黒森山

黒森山


【日時】 2006年3月5日(日) 日帰り
【メンバー】 峡彩ランタン会 22名
【天候】 晴

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 黒森山・くろもりやま・560.2m・三等三角点・新潟県、福島県
【コース】 熊沢より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/徳沢
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:00 新潟=(磐越自動車道、津川IC、R.49、川谷、屋敷経由)=8:10 熊沢消防団建物〜8:32 発―8:57 トンネル上―10:18 黒森山〜13:20 発―14:05 トンネル上〜14:21 発―14:44 消防団建物=(往路を戻る)=16:30 新潟
 黒森山は、新潟と福島との県境上の、目指山と一等三角点ピークの土埋山との間に位置する山である。山頂下を磐越自動車道が貫いており、このトンネルの名前は黒森トンネルと呼ばれている。登山道の無い山であるが、最終集落の熊沢からトンネル入口へ通じる車道を利用することによって、県境線上の山としては例外的に雪の季節にもアプローチがしやすくなっている。

 所属する山の会で、会山行のリーダーを、年に一回は引き受けている。一部のメンバーではなく、大多数が参加できる山で、登りの時間は2時間程度という条件がついている。山はお任せになっているが、その条件に合う山を選ぶのは、なかなか難しい。
 今年は、簡単な雪山ということで、黒森山を選んだ。少し急な所もあるが、3月初めに行えば、雪は締まりはじめ、そうかといって、アイゼンが必要な程には堅くない、ほどほどの雪の状態であろうと考えた。
 黒森山は、2002年2月23日に初めて登り、今回の山行の偵察は、2月11日に行った。ただし、平成18年大雪と名前が付けられた今年の冬だけあって、偵察当日は、腰までのラッセルとなり、登る予定の尾根を往復するだけで精一杯であり、他のコースを検討するだけの余裕はなかった。雪の状態も本番では大きく変わり、登りに使う予定の尾根は、雪原の一気の登りで、爽快である反面、団体を案内するのはどうなのだろうかという一抹の不安が残った。
 三月に入った段階で、雪の締まりが一気に進行した。前日の守門大岳では、前夜の新雪でラッセルとなったが、午後からは晴天。夜の間に雪は締まって、黒森山では標高も低いことから、ほどほどの雪の硬さと推測した。ピッケル・アイゼンは、持っていかないつもりではあったが、事前に参加者からの質問も無かったことは、こういった雪山を案内することの危うさも感じられる。
 朝方の集合で、総勢22名の団体になったことを知った。5台の車に便乗して、登山口の熊沢集落に向かった。津川から国道を走り、県境越えをしたところで国道から分かれる。目的地は右手だが、左に道路が分かれるので注意が必要である。
 先回の偵察では、集落手前の坂が積雪のために登れずに手前からの歩き出しになったが、今回は道路は乾いていた。集落を通り過ぎて橋を渡った先に消防団の小屋があり、その前が除雪終点になっている。周辺のスペースに車を置くことができた。
 出発の準備をしてから林道に上がると、雪は締まっており、つぼ足で歩ける状態であった。歩き始めの崖から雪崩が発生していたが、その先は、問題の無い歩きが続いた。振り返ると、22名の列が長く続き、どこかの有名山といった雰囲気であった。
 先回のラッセルと違って、のんびりした歩きで、黒森山トンネル入口の上に到着することができた。行き交う車を見下ろしながらひと休みした。車の中からは、はでな色合いをした一団はどのように見えているのだろうか。一瞬のことなので、眼をこらした後は、トンネルに突入しているはずである。
 黒森山へのコースとしては、いろいろの尾根が考えられる。トンネル上に落ち込む尾根は、上部で山の斜面に行き当たってしまう。次の尾根は、取り付き部が急。その次の尾根を、これまでと同様に登ることにした。
 尾根の先に回り込んだ所から、杉林の広がる尾根に取り付いたとたんに、雪に落ち込んだ。杉林は、日差しが差し込まないため、雪の締まりが林道よりも遅れている。ここで、スノーシューあるいはわかんの装着となった。
 杉木立を登ると、すぐに尾根上に出る。少し急な雪稜を登ると、雑木林の尾根になって、傾斜は一旦緩やかになる。この先は、雪原の一気の登りになり、途中で休むのも危険なため、全員が集まるのを待った。
 休んでいるうちに、「おれはあの尾根から黒森山へ登り、集落近くへ通じる尾根で下山した。」という、自慢げな話声が耳に入ってきた。不愉快になった。5年前ということのようなので、私も入会している時期であるが、黒森山の報告はされていないはずである。この山は今回で三回目になるが、先回は、あくまで直前の偵察ということで、同じコースを歩く必要があり、他の尾根を登って確かめる余裕まではなかった。今回のメンバーでもこの尾根で登れるはずとは考えてはいるが、安全性については一抹の不安もあり、他の尾根の方が良かったかどうかには、迷いも生じていた。会山行で、この山が取り上げられたということは、年のスケジュールが発表になった段階で知っているはずである。自分の持っている情報も伝えずに、山行に参加するとは理解に苦しむ。是非、以前の山行の報告を、今からでも良いから提出して欲しい。それでなければ、単に個人が案内しただけで、会としての知識を集約した上での会山行とはいえないのではないだろうか。
 斜面を目で追い、登るコースのイメージを掴んだ。先回も数カ所で亀裂が生じていたが、今回もそれほど変わっていないようであった。スノーシューは、雪に押しつけると、僅かに沈む堅さであった。踏み跡はそれ程付かなかったが、安定はしており、足元に不安はなかった。ただ、二番手がわかんのため、浅い踏み跡に苦労しているようであった。先頭集団は、スノーシューでまとめるべきであったかと反省した。スノーシューとわかんが混在すると、踏み跡の深さ、大きさが違ってきて、効率が落ちる。雪の上に、古いトレースが続いているのが目に入った。ひと月前の偵察時のトレースであった。これに従うことで、コース取りが楽になった。途中のテラスで後を振り返ると、長々と列が続いていた。
 一気に登って、安全圏の雑木林に入った所で、全員が揃うのを待った。初回の下山には、トンネル入口へ落ち込む谷を下った。眺めてみると、雪の状態は安定しているようであった。登った雪綾を下るよりは、安全に思えた。下山には、ここから谷間を下ると、全員に伝えた。
 この先山頂までは、ブナも混じる林間コースの登りになる。傾斜がゆるんで、もう少し先に進むと黒森山の山頂に到着した。先回は、展望を楽しんだのだがと見回すが、木が茂っている。南西の斜面を少し下ると、台地状の広場があり、西半分の遮るもののない展望が広がっていた。カシミールによる展望図を用意していたので、展望を説明しながら、楽しんだ。目指岳や大倉山は隣りに聳え、御神楽岳や川内山塊の山々、菅名山塊、ピラミッド型がひと際印象的な土埋山、飯豊連峰の眺めが広がっていた。山頂に戻って会津方面を眺めると、会津磐梯山や飯谷山の眺めが広がっていた。短時間で登れる山としては、この大展望は素晴らしい。
 雪山の確保法の講習の後に、大天蓋の下で宴会になった。飲むものを飲み、食べるものを食べた後に下山にうつった。
 昼過ぎになって、雪も柔らかくなって、急斜面の下りには具合が良くなっていた。分岐から、谷に進んだ。スノーシューで雪を蹴散らしながらの下りは楽しい。スノーシューは下りに弱いと言われるが、技術が無いだけである。谷が狭まったところで、左手の杉林の広がる尾根に逃げて、少し下ると、林道に下り立った。
 全員が下るのを待って、後は林道を戻るだけになった。人数も多かったため、現地で解散とし、早い時間に新潟へ戻ることができた。

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