徳網山

徳網山


【日時】 2005年10月29日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 徳網山・とくあみやま・787.5m・三等三角点・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/朝日岳/徳網
【コース】 樋倉登山口より
【ガイド】 登山道について:なし
【温泉】 白い森交流センターりふれ  500円

【時間記録】 6:40 新潟=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、道の駅白い森おぐに 経由)=7:50 徳網山登山口〜9:16 発―10:53 徳網山〜11:10 発―12:14 徳網山登山口=(往路を戻る)=16:00 新潟

 徳網山は、山形県小国町の北、朝日連峰から流れ出る荒川の右岸に位置する山である。登山道の無い山であったが、今年の9月に五味沢と小国町の合同で登山道が開かれた。山頂からは、大朝日岳を中心とした眺めが開けている。
 小国在住の井上氏の報告によれば、『徳網山のことを地元では文平崩シ(ブンペイクズシ)と呼んでいる。昔(といっても曾孫が現存しているのだからそれ程昔ではない)、嫁に来た新妻が「あの山が高くて、早く日が暮れる」と嘆いたのを聞いた夫が、徳網山に登ってダイナマイトを仕掛けて山頂を爆破してしまったのだ。それで山頂は平らになり、見晴らしの良い展望台になっている。その爆破した人の名前が文平であった。なんとも豪快な愛妻家がいたものである。』と紹介されている。
 この土曜日も雨の予報が出た。ここのところ、山行記録は同じ書き出しになっているが、テレビでも、4週連続の雨と取り上げていた。
 井上氏の「飯豊登山情報」のホームページで、朝日連峰の徳網山に登山道が開かれたことを知った。この付近の朝日連峰前衛の山には興味があるものの、木枕山と餓鬼山しか登っていない。コースタイムがどれほどか判らなかったが、標高差が500mほどであるので、登りに2時間はかからないはずである。低気圧から延びた前線の通過によって雨が降り始めるとすれば、午前中に登り終えればなんとかなりそうである。徳網山をめざすことにした。
 土曜日の朝は、薄日のさす天気になった。なんとかなりそうということで、小国へと急いだ。荒川沿いの山の斜面は、緑のままで紅葉にはほど遠かった。例年より、紅葉はかなり遅れているようである。小国から五味沢への道に進んだ。出戸で左折すると白い森交流センターりふれが左に現れ、その先が徳網山の登山口のある樋倉である。地形図では、道路は荒川の左岸沿いに通じており、樋倉へは集落へ通じる枝道に入るようになっているので、左に分かれる橋を探しながら車を走らせた。この登山口探しは、実際には案じていたほどのこともなく、道なりに樋倉橋を渡ると、樋倉の集落手前に徳網山登山口の標柱が立てられていた。前方には、徳網山がピラミッド型の山頂を見せていた。
 標識に従って、田圃の中に通じている農道に進んだ。この道は地図に書かれていないため、入口からGPSのトラックを取り始めたが、分岐の位置からして、地図の道路の位置からずれていた。車の底を草がする農道を140mほど進み、右に直角に曲がると、その先で広場に出た。この分岐を見逃して直進すると、草が急に深くなり、回転場所もないため注意が必要である。10台程は車を停めることのできる広場が設けられていた。採石場跡とのことで、脇の山肌は削られていた。この日は、当然というべきか、誰もいなかった。現在、徳網山の登山道のことを知っているのは、小国の関係者か、井上氏のホームページの読者だけであろう。
 雨もしばらくは降りそうもない天気に安心して、まずは朝食をとった。
 広場の右手前から、杉林に向かって刈り払い道が始まっていた。登山標識は無いが、この道しかない。しばらくは、足元で刈り払いの枝が少々うるさかったが、じきに、はっきりした尾根沿いの道になった。境界見出し標の石が埋め込まれており、以前からあった山道を、登山道として整備しなおしたようである。
 尾根は北、西、北、西と方向をたびたび変えていったが、迷うことは無かった。登るにつれて、登山道周囲にもブナ林が広がるようになり、大木も混じるようになっていった。
 505m点を過ぎて西進する尾根に乗ると、谷越しに徳網山の山頂が姿を現した。山を覆う木立の紅葉は始まっていたが、くすんだ色のままであった。ブナ林の紅葉もまだであったが、それでも登るに連れて、黄色が濃くなっていった。636点の尾根に乗ると、急に紅葉も盛りになって、黄色の色が濃くなった。この尾根には、日本海方面からの風が当たって、冷え込みが厳しいようである。
 この先は痩せ尾根となり、灌木のために危険とは思わないものの、下は切り落ちていた。この尾根を残雪期に登るのは、かなりの覚悟が入りそうである。地図を見て、この最後の尾根付近は、傾斜はそれ程はないように見たのだが、あいかわらずの傾斜が続いた。登りでが意外にあり、草臥れてきたこともある。
 最後の急坂を終えると、ようやく徳網山の山頂に到着した。山頂は、小広場になっており、三角点の頭だけが地面から姿を現し、新しい標柱が立てられていた。山頂の木立は刈り払われており、周囲の展望が開けていた。特に、荒川の谷間の奥に、大朝日岳を眺めることができたのはうれしかった。西朝日岳と袖朝日岳は重なって双子峰のように見えていた。荒川越しには、白太郎山が大きく広がり、その肩から祝瓶山の山頂が頭をのぞかせていた。西には、6月に登った餓鬼山がドーム状の山頂を見せていた。南には、小国の町を望むことができたが、その向こうに広がる飯豊連峰は、霞んでいた。
 雨粒が時折落ちてきてはいたが、本降りになるまでには余裕が有りそうであったので、腰を下ろして昼食とした。飯豊の展望台としては、倉手山の人気は高く、大勢の登山者が訪れている。この徳網山も、朝日連峰の展望台として、人気が出てくるのではないだろうか。
 山を下っていくうちに、空模様もあやしくなっていき、車に戻ると同時に降り始めた。すぐ近くの白い森交流センターりふれへ、入浴のために向かった。家に戻る途中、ワイパーを全速で回す必要のある豪雨が始まった。週間天気予報にはうらぎられているが、その隙間をぬって、良いタイミングで山登りを行うことができた。

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