僧ヶ岳、駒ヶ岳、外山

僧ヶ岳、駒ヶ岳
外山


【日時】 2005年8月27日(土)〜28日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 27日:曇り 28日:曇り

【山域】 剣岳北方稜線
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
僧ヶ岳・そうがたけ・1855.4m・二等三角点・富山県
駒ヶ岳・こまがたけ・2002.5m・三等三角点・富山県
【コース】 林道別又僧ヶ岳線1280登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/黒部/宇奈月、毛勝山、
【ガイド】 分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 宇奈月温泉公衆浴場 250円 (石鹸なし)

【山域】 鉾ヶ岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】

外山・そでのやま・719.5m・三等三角点・新潟県
【コース】 入山吹原林道

より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/槙、梶屋敷、
【ガイド】 なし

【時間記録】
8月26日(金) 21:00 新潟=(北陸自動車道、朝日IC、宇奈月温泉 経由)
=0:40林道別又僧ヶ岳線途中  (車中泊)
8月27日(土) 6:35 1280登山口―7:28 宇奈月尾根分岐―7:38 前僧ヶ岳分岐―8:03 前僧ヶ岳―8:30 僧ヶ岳〜8:40 僧ヶ岳―9:35 北駒ヶ岳―10:10 駒ヶ岳〜10:18 発―10:51 北駒ヶ岳―111:42 僧ヶ岳〜12:04 発―12:30 前僧ヶ岳―12:56 前僧ヶ岳分岐―13:06宇奈月尾根分岐―13:40 1280登山口=(宇奈月温泉、泊、R.8、能生 経由)=18:30 シャルマン火打スキー場  (車中泊)
8月28日(日) 7:50 シャルマン火打スキー場=(島道 経由)=8:20入山吹原林道途中〜8:50 発―9:15 林道入口―9:30 植林道入口―9:51 外山〜9:55 発―10:06植林道入口―10:18 林道入口―10:42入山吹原林道途中=(能生、R.8、柏崎、R.116 経由)=15:10 新潟

 僧ヶ岳は、富山県魚津市の南東部にあり、剣岳北方稜線の北端近くに位置する山である。山名は、春に現れる雪形に由来している。駒ヶ岳は、僧ヶ岳の南東に隣り合う山である。日本各地にある駒ヶ岳のうち、登山道の無い山として最後に残されていたが、2001年夏に、僧ヶ岳からの登山道が開かれ、一般登山の対象の山となった。

 外山は、能生の鉾ヶ岳の北西に位置し、島道川の谷を挟んで向かい合う山である。山頂近くを林道が通過しているが、地図に書かれている頂上への破線道は無くなっており、最後の詰めはヤブコギになる。

 週末にどこの山に登るかは、天気予報を見て、木曜日に決めることが多い。今週は、台風が金曜日に関東地方を通過。北陸方面は、台風の影響は少ないようで、土日に太陽マークが出た。台風一過の晴天を期待して剱岳や毛勝山の展望を楽しみに、富山の僧ヶ岳から駒ヶ岳を歩きに出かけることにした。二日目は、疲れも出ているはずなので、少しは楽な山ということで、能生の放山を登ることにした。放山には、積雪期に登っているが、登山道を歩いておらずに気になっていた。この山も、焼山の展望が期待できる山である。
 高速道料金の節約のために、0時を過ぎたところで高速を下りる予定で車を走らせた。途中で、雷雨に見舞われた。高速を朝日ICで下りてから、宇奈月温泉へはそう遠いわけでない。深夜に到着した温泉街で、僧ヶ岳へ通じる林道の入り方が判らず、少し迷った。入口を見つけて進むと、スキー場上部に向かって高度を一気に上げる、ジグザグの道が始まった。舗装道路であったが、道幅は一車線で、崖際に続くにもかかわらずガードレールが無いため、慎重な運転が必要であった。平和の像のある公園の少し先で、この先落石多く、通行に伴う事故には責任は負えませんといった内容の脅し文句が書かれていた。暗闇の中、林道を進むのは危険ということで、路肩のスペースに車を止めて寝た。
 天気予報に反して、時折霧雨が訪れる曇り空の朝となった。台風一過の晴天は期待できそうもなかった。林道は、急崖の縁を辿って長く続いた。途中で、僧ヶ岳登山口の前を通過したが、運転に専念する必要もあって、このコースの様子は良くは判らなかった。この登山口を過ぎてからも、230mもの標高を上げて、ようやく1280登山口に到着した。この登山口は、左手に僧ヶ岳への登山標識もあって見落とす心配はなく、登山口の先の林道はゲートで閉鎖されていた。
 烏帽子山方面に尾根を少し下がったところに駐車場を造成中のようで、ブルが止められていた。僧ヶ岳は、地元では人気の山のようである。ただ、この林道は、他の車とのすれ違いが怖いので、あまり走りたくはない。
 朝食をとりながら出発の準備をしていると、三名グループが到着した。いきなり「登るの」と訊ねてきた。湿った霧が時折流れるものの、登山を諦める気はもうとうない。「登るよ」といって準備を進めていると、このグループは山を下りていってしまった。山頂からの展望は、半ば諦め状態であったが、出直すには新潟からは遠いし、この林道を再び走るのはいやである。
 緩やかな尾根の登りが続いた。傾斜も増すところあったが、それも長くは続かず、歩きやすい道であった。周囲は背の低くなったブナなどの林で囲まれて展望は無く、黙々と歩くことになった。
 左手から尾根が合わさると、宇奈月温泉からのコースにのった。谷向こうに見えるピークが、前僧ヶ岳のようであった。この先は、以前は鉱山道であったのか、幅広の切り開きの中に、登山道が続いていた。大きなヘアピンカーブを切ると、沢の源頭部に出て、前僧ヶ岳へは右の道に進むことになった。帰りに直進方向の道の様子をうかがうと、沢を越えて、山腹をトラバースしながら東に向かっていった。この道は前僧ヶ岳を北に巻いて、仏ヶ平で合流するようである。
 尾根沿いに登っていくと、前僧ヶ岳に到着したが、山頂標識のようなものはなかった。緩やかに下っていくと、鞍部の仏ヶ平と僧ヶ岳の眺めがガスの中から浮かび上がった。仏ヶ平は、風衝帯の草地で、夏にはニッコウキスゲの群生地となることで人気があるようである。夏も過ぎて、マツムシソウや、ウメバチソウ、ミヤマコゴメグサの花に変わっていた。
 この先は、緩やかな登りを続けていき、左手に小さな池を見ると、すぐに僧ヶ岳の山頂に到着した。この池の畔やその手前の草原にはニッコウキスゲの花が咲き残っていたが、残雪が遅くまで残っていたのであろうか。
 僧ヶ岳の山頂は、広場になっており、直進方向は、東又谷コースで、駒ヶ岳へは左の道に進むことになる。御影石造りの立派な山頂標識が置かれていた。まずは、ひと休みした。展望の良い山頂のようであるが、ガスに覆われていた。
 駒ヶ岳への登山道は、新しく切り開かれたとあって、足元に木の枝が飛び出していたりして、ここまでの道と比べると歩きにくくなった。一番の問題は、木の枝や笹が倒れ込んできており、手で掻き分けようとすると、水をかぶってしまうことであった。ストックで枝を叩きながらの歩きになった。
 山頂からは標高差100mの下り。ただ、下りきってからは、ほぼ等高の尾根歩きがき、どこが鞍部か判らなかった。途中の草地ではトリカブトやマツムシソウの花を眺めることができた。
 登りに転じると、岩場の登りが現れた。ロープも掛けられていたが、靴底が濡れて岩の上で滑りやすくなっており、慎重に登る必要があった。このコースは、登山道が開かれる前には残雪期に歩かれていたが、この岩場の通過は難所ではなかったのではないだろうか。
 登り着いた1914mピークには、北駒ヶ岳という標識が付けられていた。展望が開けていれば、駒ヶ岳の山頂は目の前といったところか。一旦僅かに下り、短い急坂を登ると、駒ヶ岳の山頂に到着した。この山頂にも、僧ヶ岳と同じ、御影石造りの山頂標識が置かれていた。人が運べるような石ではないので、ヘリで運んだものであろうが、お金がもったいない気がする。登山道の今後の整備維持にでも使った方が良いと思うのだが。北駒ヶ岳の山頂に、刈り払いの回転ノコのための燃料がデポしてあったが、こういった登山道の刈り払いに対しては、感謝しなければならない。
 展望が無かったのは残念であったが、懸案になっていた山頂に立てて満足であった。大汗をかいて喉も渇いていたが、ビールは僧ヶ岳に戻ってからとした。小休止の後、駒ヶ岳の山頂の先に道が続いていたので辿ってみると、すぐ先の草原で終わっていた。この草原からは、ニッコウキスゲが咲き乱れ、稜線の先には毛勝山や剱岳が聳えるといった風景が開けるのだろうか。
 僧ヶ岳へ戻る途中、若者二人連れとすれ違い、この日の駒ヶ岳登頂者は三人だけであったようである。僧ヶ岳に戻ると、グループが直前に下山していき、話し声が遠ざかっていった。ようやくここでビールにありつくことができた。ガスに覆われて、静かな山頂であった。
 僧ヶ岳からの下りは、特に難しいところはなく、泥で滑らないように足を運んでいればよかった。登ってくるグループも数組おり、先行するグループも登山口で追い抜くことになった。天気があまりぱっとしない日でも、それなりの登山者がおり、改めて地元では人気の山であることが判った。
 車に戻り、林道を宇奈月温泉まで下って、ようやくほっとした。歩きよりも林道の走行の方が気が重い。宇奈月温泉の公衆浴場には以前にも入ったことがあるが、ここは駐車場が問題になる。少し放れたところの公園に駐車場を見つけて温泉に入った。
 温泉に入ってから、一般道で日本海沿いに能生を目指した。高速代を節約するためと、途中で親不知駅付近を偵察することが目的であった。
 能生のシャルマン火打スキー場に到着したのは、夕暮れ時になっていた。スキー場の入口にゲートがあって駐車場に入れなかったため、少し戻った路肩の広場に車を停めて寝た。
 目覚まし時計をセットしなかったため、起きた時間は遅くなっていた。青空を期待して外を見ると、霧雨が降っていた。台風一過の期待は見事に外れた。放山は、以前にも登っているのでピークハントは目的ではない。山頂からの展望が望めないとなると、登る気は無くなった。
 他の山を考えることになった。能生近くの山というと鉾ヶ岳が一般に知られている。シャルマン火打スキー場まで来る途中に、その登山口である柵口を通過してきた。鉾ヶ岳のもう一つの登山口としては島道鉱泉があるが、その西に外山という一般には知られていない山がある。島道鉱泉近くから猿倉へ抜ける林道が山頂近くを通過しており、その峠部近くから山頂まで破線が通じている。この機会に登ることにした。
 島道鉱泉との分岐についてみると、林道の通り抜けはできない旨の掲示があった。パイプ製のゲートが置いてあったが、脇をすり抜けられる状態であった。どこで不通になっているのか判らなかったが、少々の林道歩きは覚悟して、先に進んでみることにした。林道は、ヘアピンカーブの連続で一気に高度を上げていった。舗装されており、車の走行には問題の無い道路であった。558m小ピークを過ぎたところで、再びゲートが現れた。前方に峠を望むこともできたので、無理はしないで、ここから歩き始めることにした。予期せぬ予定変更ということとあって、歩き出す前に、GPSのデーターを転送し、地図を印刷する必要があった。
 林道は、もう少し先まで車で進むことができたが、一カ所、木が倒れており、回りに石が散乱しているところがあって通れなくなっていた。目的とした外山の取り付きまでは25分の歩きであったので、足慣らしといった歩きで済んだ。
 右に分かれる未舗装の林道に進み、120m程先で、破線道が横断するはずであったが、そのような道はなかった。行き過ぎたと気付いたところで、引き返してみたが、やはり見つからなかった。計画にも修正が必要になった。林道を進んだ先の南西部から登ることにした。
 林道を先に進み、山頂から南に延びる尾根の西側に回り込んでいった。林道脇には杉林が広がっていたが、藪も濃いようであった。ヤブコギで山頂に到着したら、別な方向から道が上がってきてがっかりということもあるので、山頂を越したあたりまで、林道を先まで進んでみることにした。
 山頂の南西部で、杉の植林道が右に分かれた。これで、山頂まで楽をして到達できるかと喜んだのだが、この道は、すぐに草がかぶるようになって、杉の植林地の中で消えてしまった。山頂の北西部の尾根に取り付くところであったため、尾根沿いに山頂をめざすことにした。杉の植林地はトゲのある草が生えており、通過に手間取った。それでも尾根はまだ歩きやすかったが、山頂付近は密生した笹藪となり、一歩進むのにも苦労するようになった。
 台地状の山頂で、山頂の方向はGPS頼みになった。少し薮が薄くなったところで、GPSを確認して三角点を探そうとすると、なんのことはない、すぐ足元に見つけることができた。三角点の回りだけが、同じ藪といっても植生が代わっており、身をかがめれば、藪の下に空間ができていた。外山には、山頂標識やテープのようなものもなく、当然、展望もなかった。
 薮山を一つ登ることができたことに満足して車に戻った。時間は早かったのだが、服が濡れきってしまっており、登山のズボンの換えがなかったため、山も終わりにすることになった。
 能生の道の駅併設のカニ横町で、お土産でも買って帰ることにした。丁度、休漁期にあたっており、カニの店の多くは閉まっていた。カニも売ってはいたが、少し前にとったものか、北海道産であった。他にないかと見ていくと、新サンマが北海道産であったが、美味しそうであった。大きな刺身用サンマが一匹200円、七匹1000円であった。サンマを1000円とバイ貝1000円が、お土産になった。このサンマは、夕飯のおかずになったが、好評であった。
 一般道を通って新潟に戻った。国道脇の海岸には、浜茶屋も取り壊され、ほとんど人もおらず、夏の終わりを感じさせてくれた。
 
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