けて、ガスの間から見えていたはずの放山を目指すことにした。
 放山は、2004年3月13日にスノーシュー歩きで登っており、焼山と火打山の迫力のある展望を楽しんだ。夏道ができたことから、2005年8月28日に改めて登るつもりで、登山口に前夜泊したものの、雨のために他の山に変更してしまった。うっかりそのままになっていた宿題を果たすことにした。
 シャルマン火打スキー場へは、能生ICを下りたら、日本海と反対側に向かえば良い。途中、権現岳登山口の柵口を通り、一本道の終点がスキー場である。スキー場には、広大な駐車場が設けられているが、夏の間は鎖がかかって入れないため、入口付近の路肩駐車になる。
 その夜は、星空が広がり、翌日の晴天が期待された。朝おきると、青空のもと、権現岳が迫力のある岩壁をめぐらせた姿を見せていた。出発の準備をする間にも、汗がしたたり落ちてきた。秋としては、異常な暑さであった。
 先回の偵察で、ゲレンデ下には、放山の登山標識のようなものは無いことは判っていた。ゲレンデの様子を見て、ゲレンデ上までの登り方を考える必要があった。ゲレンデのリフト配置は、中央にゲレンデ上部に続くメインのリフト、左手に二本連なったリフトが並んでいる。ゲレンデ左手の二本のリフト沿いに管理道が通じており、冬には初心者用コースになっている。ゲレンデをまっすぐに登れば良いように見えるが、実際には傾斜がきつすぎるし、草が茂っている。
 まずは、管理道を歩いてゲレンデ上部を目指した。最初のリフト一本分は、比較的楽に登れたのだが、その後が、長く感じられた。傾斜は、車も通ることからそれほどきつくはないのだが、ジグザグの幅が大きく、歩く距離が長くなってしまった。
 日差しがきつく、汗がとまらなくなって、熱中症の危険も感じられるようになってきた。幸い、崖から水が滲みだして流れになっていたので、タオルを水に浸して、頭にかぶって暑さ対策とした。2000年7月1日の隣の鉾ヶ岳に登った時も、厳しい暑さにまいってしまい、権現山の山頂に到着したところで、登山道上で横になって、体力をようやく回復したことがある。この付近の山は、日本海にも近く、登山口は低いことから、夏の暑さには注意する必要がある。
 数多くのジグザグが続いた。スキーの初心者用コースとも違っていることが判った。この管理道の走り具合は、GPSの奇跡で確認しないかぎり、地図上に示すことは不可能である。地図とコンパスがあれば充分という反GPS派がいるが、この管理道を地図上に示すことができないであろう。GPSを使って歩いていない山の記録というのは、地図上のコースを曖昧なままにしているともいえる。
 ようやくのことでゲレンデ上に到着した。リフト終点脇には、レストハウスがある。夏道がどこから始まっているのか判らなかったが、レストハウスの右後ろに回りこむと、放山への登山標識が立てられていた。これでひと安心となった。
 少し古びた木の段々で僅かに下り、尾根の一段下をトラバースすると、すぐに尾根上の歩きになった。大池へ下りる登山道も二ヶ所に付けられており、その入口には標識が立てられていた。
 木立の間から、火打山と焼山の展望が広がっていた。山頂からの展望が楽しみになったが、雲が出始めていた。午後から雨の天気予報であったが、天気の崩れは早いようであった。
 尾根沿いに登山道は続いた。登山道の刈り払いは少し荒く、登山者は多くないようであった。地図にも小さな池マークが記載されている小池を過ぎると、登りの傾斜が増した。山頂も近づいたところで、右手からもう一本の登山道が合わさり、ブナ林遊歩道を経て大池と書かれていた。二本の登山道が設けられていることは知らなかった。積雪期には、こちらのコース沿いに登ることになる。
 この分岐からは、傾斜も緩やかになり、もうひと頑張りで放山の山頂に到着した。あいにくと、ガスが出て、展望は閉ざされていた。山頂周囲は、潅木に囲まれているが、展望は開けているようなので残念である。
 今回の放山登山で確かめたかったことは、この先の登山道の状態であった。将来的には、火打山まで登山道を伸ばすという計画があるという。あるいは、山頂に空沢山へという標識があるかと期待していたのだが、これはかなえられなかった。踏み後が先に続いていたので、辿ってみたが、ヒドの中で終わっていた。あるいは入口が隠されていたのかもしれないが、ガスもかかって、天気の崩れも近そうなため、藪に入るのは諦めた。
 下りは、ブナ遊歩道に進んだ。先回のスノーシューで歩いたのとほぼ同じコースであるが、積雪期の方が、同じブナ林といっても気持ちが良い。途中、コースが右に急に方向を帰るところがあり、標識も立っているが、ここは注意が必要である。
 大池は、西の縁を回りこむことになった。大池は、木立に囲まれており、景勝地というほどではなかった。尾根に向かってひと登りすると、行きの尾根コースに戻ることができた。大池経由のコースは、アップダウンがあるので、帰りに使うと良いであろう。
 管理道の下りの途中、雨が降り出し、足を速めることになった。下山後、雨と汗とで濡れきった服を着替え、権現荘の温泉へと車を急がした。
 放山には、積雪期と夏の二度登ったわけであるが、登るならやはり積雪期を進める。リフトを使えば、1時間強の歩きで登れる山であるが、比類無き展望を楽しむことができる。山スキーコースとしては知られているが、登山者にはそれほど知られていないのは残念である。

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