飯豊本山

飯豊本山


【日時】 2005年9月17日(土)〜18日(日) 前夜発1泊2日
【メンバー】 単独行
【天候】 17日:晴 18日:曇り

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
地蔵岳・じぞうだけ・1538.9m・三等三角点・山形県
飯豊本山・いいでほんざん・2105.1m・一等三角点本点・福島県
種蒔山・たねまきやま・1791.0m・三等三角点・新潟県
三国岳・みくにだけ・1644m・無し・山形県、福島県、新潟県
地蔵山・じぞうやま・1485.2m・二等三角点・山形県、福島県

牛ヶ岩山・うしがいわやま・1401.8m・三等三角点・山形県、福島県
五段山・ごだんやま・1312m・無し・山形県、福島県
【コース】 大日杉より 登り:地蔵岳コース 下り:五段山コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/玉庭、熱塩、大日岳、飯豊山/岩倉、川入、大日岳、飯豊山
【ガイド】 山と高原地図「飯豊山」(昭文社)
【温泉】 ホテルフォレストいいで 300円

【時間記録】
9月16日(金) 20:40 新潟=(R.7、R.113、手ノ子、白川ダム 経由)=23:40 大日杉  (車中泊)
9月17日(土) 5:10 大日杉―5:30 一合目ざんげ坂―6:00 長之助清水―6:12 御田―7:24 滝切合―7:54 地蔵岳〜8:10 発―8:57 目洗清水―9:55 御坪―10:08 御沢分かれ―10:46 水場〜10:57 発―11:18 切合〜11:52 発―12:18 草履塚―12:30 姥権現―13:23 本山小屋―13:41 飯豊本山〜14:54 本山小屋―15:16 姥権現―15:34 草履塚―14:00 切合  (テント泊)
9月18日(日) 6:05 切合―6:23 種蒔―6:45 七森―7:19 三国岳〜7:25 発―7:33 水場―7:51 剣ヶ峰標識―8:19 水場横峰小屋分岐―8:28 血の池―8:35 地蔵山〜8:40 発―8:55 御前山―9:32 牛ヶ岩山―10:03 五段山〜10:18 発―11:51 大日杉=(往路を戻る)=16:00 新潟

 飯豊連峰は、新潟、山形、福島の県境に、2000m級のピークを南北20キロに渡って連ねる、東北地方を代表する山塊である。中腹を覆うブナ林、稜線を彩るお花畑、夏にも残る残雪などで、多くの登山者を魅了してやまない。代表的ピークとしては、飯豊神社と一等三角点の置かれた飯豊本山がまず挙げられる。
 飯豊連峰には、毎年登っているが、今年は機会を逸している。何度も訪れている山となると、晴れていなければ面白くないと、かえって条件が厳しくなる。結局、花も終わり、紅葉にもまだ早いという時期になってしまった。三連休ではあったが、1泊2日で気軽に登ることにした。
 登るのは飯豊本山とし、大日杉からの周遊コースとした。切合のテント場なら、水の心配もなく、安心して泊まることができる。
 いつものように大日杉の駐車場に前夜に入って車の中で寝た。星空が広がり、明日の晴天を約束してくれた。夜は涼しくなり、布団にくるまる必要があった。
 日の出も遅くなっており、4時半起床時には暗く、明るくなるのを待ち、5時に歩き出すことになった。手前の広い駐車場には、他に一台の車しかなかったが、車道終点部には、10台程の車が並んで止められていた。三連休といっても、夏の盛りよりは登山者は少ないようである。
 大日杉の小屋は、建て代えられ、橋を渡った左手にコンクリート製の大きな姿を見せていた。登山届けの記帳所が設けられており、ノートに名前を記入した。地蔵岳へは、右手に進む。しばらく沢沿いに進んだ後、急斜面のつづら折りの登りが始まる。テント泊も、8月初めの大雪旭岳以来ということになり、ザックの重荷が肩に食い込んだ。
 足場の少ない粘土質の斜面にかかる鎖場が現れ、それを乗り切ると尾根の上に出る。一合目ざんげ坂の標識があるが、この先の合目標識は見あたらない。この先の傾斜は少し緩んで楽になった。体が慣れてきたせいもあろう。950m地点で長之助清水が現れるが、まだ水を必要とはしていないため、そのまま通過した。大杉の立つ1000m地点の御田を過ぎると、鍋越山へと延びる稜線も頭上に近づいてきて、もう一がんばりと足にも力が入った。青空のもと、左手の谷向こうには、種蒔山から三国岳、地蔵山に至る稜線を眺めることができた。目の前に見えるが、歩くのは明日になる遠い稜線である。
 1409mの滝切合に到着して一息ついた。地蔵岳に向かって稜線は緩やかに登っていき、その向こうに飯豊本山の山頂が姿を見せ始めた。地蔵岳山頂からの飯豊本山の眺めが楽しみになった。
 もう一汗かいて、地蔵岳山頂に到着した。標識脇にザックを置いて、少し先の山頂広場に進んだ。低灌木に囲まれた広場の向こうには、巨大なピラミッドの飯豊本山が、姿を見せていた。緑が濃いとはいえ、山頂部付近には、茶色が混じり、草紅葉が始まっているようであった。
 ひと休みの後、この先の飯豊本山の眺めを楽しみに歩き始めた。100mほど下った後からは、小さなアップダウンを繰り返す稜線歩きが続く。目洗清水は、草地の下に水の流れが見えていたが、少し下る必要があった。そのすぐ先で、右手にテント場になる草地の広場が現れるが、ここからは、飯豊本山の眺めが広がっている。草履塚から御秘所の岩場を経て飯豊本山へと稜線は続き、右手には、長い尾根を落とし込んでいるのが一望できた。
 飯豊本山は、その名前に反して、展望という点では恵まれない。会津若松方面からでは、御西岳と続く長大な稜線の僅かな高まりにしかすぎない。新潟方面、たとえば二王子岳からでは、御西岳と重なってしまっている。どこからでも、ピラミッド型の山頂を見せる大日岳とは対照的である。その点、この大日杉からのコースは、飯豊本山の眺めを堪能できる。
 白樺の木が並ぶ御坪を過ぎると、御沢分かれとなり、その先は種蒔山に向かっての登りになる。切合の小屋も目の前に迫ってきた。尾根を外してわずかに下ると、沢に出る。水を汲んで飲みながらひと休みした。切合のテント場まではあと僅かであるが、足早に通り過ぎるのは惜しい美しい谷間である。草地の中に、季節はずれのミヤマリンドウの青い花が点々と咲いていた。雪渓が融けたのも最近のことのようである。
 緩やかなトラバース道を登っていくと、三国岳からの登山道が合わさり、切合に到着した。テント場には一番乗りになった。テントを張った後、テント場使用量500円を払った。小屋には、すでに宿泊客が入っていた。切合小屋では最近は食事を出すようなので、ここに泊まって、飯豊本山を往復して下山という者が多いようである。昼になっており、これから飯豊本山を往復するのには、それなりの足の速さが必要になる。時間は早いが、行動終了になってしまっているようである。
 テント他の重荷を下ろして、必要な物だけを詰めたサブザックでの歩きは、楽であった。草履塚への登りは、夏まで残雪が残って花が咲き乱れるが、さすがに花はほとんど終わっていた。草履塚のピークを越えて、すぐ先の北峰にでると、飯豊本山へと続く御前坂の眺めが目の前に大きく広がる。鞍部の姥権現や御秘所の岩場も見下ろすことができる。青空をバックに美しい眺めであった。昼になってもガスが出てこないのは、秋の空気が広がっているためのようである。
 御秘所の岩場を過ぎると、ガレ場のつづら折りの登りが始まる。テントを背負っていると、この御前坂の登りは息も絶え絶えになる。切合から飯豊本山へは、軽装での往復が楽でよい。軽装なぶんだけ、回りの風景を楽しむ余裕も生まれる。
 傾斜が緩むと一ノ王子で、本山小屋も目の前に迫っている。本山小屋のトイレは新しくなっていた。小屋にも宿泊客はそれなりにいるようであった。神社の脇を通り抜けると、本山ピークは、緩やかな稜線の先の小高いピークとして見えてくる。登山道周辺の植物も、葉が黄色や赤に染まり始めていた。
 10名程の団体が引き返すのとすれ違いに飯豊本山の山頂に到着した。山頂にいたのは、御西小屋を目指す5名グループと単独行のみであった。三連休の日本百名山にしては静かな山頂といって良い。腰をおろし、さっそくお待ちかねのビールを開けた。9月にしては気温が高く、大汗をかいていた。単独行ゆえに、「乾杯」の相手は山の神になった。他には、ビールを飲んでいる者はいなかった。
 山頂からは、遮るもののない展望が広がっていた。御西岳から大日岳方面は、太陽が西に傾いて逆光になっていた。北に延びる稜線の先には、烏帽子岳、梅花皮岳、北股岳が一段となり、横に門内、頼母木岳と稜線が広がり、その右奥には杁差岳。足下からダイグラ尾根が落ち込み、宝珠山が鋭いピラミッド型の山頂を見せていた。
 これが8回目の登頂になった。日本百名山のうちでは、飯豊本山が一番回数の多い山であり、これは幸せなことといえよう。
 のんびりとビールを飲んでから、切合へと引き返した。御前坂を苦労しながら登ってくる登山者にも多くすれ違った。切合に戻ると、小屋は満員状態になっていた。さすがに、海の日のように、軒下にブルーシートを張って寝場所を作るというまではいっていなかったが、寝苦しい夜にはなりそうであった。テント場には、9張りのテントが並んだだけであった。
 夕食には、野菜をたっぷりいれたラーメンにおにぎり1個を、ビールとともに流し込んだ。コーヒーを飲んで食事を終えると、太陽が沈もうとしていた。カメラを持って、小屋脇の丘に上がった。太陽は、大日岳の右肩に沈んだ。僅かに霧が流れる中に、大日岳が黒いシルエットとして浮かんだ。
 7時頃には、小屋もテント場も静まり返った。早朝発で、登りに体力を使ったために、皆、早々と眠りについたようである。中々寝付かず、10時過ぎにトイレのために外に出た。満月が昇り、草履塚や大日岳が明るく照らされていた。足下には、月による影ができていた。翌日が十五夜ということを後で知った。この日は十四夜とうことになる。月明かりに誘われるままに歩きたくなった。しばらく月夜の風景を楽しんだ後にテントに戻った。それでも眠れず、最後のビールを開けることになった。下山の途中で一本と思っていたのだが仕方がない。これで、眠りにつくことができた。
 二日目は、雲がたれこめる天気になっていた。大日岳の山頂も隠されていた。一日目の天気が良すぎたようにも思う。五段山経由で下るだけなので急ぐわけではないが、朝食をとって出発の準備を進めた。
 切合から緩やかに登っていき、種捲を過ぎると、一旦下りとなり、後は七森のアップダウンになる。食料やビールがなくなって、ザックもかなり軽くなっていた。途中で前方に見えていた団体にも追い付き、先に行かせてもらった。そのすぐ先で、七森途中の鎖場の通過。鎖がかかっているとはいえ、足場の少ないところもあり、団体の通過には時間がかかるので、良い所で追い抜いたことになる。
 三国岳の避難小屋は、新しく建て代わっていた。御西小屋も建て代わったというので、一番混み合う切合小屋が古いままというのが、不思議に思える。営業小屋であるのが、逆に足枷になっているのだろうか。もっとも、何百人収容の立派な小屋になって、北アルプス並みの食事がだされるようになっては、登山者がどっと押し寄せて、困る状態になってしまう。
 三国岳からは、剣ヶ峰の下りになる。急な岩場というわけではないが、スラブ状の岩場を下ることが多いため、テント泊の重荷では、靴底が滑らないかの注意が必要で、慎重な歩きなる。振り返ると、追い抜いた団体が岩場を下ってくるところであったが、結構手間取っているようであった。団体を案内するなら、バスが入れる道路状態も考えると、大日杉コースが一番良いと思うのだが、東京方面からでは、大日杉までのアクセスがネックになるのだろうか。
 鞍部を越えると、水場・横峰小屋分岐となり、その先の登山者はほとんどいなくなる。血の池の分岐を過ぎると、地蔵山への登りとなる。ひと登りした地蔵山から先は、緩やかな稜線歩きとなる。途中で、小さな草原や池も現れ、この付近の感じは、飯森山と似ているが、距離も近いせいであろうか。
 地蔵山の次の小ピークは、御前山と呼ばれるようであるが、標識が無ければそれと判らない。ところが、この山頂では、御前山の他に五段山の標識も誰かに移されて、二枚並べられていた。五段山コースには、歩く者が少ないだけに、しっかりした標識が欲しい。
 次の牛ヶ岩岳も問題のあるピークである。三角点の手前の1410mピークに標識が置かれている。このピークから下っていき、池塘の回りに草地が広がる台地に出ると、その脇の藪の中に三角点があるようである。この三角点部と手前のピークのどちらを山頂ととるかで、迷うことになる。
 牛ヶ岩岳からは下りになり、軽く登ると五段山の分岐に到着する、直進するのは、谷地平方面への道で、しっかりした道が続いている。この先は、大日杉への一気の下りになるので、腰を下ろしてひと休みした。
 五段山から大日杉への下りは、道はしっかりしているが、途中で急な下りも現れる。膝にも負担がかかるが、登山道に落ち葉が積もっていてクッションになるのがありがたい。
 ブナ林から杉林に変わると、沢音が近づいてきて、水平道に飛び出した。少し先で古い作業道に出るが、すぐに杉林の中の道になる。左下に吊り橋が現れるが、これは地図の徒渉地点よりは下流よりである。吊り橋を渡って台地の上に上がると、大日杉の小屋が目の前に現れ、歩きも終わった。

山行目次に戻る

表紙に戻る