岩手山、月山

岩手山
月山


【日時】 2006年7月8日(土)〜9日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 8日:曇り 9日:曇り

【山域】 岩手山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 岩手山・いわてさん・2038.2m・一等三角点本点・岩手県
【コース】 焼走りコース
【地形図 20万/5万/2.5万】 盛岡、秋田/盛岡、沼宮内、雫石、八幡平/大更、姥屋敷、松川温泉、篠崎
【ガイド】 山と高原地図「岩手山・八幡平」(昭文社)
【温泉】 焼走りの湯 500円(8の付く日350円)

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 月山・がっさん・1984m・なし(1979.5m・一等三角点補点)・山形県
【コース】 月山八合目コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/月山/月山
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「朝日、出羽三山」(昭文社)

【時間記録】
7月7日 20:00 新潟=(.7、R.113、赤湯、R.13、山形、山形蔵王IC、山形自動車道、東北自動車道 経由)
7月8日 =0:30 長者原SA  (車中泊)
5:00 長者原SA=(東北自動車道、西根IC 経由)=6:30 焼走り登山口〜6:45 〜7:06 発―9:24 ツルハシ分かれ―10:23 平笠不動避難小屋〜10:32 発―11:10 お鉢分岐―11:17 岩手山〜11:40 発―12:16 お鉢分岐―12:38 平笠不動避難小屋〜12:55 発―13:36 ツルハシ分かれ―15:20 焼走り登山口=(西根、R.4、盛岡、R.46、雫石、湯田、R.107、横手、R.13、新庄、R.47、清川、羽黒山 経由)=22:10 月山八合目  (車中泊)
7月9日 6:13 月山八合目―7:44 仏生池小屋―8:47 月山〜9:18 発―11:44 八合目=(羽黒山、鶴岡、R.7 経由)=16:10 新潟

 岩手山は、石川啄木によって「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と歌われているように、盛岡の心の山であり、昔からの信仰の山である。岩手山は、南部富士という名で知られるように独立峰であるが、南部の片富士とも呼ばれるように、山頂部は爆発によって複雑な地形になっている。

 月山は、羽黒山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれ、古くからの信仰の山である。なだらかな山頂を持ち、日本海近くの豪雪地にあることから、夏遅くまで残雪を抱き、高山植物が豊富なことから人気の高い山になっている。

 岩手山のコマクサの群落はすごいと聞いていた。盛りは、例年なら7月初めのようであり、この週末では少し遅めではあるが、大雪の影響で花の時期も遅れ気味を期待して出かけることにした。
 花の山を期待してのことだが、これには、マクロレンズを買ったので、その試し撮りも目的の一つである。二日目は、秋田駒ヶ岳も気になったが、下山後に帰宅するには、高速を利用する必要がある。出費を抑えるために、月山に登ることにした。岩手山から下山後月山に移動しておけば、鶴岡から新潟なら一般道を使っても楽に帰宅できる距離である。
 早池峰山に向かった二週間前に引き続いての、岩手県への遠出になった。東北自動車道上で寝て、翌朝目を覚ますと、小雨が降っていた。東北自動車道を北上するに、青空が広がるようになった。盛岡が近づくと、岩手山が大きく裾野を引いた姿を現した。車を動かしているうちに中腹に雲がかかるようになったが、梅雨のさなかの登山であるので、山頂からの展望までは期待できない。
 岩手山には、いくつものコースが開かれており、先回は、馬返から登ったが、今回は、コマクサが目的のため、焼走りに向かった。この登山口は、東北自動車道の西根ICから近いのも都合が良い。
 焼走り登山口一帯は、キャンプ場や天体観測所といったアウトドア施設が広がっている。広い駐車場も設けられているが、登山者の車は片隅に並んでいるだけで、まだ余裕があった。
 火山活動についての注意が書かれている登山口からは、幅広でなだらかな道が続いた。樹林に覆われた道であったが、火山ならではの、靴底に火山灰を踏みしめている感じがした。ベルト状の木立を挟んでいて直接には見えなかったが、左手には溶岩流跡の焼走りが沿っているようであった。途中で左手の木立を抜けてみると、ごつごつと岩が敷き詰められた焼走りの眺めが広がっていた。
 歩いているうちに傾斜も次第に増していったようで、汗が吹き出るようになった。7時過ぎの出発であるから、夏山としては、むしろ遅出である。花を見にきたにしては、見当たらないなあと思ったら、ベニバナイチヤクソウを見つけて、気分も良くなった。
 尾根上に出るとザレ場となり、登山道の両脇の斜面にコマクサの群落が広がるようなった。カメラをかまえながらの歩きになった。ここのコマクサの盛りは7月初めと聞いている。大きな株では、一部しおれた花を付けているものもあるが、まだまだ新鮮な花が多く見られた。北アルプスの燕岳や蓮華岳でコマクサを見てきたが、群落の広がりとしては、この焼走りの方が上のようである。斜面の上下の見えないところまでコマクサの群落が広がっていた。ただし、この焼走りでは、他の草も一緒に生えており、コミヤマハンショウヅルの花も目だっていた。その分、栄養も豊富なのか、大きな株が多かった。今後、この焼走りのお花畑がどのように変化していくのか、気になるところである。最終的には、草原化して、コマクサは消えていくのだろうか。
 コマクサの群落から別れて右手にトラバースするようになると、上坊神社からの登山道が合わさるツルハシ分かれに出た。この先は急な登りになった。最近まで残雪があったのか、窪地に、サンカヨウやシラネアオイの群落が広がっていた。
 ようやく平笠不動避難小屋に到着して一休みになった。立派な避難小屋が設けられていた。周辺には、草原性のお花畑が広がっていた。ドーム状の山頂も目の前に迫っていた。もうひと汗かく必要がありそうであった。ここまでは大汗をかき、Tシャツだけになっていたのだが、風が冷たく、山シャツを着ることになった。
 潅木帯を抜けると、ザレ地の登りになった。足元が滑って定まらず、つらい登りになった。お鉢に出て、ここは左に進む。ガスがかかって山頂は見えなかった。先回は、風雨の中の登りであったので、それに比べれば、問題は無い条件である。
 岩手山の山頂には、百名山と書かれた山頂標識が置かれており、ツアーの団体が交代で記念写真をとっていた。風も収まっていたので、山頂脇にビール片手に腰をおろした。そのうち団体も下山していき、他の登山者もいるとはいえ、静かな山頂になった。
 山頂からの展望は閉ざされていたが、お鉢巡りをしていくことにした。幅広の稜線を下っていくと、山頂はガスの中に消えていった。登山道の脇には、イワテハタザオやコマクサの花が咲いていた。イワブクロウの蕾を沢山見かけたが、開くのはもう少し先のようであった。それでも、ようやく咲いている花を見つけることができた。この花は、ガスの中で開いて、表面の毛に雫をためているのが似合う気がする。岩手山神社奥社付近は、火口原に下り立っているようだが、周囲の状況は良く見分けることはできなかった。いつか、晴れた日に登ってみる必要がある。
 お鉢りに登りついた分岐に戻り、花の写真を撮りながらの下山を開始した、焼走りのコマクサの写真撮影で足が止まったが、その先は、下りに専念することになった。
 岩手山は、目的のコマクサをはじめ、思っていた以上に花の多い山であった。隣に花の名山として名高い秋田駒ヶ岳があるため、さすがの百名山も、花の知名度では負けているのかもしれない。花を楽しむには、梅雨の合間の晴れ間を狙うしかないということで、団体ツアーも組みにくいのが、かえって良いともいえる。
 下山後、すぐ脇の焼走りの湯に向かうと、8の付く日は、500円のところが350円ということで、得をした。もっとも、温泉が安いからといって、わざわざ8の付く日に岩手山山行を組むわけにもいかない。
 この後は、高速代の節約のために、一般道を通っての、月山への長距離ドライブになった。月山八合目に到着したのは、夜も遅い10時過ぎになっていた。広い駐車場には、かなりの車が停められていた。
 翌朝は、前日の岩手山の疲れもあり、また花の写真をとるために、日が充分昇ってから歩き出そうと思っていた。5時過ぎに目を覚ますと、駐車場には、ほぼいっぱいの車が並んでいた。信者を乗せた観光バスも到着していた。もっとも、ヘルメット姿の山菜取りが目立っていた。結局、考えていたよりは早めの出発になった。
 月山には、これまで3回登っているが、最近の2002年と2004年の山行は、いずれも姥沢登山口からのものである。八合目登山口から登ったのは、登山開始年の1991年であった。この登山口を敬遠する訳は、羽黒山口からの車道が舗装されているとはいっても、一車線幅の所が多く、そこに大型の観光バスが入り込むため、すれ違いが難しくなる場合があることによる。時間が経ったため、このコースの記憶もすっかり薄れていた。
 登山口から湯歩道を登ると、池塘も点在する湿原の中に続く木道の歩きになった。花もいきなり全開で、ヨツバシオガマが群落状態で並んでいた。弥陀ヶ原の湿原は、遊歩道も巡らされているので、誰でも花を楽しむことができる。湿原を抜けて山にかかると、残雪が最近まで残っていたのか、チングルマやコイワカガミが群落状態で花を咲かせていた。
 花を見ながらの登りが続いた。月山はなだらかな山頂を持つため、この登りも、急な所は少ない。今年は雪が多かったせいなのか、残雪のトラバースも現れた。登山装備なら問題の無いところであるが、運動靴姿もまじる信仰登山の信者にとっては、怖い思いをするのかもしれない。夏にも雪が残る山に登ってきたといって、帰宅後に自慢話の種になるのかもしれない。
 残雪が消えた後の草付きにヒナザクラが咲いており、写真撮影に足が止まった。岩手山では、多くの花を見たといっても、ヒナザクラは見なかった。山ごとに、見ることのできる花は違うし、同じ山であっても、、時期が違えば、花の種類も違ってくる。花を求めての山登りはきりがないようである。
 仏生池小屋に到着して、おおよその中間地点となる。小屋の前には、池が水面を見せており、その前には、お地蔵様が並んでいた。この付近には、草原性のお花畑が広がり、ハクサンイチゲや、ミヤマシオガマ、トリアシシオガマ、ハクサンフウロといった花が咲いていた。
 この先には、行者返しと呼ばれるように、少し傾斜も増す。といっても、大した距離ではないので、日ごろ登山に親しんでいるものには、なんということもなく通過できる。その上で木道の敷かれた稜線に出ると、ミヤマウスユキソウが、群落状態で現れた。この花を見に朝日連峰に行かなくてはならないと思っていただけに、うれしかった。花の時期としては、盛りを過ぎていたが、岩陰のようなところでは、きれいな花を見つけることができた。
 ガスに覆われて、周囲の展望は利かなくなった。残雪上を歩くようになった。山頂手前で、一等三角点に寄ると、周囲はミヤマウスユキソウのお花畑が広がっていた。
 再び残雪上のトレースに戻ってひと登りすると、月山神社に到着した。今回は、お払いはパスすることにして、山頂脇の広場に腰を下ろしてひと休みした。この付近は、盛夏には花も多いのだが、雪解け直後とあってヤマガラシの黄色い花が見られるだけであった。花を見に、時期をずらして、また訪れる必要がある。
 下山の途中、白装束の信者の集団を含めて、大勢の登山者とすれ違った。月山は、今なお、山岳信仰が続いている。
 行者返しでは、オコジョが岩の隙間から出ては、登山道周辺を走り回っており、写真撮影のための渋滞を生じていた。この日、朝日連峰などの他の山でもオコジョの目撃が相次ぎ、この時期に、オコジョが人前に姿を現す理由があるのだろうかという疑問がわいてきた。
 二日目も花いっぱいの山を楽しんで、登山を終えた。
 この後、出羽山入り口までの車の移動という、一番の難関が控えている。路線バスとぶつかって、バックを一回行っただけで済んだのは、まだ良かったといえる。夏山シーズンには、大型の観光バス通しが、鼻先をつき合わせて、渋滞を生じている。他の山のように、観光バスの乗り入れは禁止して、シャトルバスの運行にしたらと思うが、信者御一行様とあっては、登山者相手のようにはいかないのかもしれない。

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