要害山

要害山


【日時】 2005年9月4日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
館岩・たていわ・287m・なし・新潟県
【コース】 川部より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町

【ガイド】 なし

【時間記録】 8:20 新潟=(R.7、十文字、R.113、川部 経由)=9:50 タンク施設〜10:07 発―10:20 佛穴登山口―10:26 佛穴―10:35 のろし山〜10:39 発―10:51 物見山―11:00 要害山〜11:18 発―11:22 館岩―11:24 新道分岐―11:29 種松―11:49 タンク施設=(川部、R.113、関川、R.290、R.7 経由)=15:00 新潟

 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在でも土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 日曜日の天気も、台風が接近して日本海を横切る秋雨前線が活発化するというぱっとしないものであった。遠出は諦めて、ここのところの集中山行の山域に決めている朴坂山塊に出かけることにした。今回は、川部からの周遊コースを歩くことにした。1998年3月21日に初めて要害山に登った時、朴坂山まで足を延ばした帰りに、川部の開墾登山口に下山した。今年の2月19日に、スノーシュー歩きで要害山に登った際、のろし山直下で、川部からの登山道が合わさったのを確認し、川部側から周遊コースとして歩けることを知った。これらのコースは、地図にものっておらず、GPSを使ってコースを確かめる必要がある。
 川部に向かう途中、小岩内の集落にさしかかると、少し下流よりに、薬師山登山道近道と書かれた石碑が置かれ、薬師山登山者Pと書かれた標識も立てられているのが目に入った。車を進めてみると、田圃の中に舗装道路が続いており、嶽薬師の登山口である薬師堂の下に駐車場が設けられていた。これまでは、車の置き場所に困っていたので、登りやすくなったが、嶽薬師の登山道のことはどれほど知られているのやら。
 川部の集落内に入ると、林道入口の角に平林城跡川部ルート登り口と示された標識が立っている。山に向かって林道を登っていくと、児童公園の空き地が左手に現れ、その先で農場の建物が右手に並んだ。この建物内に住んでいる者はいないのか、人影は見あたらなかった。
 右手にタンク施設が現れると、その先の車道は細くなった。タンク施設の入口前には車を置くスペースがあったので、ここから歩き出すことにした。結果的には、ここに車を停めたのは正解であった。
 林道を歩き出してすぐに、分岐に出て、右手には川部側ルート登山口、直進する方向へは佛穴要害山方面と書かれていた。右手は、以前にも歩いたことのある種松へ通じる登山道のため、まずは佛穴コースを目指した。
 林道の周囲には、杉の植林地が広がっていた。なかには、耕作地であった所に杉が植えられたのか、実を付けた栗や柿の木も混じっていた。林道の途中には、同じような幅の道が分かれ、地図にある山腹をトラバースしていく林道から外れないように注意が必要であった。未舗装の道に変わり、道路上に次第に草が延びてくるようになると、林道終点広場になり、その少し先で佛穴登り口の標識が現れた。沢沿いにひと登りすると、斜面の中途に佛穴が現れた。2mほどの深さの穴が開いていた。風穴とも書かれていたが、冷たい風が吹き出すようなこともなく、汗がしたたり落ちるままであった。
 その後は緩やかな尾根の登りを続けると、のろし山直下の分岐に出た。左に曲がってひと登りすると、のろし山の頂上に出た。山頂一帯は、のびきったワラビで覆われていた。このピークは見晴らしが良いが、曇り空で、目の前の高坪山の山頂は雲で覆われていた。日本海の海岸線は見えるものの、佐渡は見えなかった。
 分岐に戻り、尾根沿いに登っていくと、首切り清水から七曲がり坂を登ってきた道が合わさり、右に曲がったところが、物見山である。ここも展望の良いピークで、ベンチも置いてあってひと息入れるのに良い。眺めはのろし山とさほどは変わらないが、高度感は増して、のろし山が下に見える。
 分岐の先は、七曲がり坂上部にでずに、そのまま尾根沿いに登る道が新しく付けられていた。ヘアピン状に曲がると、七曲がり坂からの道に合わさり、山頂の土塁の下に出た。土塁の下を横切ってからひと登りすると、本丸跡の山頂に到着した。
 山頂には夫婦連れが休んでいたが、休憩小屋の中に入っていき、広場には一人だけになった。雲が厚くなっており、雨が近いようであった。ベンチに腰を下ろしてひと休みした。
山頂からは、鋭い三角の山頂の嶽薬師が目の前に見える。縦走路が通じているといっても、一旦朴坂山を経由していくので、かなり長いコースである。晩秋の頃にでも通して歩いてみたいと思っている。
 東に向かって進むと、大岩が並ぶ小ピークにでるが、ここが287m標高点の館岩である。この先は下りとなり、坂の途中で、不動滝を経て平林登山口に至る新道の分岐にでる。滝谷川の谷間に下りていくようであるが、歩いてみないことには、コースは判らない。朴坂山塊は、小さな山塊ではあるが、色々なルートが開かれており、全容を知るには、何度も訪れる必要がある。
 303.0m箕輪山との鞍部が種松で、ここから右に下る道は川部の開墾登山口へ下ることができる。このコースも、空堀跡などの山城の遺構が見られる。下りてすぐの所には、清水もあり、山城の条件も整っている。沢状の窪地を下っていくと、馬洗い場が現れ、さらに緩やかに下っていくと、林道に飛び出した。山頂で出会った夫婦が乗ってきたと思われる車が、登山口の前の空き地に停めてあった。車は右手方面から入ってきたようである。左に向かって歩いていくと、コンクリート敷きの道を通ってタンク施設の脇に下り立つことができた。
 この後は、せきかわ歴史とみちの館で開催中の「ピッケル展」を見に行った。ウッドシャフトの古いピッケルが並んでいたのは面白かったが、美と道具の変容という副題ならば、ピッケルの将来形や、日本古来の熊撃ち衆の道具などに踏み込んでもらいたかった。
 新潟へ戻る途中、激しい雷雨になり、簡単な山ではあったが、これが限界であったようである。
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