守門大岳

守門大岳


【日時】 2006年3月4日(土) 日帰り
【メンバー】 3名グループ
【天候】 雪後晴

【山域】 守門山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 大岳・おおだけ・1432.6m・三等三角点・新潟県
【コース】 二分より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/穴沢、守門岳
【ガイド】 積雪期コース なし
【温泉】 守門温泉SLランド青雲荘 500円

【時間記録】 4:00 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、川崎北、R.351、栃尾、R.290、貫木 経由)=6:20 二分〜6:55 発―7:38 大平―9:22 保久礼―11:55 大岳〜12:25 発―(12:40〜13:10 昼食)―13:35 保久礼〜13:45 発―14:50 大平―15:20 二分=(往路を戻る)=19:30 新潟

 守門岳は、新潟県の中越の会津との国境近く、浅草岳と隣り合う独立峰である。裾野を大きく広げたコニーデ型火山で、大岳(前守門)、青雲岳(中守門)、主峰の袴岳(奥守門)と頂稜を連ねている。この山は200名山に挙げられ、大勢の登山者が訪れている。春の大岳は、山スキーのコースとして人気が高いが、東洋一の大雪庇と呼ばれる山頂からの眺めを楽しみに訪れる登山者も多くなっている。

 大岳は山スキーの人気の山になっているが、スノーシュー歩き向きの山ともいえる。登山口からラッセルとなると、距離も長いことから山頂まで達することは難しい。雪も締まって、スノーシューがもぐらなくなる時期が良い。一般には、三月中旬頃からが、スノーシュー歩きの適期ということになろうか。残雪期の守門大岳は、1997年4月20日、2003年4月6日、2004年4月10日の三回登っているが、いずれも四月に入ってからのことである。今年は、大雪のわりに雪の締まりが早く、先週には堅雪を利用して登ったという情報が流れてきた。インターネット上の知り合いに、新潟の山でのスノーシュー歩きを紹介したいと思っていたので、土曜日に晴天マークが出たこともあり、良い機会と思い大岳に誘うことにした。
 二分の登山口に7時に落ち合う約束をした。朝目を覚ますと、道路をうっすらと雪が覆っていた。積雪は多くはなかったが、高速道では除雪車も出動しており、ノロノロ運転が続いた。長岡から栃尾経由で走るうちに、道路上の積雪も多くなった。幸い、小雪になっており、日が昇るにつれて天気は好転するのだろうと期待することにした。二分の集落を過ぎると、道路も圧雪状態になった。雪の上に最初の轍をつけながら車を走れせると、除雪終点の広場に到着した。予想に反して、一台の車も停まっていなかった。四月に入れば、路上駐車の列が長く続いているのだが、やはり時期が早いようである。なお、除雪終点は、西川にかかる大平橋の手前450m地点、地図に見られる中州の北側である。
 積雪のために遅れるかと思っていたが、予定よりも少し早く到着し、問題なく合流できてひと安心した。インターネットを通じて、頻繁に話を交わしているので、初対面とも思えない。山岳会では、個人的に話もしたことがなく、山に対する姿勢も知らないような人とも山行を共にしざる得ないのと比べれば、遙かにうち解けやすい。インターネットを通じて、多くの友人とこれまでにも出会ってきたが、事前の印象と実像が、一致しているとか、全く外れているとかが、話の種になる。今回は、どのような印象で見られたのやら。
 路肩の雪壁は、大きな所では4mほどの高さになっていた。除雪終点も壁になって上がれず、少し手前から上がると、作業小屋が屋根を僅かに見せていた。さっそくスノーシューを履いて歩き出した。新雪が積もっており、スノーシューでも20センチ程は潜る状態であった。スノーシューが必要な山歩きという条件は満たすことができた。
 大平橋を渡った先で林道と分かれ、段々になった棚田をショートカットしながら登ることになる。トレースがなく、まっさらな雪が広がっている様は美しいものの、初めてでは、コースが判らないかもしれない。右方向に少し向きを変えて雪原を登ると、林道に再び飛び出す。
 この林道合流点からは、向かいの急斜面を登って尾根に上がるコースと、左に林道を辿って大平を経由するコースの二通りが考えられる。大平からの守門岳の眺めが好きなので、帰りの晴天に期待して、少し遠回りになるが、大平に向かった。
 川向こうの駐車場方向に戻るように林道を歩いていくと、大平に到着。あいにくと、雲がかかって山の眺めは閉ざされていた。ここまでのラッセルで疲労困憊ということも過去にあったので、それに比べれば楽なラッセルであった。以前は、ここまで車で入ることができたのだが、住んでいる人がいなくなったため、除雪されなくなったという。過疎化が進むと、雪山のアプローチにも大きな影響が出てくるかもしれない。
 電柱の列に沿って雪原を歩いていくと、沢の流れは雪で埋まっている谷間に入る。木の間隔は開いているが、見晴らしは利かず、位置が判りにくくなる。谷を詰めたところで、背の低い杉の植林地を通って、左の尾根に上がる。
 尾根を辿ると、林道を横断して長峰に到着となる。雪は多く、どこで林道を横断したか判りにくくなっていた。長峰付近は、林道の支線が通じておりなだらかな尾根状であるが、雪が急に深くなり、ラッセルの苦労も大きくなった。幸い、歩き始めの雪も止んで、青空が広がり始めていた。
 三人でのラッセルは、若くて体力もある二人が参加しているといっても、山頂まで体力が持つだろうかと思ってしまうような厳しいものになった。この日の山行は、一週前の週末、堅雪でつぼ足でも登れるような状態であったと聞いたのが発端になったが、前日の降雪で、思わぬ大苦戦になった。こうなると判っていたら、ラッセルの交代要員にために、せめて五人まで人数を増やしておきたかった。
 幅広尾根の長峰から一旦下ると、鞍部のブナ林の中に保久礼小屋が佇んでいる。コンクリート作りの無骨とも言える建物であるが、屋根だけが雪の上に出ており、4m程の雪が積み重なっていた。夏ならばここが登山口であるが、ここに辿り着くまでで、体力を大きく消耗していた。休んでいる間に、スキーの単独行が先に進んでいった。
 保久礼小屋からは、丸太の段々が設けられた登山道が整備されている。急斜面であるが、冬の法が歩き安いともいえる。傾斜がゆるむと、尾根一旦細くなり、その先で再び幅広斜面の登りに変わる。この付近は、美しいブナ林が広がっている。木の枝には雪が付いて、白いクリスマスツリーのような姿を見せていた。
 次の目的地は、きびたき小屋であった。内部の構造は知らないのだが、二階建てほどの高さを持つ小屋である。GPSの位置確認で到着したのは判ったのだが、小屋は見あたらなかった。なお、地図と以前に入力したGPS測定による実際の位置とは、50m程違っている。下山後に、雪が僅かに三角形に盛り上がったところがあり、雪の隙間から壁がのぞいており、小屋があることが確認できた。小屋が完全に埋まってしまう積雪に、改めて驚かされた。
 きびたき小屋からひと登りすると、ブナ林も姿を消して、一面の雪原が広がるようになる。ここからは、行けども着かぬ雪原登りとなる。一気の登りで、爽快感もあるが、体力的にもきつい。雪がクラストして、潜らなくなるかという期待もむなしく、相変わらずのラッセルが続いた。足を止めて息を整えながら振り返ると、雪原に一条のトレースが長く続いていた。権現堂山塊や毛猛山塊、越後駒ヶ岳や中ノ岳をはじめ、かなためで雪山が広がっていた。
 山頂までもうひと頑張りというところで、先行した単独行のスキーヤーが、早くも滑り降りてきた。山頂到着と同時に折り返したようで、地元の常連者のようであった。
 大岳山頂は、風が強く、時折雪が舞い上げられていた。広大な円丘になっている。守門岳方面の写真を撮るため、雪庇の縁には近寄らないようにして、鞍部への下降点へ近づいた。普通に歩いていた次の瞬間、雪原に開いたクレパスに腰まで落ちていた。ストックを横に置いて支点とし、腹這いになって、雪の上に出た。穴をのぞくと、かなり下まで続いていた。亀裂を雪が埋めて、ヒドュンクレパスができていた。
 安全なところに戻り、守門岳方面の写真撮影を行った。風によって、雪庇のかかる稜線には雪煙が上がっていた。春山というよりは、冬山本番といった厳しい姿を見せていた。ジャケットや帽子を身につけて寒さ対策をしているうちに、守門岳の山頂も姿を現した。
 この次は、位置を変えて、中津又岳方面の雪庇の見物をした。薄紙のような雪庇が波をうちながら続いていた。当初の予定では、中津又岳を経由した保久礼小屋に下るつもりであったが、稜線近くには近寄れず、すぐに谷間へと下ってから尾根に乗る必要があるため、安全策をとって、来た道を戻ることにした。
 雪も柔らかく、スノーシューで快調に下ることができた。この頃になると、登ってくるスキーヤーにも多く出会うようになった。登りの途中には弱気になって、他の登山者にラッセルを助けてもらえたらと思ったものの、雪原にトレースを付けて登ることこそ雪山の醍醐味だと、足跡の入り乱れた雪原を見て考えも変わった。
 お腹もすいてきて、雪原の尽きる付近で腰を下ろした。風も弱まり、春の陽気になっていた。眼下には雪山の眺め、傍らの木々は雪の飾り付け。青空に白い雪が冴えた。
 下りは楽といっても、次第に足も草臥れてきた。大平に戻り、大岳を振り返った。遠き高みに、真っ白な大岳と守門岳が並んでいた。ここからの眺めは、山行を締めくくるのに相応しい。また、春に訪れることにしよう。
 最後の歩きに力を振り絞った。車に戻ってから温泉へ向かい、そこで解散とした。
 越後の雪山の楽しさを味わっていただけたら、今回の山行の目的は果たしたと言えるであろう。

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