無沢山、簗部山、大早稲沢山

無沢山
簗部山、大早稲沢山


【日時】 2006年2月18日(土)〜19日(日) 各日帰り
【メンバー】 18日:7名 19日:6名
【天候】 18日:晴 19日:晴

【山域】 五頭山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 無沢山・むざわやま・709.0m・三等三角点・新潟県
【コース】 ルーセントカントリークラブ入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/東赤谷
【ガイド】 なし
【温泉】 新三川温泉きらら 500円(貸しタオル付き)

【山域】 裏磐梯
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 簗部山・やなべやま・1387.4m・三等三角点・福島県
 大早稲沢山・おおわせざわやま・1424.8m・三等三角点・福島県
【コース】 曽原から早稲沢へ
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/吾妻山/檜原湖
【ガイド】 なし
【温泉】 早稲沢温泉民宿遠藤 500円

【時間記録】
2月18日(土) 6:20 新潟=(R.49、白川 経由)=8:10 ルーセントカントリークラブ入口〜8:28 発―9:20 尾根取り付き―10:26 554m点―11:00 無沢山〜12:10 発―12:34 554m点―13:32 尾根取り付き―14:14 ルーセントカントリークラブ入口=(白川、R.49、津川IC、磐越自動車道、猪苗代磐梯高原IC、R.115、剣ヶ峰 経由)=18:00 早稲沢  (車中泊)
2月19日(日) 8:10 曽原―10:28 簗部山〜10:45 発―11:40 1441mピーク―12:32 大早稲沢山〜13:00 発―14:22 早稲沢=(剣ヶ峰、R.115、猪苗代磐梯高原IC、磐越自動車道 経由)=18:00 新潟

  無沢山は、五頭山塊の一等三角点ピークの松平山から南東に派生する尾根上のピークである。五頭山塊は、新潟市に近いことから、人気の高いハイキングの山になっているが、この無沢山には夏道は開かれておらず、また裏五頭とも呼ばれる東面に位置していることから、忘れられたピークになっている。山頂からは、飯豊連峰の展望が広がっている。

 簗部山と大早稲沢山は、吾妻連峰の西大巓から南西に延びる尾根上にあり、裏磐梯の檜原湖の東岸に連なる、ピークである。会津磐梯山や吾妻連峰を始めとする周囲の展望を楽しむことができる。登山道の無い山で、登ることのできるのは、積雪期に限られる。


 無沢山には、1998年2月28日に登っているが、この時は、峡彩ランタン会で数組が直前に入山しており、情報も得られたし、先行者のトレースを使うことができた。しかし、その後、会でも登ったという話を聞いていない。忘れられた山になっているが、無沢山は、スノーシュー歩きにも適していると思い、再度登ろうかと思っていた。
 この週末は、日曜日に裏磐梯の簗部山から大早稲沢山への縦走の約束が入っていたが、土曜日に「スノーシュー向きの山に連れてって」のメールが入った。山行後に会津へ向かう必要があるため、磐越道沿いの山選ぶ必要があった。無沢山は、コース判断の問題はあるものの、特に危険なところもないので、人を誘う山として、この山を選んだ。
 大雪の今年は、週末も悪天候が続いた。この週末は、幸いなことに晴天に恵まれるとの天気予報が出て、山行の期待も高まった。
 無沢山の登り口としては、ルーセントカントリークラブの入口が目安になる。ゴルフ場は冬季休業中であるが、この付近は、路肩駐車できるだけ道路の幅が広くなっている。鉄塔の向こうに見えるピークが、無沢山である。最初に綱木川を渡る必要があるが、橋は、雪原を渡って近づかないと見えてこない。
 道路脇の雪壁を登り、その上でスノーシューを履いた。今回のメンバーは、7名全員がスノーシューである。数年前に雪山へ誘った時に、新しくわかんを揃えたメンバーであるが、スノーシューへと進歩をとげた。
 川向こうの農作業小屋をめざして雪原を進むと、雪を被った橋が見えてくる。橋を渡った先は、用水堀の左岸に沿った農道の歩きになる。雪の状態は、20センチ程はもぐるものの、歩きやすい方であった。送電線の下を抜けると、道は橋で右岸に移っている。ここで少し勘違いをしてしまった。左に堰堤のかかる沢が入っているので、地図の二俣と思って、正面の尾根の左手に回り込もうとした。すぐに間違いに気が付いて引き返したが、杉林に囲まれて展望が遮られているのも、コース判断を難しくしている。
 沢の右岸沿いの歩きが続いた。左岸に移るため、徒渉できる場所、あるいはスノーブリッジを探しながら歩いた。前回は、尾根の取り付きまで3回の徒渉を行ったのだが、今回は、2m以上の雪壁が沢岸にできていて、沢に下り立つことは難しかった。といって、スノーブリッジも現れなかった。右岸沿いに崖が迫ってきたところで、ようやくスノーブリッジが現れた。中央部が凹んでおり細くなっていた。両岸の2m程の厚みのブロックが割れかかって押し合っているようであった。雪は安定しているようだし、沢の水も、万一落ちても靴を塗らす程であった。慎重にスノーブリッジに足を踏み出した。足場を作ってから大股でまたぎ越して対岸に移った。他のメンバーにも注意しながら渡ってもらった。下山時に雪が緩むようだと、スコップで雪壁を崩して、徒渉点を作る必要があった。そのようなことも有るかと思って、スコップも準備してあったので、心配は無かった。
 左岸の段丘上を行くと、再び崖が迫ってきて、沢沿いに進むには対岸に移るしかなかった。ここからも尾根が始まっており、地図を確認すると、この尾根経由でも問題はなさそうであった。前回登った尾根の、一つ手前ということになる。
 沢沿いのアプローチは終わりにして、尾根の登りを開始した。雑木林の尾根であったが、木の間も開いており、歩く上での支障は無かった。体力的を使うのはこれからであるが、登りを開始できたことで、気分的には楽になった。傾斜が所々で増したが、雪にステップを付けて登ることができた。
 背後を振り返ると、棚橋山、馬ノ髪山、俎倉山が並んで姿を見せていた。歩きを停めて、写真撮影に専念した。
 554m点で、無沢山の山頂の眺めが目に飛び込んできた。杉の木がが山頂脇に並んで、特徴のある姿をしている。山頂は、まだ高く見えていた。雪も締まってきて、傾斜が増すと、スノーシューの爪をうまく使う必要があった。しばらく台地を行くと、無沢山山頂に向かっての最後の登りが始まった。傾斜も増して、息を切らせながらの登りになった。
 無沢山の山頂は、飯豊方面の展望台になっており、棚橋山、馬ノ髪山、俎倉山の三山は、見下ろすようになって印象は薄くなった変わりに、焼峰山や二王子岳が存在感を示していた。蒜場山が目の前にあるのだが、山頂は雲に覆われていた。振り返ると、松平山から金鉢山にかけての真っ白な稜線が広がっていた。しばらく展望を楽しんだ後、山頂下の窪地に移って昼食とした。
 大休止のためにスノーシューを脱いだが、雪にもあまり潜らなかった。山頂直下の急坂だけ、つぼ足で下ることにした。慣れていれば、スノーシューでも問題はないと思うのだが、安全策をとった方が良い。時折、膝上までもぐるものの、急坂の下りでは、歩く上では問題ではない。傾斜が緩んだところで、再びスノーシューを履いた。わかんとスノーシューとの性能の比較がよくされるが、歩いていて楽しいのはスノーシューである。わかん歩きは、アルバイトという感じが抜けきれない。
 最後の難関のスノーブリッジも、無事に通過し、後は雪道を気楽に戻るだけになった。最後に新三川温泉のペンションで温泉に入り、一同とは別れた。
 無沢山下山後、途中で荷物の整理などをしていたため、裏磐梯に到着した時には、日が暮れていた。路面は早くも凍結していた。早稲沢集落の手前の除雪スペースに車を停めた。衝突音がしたので外に出てみると、下り坂のカーブでスリップして、車が横向きになっていた。星空が広がっていたが、それだけに冷え込みは厳しく、車の中に置いたペットボトルの水が、朝にはシャーベット状になっていた。檜原湖の氷上で行われるワカサギの釣り人か、早朝から車の通行量は多かった。
 宇都宮からの一行と出会い、早稲沢集落奥の除雪車置き場の広場の片隅に私の車を置き、曽原に向かった。氷結した檜原湖の上には、釣り人の色とりどりのテントが数多く置かれていた。湖畔沿いの道は、距離があり、縦走の長さが思いやられた。曽原湖沿いの道路に入り、ペンションの並ぶ道を進んだ。
 当初の予定では、大早稲沢山を登るだけの計画であったが、私が参加して車二台になるということで、簗部山から大早稲沢山への縦走に変わった。二山とも登っていなかったことから、この変更は歓迎であった。
 簗部山の登り口は、曽原の南の843m点に続く林道途中から登る。その手前で脇道が除雪されていたため、アプローチが短縮できるかと思って、この道の除雪終点から歩き出すことにした。
 青空を背景に浮かび上がる磐梯山を眺めながら、出発の準備をした。歩き出してみると、843m点の北側の尾根の乗り越しとなり、距離は少し短くなったが、体力的には、南から林道を歩いた方が良かったようである。
 尾根を横切ると、尾根の末端に到着した。尾根に向かって右手の浅い谷間を登った。雪は締まっており、スノーシューの爪を使っての登りになった。登るにつれて谷間は不明瞭になっていき、いつしか尾根に沿っての登りになった。高度を増すに連れてブナ林が広がるようになり、気持ちの良い雪原歩きになった。背後を振り返ると、白く凍結した小野川湖の向こうに剣ヶ峰を従えた磐梯山が鋭い山頂を見せていた。一週前にイエローフォール見物で訪れた火口原も一望できた。このような磐梯山の眺めは、簗部山からでなければ得られないものである。
 1000mを越すあたりから雪も堅くなり、スノーシューを脱いでつぼ足で歩けるようになった。雪原に段差ができており、そこを通過するためにもキックステップのできるつぼ足の方が楽であった。
 傾斜が緩んで稜線歩きを続けると、前方に簗部山の山頂が迫ってきた。山頂に向かっての急登りが始まった。山頂目前で、展望が開け、足が止まった。磐梯山に加え、一際真っ白な飯豊連峰の眺めが広がり、その左手には、越後の山並みが広がっていた。ひさしぶりに晴天の日曜日となり、五頭山や白山といった新潟の山は賑わっているだろうが、簗部山は、我々だけの独占であった。
 簗部山の山頂には、予定よりも早い2時間で到着した。スノーシューでのラッセルが山頂まで続いたら、簗部山の往復になるであろうが、それだけでも楽しめる山である。
 ひと休みの後に大早稲山への縦走路へ進んだ。山頂からの下りは、尾根通しが急であったため、その手前の斜面を下ってからトラバースして尾根に戻った。ここからは、1409m、1441m、1428mに加えて幾つかの小ピークを越えていく稜線歩きである。楽では無いが、雪稜歩きを満喫させてくれるコースであった。ブナの大木が並び、ピーク付近では、枝を霧氷が飾っていた。右手には、西大巓が広大なすそ野を広げ、グランデコスキー場が中腹に延びていた。西大巓の奥には、西吾妻山の山頂が僅かに頭をのぞかせていた。
 縦走をの中間部の1441mピークが、この一帯の最高峰であるが、無名のピークである。名前があって欲しいピークであった。1428mピークに着いたところで、大早稲沢山かと勘違いしたが、地図を見て、もうひと頑張りになった。どちらかというと、大早稲沢山よりは、手前の1428mピークの方が、立派な山頂であった。
 大早稲沢山の山頂には、思ったよりも早い到着になった。腰を下ろして、ゆっくりと昼食をとった。
 大早稲沢山からは、飯豊連峰を眺めながらの下りになった。今回のコースは、眺めの主役が次から次に交代していくので面白い。途中で傾斜が急な所もあったが、西に続く尾根沿いに、快調な下りを続けることができた。途中で、尾根を動物が横切ると思ったら、猿の群れであった。
 最後は、車を置いた脇に下り立つことができた。早い下山であった。締まり雪に助けられ、このような快調な歩きの機会はめったにないと思われる。
 早稲沢には多くの民宿があるが、その一軒で入浴し、他のメンバーにはゆっくり休んでいてもらい、車の回収に向かった。曽原で車を回収したところで、別かれて家路についた。

山行目次に戻る
表紙に戻る