庚申山、鋸山、皇海山, 高倉山

庚申山、鋸山、皇海山
高倉山


【日時】 2006年6月10日(土)〜11日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 10日:3名グループ 11日:単独行
【天候】 10日:晴 11日:曇り

【山域】 足尾山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 庚申山・こうしんざん・1892m・なし・栃木県
 鋸山・のこぎりやま・1998m・なし・栃木県、群馬県
 皇海山・すかいさん・2143.6m・二等三角点・栃木県、群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/足尾、男体山/足尾、中禅寺湖、皇海山、袈裟丸山
【コース】 銀山平より周回
【ガイド】 アルペンガイド「奥日光・足尾・西上州」(山と渓谷社)、新分県登山ガイド「栃木県の山」(山と渓谷社)、栃木百名山ガイドブック(下野新聞社)、山と高原地図「赤城・皇海・筑波」(昭文社)
【温泉】 かじか荘 600円

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高倉山・たかくらやま・1143.7m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/六日町
【コース】 中之峯新道
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
6月9日(金) 17:40 新潟=(関越自動車道、赤城IC、R.353、R.122 経由)=22:30 銀山平ゲート  (車中泊)
6月10日(土) 3:00 銀山平ゲート―3:55 一の鳥居―5:00 庚申山荘〜5:05 発―5:39 御山巡り分岐―6:08 庚申山―6:17 見晴らし―6:30 御岳山―6:47 駒掛山―7:00 渓雲岳―7:06 地蔵岳―7:25 薬師岳〜7:34 発―7:42 白山―7:53 蔵王岳―8:10 熊野岳―8:20 剣ノ山―8:34 鋸山〜8:44 発―9:20 不動沢のコル―10:00 皇海山〜10:13 発―10:45 不動沢のコル―11:26 鋸山〜11:50 発―12:32 女山―12:42 六林班峠〜12:50 発―15:03 庚申山荘〜15:20 発―16:05 一の鳥居―16:56 銀山平ゲート=(R.122、水沼、沼田、R.120、R.17 経由)=20:30 元橋  (車中泊)
6月11日(日) 7:15 元橋=(R.17、湯沢IC、六日町IC、小川 経由)=8:25 高倉山登山口〜8:40 発―9:21 五合目―10:18 高倉山〜10:43 発―11:25 五合目―11:48 高倉山登山口=(小川、六日町IC、関越自動車道 経由)=14:30 新潟

 皇海山は、日光白根山から南下する群馬・栃木県境上にある足尾山塊の山である。庚申山は、男体山と同じ勝道上人によって開山された信仰の山である。皇海山は、康申山の奥ノ院とされ、岩峰の連なる鋸山と合わせて、修験道の山として登られてきたという。最近の百名山ブームによって、この薮に囲まれた静かな山も、遠くからの登山者で賑わうようになっている。

 高倉山は、八海山の阿寺山から西に派生する尾根上の山で、北に八海山、三国川をはさんだ南側に金城山や巻機山に向かい合い山である。

 皇海山は、日本百名山巡りの一環で、かなり前の1993年10月16日に登っている。登山を始めて三年目で、日本百名山に夢中になっていた時期である。この年は、31山の百名山に登っており、最も夢中になった時期である。山には初心者であった私にとって、百名山において、いくつかの関門があった。剱岳の岩場、平ヶ岳を代表とする長時間歩行。そして皇海山は、笹原のヤブコギが問題であった。歩けるのかどうか迷っている時、新たに不動沢からのショートコースが紹介された。まずはこのコースを試みてみようということで出かけた。片貝からの悪路の林道を突破すれば、踏み跡がおぼつかないところもあったが、道標も整備されており、登頂を果たすことができた。その後、この不動沢コースは、皇海山へのメインルートになり、銀山平から庚申山、鋸山を経てのコースは、歩く者は格段に少ないサブコースに変わってしまった。
 百名山も終えて、ヤブコギ山行にも、いささか経験を積み、皇海山へのクラシックルートがかえって気になるようになっていた。現在、日本百名山巡りも終盤にさしかかったインターネットの知り合いが、皇海山へこのコースで登ると聞き、同行させてもらうことにした。GPSの使い手として、道を見失った時には、お手伝いができるはずである。
 コースタイムの合計は、資料によって異なるが、14時間程になる。庚申山荘で1泊して、二日目に早朝発で登山を開始してその日のうちに下山というのが一般的なプランである。しかし、銀山平から庚申山荘までは、2時間程の歩きなので、1泊したところで、二日目の行程は、それほど短縮されるわけではない。歩き始めは林道、その後は参道である山道であるので、懐電歩きでも充分可能である。山荘で1泊するよりは、未明発の日帰りの方が良いように思える。夜明けの時間と庚申山荘までの歩行時間を考えて、銀山平出発を3時とした。
 夕方急いで出発し、銀山平には夜の10時半に到着した。温泉施設のかじか荘を通り過ぎると、舟石林道が分かれる分岐の先でゲートが締められていた。この手前の路肩の広場に車を停めて寝た。夜中に二人が到着し、挨拶をしてひと眠りすると、起き出す2時半になった。ゼリーとバナナで朝食として出発の準備をととのえた。ひさしぶりの長時間山行の始まりである。
 昨年の秋に、ヘッドランプ歩き必至の長距離山行を計画し、強力なヘッドランプを買い求めてあった。この山行は雨で流れてしまったので、今回が使い始めとなった。LEDとハロゲン球の切り替えモード付きであるが、歩くには、ハロゲン球が良い。LEDは、光が拡散して心許ない。
 暗闇の中、足下だけを見ながら、無言での歩きが続いた。入口にゲートが設けられていたが、車の走行には問題の無い路面状態の林道が続いた。途中で、滝見場や天狗の投石といった見所もあったが、暗闇に包まれて、ひたすら先を急ぐことになった。全体的には、登り坂で、汗も噴き出てきた。
 最初の目標の一の鳥居に到着して、ひと息入れた。鳥居は赤く塗られていたが、デジカメのストロボでは、光量が足りずに写らなかった。帰りに、写真を撮ることになるが、明るいうちに戻れるかは、計画通りに歩けたとしての話である。
 ここからは、登山道の始まりになるが、昔からの参道で、幅広の登山道が整備されていた。沢を巻きながらの登りが始まった。途中で、周囲が明るくなって、ヘッドランプをしまいこんだ。これで、ヘッドランプは用済みのはず。庚申講の遺構である丁目標識や、鏡岩、夫婦蛙、仁王門といった大岩が次から次に現れて、周囲は明るい疎林で、ハイキングコースとして歩くのも楽しそうな道であった。
 庚申講の総本山の社殿があったという猿田彦神社跡に到着して、ようやく庚申山の麓に到着とひと休みした。ザックを下ろして、周囲を見渡すと、クリンソウの花が、何株も咲いていた。一応写真を撮ったものの、これも帰りに撮影する必要がある。
 猿田彦神社跡からひと登りすると、庚申山荘に到着した。テラス付きの二階建ての大きな山荘であった。中をのぞくと、寝具も積み重ねられていて、きれいな小屋であった。小屋の前にはベンチやトイレが設けられていた。小屋の背後には、朝日に照らされた岩壁がそそり立っていた。
 庚申山へは、大岩の間をぬって登る道になった。梯子が掛けられて整備されているといっても、気を抜けない道であった。コウシンソウの季節のはずで、苔むした岩の上に花を探しながら歩いたが見つからなかった。代わりに、サクラソウ科のユキワリソウが咲いているのが目に入った。コウシンソウの他にも花が多い山で、いずれこの山だけを目的にゆっくりと訪れる必要がある。登りの途中、見晴らしが開けると、富士山や筑波山も遠くに眺めることができた。大胎内くぐりで、お山巡りとの分岐になった。
 庚申山荘からこの分岐までは、後で地図とGPSのログを比べると、尾根の取り付きは同じだが、中間部でトラバースに変わって、西側の尾根に取り付いている。この変更は、昭文社の登山地図の最新版でも訂正されていない。
 この後は、樹林帯の緩やかな登りになった。庚申山の山頂は、樹林の広がる台地状で、判然としない。途中、御幣の置かれた場所があり、ここが山頂のようであったが、見晴らしへと足を進めた。
 見晴らしからは、ガイドブックや雑誌で取り上げられてお馴染みの皇海山の眺めが広がっていた。ピラミッド型の山頂を突き上げ、左に鋸山を従え、堂々たる姿を見せていた。不動沢コースから登った際に得られなかった忘れ物を、ようやく手に入れた思いがした。これから辿る稜線も手に取るように見えていた。距離はあるように見えたが、それほど難しいようにも見えなかった。
 展望を楽しんだ後に、先に進んだ。この先は、鋸十一帽と呼ばれるピークの連なりになる、この十一峰は、庚申山、御嶽山、駒掛山、渓雲山、地蔵岳、薬師岳、白山、蔵王岳、熊野岳、剣ノ山、鋸山である。ピーク数はもう少し多かったような気もしたが、各ピークには標識が置かれていた。
 薬師岳までは、樹林に覆われた小ピークの乗り越しが続いた。鞍部付近には笹原が広がって登山道が判りにくくなっていた所もあったが、その距離も短く、先のマークも見えていたので、歩くのに問題はなかった。
 薬師岳の山頂は、小広場になっており、ひと休みするのに良いピークであった。鋸山も目の前に迫っていたが、崖が待ちかまえているようで、ここからいよいよ難所と気を引き締める必要があった。
 薬師岳から下っていった鞍部の草地には、ユキワリソウの群落が広がっていたが、おちついて花を眺める余裕は無かった。
 白山を越して蔵王岳に到着してみると、目の前に崩壊による崖がそそり立っていた。左下に梯子が掛けられており、崩壊地の左端を登るようであった。目の前の崖に気を取られたが、蔵王岳からの下りは、垂直に近い壁になっており、ここを鎖を頼りに下る必要があった。足場を確かめながら下った。ここが一番緊張する鎖場であった。鞍部に下りて振り返ると、蔵王岳の山頂は、鋭角的に尖っていた。
 熊野岳へは、梯子を登ると、足元の滑りやすいザレた岩場をロープを頼りに登ることになった。もう一つのピーク、剣ノ山を越えると、ようやく鋸山に到着することができた。鋸十一帽もようやく終わりになった。
 目の前に、皇海山の山頂が大きくそそり立っていた。ただ、庚申山の見晴らしからの眺めの方が、左右の対称が崩れて、非凡な姿をしている。鋸山は、展望ピークで、皇海山の右手には、白い残雪の筋を引いた日光白根山が、一際高い山頂を見せていた。その右手には、男体山を中心として、太郎山、大真名子山、小真名子山、女峰山のファミリー山群が並んでいた。
 眺めを楽しみながら休んでいたかったが、皇海山へと足を進めなければならない。皇海山からの下りは、ここまでに比べれば難度は低くなったが、岩場や、滑りやすい泥混じりの斜面をロープを頼りに下るところもあって、気は抜けなかった。標高差120mを一気に下ると、傾斜は緩やかになった。話し声が近づいてきて、鋸山をめざすグループとすれ違った。不動沢コースから登ってきて、皇海山と合わせて鋸山の山頂にも登ろうとしているようであった。振り返ると、名前の通りに、鋸刃を左に連ねた鋸山のピークが鋭く天を突いているのが見えた。
 小ピークを二つ乗り越えると、不動沢のコルに到着した。ここで、不動沢コースが合わさるのだが、登山者が多くなっているためか、一帯は土が出た広場になっていた。ひと休みしている間にも、登りや下りの登山者が続々と到着した。これまでの人と会わぬ道とは、大違いであった。
 不動沢のコルからは、標高差約300mの登りになる。樹林帯の中の見晴らしの良くない登りが続いた。笹原も現れるが、登山道はしっかりと付けられている。途中の急斜面で、団体を追い抜いたが、間を離すために急いだので、息が上がってしまった。傾斜が緩むと康申二柱大神と銘のある銅鉾が現れ、その先で皇海山の山頂に到着した。山頂の広場は以前よりも広くなっているようだが、登山者で埋まっていた。山頂の周囲は木立に囲まれており、日光方面の山が、ようやくのぞいているにしかすぎない。静かな山頂であるのだが、人が多すぎた。これも登山シーズン中の百名山とあっては、我慢しなければならない。
 予定の時間通りの皇海山到着であった。ここまでの歩きを振り返ると、休憩も入れてコースタイム通りというペースであった。下山は問題ないとは思えるが、ここまでと同様に頑張って歩く必要がある。ひと休みして元気を取り戻したところで、再び歩き始めた。大休止は、登り返しのこともあり、鋸山の山頂でということになった。
 コルまでもう少しというところで、登りの時とはコースが違っているのに気がついた。踏み跡の様子からは、人が大勢歩いていることは確かであった。下ってきたコースを直進して、南に向かっているようであった。本来は、西の尾根沿いのはずであった。先ほどコルで休んでいた時、東側の笹原から現れた登山者がいたことを思い出した。おそらくその道に入り込んだはずである。下っていくと、右手に標識が見えて、笹原をトラバースすると不動沢のコルに戻ることができた。皆が迷って、新しい道ができてしまったようである。
 鋸山への登り返しは、急ではあるものの、鎖場を一気に登るため、意外に短い時間で登り切ることができた。
 ようやく、後は下るばかりと、大休止をとることができた。喉の渇きをビールでいやすことができる。もとも、自制心を働かせて、いつもの35ml缶ではなく、見本にもらった25ml缶で我慢しておくことにした。眺めといい、皇海山山頂よりも、この鋸山の山頂の方が、腰を落ち着けるのには良い。
 下山は、六林班峠へと向かった。美しい笹原が広がっていたが、登山道は滑りやすかった。ビールのおかげか、小ピークの登りで、息が苦しくなった。
 登山道が笹原の中で不明瞭になる所も出てきたが、ロープが横に張ってあったり、木にマークが付けられていたりして、辿るのは難しくはなかった。三角点の置かれた女山を過ぎて緩やかに下っていくと、六林班峠に到着した。この先へと、稜線歩きを続けていけば、袈裟丸山に到着できる。松木沢コースや袈裟丸山コースからも、皇海山へ登ってみたいものである。
 袈裟丸山からは、稜線から離れて、折り返すように方向を変え、トラバース道が続く。峠からしばらくは、登山道を笹が覆い気味であったが、幅広の切り開きがあるため、コースを見誤る心配はなかった。沢が入り込むと、その都度、上流に向かってから折り返すため、なかなか行程は捗らなかった。沢を渡る所では、足場の悪いザレ場のトラバースや、上に張られたロープを手がかりに一本丸太を渡るような所もあって、気を抜くことができなかった。途中の山腹では、美しい林が広がっていたが、眺めに目をやる余裕もなく、足を進めた。
 庚申山の南に広がる樺平付近では、地図の破線とは異なって、1482m点まで南に膨らんでいた。天下の見晴らしへの分岐を過ぎれば、庚申山荘まで後僅かということで、足の力を振り絞った。
 庚申山荘のベンチに腰を下ろして、ほっとした。余裕のある時間に戻ってくることができた。太陽もまだ高く、広場の周囲に咲いているクリンソウの写真も撮ることができた。
 最後の歩きを頑張るべく、重い腰を上げた。下りの途中、何組もの登山者とすれ違った。時間からして、庚申山荘泊まりのようである。明日皇海山をめざすのだろうか。中には、ここまでの登りで疲れ切ってしまっているものもおり、庚申山までがやっとのようなものもいた。
 ようやく明るい中で一の鳥居を見ることができ、後は林道歩きを頑張ることになった。
 14時間というコースタイムで、歩き始めのゲートに戻ることができた。登山を終えて、後は、かじか荘の温泉へと急いだ。
 温泉に入ったところで、解散になった。翌日は、平標山で山の花を見ながらのんびり歩くことにした。水沼から沼田に出て、三国峠越えをして、元橋の登山者用駐車場に入った。夜明けから小雨となり、朝には止んだものの、風が強く吹いていた。稜線を眺めると、ガスがかかっていた。花の写真を撮るには良い状態ではなかった。いくつものグループが出発していったが、コースを変えて何度も登っている山のため、登山の意欲は無くなっていた。上越国境付近は、太平洋岸の雨の影響を受けているが、日本海側に向かえば、天気も少しは良くなるはずである。登ってからかなり時間の経っている高倉山へと計画を変更することにした。
 湯沢から六日町へと高速道で移動し、三国川ダムへと向かった。畦地を過ぎたところで、小川の標識にしたがって左折し、三国川を渡る。集落を抜けて山裾をたどると、五十沢ファミリークラブのアーチが現れる。以前は、上越芸術村と呼ばれていたはずだが、管理者が変わったようである。分譲地の中の道や建物も、荒れた感じになっていた。分譲地の中の道は、複雑に分かれているが、高い方へと目指していけばよい。分譲地の最上部が、登山道開設の記念石碑の置かれた中之峯新道の登山口である。数台の車が置かれており、路肩に寄せての駐車になった。
 登山道を歩き始めると、水道施設の先で、道が消えてしまった。左手に未舗装の林道が走っていた。以前は、この林道は無かったと思う。この林道に出て高みに向かって歩いた。ひと登りすると、林道終点広場に出て、ここから登山道が始まっていた。この歩き始めは、ガイドブックの記述を読んでも判らない。
 沢を渡ると、尾根の登りが始まった。すぐに一合目の標識が現れ、以後、七合目を除いて、各合目の標識を見ることができた。ただ、始めは標高差50mおきに付けられていたものが、五合目から六合目にかけては190mの標高差があり、ここの間隔は大きい。
 急斜面の連続で、辛い登りになった。前日の歩きの疲れも出ていた。足を休めようと、トレッキングシューズの代わりにスパイク長靴を履いたが、これは滑りやすい急斜面では有効であった。五合目の先で、「入道ブナ」が現れたが、以前にあった「おけさの木」や「ゾウのきば」の標識は無くなっていた。
 六合目近くまで登ると、先行のグループを追い抜くようになった。最近は、それなりに名前も知られるようになったようである。
 ブナ林から灌木帯に変わると、さらに急斜面となり、これを登り切るとラクダのコブと呼ばれる岩場に出る。岩場の右下をトラバースすることになるが、落ち着いて歩けば、難しいことはない。台地を歩いていくと、盛り上がった小ピークが近づいてくる。ここが高倉山の山頂である。
 下山してくる登山者にも出会っていたが、丁度山頂には、誰もいなかった。静かに眺めに浸ることができた。目の前には八海山が大きかった。稜線続きの阿寺山は目の前で、豊富な残雪に覆われていた。巻機山も三国川を挟んで向かい合っているが、稜線部は雲に覆われていた。谷川岳方面は、やはり雲が厚いようである。
 風景を楽しみながら休んでいると、他の登山者も到着して、山頂は賑やかになったので下山にうつった。岩場を過ぎると、眼下に三国川ダムの眺めが広がり、その向こうにネコブ山が聳えていた。先回登った時は、名前も知らず、注目することも無かった山であるが、現在では思い出多き山になっている。
 急坂に足を滑らせないように注意しながら、下りを続けた。
 高倉山は、曇り空ながらも、展望を楽しむことのできる絶頂であることを、改めて確認することができた。

山行目次に戻る
表紙に戻る