東谷山、日白山

東谷山、日白山


【日時】 2006年2月25日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 東谷山・ひがしやさん・1553.8m・三等三角点・新潟県
 日白山・にっぱくさん・1631m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/土樽
【コース】 二居スキー場跡より
【ガイド】 なし
【温泉】 二居宿場の湯 600円

【時間記録】
2006年2月24日(金) 9:00 新潟=(関越自動車道、越後湯沢IC、R..17 経由)
2006年2月25日(土) =0:30 二居  (車中泊)
7:05 二居スキー場―7:37 二居峠―8:02 鉄塔―9:19 東谷山―10:18 日白山〜11:04 発―11:27 地王堂川―12:10 除雪終点―12:26 二居スキー場=(往路を戻る)=15:30 新潟

 新潟県と群馬県の国境をなす谷川連峰の西端近くの平標山から、北に向かってメアテ尾根が延びている。この稜線は、魚沼川と清津川に挟まれて、日白山、タカマタギ、白板山を経て魚沼丘陵に長く続いている。険しい山様を見せる魚野川の右岸の荒沢山や足拍子岳に対し、左岸のタカマタギから日白山にかけては比較的穏やかな稜線を見せている。多くの登山道が開かれている谷川連峰にあって、この稜線には登山道は無く、登山の時期は積雪期に限られている。東谷山は、日白山の西に派生した稜線にあるピークであり、三国街道の二居峠はこの山の南西の山裾を越している。

 2000年4月1日から2日にかけて、テント泊で、棒立山から日白山を経て平標山への縦走を行った。その際に、日白山で大展望を楽しみ、今度は東谷山から日白山へのコースを歩いてみたいと思った。その後、東谷山には2001年11月24日に登ったが、濃い笹の藪漕ぎであったため、東谷山の山頂からは日白山を目の前に見ただけで終わった。日白山は、今年の冬の第一目標と思っていたが、大雪のために中越方面に足を向けることができないままになっていた。週末直前になって晴れマークがつき、日白山に出かけることにした。
 先週の裏磐梯の大早稲沢山では、高度が上がると雪も締まって、つぼ足で歩ける状態であった。今回の日白山の方が、標高も高い。スノーシューは使うとして、アイゼンとピッケルも持っていくことにした。
 早朝発でも登れるはずであったが、時間に余裕を持たせるために、前夜発とした。高速の深夜割引を利かせるためもある。スキーシーズン真っ盛りであるが、湯沢の街は静かであった。以前のように深夜から入って、早朝から滑るというようなことは流行らなくなったようである。二居に入って、いつものように車の中で寝た。
 朝一番の仕事として、車の置き場所を探すことがあった。集落内を横断する車道が二居スキー場に突き当たった所に広場があり、ここに車を置いて歩き出すことにした。二居スキー場は、リフト二基の小さなスキー場であるが、閉鎖になっている。二居の国道を挟んだ向かいには、田代ロープウェイの乗り場があり、スキー客は、田代スキー場に行ってしまう。二居の集落自体も三俣と比べると寂れた感じがあり、スキー場は、勝ち組と負け組がはっきりと分かれてきている。
 「越後三国街道石畳の道」として整備されている中部北陸自然歩道は、この一段上から始まっているはずであったが、駐車場脇からゲレンデに進んだ。雪に足がもぐるので、さっそくスノーシューを履いた。ゲレンデを横断した先から、送電線の電柱が並んでおり、杉林の中にベルト状の刈り払いが続いていた。これを辿っていき、斜面が急になったところで、右に逃げると、杉林も尽きて、上がってきた遊歩道に乗ることができた。遊歩道は雪に覆われていたが、スキーやスノーシューの跡も残されており、辿るのは難しくはなかった。右手にも送電線が沿っており、二つの送電線の間を歩くことになった。
 谷間が広がると、峠のたわみも目の前に迫ってきた。雪原を登り詰めると、二居峠に到着した。峠のあずまやは、雪に半ばが埋まっていた。ここで、右手の尾根に取り付いた。尾根上の雪は締まっており、スノーシューの爪を利かせながらの登りになった。先方に、大鉄塔が見えており、次の目標になっている。送電線の下に出て一息ついた。東谷山に向かって、なだらかに雪綾が続いている。青空のもと、歩くこと自体が楽しみな状態になった。背後を振り返ると、田代ロープウェイが見えていたが、高度が上がった時の眺めが楽しみであった。
 1195m点で、鶏冠のような大きな雪庇の張り出しが二カ所連続して現れた。急斜面になった飛び出しの横腹を登る必要があった。スノーシューの爪を利かせて登り始めたが、足跡によって、表面がでこぼこしていて、爪が一部しかひかからないので、途中のステップでスノーシューをはずすことになった。靴でキックステップをいれようとすると、雪は堅く跳ね返された。古い足跡を足がかりにしての登りになった。この状態でここを下ろうとすれば、ピッケルとアイゼンは必要であるが、用具は準備してあるし、昼には雪も柔らかくなって通過しやすくなっているはずであった。結局、ここがコース中の最大の難所であった。
 1350m付近になると、尾根も広がり、ブナやダケカンバが、間隔を開けて並ぶようになった。木々の枝には、霧氷が付き、白銀の世界が広がっていた。先回のヤブコギでは、笹藪に悩まされるようになったところであるが、まさに別世界であった。カメラを首にぶる下げて写真を撮りながらの登りになった。
 尾根が左に曲がって、もうひと登りすると東谷山の山頂に到着した。右手には、平標山と仙ノ倉山が大きな姿を見せていた。振り返ると、苗場山が、台地状で右が切り落ちた特徴のある姿を見せていた。それ以外にも素晴らしい眺めが広がっていたが、展望を楽しむのは、日白山に到着してからである。
 東谷山の山頂は、横に広がっている。東の縁に立つと、日白山までの稜線が目の前に延びていた。一旦下った後に、1519mと1590mピークを越していく必要があった。東谷山からの標高差70mの下りは、雪も柔らかくなってきており、踵でキックステップしながら、問題なく通過した。1519mはなだらかなピークで問題はなかったが、1590mピークは、雪庇が大きく張り出しており、トレースが縁に近いところを通過していた。注意しながら登って1590mピークに到着すると、日白山の山頂は目の前であった。先行者がいるなと思っていたが、数名の登山者が山頂に立っているのが見えた。
 山頂で開ける展望を楽しみに、日白山山頂への最後の登りにかかった。山頂一帯には、スキーで滑ったら気持ちよさそうな雪原が広がっていた。
 緩やかな円丘になった日白山山頂に到着すると、息を飲むような展望が広がっていた。登山をするものなら、誰もが夢見るような風景である。360度の展望が広がっている。しばらく、ただ呆然と周囲を見回していた。まずは、荷物を下ろして、休む体勢を整えた。晴天にもかかわらず、風はつめたく、ジャケットを着込む必要があった。
 先行グループは、入れ違いに歩き出し、タカマタギ方面に下っているのが見えた。泊まりとは思えない軽装であったので、タカマタギから一気に毛渡橋へと下ってしまうのか、それとも時間が早いためタカマタギまで往復してくるのか、どちらなのだろうか。
 稜線の雪の状態も、先回の4月2日の段階では、雪庇が大きく張り出し、割れているところもあって、稜線が険悪な姿を見せていたが、この日は、柔らかな雪稜の姿を見せていた。天気に恵まれれば、雪の豊富な時期の方が、登山も楽なようである。
 先回は、雪庇の踏み抜きが怖くて、山頂の縁には近づけなかったが、今回は、斜面をそのまま見下ろすことができる状態であった。さて、展望の解読である。帰宅後、カシミールで再度確認する必要があったが、ほぼ当たっていた。南には、平標山に仙ノ倉山が大きな姿を見せていた。雪の表面が凍っているのか、油を塗ったような光を放っていた。その左に向かって眺めていけば、万太郎山を経て谷川岳。谷川岳の二つのピークが並んだ様子もよく眺めることができた。一ノ倉岳を経て茂倉岳。武能岳、朝日岳、大烏帽子岳、柄沢山を経て巻機山。その奥に見えるのは、平ヶ岳のようである。巻機山の左には、八海山で、その奥は守門岳であろうか。一段低い飯士山に、魚沼平野、米山。来た方向を振り返ろう。東谷山は低くなり、その向こうには、霧ノ塔、神楽峰、苗場山が並んでいる。赤倉山、ならず山を経て佐武流山。登った山の思い出にふけりながら眺めを楽しんだ。
 展望の次は、これも楽しみのひとつであるビールの出番になった。飲みながら、地図を見ながら考えることがあった。日白山の登山コースは、東谷山とタカマタギからのコースの他に、地王堂川沿いのコースがある。主に山スキーの滑走に利用されているようだが、歩いて悪いということはない。ただ、コースの詳しいところがいま一つ判らなかった。左岸沿いに広がる台地にでるのか、地王堂川をどの辺で渡って右岸の林道に出るのか。推測したコースをGPSに入力してきてはいたが、地王堂川沿いのコースに下るとなれば、でたとこ勝負になりそうであった。晴天も広がっているので、展望を楽しみながら東谷山経由で戻っても良いかなと迷っていた。休んでいるうちに人声がすると思ったら、地王堂川方面からボードを背負ってスノーシューを履いた男女の二人連れが登ってきた。
 到着したところで、地王堂川沿いのコースを訊ねてみると、でこぼこにトレースがついており迷うことはない、地王堂川も雪に埋もれて、そのまま歩けると教えてくれた。興味に誘われるままに、地王堂川コースに進むことにした。
 先回は、日白山の山頂からは、バックステップで慎重に下ったのだが、雪もゆるんでおり、キックステップで問題はなかった。鞍部手前の1600m標高線を越したすぐ先で、谷間への下降を開始した。ブナ林の広がる斜面で、スキーの林間コースに相応しかった。傾斜は少し急であったが、キックステップで気持ちよく下ることができた。足跡もはっきりしており、コースの心配はなかった。先週の日曜日も良い天気で入山者も多かったようであるが、その後の一週間は、まとまった降雪はなかった。山頂で出会った二人のスノーシューは、爪の跡がかすかに残っていただけで、辿るのは難しかったので、古いトレースがはっきり残っていたのは、幸運であった。少しずつ左にコースを変えていき、西に向かう尾根にのって、最後はそのまま沢に突き当たって下り立った。地王堂川の二俣の中間尾根を下ってきたことになる。ここまでは、30分もかからず、一気の下りであった。もっとも、登ろうとすれば、倍の1時間はかかるであろうか。
 足ももぐるようになってきたので、スノーシューを履くことにした。この後は、沢の中を歩くことになった。1519mピークの下部あたりで、小規模であったが、雪崩の跡もあり、このコースは、大雪の後や、気温上昇の際には、雪崩に注意が必要なようである。
 快調に雪に埋まった沢を下っていき、堰堤を越すと、その先で右岸の林道に乗った。周囲は杉林が広がって、面白味はなくなった。送電線の下を通過し、地図書かれている二俣の北側で、除雪終点となった。終点部に車の回転部は無かったが、少し下ったところに広場があり、先のボーダーの車が置かれていた。こちらからの登りは、ひと組だけであったようである。後は、車道歩きで、車に戻るだけになった。
 地王堂川コースに下ったせいもあり、早い時間の下山になった。車を置いた広場には他の車はなく、余所から歩き出した者もいるかもしれないが、この日の日白山の登山者は、3組程度のようであった。
 湯沢方面の山の準備もしてきてはいたのだが、この日の山行で満腹状態になっており、家に戻ることにした。
 翌日の新聞で、3時半頃、ガーラ湯沢のゴンドラが強風のためにストップして、乗客が缶詰になったという記事を読んだ。天候は、下山後に急速に変化したようである。あれ程の晴天がすぐに崩れるとは思いもよらず、山の怖さを知った。

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