越後駒ヶ岳

越後駒ヶ岳


【日時】 2006年5月27日(土) 日帰り
【メンバー】  3名グループ
【天候】 晴

【山域】 越後三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
小倉山・おぐらやま・1378.0m・三等三角点・新潟県
越後駒ヶ岳・えちごこまがたけ・2002.7m・一等三角点補点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/八海山
【コース】 駒の湯より
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山・卷機山・守門岳」(昭文社)
【温泉】 ゆーパーク薬師 湯之谷薬師温泉センター 600円

【時間記録】
5月26日(金) 20:30 新潟=(関越自動車道、小出IC 経由)=22:30 大湯温泉
5月27日(土) 4:55 駒の湯登山口―6:11 栗の木の頭―8:02 小倉山―8:46 百草の池―9:50 駒の小屋下〜10:24 発―10:35 駒の小屋―10:55 駒ヶ岳〜11:08 発―11:22 駒の小屋〜11:26 発―11:45 駒の小屋下―12:16 百草の池〜12:18 発―13:07 小倉山―14:44 栗の木の頭―15:51 駒の湯登山口=(往路を戻る)=19:30 新潟
 越後三山は、八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳の三つの山をまとめての総称である。これらの三山は馬蹄型に山稜を連ね、中央の水無渓谷に一気に落ち込んでいる。三山の内では、中ノ岳が最高峰であるが、二番目の標高を持つ越後駒ヶ岳が、日本百名山にも取り上げられて知名度も高い。枝折峠からの明神尾根がもっとも利用されているが、駒ノ湯からの小倉尾根コース、水無渓谷からのグシガハナコースといった登山道も開かれている。

 ブログを通しての知り合いが、百名山巡りを目的に越後駒ヶ岳に登りにくることになり、一緒させてもらうことになった。5月末ということで、例年なら、新緑を楽しみながらの登山になるところだが、今年の冬の大雪の影響がどうなるのか判らなかった。
 大湯温泉の公園駐車場で落ち合った。駒の湯の登山口に移動すると、車道周辺にも残雪が見られた。例年なら駒の湯も五月連休頃にはオープンしているようだが、先週道路が開通したという。アイゼン・ピッケルも持った、残雪用の完全装備で歩き出した。インターネットの直前の情報では、吊り橋の板が外されていて、中央に一枚が置かれているようであったが、すでに直されており、問題なく渡ることができた。小倉尾根は、一本尾根で迷う心配は無いと思っていたのだが、尾根が広がると残雪も現れて、夏道の続き具合を注意する必要もあった。
 急な登りが続いたが、比較的歩きやすく、高度も順調に上がっていった。新緑のブナ林が残雪の中に美しく広がっていた。915mの栗の木の頭に到着してひと休みした。ここには標柱が立てられているが、地面から抜けて灌木に立てかけてある。
 尾根の周囲にはブナや灌木に覆われているが、時折視界が開けて、越後駒ヶ岳の山頂や毛猛山塊、守門岳の眺めを楽しむことができた。全国的には雨で、新潟と北海道だけが晴という天気予報が出ていた。奇跡的ともいえる青空が広がっていた。
 小倉山直前には三ヶ所の鎖場がある。早い時期では、この鎖場が残雪に覆われていると聞いていた。最初の鎖場は、雪も無く、鎖に頼って窪地の中を登って通過した。その上部で、残雪の急斜面が現れた。ピッケルとアイゼンを装着して登りにかかったが、登れても下るのが心配な状態であった。右手の藪尾根を登ることにした。幸いヤブコギのひと登りで、登山道に出ることができた。アイゼンを履いたまま、登山道を少し登ると、再び雪原が現れた。ここは、急ではあるものの、問題の無い登りであった。結局、上部二ヶ所の鎖場は、どこか判らずに通過した。
 小倉山の山頂手前の雪原で、駒ヶ岳の遮るもののない展望が広がった。青空をバックにし、豊富な残雪をまとった姿は美しかった。しかし、気になるのは、山頂に至る登山コースであった。山頂手前で、急な雪原が待ちかまえているようであった。
 小倉山の山頂は、雪が消えて、三角点も頭を見せていた。僅かに下ると、枝折峠からの登山道が合わさる分岐であるが、一面の雪原が広がっていた。目の前には、荒沢岳が大きく肩を広げていた。未丈ヶ岳や枝折峠へ上がってくる国道も一望できた。
 駒ヶ岳に向かって、幅広の雪原の登りが始まった。小倉山手前でアイゼンを外していたため、夏道が出ているところは、できるだけそれを辿った。百草ノ池は、一面の雪原になっており、標識があるためそれと判る状態であった。ここから1763点に向かっては、長い雪原登りが続いた。つぼ足でのキックステップで登ることができたが、振り返ると、障害物が無いため、高度感充分であった。雪原には、赤布を付けた竹が立てられていたが、歩いた者はしばらくいないのか、トレースは見あたらなかった。
 1763点からは、岩稜歩きになる。この岩稜歩きは、雪も消えており問題は無かった。駒の小屋直下に到着したところで、雪の急斜面が待ちかまえているのをみて、アイゼンを履いた。尾根の右側は切り落ちた岩場で、雪のブロックが落ちかかっている状態であった。左側は、雪原となって谷ハナ沢の谷間へ落ち込んでいた。
 急斜面の登りにかかったが、雪が堅く、下りの際に、滑落の危険性があった。一旦登りを中段して、どうするかの相談になった。私自身は、これが五回目の駒ヶ岳であり、特に登頂にこだわることもないのだが、連れの二人は、百名山登頂という目的がある。相談している間に、二人連れと単独行二名が通過して、急斜面を登っていった。様子を見ていると、先頭グループは、山頂への最後の登りに取り付いたのも見えた。先行者に引かれるように、意を決して、山頂を目指すことにした。
 覚悟を決めさえすれば、標高差50m程の急斜面の登りはそれほど難しくはなかった。登り終えると、尾根の張り出し部に建つ駒の小屋に出た。ここまま一気に山頂を目指すことにした。山頂にかけては雪の一枚バーンで、スキーで滑ったら気持ちも良さそうであった。稜線上に出ると、右手の山頂に向かっては、緩やかな登りが残されるだけになった。
 駒ヶ岳の山頂は雪が融けており、山頂標識や一等三角点も姿を見せていた。八海山が目の前に、ごつごつとした岩稜を連ねた山頂を見せていた。中の岳はすぐ近くに見えており、兎岳から荒沢岳に続く稜線も目でおうことができた。駒ヶ岳の山頂は、2000年10月7日の荒沢岳への縦走の時以来ということになる。どうも越後駒ヶ岳は、毎回記憶に残る山行をプレゼントしてくれる。巻機山や平ヶ岳、会津駒ヶ岳方面は、雲がかかっており、駒ヶ岳から日本海側だけが青空に覆われていた。
 素晴らしい展望であったが、風も強く、長いはできなかった。他の登山者も早々と山頂を後にしていた。なにより下りが気に掛かった。駒の小屋までの斜面では、ピッケルとアイゼンでの歩行を確かめながら下った。駒の小屋の入り口には、日帰り登山者も、遭難対策のため登山者ノートに記入するようにと掲示してあった。ノートに記入するために中に入ると、管理人は不在であった。
 いよいよ小屋からの下りに取りかかった。急斜面で高度感もあった。ピッケルを突き刺しても、雪にそれほど入らないのが、難しさを増していた。五月連休の頃ならば、昼ともなれば雪も緩んで、ピッケルの半ばまで潜って、良い支点になるのだが。傾斜がきつくなったところで、バックステップで下ることにした。ピッケルのピックを雪に押しつけ、アイゼンの先でステップを切りながらの、根気のいる下りになった。急に風が強まり、時折体が揺れるのも、緊張感を増す要因になった。少々みっともない格好であったが、他の登山者ははすでに下山しており、人目を気にする必要はなかった。この下りに要した時間をあとでGPSのログをもとに確かめると、20分であった。この時間を短いとみるか長いとみてよいかは、判断できないが、その間は必死であった。
 急坂の下で、無事に難所を通過できたことを喜んだ。この下りで、寿命が縮んだという声も上がった。風が強かったため、もう少し下ってから昼食にすることにした。一旦アイゼンを外して岩稜を通過し、再びアイゼンを履いて雪原を下った。快調に雪原を下り、百草ノ池に出たところで休むことにした。ようやく、緊張で乾いた喉をビールでうるおすことができた。
 この先は、傾斜も緩んで、展望を楽しみながらの下りになった。幸い、強風によって懸念された、天候の悪化もなかった。小倉山からの下りでは、アイゼンを付けたり外したりで、時間もかかったが、安全のためには根気も必要である。
 下るにつれて緑も濃くなり、イワウチワやチゴユリの花を楽しみながらの歩きになった。
 ようやく駒の湯に下山して駒ヶ岳の山頂を振りかえれば、青空は消えて、雲がかかりはじめていた。翌日は雨の予報が出ていたため、温泉に入った後に解散とした。

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