雷山

雷山


【日時】 2006年1月28日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 雷山・いかずちやま・377.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津、加茂/村松、越後白山
【コース】 永谷寺より
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=7:45 川内〜8:08 発―8:19 永谷寺―8:35 林道分岐〜8:40 発―9:14 尾根上―9:36 空堀―9:47 尾根分岐―10:00 雷山〜10:32 発―10:40 尾根分岐―11:06 林道分岐―11:12 永谷寺〜11:28 発―11:39 川内=(往路を戻る)=14:30 新潟

 雷山は、早出川と仙見川に挟まれ、菅名山塊の不動堂山と白山に向かいあう、川内山群の入口にある山である。この山頂には雷城と呼ばれる山城が築かれ、早出川の対岸の福連寺山の福連寺城との間の争いにまつわる、「東光院物語」という、若君と姫君の悲恋の伝説が残されている。この伝説の舞台となっている麓の永谷寺(ようこくじ)には、「おぼと石」という伝説のまつわる史跡も残されている。
 雷山は、1997年3月2日に初めて登り、その後2001年2月11日に中退している。新潟からも近く、歩行時間もそれほどかからない手頃な山なので、スノーシュー歩きのために出かけることにした。村松公園を過ぎると、菅名山塊から白山方面の展望が開け、雷山も、小粒ながら形の良い三角形の姿を見せていた。
 雷山の登山口にあたる集落は、川内と呼ばれている。聞く者をある種の思いに誘う川内山塊の名前がここから付けられたとなると、おろそかにはできない。早出川と仙見川の合流点にあり、集落内には学校や郵便局もあって、この奥に点在する集落の中心地としての役割を果たしているようである。
 林道の始まる永谷寺まで車で入ることもできるが、駐車場も狭いので、集落に入った所の郵便局前の幅の広い通りに車を停めるのが良い。永谷寺は、案内の標識も置かれて、名前の知られたお寺のようである。お地蔵様の置かれた角を入ると、沢沿いの細い道になる。散歩の犬が、不審者とばかり見つめたまま動かなくなり、飼い主に無理矢理引っ張られていった。吠えられなかったので良かったが、一般的でない山に登る時の第一の障害は犬である。
 永谷寺の石段下から林道が始まっているが、雪に埋もれている。倒木もあって、車の進入は雪の無い時期でもできなくなっているようである。踏み跡があったが、すぐに沢に下りて途切れた。先回は、はっきりしたトレースに従ったところ、おかしな谷間に引きずり込まれて時間切れになったが、簡易水道の保守のために歩く者がいるのかもしれない。
 林道上の雪は思ったよりも少なく、沢水が入り込んで地面が出ている所もあったので、つぼ足で歩いた。右手に堰堤を見ると、その先で林道の分岐に出た。ここからスノーシューを履くことにした。帰りは、289点を通る尾根を使ってここに下る予定であったが、まずは以前も利用した林道からのコースに進んだ。
 雪も締まっており、スノーシューを履くと、僅かしか雪に沈まなかった。快調にといいたいが、汗を流しながらの林道歩きが続いた。谷を大きく巻いていくと、左に沿っていた尾根が低くなってきて、やがて林道がその上に乗る。林道は、おそらく北の送電線へと続くのであろう。
 尾根には杉の植林地が広がっている。少し登ると、傾斜も緩くなって、232点からの尾根が合わさる。杉の植林地と雑木林の境界部を歩くようになる。鉈目も多く、藪は歩く上で気にはならない。前方に雷山の山頂もうかがえるようになるが、結構高く見える。右手の仙見川の谷越しには、神戸山を望むことができたが、白山の山頂は雲に隠されていた。
 尾根の途中に、切り通し状の地形があり、ここの通過にステップを切る必要もあり、少し手間取った。山城の空堀跡のように思える。傾斜も増し、雪も堅くなっていたので、スノーシューのエッジを利かせながら登る必要が出てきた。
 289点から上がってきた尾根との合流点は、杉林が広がる台地になっている。ここから急斜面をもうひと登りすると、再び台地状の地形になる。山城のために、土地が削られて、台地状の敷地が作られているように思われる。目の前に山頂が迫った所で、再び段差が現れた。急であったため、左に回り込んでから山頂に登った。雷山の山頂は、杉林の広がる台地になっている。雪に埋もれて判らなかったが三角点の位置を踏んで登頂とした。山頂標識のようなものは見あたらなかった。
 この雷山については、永谷寺下の標識に、以下のように説明されている。「雷城 永世年間(1504〜21)に、この登山口から登る雷山の山頂にある雷城と、対岸の福連寺城が戦いました。水不足に苦しむ雷城は山頂から白米を流して水があるように見せかけました。雷城が別名「白米城」とも言われているのもそのためです。しかし、敵方に見破られ水攻めにより落城しました。また、城主は再興をを期して宝物を城跡に埋め、その上に白南天を植えたといわれています。」
 南東の縁に出ると、権現山や川内山塊の眺めが広がった。神戸山も目の前であった。雪の上に腰を下ろして、伝説に思いをはせながら、早い昼食とした。天気も次第に良くなってきて、隠されていた白山の山頂も見えるようになった。明日は、晴天になって白山、五頭山、二王子岳あたりは大賑わいになることであろう。私には、標高は低くとも、この雷山のように、人がいなくて静かな山の方が良い。
 下りは、雪が堅いため、滑らないように注意が必要であった。予定通りに289点を通る尾根に進んだ。杉林が広がり、この尾根にも多くの鉈目が残されていた。地図上では、一本尾根のように見えたが、尾根が分かれるところで、GPSを確認する必要があった。地図読みに自信が無ければ、どちらかのコースの往復の方が安全なようでだる。
 尾根の末端では、林道の切り通しに出てしまった。枝を掴んで中途まで体を下ろし、最後は尻で滑って林道に軟着陸した。すぐ先が林道分岐であった。
 最後に永谷寺のおぼと石を見物していくことにした。「おぼと石 雷城落城の際、城主のひとり娘菊姫が東光院淵に身を投じましたが、永谷寺の大潮浮船和尚の功徳によって成仏し、淵の龍神と化したのに感謝し、歴代の住職が亡くなる七日前になると淵から丸い石を届けるようになりました。村人はこの石をオボト石と呼んでいます。毎年、般若会には見知らぬ女性が座っており、これは菊姫の化身がお参りに来ると伝えられています。
」と説明されており、雪の上に丸石を乗せたお墓がならんでいた。雷山を登る時は、伝説を思い浮かべながら歩くのが良い。
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