光明山

光明山


【日時】 2005年11月6日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 万之助山・まんのすけやま・826.6m・三等三角点・新潟県
 光明山・こうみょうさん・879m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂、守門岳/粟ヶ岳、光明山、
【コース】 笠堀ダムより
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新にいがた花の山旅(新潟日報事業社)

【時間記録】 5:30 新潟発=(北陸道、三条燕IC、R289、下田村、笠堀ダム)=6:45 笠堀ダム〜7:00 発―7:32 大清水入口―8:02 七曲峠―8:10 水場―8:19 浄土穴―8:22 がば井戸―8:42 五合目山の神―9:09 万之助山―9:39 フイゴの立背―9:46 中光明山―10:01 笠堀砥石中継小屋跡―10:20 光明山〜10:45 発―11:00 笠堀砥石中継小屋跡―11:17 中光明山―11:31 フイゴの立て負い―11:56 万之助山―12:22 五合目山の神―12:38 がば井戸―12:41 浄土穴―12:49 水場―12:58 七曲峠―13:22 大清水入口―13:44 笠堀ダム=(往路を戻る)=16:00 新潟

 登山道が開かれている山の少ない川内山地において、光明山は日帰り登山の山として親しまれている。光明山は、越佐を廻国して木彫の微小仏を残した木喰上人の修業の山と伝えられており、山中には宗教的遺物が残されている。また、山中で良好な砥石が採れ、その搬出路が現在の登山道となっている。光明山自体は、川内山塊の奥深くに位置しているが、この山道によって効率よく山中に分け入ることができ、核心部の展望を楽しむことができる。

 中一日を挟んだ飛び石連休の三日目、どこに行こうかと迷って、川内山塊の光明山に出かけることにした。登ったのは1993年11月21日であるので、かなりの年数が経っている。
 八木鼻の岩壁を過ぎ、大谷への道から分かれて左の笠堀の集落に入ると、ほどなく笠堀ダムの駐車場に到着する。光明山の登山口は、少し戻った所にある。以前、笠堀ダムには観光船も浮かんでいたが、最近は、その賑わいも無くなっている。
 坂を下りていくと、光明山の登山口に出る。送電線鉄塔への道を登ると、すぐに登山道が左に分かれる。しばらくは、ブナやナラ林の中の登りが続く。標識杭の上に書かれた一合目や大清水入口の標識を見ながら登っていくと、尾根の乗り越しをして、大日影沢沿いの斜面のトラバース道になる。白根山や粟ヶ岳の眺めが広がるが、足元も不安定なため、気は抜けない。ロープが張られているが、弛みが大きいので、頼ろうとするとかえって危険である。
 岩場混じりの急坂が現れ、ロープの助けも借りて登ることになる。高度が一気に上がり、紅葉に彩られた森の眺めが眼下に広がる。急坂を終えた所には、大日菩薩の石仏が置かれ、七曲峠と書かれていた。この先も、足場の悪いトラバース道が続いた。トラバース道がうんざりしてきたが、稜線伝いは、小ピークが連続していて大変になるようである。
 満清水が右手に現れるが、ここには炭焼き小屋があったという。小ピークを回り込んでいくと、浄土穴入口の標識が現れる。木食上人の修行の跡と言われている。この先からは、ひさびさにトラバースから解放された道となる。ガバ清水を過ぎると、登りが続くようになり、尾根上に出る。杉の木立に囲まれた広場が現れると、ここには五合目と書かれていた。小さな祠があり、木製の男根が収められていた。道半ばということではあるが、光明山への道は遠く、疲れてきた。
 紅葉に彩られたブナ林を見ながら歩いていくと、前方に円錐形をしたピークが迫ってきた。これを右に巻くと、初めて南の展望が広がり、守門岳の眺めが目に飛び込んできた。この先で尾根の上に出ると、万之助山のピークが目の前に現れた。この先は、小ピークを連ねた岩尾根が続いていた。スラブを取り巻く灌木は茶色に染まって、晩秋の色を見せていた。この眺めからすれば、たかだか標高800m程の稜線とは思えないであろう。
 万之助山は、一旦通り過ぎてから戻るように道が付けられていた。山頂は小広場になっており、三角点が頭を出していた。万之助山からは、トラバース気味の下りになった。鞍部から登り返した所に、大岩の間をすり抜けるところがあり、これがフイゴの立て負いと呼ばれる所である。岩の上を辿る所も現れ、風景を楽しみながら余裕で通過できるものの、足元に注意を払う必要はあった。
 再び登り返した所が、中光明山であるが、登山道は、813mのピークは通らずに通過していた。ここでようやく光明山の山頂が目の前に迫ってきた。台形をした山頂は魅力的であった。ブナ林を下って、尾根に登り返したところに、笠堀砥石中継基地の標識が置かれていた。
 最後の急坂を登り終えると、光明山の山頂に到着した。石が積まれた中に山頂標識が立てられていた。祠らしきものがあったが、屋根がなくなっていた。まずは、展望を楽しんだ。周囲をぐるりと山に囲まれているが、矢筈岳と青里岳の姿が取り分け魅力的であった。目の前には秘峰毛無山も見えているが、その間には谷が入り、人を寄せ付けない。
 途中で追い抜いていった単独行が休んでいたが、食事をとっている間にも二組が到着して、山頂は賑わってきた。下りの途中、万之助山との間で、5組程の登山者と出会っているので、光明山は、そこそこに人気のある山であることが判る。
 この山の魅力は、万之助山から光明山の間の岩綾歩きと、山頂からの川内山塊核心部の眺めといって良い。前日の日本平山と比べると、灌木の紅葉は茶色が目立っていたので、もう少し早い時期に訪れてみる必要がありそうである。新潟からは来やすい山であるので、また訪れることにしよう。
 帰りもカメラを首に下げて、写真を撮りながらの歩きになった。12年前の記録と比べると、大幅に時間がかかっている。連日の登山の疲れもあろうが、写真のせいであるということにしよう。
 登山口が近くなると、下山していくグループに追いついたが、万之助山あたりで引き返したのだろうか。万之助山から先はアップダウンも大きく、体力が必要になる。
 下山してみると、ダム周辺は、紅葉見物の観光客で賑わいを見せていた。

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