燕巣山、四郎岳、鉱石山、朝倉山

燕巣山、四郎岳
鉱石山、朝倉山


【日時】 2005年11月12日(土)〜13日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 12日:6名グループ 13日:単独行
【天候】 12日:雪 13日:晴

【山域】 日光
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 燕巣山・つばくろすやま・2222m・なし・群馬県、栃木県
 四郎岳・しろうだけ・2155.6m・二等三角点・群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/男体山、燧ヶ岳/丸沼、三平峠
【コース】 四郎沢より
【ガイド】 私が登った群馬300山(下)(上毛新聞社)
【温泉】 座禅温泉 750円

【山域】 武尊山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鉱石山・こうせきやま・1215m・なし・群馬県
 朝倉山・あさくらやま・1289.2m・二等三角点・群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/追貝/後閑、
【コース】 ふじやまの湯登山口より
【ガイド】 私が登った群馬300山(下)(上毛新聞社)
【温泉】 桜川温泉 ふじやまの湯 500円

【時間記録】
11月11日(金) 19:20 新潟=(関越道、沼田IC、R.120 経由)=23:40 丸沼高原  (車中泊)
11月12日(土) 7:28 丸沼温泉―8:08 二俣―9:06 四郎峠―10:40 燕巣山〜10:55 発―11:53 四郎峠―12:55 四郎岳〜13:20 発―13:59 四郎峠―14:35 二俣―15:12 丸沼温泉=(R.120、平川、背嶺峠、川場 経由)=18:30 ふじやまの湯  (車中泊)
11月13日(日) 8:06 ふじやまの湯―8:30 登山道入口〜8:36 発―9:14 尾根上休憩所―9:20 鉱石山―9:52 朝倉山〜10:08 発―10:25 鉱石山―10:52 林道分岐―11:40 ふじやまの湯=(沼田IC、関越道 経由)=15:30 新潟

 燕巣山は、金精峠から鬼怒沼山に至る群馬・栃木県の県境上の山である。また、四郎岳は、燕巣山の西隣りに並ぶ山である。共に2000mを越え、日光周辺から良く目立つ山である。正規の登山道はないが、最近では登る者も多くなり、道ができている。
 鉱石山は、武尊山の南の裾野に位置する山である。かつては研磨材になるざくろ石を産出した鉱山があったことから、名前が付けられている。世田谷区市民健康村の開設に伴い、登山道が整備された。朝倉山は、鉱石山の北隣りの山で、二等三角点が置かれている。登山道は無いが、踏み跡はあり、ヤブコギの苦労もほとんどなく到達できる。

 日光や尾瀬に登った時に、燕巣山や四郎岳を眺めて、登りたいと思った。今年の5月15日に登る計画をたて、登山口の丸沼温泉に集まったものの、激しい雨のため中止になってしまった。今回は、そのリベンジである。
 またもや、週末は全国的に悪天候の予報が出た。そろそろ雪の心配をする必要が出てきて冬用タイヤに交換しようかと迷ったが、時間がとれないまま出発した。沼田から鎌田に向かう途中、金精峠は夜間通行止めの案内が出ていた。丸沼に近づくにつれ、雨の中に白いものが混じるようになった。丸沼スキー場の駐車場で夜を過ごし、朝になってから、丸沼温泉に移動した。道路の路肩にもシャーベット状の雪が現れたが、道路を全面的に覆う前に、沼に向かっての下降に入った。
 丸沼の駐車場は、釣り客の車で賑わっていたが、登山者はいなかった。夜半から本降りの雨になっていたが、宇都宮からの一行を待つ間に、雨は止んでいた。見上げる山の斜面は、雪で白黒まだらになっていた。
 金精峠は積雪状態になって普通乗用車がスリップして登れなかったとのことで、宇都宮一行は、少し遅れて到着した。冬用タイヤに交換していたとのことであった。
 さっそく、登山計画の再検討になった。当初の予定では、湯沢峠から燕巣山に登り、四郎岳からは丸沼への藪尾根を下る予定であった。この雪では、ヤブコギ山行は無理であった。四郎沢から四郎峠に登り、両山を往復することにした。このコースは、最近では一般適になっており、正規な登山道ではないが、道が有るようであった。沢沿いの登りと、雪に備えて、スパイク長靴でを履くことにした。ここのところ、長靴登山が続いている。
 四郎峠への取り付きは、沢を渡った対岸にある作業道になる。湯沢峠の入口にも、四郎峠という標識があり、笹原に通じるかぼそい踏み跡があるので、迷い易い。四郎沢には、かなり奥まで、幾つもの砂防ダムの堰堤が作られている。沢の左右に渡りながら遡っていくと、沢に沿った山道の登りになった。初冬のせいか水量も少なく、沢を横断するのは簡単であったし、沢の脇にはしっかりした道ができており、歩くのには問題はなかった。
 傾斜のゆるいナメが続くようになり、面白いので、流れの中を歩いていくと二俣に到着した。左の沢に入るのがルートなのだが、右に進んで、すぐ先で沢に挟まれた尾根を登るようになった。足元の滑りやすいところにはロープも下げられており、登山道と変わらないレベルであった。再び沢に下り立ち、その先で尾根上に上がる踏み跡があったので辿ると、笹原の中で道を見失ってしまった。少し戻って沢に下り立つと、山道が通じていた。脇道に引きずり込まれたようである。結局、湯沢峠までは、しっかりした山道が通じているので、道を見失ったら、戻って探すことが大切である。
 最後はしっかりした山道の登りになって、湯沢峠に到着した。稜線上には、東京電力によるらしい幅広の道が切り開かれている。地表を雪が完全に覆うようになって、冷たい風が吹き抜けていた。まずは、燕巣山を目指すことにした。1891mの小ピークを越すと、急坂の登りが続くようになった。雪も次第に多くなっていき、20〜30センチになった。雪のために足元が判らないので、一歩ずつ確かめながらの登りになった。湯沢峠までは、意外に楽に登れた感じがしたのだが、この先の標高差400m強の登りは辛く感じられた。周囲の木立には雪がつもり、完全に冬山の景色を見せていた。
 燕巣山の山頂に到着したが、ガスに囲まれて、展望は閉ざされていた。三角点は無いピークなので、山頂に到着しても捜し物の必要はない。このピークは、2222mとゾロ目の標高なのが面白い。2222年には、賑わうと思われるが、いそれまで生きてはいないし、登山という趣味が続いているかどうかも判らない。山頂の木には、標識が四枚も上下に重なって付けられて、少し離れた木にも一つ。山頂標識は、一つあれば充分である。藪山の山頂は、なにもなく、自分で地図を見るか、GPSで確かめることが相応しい。刈り払い道は、燕巣山までで終わっていた。
 燕巣山からの下りは、雪が多いうちは足元が安定していたが、少なくなってくると、泥と一緒に滑るようになり、恐る恐るの歩きになった。下りの途中、雪雲の中から四郎岳が姿を現した。こちらも辛い登りになりそうであった。
 四郎峠に戻り、今度は四郎岳へと向かった。こちらも同じような急登が続いた。燕巣山よりは標高が少し低いのが救いであるが、二山目とあって、足も疲れてきていた。途中でかなりの急坂になったが、幅広の道が切り開かれていたので、細かくジグザグを切りながら登ることができた。
 四郎岳の山頂では、三角点の標柱が立っていたので、傍らの雪を足で除くと、三角点を見つけることができた。丸沼と大尻沼を眼下に見下ろすことができ、正面には白根山の山腹までが見えていたが、すぐに雲に隠されてしまった。
 昼過ぎになっていたので、ここで昼食とした。お約束事としてビールを飲んだが、益々寒くなってしまった。首に巻いたタオルやザックに付いた雪がバリバリに凍ってしまった。気温は、燕巣山の山頂にいた時よりも下がってきているようであった。
 この日の目的の一つに、ユニクロのヒートテックという下着を試してみることがあった。スポーツ店の冬山用下着は、非常に高価であるが、ユニクロなら上下各1500円と安い。ここまで本格的な雪に出会うと思っていなかったので、山シャツとズボンは、冬用のものではなかった。冬山用下着と比べると、ユニクロ下着は、保温性は少し劣るものの、タオルが凍るような温度でもなんとかなった。関東方面の冬山や残雪期など、本格的な雪山以外には役に立ちそうである。
 寒さに追われるように、四郎岳からの下山に移った。四郎峠まで下ると、雪の影響も無くなり、沢沿いの道を下るだけになった。
 丸山温泉に下山した時は、小雪が舞っていた。翌日は、錫ヶ岳を計画していたが、順調にいっても下山は日没にかかるはずであった。この雪ではスピードもあがらず、登頂は無理であった。急登続きの燕巣山と四郎岳のおかげで疲労も出ており、今回は中止とした。金精峠を抜けて日光側の山が候補になるところであったが、今晩の雪の状態次第では、普通タイヤでは越えられなくなり、下手をすると道路閉鎖になる可能性もある。ここで解散とし、沼田方面に引き返してから、翌日の山を考えることにした。
 丸山スキー場で温泉に入り、山を下った。雪は消え、紅葉の山が広がるようになった。ガイドブックを見て、群馬百名山に選ばれている鉱石山に登ることにした。遊歩道として整備されているようなので、気楽に歩けそうであった。
 鎌田の先から背嶺峠を越えたが、山の中のくねくね道で、沼田に一旦引き返した方が早かったかもしれない。冨士山ビレッジを過ぎると、登山口のふじやまの湯が現れた。暗くなっており、登山口の様子は判らなかったが、これは翌朝の仕事に回して、そのまま川場スキー場方面に進んで、車を停めて寝た。
 ふじやまの湯の上手に林道が別れており、これが入口になる。道路の反対側は、第五駐車場と書かれた空き地になっており、車を停めることができる。林道の入口には、鉱石山を示す標識がないのが不安であったが、歩き出してすぐに、鉱石山の案内板が現れた。金属プレート製のものであったが、少し古びていた。
 少し先で林道には鎖がかかっていた。山に向かって延びる林道は、意外に傾斜があり、汗が噴き出してきた。地図にも林道を示す線が記載されていたのだが、その終点よりもかなり手前の930m地点で、林道は沢沿いから南に逸れていった。登山道の入口があり、山道が始まっていた。ここにはトイレが設けられていたが、鉱石山のコース途中には、他にもトイレが設けられており、世田谷区の野外活動施設として整備されていることが納得できる。
 杉林の中を抜けると、再び沢沿いの道になったが、じきに水は無くなった。大きなカーブを交えながら登っていくと、稜線が近づいてきた。近道と書かれた分岐に出たが、ここは南に続く道に進んだ。すぐ先で、登山道上にトロッコの軌道跡と見られるレールが現れた。かつては、研磨材に使われるザクロ石を産出する鉱山があったという。尾根の上に出たすぐ先で、休憩所の標識が現れた。広場にはなっていたが、展望は特に開けてはいなかった。
 散り残りのモミジが目立つ尾根道が続いた。かさこそと音を立てる枯れ葉を踏みしめながら、太陽の日差しをあびながら歩くのは、新潟ではなかなか味わえない。一つピークを越した先が鉱石山であった。最後は、それ程の登りでもなかった。トイレの脇を過ぎて、西に少し進んだところに、山頂標識が置かれていた。山頂付近は、それ程の展望はなかった。木立の間から見える朝倉山が気になった。
 鉱石山から朝倉山へは、登山道は整備されていないが、藪はほとんど無く、問題なく歩ける状態であった。鞍部から登り返して、露岩の脇を過ぎると、尾根沿いの登りになって、笹原が広がるようになった。膝下ほどの高さで、踏み跡もあり、少々藪っぽいのを楽しめるレベルであった。
 朝倉山の山頂には、木賊山と書かれた標識が置かれていた。この山頂の三角点は、二等であるので、ヤブコギでも登ろうとする者が多いようである。踏み跡は、北に向かってさらに続いていた。おそらく川場牧場に続いているのであろう。木立の間からは、白く染まった武尊山の山頂が見えていた。武尊山には、しばらく登っていないので、来年の課題になる。枯れ草の上に腰を下ろして、来シーズンを思いながらひと休みした。
 鉱石山に戻り、西へ続く道に進んだ。しばらくなだらかな尾根を辿り、1181m小ピークを過ぎると、急な下りになった。北に向きを変えると、荒れた林道に飛び出した。林道の途中からは、尼ヶ禿山や谷川連峰の眺めが広がった。川場牧場に通じる林道に出て左に下っていくと、川場スキー場に通じる車道に出て、そこから歩き始めの登山口までは、500m程で、歩くのも苦にはならなかった。このコースは、鉱石山だけでは少し物足りず、朝倉山まで足を延ばすことで充実したものになろう。
 鉱石山の歩きのためというよりは、前日の歩きのおかげで疲れも出ており、温泉に入って、少し時間は早かったが、家路についた。

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