要害山

要害山


【日時】 2005年9月11日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
烏帽子山・えぼしやま・210m・なし・新潟県
物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
館岩・たていわ・287m・なし・新潟県
【コース】 平林登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:30 新潟=(R.7、平林 経由)=9:45 神林登山口〜9:53 発―10:12 馬洗場―10:25 首洗清水―10:36 のろし山〜10:39 発―10:46 首洗清水―10:50 烏帽子山分岐―10:55 烏帽子山―10:59 烏帽子山分岐―11:08 物見山〜11:13 発―11:22 要害山〜11:45 発―11:50 館岩―11:53 新道分岐―12:03 第二ベンチ―12:17 第一ベンチ〜12:30 発―13:24神林登山口=(往路を戻る)=15:00 新潟

 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在でも土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 天気予報も悪く、軽く歩ける山として、先週にひき続いての要害山訪問になった。今回は、要害山の平林登山口からのコースをGPSに落とすことと、登山口の看板に出ている新周遊コースを歩いてみることが目的であった。
 国道7号線を進み、荒川を渡ったところで、荒川右岸沿いの道路を上流に向かい、石材店の角から平林の集落に向かった。これまでは、集落内から千眼寺に向かい、その手前の十字路から山に向かうというコースをとっていた。集落手前に、要害山の標識があり、それに従って右折して山に向かい、さらに左折して登山口に至るというコースに変わっていた。今年の2月19日にもスノーシュー歩きとして訪れているが、その時は工事中であったのが完成していた。駐車場も新しく設けられていた。薬師山といい、この要害山といい、登山口の整備が進んで便利になったのはうれしいが、新聞などへの宣伝がされていないのは残念である。
 登山口には、新たに新周遊コースという標識が置かれているが、そのコースへはどのように進むのかが判らなかった。山頂からの下り口は先回確かめてあったので、下山に使うことにした。
 歩き始めるとすぐに、一団が下ってくるのに出会った。登山口に置いてあった三台の車で来た者達のようであった。「山頂は貸し切りだよ」という声がかかった。普通通りに起きて朝食をとってから家を出てきたので10時にはなっていたが、山頂でお昼を食べるには丁度良い時間といって良い。今日は参議院選挙の投票日であるため、早めに山を切り上げたというのだろうか。ちょっと早すぎる下山のような気もするグループであった。
 山の麓一帯は、平林城跡で、杉林の中に土塁が幾重にも並んでいる。その間を抜けて山裾に辿り着いたところから要害山への登山道の開始になる。左にトラバース気味に登っていった後に尾根沿いの緩やかな登りになる。長辺田の馬洗場に出たところで、ひと息入れた。左手の窪地は草が茂っていたが、春先に訪れた時には水が溜まっているのを見た。
 緩やかに登っていき、不動滝への道を左に分けると、その先で、左手の烏帽子山と右手ののろし山にはさまれた盆地状の地形に出で、首洗い清水に到着する。清水も、パイプから水が出るようになって水を汲みやすくなっていた。もっとも、以前は処刑人の首を洗ったという謂われを聞いては、この水を飲む気にはなれない。
 ここからのろし山への道に進んだ。雪の季節には、この先で登山道が判らなくなり、尾根を辿ってのろし山へ登った。夏道を確かめる必要があった。先回道が判らなくなった、小さな沢を越してからは、山の斜面を斜上するように登山道が付けられていた。雪の季節には辿れないコース取りであった。西尾根に出てからひと登りで、のろし山に到着した。展望の良いピークであるが、山頂広場を覆う草も踏まれた様子もなく、訪れる者は少ないようである。どんよりとした曇り空も先週と同じであった。
 のろし山からは、尾根沿いに要害山を目指した方が早いのだが、登山道を確かめるために、首洗い清水に戻った。首洗い清水からひと登りした鞍部からは、左に烏帽子山への道が始まっている。2月にも登っているが、登山道の様子を確かめるために、このピークにも寄っていくことにした。木の枝も掴む必要のある急な登りが始まった。山頂部近くで岩が現れて、これを右手に巻くと、その先で山頂に到着となる。山頂は、荒い刈り払い状態で、登山道は行き止まりになっていた。
 分岐に戻り、要害山を目指した。その先は七曲坂になり、このコースでは一番の急坂となるが、長くはない。坂の途中で、物見山への道は分かれる。水平な道を進むと、すぐ先で物見山の山頂に出る。物見山からは、荒川河口部や日本海沿岸の眺めが広がり素晴らしい。ベンチも置かれており、良い休憩所になっている。
 七曲坂に戻って登りを続けると、じきに要害山の山頂に到着する。山頂一帯には土塁が築かれており、その間を登ると、プレハブ小屋の脇に出る。先週も座ったベンチに腰を下ろして昼食にした。嶽薬師が鋭い山頂を見せていたが、高坪山の山頂は雲に覆われていた。天気が悪い時に登ってきているので、展望が少々悪いのは仕方がない。
 登山道を先に進んだ287標高点は、大岩が転がっており、館岩と呼ばれている。このピークから少し下った所から不動滝へのコースが分かれている。いきなりの急坂になった。流水溝のような足場の悪い下っていき、左手にトラバース気味に下っていくと、尾根の一段下に沿うようになった。沢が近づいてきたところで第二ベンチという標識が現れたが、ベンチのようなものはなかった。登山道も夏草で覆われるようになった。初心者が歩けるような道ではなかった。雨も覚悟で要害山にやってきたが、雨の中であったなら、このルートを辿るのは諦めて引き返したかもしれない。丸木橋が現れたが、表面がぬるぬるしており、窟底がすべりそうであった。2m程の高さであったため、落ちると危険であったため、四つんばいになって渡った。みっともないが、見ている者はいない。
 GPSに表示された地図を見ながら歩いてみたが、狭い谷間で、杉林が広がるとあって、信号はとぎれとぎれになってしまった。それでも、滝矢川沿いのおおよその見当はついた。全く登山道がどのように通じているか判らないコースを辿る場合には、地図表示がされるGPSはありがたい。
 第一ベンチに出て、そこから100m程枝沢を上流に辿ると不動滝に出た。4m程の落差の滝で、岩盤の下には不動像が置かれていた。不動滝からは、しっかりした道に変わった。道を下っていくと波滝への道が分かれたが、谷間への下りがあったので、寄らずに先に進んだ。
 車道に飛び出し、その先で、平林城跡登山口は左という標識が現れた。川を渡った先は田圃になっており、道のようなものはなかった。諦めて車道をそのまま先に進んだ。登山口が田圃の向こうに見えたが、そこに進む道がなかった。結局、千眼寺の前まで出てから登山口に戻った。
 不動滝経由の新周遊コースがいつ整備されたのかは知らないが、荒れており、初心者には難しいコースであった。平林城跡から要害山の間でも周遊コースがとれるので、利用者が増えるとも思えず、そのうち廃道になるのではないだろうか。

山行目次に戻る

表紙に戻る