御神楽岳

本名御神楽、御神楽岳


【日時】 2005年11月3日(木) 前夜発日帰り

【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 本名御神楽・ほんなみかぐら・1266m・なし・新潟県、福島県
 御神楽岳・みかぐらだけ・1386.5m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見、御神楽岳/狢ヶ森山、御神楽岳、
【コース】 三条林道登山口より
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 早戸温泉つるの湯 500円

【時間記録】
11月2日(水) 19:00 新潟=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、本名、三条林道 経由)=22:00 御神楽橋  (車中泊)
11月3日(木) 6:07 御神楽橋―6:14 作業道入口―6:19 本名御神楽登山口―6:25 八乙女滝〜6:30 発―7:13 八丁洗板―7:32 尾根取り付き―8:07 杉山ヶ崎―8:36 熊打場―8:48 避難小屋―9:09 本名御神楽―9:46 御神楽岳〜10:15 発―10:47 女御神楽―11:04 岩場―11:33 1091m独標―12:41 作業道終点―13:22 作業道入口―13:30 御神楽橋=(往路を戻る)=17:30 新潟

 御神楽岳は、新潟と福島との県境にあり、東面には会越の谷川岳とも言われる壮絶な岩壁をめぐらし、西面はブナの原生林に覆われる対照的な姿を持っている。御神楽岳の名前は、山中にて神楽の音が聞こえることに由来するといわれている。会津高田にある奥州二ノ宮の伊佐須美神社は、はじめこの御神楽岳に置かれ、その後、三坂山、博士山から明神ヶ岳、そして現在の地に移ったと言われている。この山の登山道は、新潟県側より東面の岩壁を眺めながら登る栄太郎新道、福島県側より本名御神楽経由で登るコースの二つが利用されてきた。それに加えて、古くからの登拝道でありながら廃道となっていた室谷道が1997年に整備中され、現在では容易に登ることのできるこのコースを利用する登山者が多くなっている。

 御神楽岳は、1992年11月13日以来4回登っているが、いずれも栄太郎新道を登り、室谷道ができてからは、この道をもっぱら下山に使っている。御神楽岳は新潟県内にあるが、福島・福島県境にあるピークは、本名御神楽と呼ばれて、会津の信仰の山になっている。会津百名山やうつくしま百名山では、本名御神楽が取り上げられているため、それよりも高い御神楽岳に登っているといっても未登のままになっているのが気に掛かっていた。ひさしぶりに晴天が巡ってくるようなので、紅葉も期待して本名御神楽経由で登りに出かけることにした。
 会津側から登ろうとすると、新潟を朝出たのでは、時間的に余裕が無くなるため、前夜発とした。本名ダムで国道から分かれて林道に進んだ。深夜の走行であるため、未舗装の道の運転には神経を使ったが、道路の状態はそれほど悪くはなかった。狢ヶ森山へ続く峰越林道を左に分けると、その先で、八乙女林道を右に分ける分岐に到着した。登山口へは左の道に進むことになるが、この分岐には、駐車スペースがあり、ガイドブックにもここから歩き出すと紹介されている。広場の先で、大鍋又沢にかかる橋があり、みかぐらはしと書かれている。ガイドブックには沢の名前が書かれているが、沢の名前を書いた標識がある訳ではないので、橋の名前か、八乙女林道分岐を目印にした方が判りやすい。
 橋を渡ると、林道の状態は少し悪くなった。今回下山に使う予定の作業道の分岐を確認してから広場に戻って寝た。夜中には星空が広がり、翌日の登山の期待が高まった。
 6時出発を予定して、目を覚ました。夜明けが遅くなっており、早くから歩き出したくとも、6時頃になってしまう。出発の準備をしている間にも、数台の車が通過していった。
 橋を渡り400mほど歩いたところが、作業道との分岐になり、その先150m程で林道終点の広場に到着した。広場には登山届けのポストが置かれていた。
 しばらくは霧来沢沿いの道が続いた。薄明るくなったとはいえ、谷底までは光が届いていなかった。ひと汗かくころ、左手に美しい滝が現れ、最初の休憩になった。これが八乙女滝で、登山道から少し近づいて写真を撮った。
 登りが始まったが、すぐに水平に変わった。尾根を乗り越す所で、沢を見下ろす岩場が現れた。数歩であったが、急な崖の縁を通過するので、鎖をしっかりつかんで通過する必要がある。
 再び沢沿いの歩きになった。見上げる山の斜面の紅葉は進んでおり、スラブも垣間見られるようになり、期待に心が弾んできた。谷間も広がるようになると、ブナ林の中の歩きになった。左手に沿う霧来沢も、なめ状の緩やかな流れに変わった。標識には、八丁洗板と書かれていた。長靴を履いていたので、沢に下りて、流れの感触を楽しんだ。
 沢沿いの歩きが長く感じる頃、登山道は、緩やかに高度を上げていくようになり、急につづら折りの登りが始まった。地図では、沢から分かれると、尾根の一直線の登りになるように書かれているが、手前から高度を上げていくように変わっていた。急坂を登っていくと、枝尾根上に出た。ここからは、標高差200m程の尾根の棒登りが続いた。登るにつれて、左手に県境尾根南面に広がるスラブの眺めが、木立の間からかいま見られるようになった。
 枝尾根に取り付いてからは、意外に早い感じで、稜線上の杉山ヶ崎に出ることができた。少し先に進んで948mピークを越すと、本名御神楽の眺めが目に入ってきた。ボリューム感のある山頂であった。御神楽岳からでは、ピークとも見えない山頂であるが、会津方面からでは、立派な山頂で、信仰の山であることに納得できた。本名御神楽の斜面は美しく紅葉した木立で覆われていたが、岩場がないのが少しもの足りなかった。左手に続く県境尾根はスラブの壁となっているのだが、そちらは木によって眺めが閉ざされていた。
 ここからは、カメラを首から下げて、写真を撮りながらの歩きになった。尾根の登りを続けていくと、熊打場の標識が現れて、その先で急な岩場になった。かなり長い鎖がかかっていたが、足場も充分あり、危険な感じは無かった。結局、このコースでは、鎖場は二ヶ所のみであり、栄太郎新道と比べれば、一般的なコースということになる。岩場を登り終え、息を整えながら振り返ると、登ってきた尾根が紅葉に染まっており、素晴らし眺めが広がっていた。
 この先でブナ林の広がる台地に出ると、左手に二階建てのしっかりした造りの避難小屋が現れた。水場もあるようなので、この小屋で夜を過ごすのも面白そうである。
 小屋からはひと登りで、本名御神楽の山頂が目の前に現れ、右に緩やかにカーブしていく稜線の登りになった。
 本名御神楽岳の山頂直下に石の祠が置かれていた。中には、伊佐須美神社のお札が収められていた。本名御神楽の山頂は広場になっており、周囲の展望が開けていた、一番に目を引くのは、やはり御神楽岳の山頂であった。横に広がる山頂部に向かって、ブナ木立に縁取られた稜線が斜めに上がっていく眺めは、印象的であった。下からは、本名御神楽が立派な山頂に見えていたが、ここまで来たならさらに高い御神楽岳に登らない訳にはいかないであろう。
 本名御神楽から御神楽岳にかけての稜線は、藪であるという話も聞いたことがあるが、刈り払われた道が続いていた。周囲の展望を楽しみながら登っていき、つばくろ尾根との合流点に出ると、目の前に御神楽岳の山頂が迫ってきた。右手には、スラブをまとった湯沢の頭や水晶尾根の眺めが広がっていた。素晴らしい眺めに、山頂を目前にして、足が止まってしまった。
 いつもとは逆方向からの御神楽岳山頂への到着になった。室谷道からの登山者が三名休んでいた。早い時間であったので静かな山頂であった。まずは、周囲の展望を楽しんだ。目の前に、狢ヶ森山と日尊の倉山。その右手には、浅草岳、守門岳、矢筈岳、青里岳、粟ヶ岳、菅名山塊、五頭山塊が並び、津川の町も眺めることができた。その奥の飯豊連峰は、霞んでいた。会津磐梯山、博士山といった会津の山。笠倉山や鍋倉山もすぐ近くに見えていた。有名・無名の幾重もの山並みに囲まれた山頂であった。
 休んでいるうちにも、室谷道や本名御神楽方面から登山者が登ってくるようになったので、下山に移ることにした。本名御神楽の山頂に戻り、太陽が上がって光線の状態が良くなった御神楽岳の眺めを楽しんだ。
 本名御神楽からは、来た道を戻るのではなく、笠倉山方面に進んでから、鞍掛沢左岸尾根を下って作業道に出るコースを取ることにした。この尾根は、1999年11月3日に笠倉山に登る際に利用している。本名御神楽から尾根上までが、歩いていない区間である。このコースは、奥田博氏の「新福島百山紀行」(1999年4月30日発刊)の概念図にも紹介されており、本名御神楽に登る時は、この周遊コースでと思っていた。2004年10月10日発刊の「新・分県登山ガイド福島県の山」では、この周遊コースが取り上げられ、一抹の不安はあるものの、一般コースで歩けるようになったのだなと知った。
 本名御神楽からは、尾根沿いに道が見えていたが、いざ歩いてみると、踏み跡は明瞭なものの、灌木の枝が倒れ込んでいて、体で掻き分けながらの歩きになった。ただ、灌木は腰下のため、宙に浮いたような高度感のある眺めが広がっていた。丸く見える山頂を持った笠倉山に向かって尾根を下る途中、振り返ると、本名御神楽の山頂は、高みに遠ざかっていった。左手のつばくろ尾根もスラブの壮絶さを増していった。
 1200m地点で、岩場の通過になった。岩場の上部から、右手の泥斜面をロープの助けを借りて下ると、中間部に下り立つ。ここから右手の草付きを下って岩場の下に回り込むように見えるが、これは誤り。少し入り込みかけて、登り返しになった。正解は、中間部で岩場の上に立つと、尾根沿いに踏み跡が続いている。この先は、急斜面であるが、灌木に囲まれているため、木の枝を掴んでいれば、危険はない。みるみる紅葉に彩られた鞍掛沢左岸尾根が迫ってきた。
 尾根の合流点の少し手前に崩壊地があり、本名御神楽やつばくろ尾根の展望が開けている。先回の笠倉山山行の際も、ここから眺めを楽しんだ覚えがある。
 鞍掛沢左岸尾根の下りになったが、少し戸惑った。藪漕ぎレベルなら、踏み跡有りといえるのだが、ガイドブックに載っている登山道というには、ほど遠い。歩いた経験有りで、GPSも用意してあるので、余裕を持って歩くことはできたが、踏み跡を外さないように注意が必要であった。一般登山道しか歩いていない登山者には、少々辛いコースであろう。
 尾根の周囲に広がる美しい紅葉を楽しみながらの歩きが続いた。途中から、踏み跡も少し明瞭になってきた。825mピークは露岩帯となって展望が開ける。最後の展望地になるので、名残の眺めを楽しんだ。
 周囲に杉の植林地が広がるようになると、じきに、作業道の終点広場に飛び出す。振り返ると、入口には、杉の木に赤布が一本ぶる下がっているだけであった。
 作業道は、ススキの原になっていた。先回は、終点広場の近くまで車を乗り入れたのだが、最近車が走った様子は無いようであった。所々で、草を掻き分けながら下っていくと、急に道が無くなっていた。一瞬焦ったが、踏み跡があり、それを辿ると、その先で作業道に出た。土砂崩れがあり、その上に木が茂って藪になってしまったようである。この様子からすると、土砂崩れが起きてから時間が経っているようにも思えた。さらに、路肩崩壊で、道が半分以上無くなっているところも。最近車が走った様子が無いどころか、車の乗り入れは完全に不可能な状態であった。ガイドブックには、「作業道は金山町財産区の管轄で、一般車の乗り入れは避けて欲しいとのこと」と注釈が書かれている。このガイドブックの発刊は、2004年10月15日である。執筆のための調査は、2003年であろうか。現在の状態は、「作業道は、荒廃によって車の通行は不能」というのが正しい。林道の荒れ具合から、いったいいつの調査山行を基にしているのだろうと疑問が沸いてくる。山の状況は刻々と変わるものである。ガイドブックにも、執筆にあたっての調査日というものを書いて欲しいものである。インターネット上の山行記録は、あてにならない記録が多いなどと出版物には書かれているが、インターネット上の個人の山行記録なら山行日の記載は当たり前である。
 作業道をようやく下り、霧来沢の眺めを楽しみながら車に戻った。車に戻って着替えなどをしているうちに、雨が降り出し、よいところで登山を終えることができた。
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