巻機山からネコブ山縦走

巻機山、下津川山、ネコブ山


【日時】 2006年5月3日(水)〜5日(金) 2泊3日 テント泊縦走
【メンバー】 4名グループ
【天候】 3日:晴 4日:晴 5日:晴

【山域】 魚沼三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 巻機山・まきはたやま・1967m・なし・新潟県
 牛ヶ岳・うしがたけ・1961.4・三等三角点・新潟県、群馬県
 三ッ石山・みついしやま・1586m・なし・新潟県、群馬県
 小沢岳・おざわだけ・1946m・なし・新潟県、群馬県
 下津川山・しもつごうやま・1927.7m・二等三角点・新潟県、群馬県
 ネコブ山・ねこぶやま・1790m・なし・新潟県
 桑ノ木山・くわのきやま・1435.7m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/越後湯沢、藤原、八海山/巻機山、奥利根湖、兎岳
【コース】 清水より巻機山、下津川山、ネコブ山を経て十字峡へ縦走
【ガイド】 なし
【温泉】 こまみの湯 500円

【時間記録】
5月3日(水) 5:40 新潟=(関越自動車道、六日町IC、三国川ダム、R.291 経由)=9:37 清水―10:30 桜坂登山口―15:00 前巻機―16:05 巻機山 (テント泊)
5月4日(木) 6:00 巻機山―6:12 牛ヶ岳―7:37 トトンボノ頭―8:30 永松岳―10:45 三ッ石山―14:25 小沢岳―15:45 下津川山  (テント泊)
5月5日(金) 6:45 下津川山―8:55 ネコブ山〜9:27 発―10:30 桑ノ木山―13:24 導水管上〜13:30 発―13:46 導水管下―15:15 三国川ダム=(R.291、清水、R.291、R.17、小出IC、関越自動車道 経由)=19:30 新潟

 新潟・群馬県境は、谷川連峰から巻機山、大水上山を経て平ヶ岳へ続き、利根川源流を形作っている。このうち、登山道のある区間は、現在では僅かであり、残雪期に歩くしかない。
 巻機山のピークのひとつである牛ヶ岳からの県境稜線上には、三ッ石山、小沢岳、下津川山のピークが地図に記載されている。ネコブ山と桑ノ木山は、下津川山から十字峡へ続く尾根の途中のピークである。

 毎年、五月連休には、数泊の残雪歩きを行い、苗場山から谷川連峰を経て越後三山への縦走路を少しずつではあるがつないできた。2001年5月3日〜5日には、清水峠から朝日岳に登り、巻機山まで縦走した。その続きとして、中ノ岳方面へ縦走路を延ばしたかったが、問題になるのは、十字峡からのコースであった。一番楽なのは、丹後山へ登って、県境縦走を行うことであったが、三国川沿いの林道が問題であった。五月連休頃は、林道は川まで落ち込むデブリで覆われて、滑落の危険を伴うトラバースの連続になる。また、今年の雪の多さからすれば、雪崩の危険も高い。十字峡から直接取り付けるコースとしては、中ノ岳とネコブ山経由下津川山の二つのコースが考えられるが、前者はコースがさらに長くなり、後者は痩せ尾根という問題があった。計画としては、巻機山から北上して、状況によって、このどちらかのコースを下ることにした。2泊3日のコースとしたが、家には、予備日としてもう1日と書き置いた。
 集合は、十字峡とし、車一台を置いて清水に向かうことにした。三国ダム下に到着してみると、右岸道路へ続く道路は閉鎖中であった。左岸道路は通行可能であったが、この道路は、雪解けが遅く、不通期間も長い。とりあえず進んでみると、トンネルの中の分岐で、その先の左岸道路は閉鎖。左に曲がって堰堤を渡ると、ダムの事務所や観光客用の駐車場の設けられた広場に出る。その先の右岸道路は、閉鎖になっていた。しかし、駐車場は、登山者の車でほぼ埋まっていた。
 2002年4月27日にネコブ山に登った時には、十字峡まで車で入ることができたため、油断していた。宇都宮からの一行が到着したところで、計画の再検討になった。地図をみれば、ダム堰堤から十字峡へは2時間弱といったところのよう。中ノ岳ルートの可能性はなくなった。ネコブ山ルートを下山に使うことで、計画を進めることにした。
 今年は、例年にない大雪であったが、これが今回の縦走に、プラスと働くのか、マイナスと働くのかは判らない。とりあえずは、マイナス要素とでた。
 十字峡から清水へは、坂戸山と金城山の間の尾根を貫く大月トンネルのおかげで、近道ができる。清水の集落に到着してみると、道路脇に、登山者の車が多く停まっていた。巻機山の登山口の桜坂駐車場まで車で入れないことは、判っていた。集落内から桜坂への道路はどうかと思ったが、集落上部で、除雪は終わっていた。国道の脇に車を置き、集落内から歩き出すことにした。
 テント泊縦走の荷物は、背負うとずっしりと重かった。今年初めてのテント泊である。これまでにも、テント泊の計画はあったのだが、悪天候のため、日帰りに変更になっていた。
 桜坂までは、車道歩きであるが、雪のために道路は判りにくくなっていた。スキーのトレースがあるので、それを辿れば良いのだが、国道からの車道の合流点から沢の上流部にそのまま続くトレースもあり、迷いやすかった。米子頭山から下降してきたトレースなのだろうか。
 雪の上に立つ満開の花を付けた桜が目にとまった。ピンクの花と白い残雪、さらに青空。珍しい眺めであった。桜坂の由来は、この桜故なのだろうか。アマチュアカメラマンが喜びそうな被写体であった。しかし、この先へと誘うよう、巻機山が姿を見せていた。
 桜坂の駐車場脇から登りを開始した。この先は、夏道とは違って、尾根を真っ直ぐに登ることになる。2001年5月5日の清水峠からの縦走の際の下山時には、井戸の壁は、藪が出ていて苦労したが、今回は雪原の登りが続いた。かなりの急斜面であるが、雪が柔らかく、キックステップだけで登ることができた。アイゼンは当然用意してあったが、この山行中使うことはなかった。例年と違って、雪の表面が堅く締まって苦労することもないのは、雪解けが遅れているためかもしれない。
 傾斜が緩んでひと休みしていると、早くもスキーヤーが下ってきた。標高1150m付近で尾根の上に出ると、谷川連峰の眺めが広がった。登るにつれて展望はさらに広がるはずで、期待も膨らんだ。この先しばらくは、緩やかだが、長い登りが続いた。再び尾根が細くなってくると、割引沢を挟んで聳える天狗岩の眺めも広がった。ようやく同じような高さになってきた。前方には、前巻機の山頂が、ついたてのように高く聳えていた。先行の登山者も見えていたが、雪原のために、距離感が無くなっていた。
 夏道は、前巻機に向かって直登するのだが、残雪期には、急斜面を避けて、南に延びる尾根に移ってから登ることになる。雪原のトラバースになるので、雪が堅いと、緊張する難所になりそうである。尾根に上がってからは、一面の雪原を適当にジグザグを切りながら登っていくと、前巻機の山頂に到着した。
 前巻機は、ニセ巻機とも呼ばれ、山頂標識にもそのように書かれているが、巻機山の展望ピークなので、ニセとは失礼な気もする。なだらかな山頂が横に広がっている眺めを楽しんだ。ここからの写真は、写真を撮るときには困ることになる。山頂が目の前に迫っているため、広角レンズでも追いつかない。幸い、デジカメでは、写真の合成も容易にできるのが有り難い。振り返れば、谷川岳から平標山に至る稜線や苗場山も眺めることができた。
 そろそろ時間的にも、この日の泊まり場を考える必要が出てきた。テントは持ってきていたが、避難小屋が空いているなら利用しようということになっていた。前巻機から鞍部に下ったが、避難小屋は、見あたらなかった。どうやら、雪に完全に埋もれているようであった。先回の五月連休の時には、避難小屋の屋根にシェラフを乗せて乾かしているのを見たものだが。脇の木立の中に、テントが数張り張られていた。
 テン場を探しながら、先に進むことになった。巻機山への登りをもうひと頑張りした。結局、巻機山の最高点を過ぎた先の台地にテントを張ることになった。
 テントを張り終えて、ビールで乾杯し、さらにお茶を飲んでいると、空が夕焼けに染まった。明日辿る下津川山への稜線や、すでに辿った朝日岳から続く稜線の眺めを楽しんだ。夕日は、牛ヶ岳の左肩に落ちた。
 第一日目の巻機山は、アプローチ区間であるのだが、標高差もあり、体力的には疲れた。
 その晩は、晴天の影響なのか、冷え込みも厳しく、夜中に寒さで目が覚めた。着替えの衣類も着込んで、なんとかしのいだ。スリーシーズン用のシェラフであったのがまずかったのだが、冬山用のシェラフとなると、重くて縦走には辛い。
 二日目も、快晴の日となり、朝日は下津川山の脇からでてきた。今日の行程は長いため、朝食も簡単にすまして出発した。まずは、目の前の牛ヶ岳の山頂に登った。
 牛ヶ岳からは、これから歩く、下津川山までの稜線も一望できた。遠いなあというのが、印象であった。八海山、駒ヶ岳、中ノ岳が、三山揃って並んでいた。中ノ岳は、下津川山よりもさらに遠くにあった。下津川山から左のネコブ山に向かって、稜線が続いていたが、細かいぎざぎざ模様となり、雪もかなり落ちていた。難所になりそうであった。ネコブ山の左下に、雪原が白く光っているのは桑ノ木山であった。
 牛ヶ岳からは、気持ちの良い雪原の下りになった。鞍部付近には、雪壁を作った幕営の跡も残されていた。雪の上のトレースを見ると、縦走路の両方向ともに、歩いているパーティーがいることが判った。
 時折藪に入る必要があったものの、ほとんどは雪原を辿ることができた。1896m標高のトトンボノ頭(以下、地図に記載されていないピーク名は、藤島玄氏編集「越後三山・只見集成図」によるものである。)の山頂付近は、藪になっており、雪田を伝って通り過ぎてから、ひと登りして頂上に立った。
 トトンボノ頭から下りを続けていくと、両脇が切り落ちた雪綾に出た。足場を固めながら、注意しながら下った。僅かに登り返し、永松山に到着してひと息いれた。ここには三等三角点が置かれており、藪の脇に苔むした三角点を見つけることができた。事前の計画書と比べると、条件は悪くはないのだが、意外に時間がかかっていた。
 永松山を過ぎると、下り一方になった。安定した雪原が続き、歩いている分には気持ちが良いのだが、行く先の三番手山がみるみる頭上高くなっていった。事前にコースのプロフィールを確認していなかったことを後悔することになった。
 最低鞍部の永松越路は標高1450mで、巻機山からは500m下って、これからの最高点の小沢岳へは400mの登りになる。三番手山が見上げる高さに聳えていた。巻機山を中心とする山塊と、越後三山を中心とする山塊が、ここで区切りになっていると考えられる。鞍部の永松越路に下り立ってひと息いれた。振り返ると、巻機山の山頂は高みに遠ざかり、ずいぶんと下ってしまったと、ため息が出てきた。
 次の三ッ石山は、鞍部の小ピークで、この先、三番手山への大登りが待ちかまえていた。少し手間で追いついて前後するようになった先行グループと、さらに途中で幕営していたらしいグループが、三番手山へ続く雪原を登っているのを眺めることができた。休んでいる間眺めていても、なかなか進んでいなかった。いざ、自分で歩いてみると、一気には登れず、途中で休みを入れて、ようやく登り切った。
 快晴に恵まれて、昼になっても、澄んだ青空が広がっていた。展望のためには申し分ないのだが、暑さが応えてきた。タオルを頭に巻いて、しのいだ。顔や袖をまくった腕がひりつくようになった。行動用に、1.5L準備した水も、残り僅かになっていた。
 永松越路からの登り返し以後は、小沢岳の1945mが最高点になる。円錐形をした山頂は、遠くからも良く目立っている。到着した山頂からは、360度の展望が広がっていた。疲れも溜まってきて、ザックを下ろしても、しばらくは、腰を下ろしてじっと休み、しばらくしてから水を飲み、その後ようやくカメラを構える元気がでるようになっていた。歩き始めは、一気にネコブ山までといけるのではという話もあったのだが、時間と残りの体力を考えれば、下津川山を越したところが、今晩のテン場となるようであった。
 下津川山に至る稜線を眺めると、雪が消えて黒々としており、山頂近くでは岩場混じりの痩せ尾根が待ちかまえているようであった。
 小沢岳の山頂では、二人連れが休んでいた。話をすると、十字峡から先の三国川沿いの林道で滑落事故があったという。林道は登山禁止になって、登山者は、ネコブ山経由で県境稜線に上がっているという。下山後、新聞を確認すると、丹後山登山口の栃の木橋付近で滑落し、肩を折ったものの、ヘリで救助されたという。「山と渓谷」の5月号における「5月の山」で、本谷山への登山コースである中尾ツルネ経由で下津川山へ登るというコースが、高桑氏によって紹介されているが、三国川沿いの林道の危険性については、全く触れられていない。「山と渓谷」のこのコーナーは、以前は、ウィークエンド・ハイクと呼ばれていたもので、一般登山者を対象としたもののはずである。残雪の山/上級者向きと書かれているものの、うかつに鵜呑みにしたら事故が起こるなと思っていた。われわれの計画では、滑落と雪崩が怖くて、はなから林道コースは考えていなかった。ともあれ、下津川山とネコブ山の間は、今年はけっこう多くの登山者が歩いていることが判った。
 お互いの健闘を祈って別れた。小沢岳からは雪原の下りが続いたが、下津川山への登り返しは藪尾根になった。岩尾根も現れて、頂上越しには通過できず、一段下を木の枝を掴みながらトラバースするところも出てきた。幸い、巻き道には、踏み跡もできていたので、不安定な雪のブロックが乗っているよりは良かったともいえる。
 藪尾根を通過すると、ようやく下津川山の山頂に到着した。藪が出た山頂の真ん中に三角点が頭を出していた。アルミ縁のケースに入れられた山頂標識が立てかけられていた。今日の歩きもようやく終わり、ゆっくりと展望を楽しむことにした。本谷山へと続く尾根は、藪がかなり出ていた。その先、丹後山や中ノ岳は、まだ遠くに見えていた。平ヶ岳や燧ヶ岳、景鶴山、至仏山といった尾瀬の山も間近に見えていた。巻機山を振り返れば、夕日に照らされて、テカテカと光って見えていた。よく歩いたなあと思う遠さにあった。
 先行グループが、山頂直下の雪原をテン場としていたので、もうひと下りして、小ピーク手前の鞍部を我々のテン場とした。
 テントを設営して、ビールを飲んでひと息いれたが、その後の食欲が全くなくなってしまった。疲れが出ると、食べれなくなるという悪い癖が出てしまった。一晩休めば、翌日の歩きには支障はないはずである。夜は、寝るまで水作りが続くことになった。脱水症状に陥らないためには、水作りが重要である。1日の歩きで流した汗の補給のために、まずはお茶。夕食のうどんのための水。食後のお茶。翌日の行動用。翌日の朝のお茶用。材料の雪はたっぷりとあるのだが、それを融かして水を作り、濾過したり、浄水器にかけたりするのは、なかなか手間がかかる。パーティーの中の役割分担も、最近では自然に決まってきているが、水作りは私の担当になっている。日が沈むと冷え込むので、暖房ついでに水作りを続けると良い。1泊につき、ガスカートリッジ1個を消費することになった。昨晩の寒さに懲りて、ペットボトルに湯を入れて湯たんぽを作った。
 その夜は、風が出て、テントはばたついたが、朝には収まってくれた。3日間晴天が続くのは、短い周期で天気が変わっている今年では、奇跡的ともいえる。
 三日目の行程は長くはないということで、ゆっくりと出発した。難所の通過が待ちかまえているはずということで、ピッケルを取り出したが、雪は柔らかいので、アイゼンはつけなかった。雪原を下っていくと、小ピークが連続するようになった。細い雪稜を左右に転落しないように通過する所も出てきたし、藪尾根にへばりついた雪堤の上を通過するところも多かった。先行者のトレースを見ると、雪庇の縁に近寄りすぎていて、とても同じようには辿れないところもあった。前日に比べても、雪解けが急速に進んでいるようである。この下に地面はないのではと思う場所もあったが、家に戻ってからGPSの軌跡を見ると、空中を歩いているとしか思えないところもあった。雪のブロックごと落ちないようにと、幸運を祈りながらの歩きであった。
 1713m小ピークを越えると、雪原登りが続くようになって、緊張からも解放された。それでも、右手の雪庇の縁に近寄らないように注意する必要があった。
 ネコブ山の山頂は台地状で、中央部に、低灌木と岩で覆われた小ピークがある。遠くからもこの小ピークは良く目立っている。土の上に腰を下ろせば、ようやく緊張感も和らいだ。この先も、決して容易とはいえないコースではあるが、以前にも単独行で歩いているコースであるので、気は楽である。
 下津川山を振り返ると、黒々とした痩せ尾根が続いていた。最初の登頂の時に、歩きたいと眺め、藪尾根のために諦めた稜線である。そこを歩き終えて得られたものは、満足感というよりは安堵感であった。
 下津川山の山頂は横に広がり、その右脇には円錐型の小沢岳が高く聳えていた。この二つのピークを比べると、小沢岳の方が高く、印象も強い。越後百名山には、下津川山が選ばれているが、この百名山の選定基準は判らないところもある。
 越後三山も目の前に迫っていたが、眼下には、桑ノ木山の台地状の山頂が広がっていた。重い腰を上げて、下山に移った。豊富な積雪に助けられて、雪原の快適な下りが続いた。鞍部が近くなって、左手の木立に入ると、足も潜るようになったが、そのまま下りを続けた。鞍部からは、僅かな登り返しになるが、足も重たくなり、南のピークに登ったところで、ひと休みする必要があった。グランド状の山頂大地を歩いていき、GPSで示された三角点の位置で、ザックを下ろしてひと休みした。先回は、三角点が藪の中に頭を見せていたのだが、今回は雪の下であった。
 桑ノ木山からの下山は、台地をそのまま進むと、沢が入り込んで、本来よりも西の尾根に乗ってしまうので注意が必要である。トレースは、この西の尾根に向かっていたが、本来の東寄りの尾根に回り込んだ。下っていくと、沢は豊富な雪に埋もれていて、山頂から尾根に直接下れるようになっていた。
 尾根の下りも、雪堤が前回よりも低いところまで続いており、楽ができた。雪が割れていて、雪の消えた藪尾根に入ると、イワウチワが花盛りになっていた。この後は、踏み跡を辿りながらの下りになった。
 カヨウ三角点を過ぎると、木の枝を掴みながらの急斜面の下りが続くようになる。雪の上の歩きで感覚がおかしくなってしまったようで、土の上の歩きでは足元がおぼつかなかった。途中、細い岩尾根もあるので、足元にも注意が必要である。タムシバやシャクナゲの花が、春の訪れを告げていた。
 横棒が岩に埋め込まれた小岩峰に登ると、その真下が導水管上の広場である。この岩場の下りは、短いが足場が乏しいので、注意が必要である。今回は大型ザックを背負っていたため、日帰り装備の前回よりも、岩場の通過に緊張した。少し岩場を削ってくれれば楽になるのだが、安易に立ち入らないように、わざと難しくしているとしか思えない。
 導水管上の広場に下り立って、ほっとした。階段の上から、林道の様子を眺めてみた。十字峡の黒又沢を渡った先で、林道を覆った残雪が、沢に向かって続いており、踏み跡が高いところを巻いているのが見えた。最後まで気は抜けないようであった。
 落差178.1mの導水管の脇に階段が続いている。登りは、めまいを起こすほどの辛さであるが、下りでも、足がガクガクになってしまう。階段の下り口は、雪原との間に段差ができており、這い上がるのに苦労した。暑さにまいっており、日影を求めてトンネルの中に入ってひと休みした。ダムまでは、左右の両岸に車道が続いている。左岸沿いにもトレースが続いていたが、残雪に苦労するはずで、右岸の車道を歩くことにした。歩く途中眺めると、左岸のトレースは、途中で無くなっていた。
 十字峡から先の三国川沿いの林道の様子をうかがうと、残雪の斜面になっていた。とても辿れる状態ではなかった。事故が起きても不思議はないコースである。
 上から見えていた林道を覆った残雪部に近づいてみると、残雪と車道脇のガードとの間に隙間が開いており、体をすり抜けさせて通過することができた。その後は、残雪が覆っていても、普通に歩いて通過できる状態であった。最後は、フキノトウを取りながらの歩きになった。
 2時間弱の歩きで到着したダムサイトは、残雪の山をバックに記念撮影をする観光客で賑わっていた。雪山の眺めに興味を持っても、山から下りてきた我々に関心を持つ者はいないようであった。
 厳しい縦走であったが、歩き終わった時の充足感に満たされた。まずは温泉に入りたかったのだが、近くの温泉旅館は二軒とも、連休のため日帰り入浴はお断りとなっていた。しかたなく、清水の集落に向かい、そこで解散になった。新潟への帰り道を考えて、小出の日帰り温泉施設に入ってから高速に乗った。
 毎年行ってきた五月連休の山としては、今回の山行は、体力的に最も厳しいというものではない。しかし、不測の事故、危険に近づいたという点では、最たるものかもしれない。来年は、どのようなコースを歩くのか、一年かかって考えることにしよう。

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