ウペペサンケ山、北鎮岳、旭岳、北海岳、武華岳、塩谷丸山、チセヌプリ、イワオヌプリ、余市岳

ウペペサンケ山
黒岳、桂月山、北鎮岳、旭岳
北海岳
武華岳
塩谷丸山
シャクナゲ岳・チセヌプリ、イワオヌプリ
余市岳


【日時】 2005年7月29日(金)〜8月7日 9泊10日
【メンバー】 単独行
【天候】 7月31日:曇り 8月1日:晴 2日:曇り 3日:雨 4日:雨後曇り 5日:曇り 6日:晴

【山域】 東大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 糠平富士・ぬかたいらふじ・1834.6m・一等三角点本点・北海道
 ウペペサンケ山・うぺぺさんけやま・1848m・なし・北海道
【コース】 糠平より
【地形図 20万/5万/2.5万】 北見/糠平/糠平、ウペペサンケ山

【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道夏山ガイド3「東・北大雪、十勝連峰の山々」(北海道新聞社)、北海道百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳・幌尻岳」(昭文社)
【温泉】 糠平ら温泉・元祖元湯館 500円

【山域】 表大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 黒岳・くろだけ・1984.0m・三等三角点・北海道
 桂月山・けいげつだけ・1938m・なし・北海道
 北鎮岳・ほくちんだけ・2244m・なし・北海道
 中岳・なかだけ・2113m・なし・北海道
 間宮岳・まみやだけ・2185m・なし・北海道
 旭岳・あさひだけ・2290.3m・一等三角点本点・北海道
 北海岳。ほっかいだけ・2136m・なし・北海道
【コース】 層雲峡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 旭川/大雪山、旭岳/層雲峡、愛山渓温泉、旭岳、白雲岳
【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道夏山ガイド2「中央高地の山々(上)」(北海道新聞社)、北海道百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳・幌尻岳」(昭文社)
【温泉】 層雲峡温泉・黒岳の湯 600円
【交通費】 黒岳ロープウェイ 片道950円
黒岳ペアリフト 片道 400円

【山域】 北大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 武華岳・むかだけ・1758.5m・三等三角点・北海道
【コース】 イトムカ川沿いの林道終点より
【地形図 20万/5万/2.5万】 北見/北支湧別/武利岳
【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道夏山ガイド3「東・北大雪、十勝連峰の山々」(北海道新聞社)、北海道百名山(山と渓谷社)
【温泉】 層雲峡温泉・層雲峡簡易保険保養センター 600円

【山域】 小樽周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 塩谷丸山・しおやまるやま・629.2m・三等三角点・北海道
【コース】 塩谷登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 岩内/小樽西部/小樽西部
【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道夏山ガイド1「道央の山々」(北海道新聞社)
【温泉】 ニセコ温泉・国民宿舎雪秩父 500円

【山域】 ニセコ
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 シャクナゲ岳・しゃくなげだけ・1074m・なし・北海道
チセヌプリ・ちせぬぷり・1134.5m・二等三角点・北海道
【コース】 神仙沼登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 岩内/岩内/チセヌプリ
【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道夏山ガイド1「道央の山々」(北海道新聞社)、北海道百名山(山と渓谷社)

【山域】 ニセコ
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
イワオプリ・いわおぬぷり・1116m・なし・北海道
【コース】 五色温泉花園バス停より
【地形図 20万/5万/2.5万】 岩内/岩内/ニセコアンヌプリ
【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道夏山ガイド1「道央の山々」(北海道新聞社)、北海道百名山(山と渓谷社)
【温泉】 ニセコ温泉・五色温泉旅館 500円

【山域】 小樽周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
余市岳・よいちだけ・1488.1m・一等三角点補点・北海道
【コース】 キロロリゾートパノラマゴンドラ山頂駅より
【地形図 20万/5万/2.5万】 札幌/銭函/余市岳
【ガイド】 北海道夏山ガイド1「道央の山々」(北海道新聞社)、北海道百名山(山と渓谷社)
【温泉】 キロロリゾート森林の湯 940円
【交通費】 パノラマゴンドラ・温泉セット 1250円

【フェリー代】 40470円(往復割引、車両航送1台、特二等寝台)
【総走行距離】 1084.1km

【時間記録】
7月29日(金) 23:50 新潟発=(新日本海フェリー) (船中泊)
7月30日(土) =17:20 苫小牧東=(R.235、鵡川、平取、R.237、日高、R.274、十勝清水、鹿追、士幌、R.273 経由)=23:00 糠平  (車中泊)
7月31日(日) 5:20 登山口―5:32 最終水場―6:23 1399mピーク―7:20 菅野温泉コース分岐―8:09 糠平富士―8:48 最高点(本峰)―9:03 西峰〜9:12 発―9:24最高点(本峰)―10:10糠平富士―10:49菅野温泉コース分岐―11:36 1399mピーク―12:16最終水場―12:27 登山口=(R.273大雪ダム、R.39 経由)=!7:00 層雲峡  (車中泊)
8月1日(月) 6:00 層雲峡=(大雪山黒岳ロープウェイ、黒岳ペアリフト)=6:30 黒岳七合目―7:40 黒岳〜8:03 発―8:28 黒岳石室―8:42 桂月山―9:01黒岳石室―9:55御鉢平展望台〜10:03 発―10:32 北鎮岳分岐―10:48 北鎮岳〜10:57 発―11:14北鎮岳分岐―11:32 中岳―11:49 裾合い平分岐―12:15 間宮岳―12:18 間宮岳分岐―12:45 裏旭キャンプ指定地〜13:05 発―13:29 旭岳〜13:35 発―13:58裏旭キャンプ指定地  (テント泊)
8月2日(火) 5:03裏旭キャンプ指定地―5:35間宮岳分岐―6:18 北海岳―7:58黒岳石室〜8:06 発―8:30 黒岳〜8:50 発―9:44黒岳七合目―10:50層雲峡=(R.39、上川、R.39、北石峠 経由)=5:00 武華岳登山口  (車中泊)
8月3日(水) 6:45武華岳登山口―6:58 分岐―8:01 稜線上ピーク―8:39 武華岳―9:05 1747mピーク―10:03 分岐―10:14武華岳登山口=(R.39、旭川、R.12、滝川、R.459)=17:00 四番川  (車中泊)
8月4日(木) 7:20 四番川=(R.451、柏木、R.231、石狩、R.337、銭函、R.5、小樽、塩谷 経由)=10:48 丸山登山口―12:05 塩谷丸山〜12:33 発―13:31 発=(R.5、国富、R.276、ニセコパノラマライン 経由)=17:30 神仙沼入口  (車中泊)
8月5日(金) 7:20神仙沼入口―7:30神仙沼分岐〜7:58 発―8:10 長沼北端―8:40 シャクナゲ岳分岐―9:19 シャクナゲ岳〜9:23 発―9:55 シャクナゲ岳分岐―10:03 湯元温泉分岐―10:37 チセヌプリ〜10:44 発―10:07湯元温泉分岐―11:14 シャクナゲ岳分岐―11:45長沼北端―11:55神仙沼分岐―12:07神仙沼入口=12:46 お花畑バス停―13:14 大沼分岐―13:32 お鉢分岐―13:43 イワオヌオプリ〜14:02 発―15:15 お鉢分岐―14:25 大沼分岐―14:50 お花畑バス停=(R.5、大江、R.393 経由)=20:00 常盤 (車中泊)
8月6日(土) 6:40 山頂駅―7:25 林道コース分岐―7:41 北東コル―8:18 観音像―8:28 余市岳〜8:55 発―9:04観音像―9:35 北東コル―9:46林道コース分岐―10:23 山頂駅=(R.393、朝里IC、札樽自動車道、道央自動車道、苫小牧東IC、R.36、R.235 経由)=17:30 苫小牧東港=19:50 苫小牧東港発=  (船中泊)
8月7日(日) =15:30 新潟着 

 ウペペサンケ山は、東大雪に属し、ニペソス山の南に位置する山である。長い稜線を持ち、台形状の山頂を持っている。
 北海道の屋根とも呼ばれる大雪山は、北海道における最高点である旭岳を盟主として、2000m峰を周囲に従えている。旭岳の北東部には、御鉢平と呼ばれる旧噴火口のカルデラがあり、その周囲には黒岳、北鎮岳、間宮岳、北海岳が連なり、層雲峡ロープウェイを起点として、御鉢巡りと呼ばれる周遊コースで歩くことができる。
 武華岳は、北大雪に属する山で、石狩と北見を分ける石北峠の北に武利岳と並んでそびえる山である。
 塩谷丸山は、小樽の南、塩谷の集落の背後にそびえる山である。山頂一帯は笹原に覆われて、余市湾を一望することができる。
 ニセコ連峰は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園の中核をなし、古くからスキー場が開かれ、山麓に点在する温泉と相まって観光客に親しまれている。ニセコ連峰には、最高峰のニセコアンヌプリの他にも、チセヌプリやイワオヌオプリといったピークがあり、日帰り登山を楽しむことができる。
 余市岳は、小樽の南に位置し、札幌市の最高峰の山である。最近、山麓にキロロリーゾートという大規模リゾート施設ができて、そのゴンドラを使って登るコースが一般的になってきている。

 今回の北海道山行は、山仲間が北海道にいってきたと聞いて、二週前に急に思い立ったものである。以前は、フェリーの予約が、夏場に関しては、三週前の予約開始後すぐに満杯になってしまうため、五月の連休明けには山行計画を立てる必要があった。現在は、インターネットで空席を確認し、予約も行えるため、ずいぶんと楽になった。
 これまで、北海道山行は、一週間単位で三回行ってきた。これは、日本百名山巡りが目的であったため、99年にそれがひと区切りついてからは6年の年月が経っている。今回の山行では、悪天候のためにただ山頂に立っただけの大雪旭岳の再訪と、300名山の山を目標として計画を立てたが、テント泊も必要なため、体力も必要になり、どこまで行えるかどうかで計画変更もありそうであった。
 フェリーは、金曜日の深夜発のため、仕事も普通に行ってから出発した。新潟・苫小牧便は、行きは、深夜に出発して翌日の夕方到着するので、それからひと走りすれば、大雪山あたりなら登山口に到着することができる。また、帰りは、夜の7時過ぎの出発なので、苫小牧周辺の時間のかからない山なら登ることができる。1日ずつの移動日ということになるので、日程的には飛行機と変わらないのが有難い。また、フェリーの料金も、車一台を運んでも4万円ほどなので、高速道と比べても割安感がある。
 フェリーターミナルで出発を待つ間に、雷雨が始まった。今回の山行を象徴するような雨であったが、その時は、その後の苦労を予想してはいなかった。乗船後、いつもならビール片手に出港の様子を眺めてすごすのだが、甲板に出ることもできず、ぞのままベッドで寝た。
 翌日は、音楽を聴きながらの読書で一日を過ごした。以前は、ポータブルCDであったため、持ち込むCDにも限りがあったが、現在ではiPodのため、曲の選択には不自由はしない。また、密閉型ヘッドホーンを用意し、音質向上と雑音対策を行った。
 北海道が近づいたところで翌朝の天気予報を確認すると、前線が停滞して、雨の予報が出ていた。山行開始日は、石狩岳のテント泊山行を予定していたが、雨とあっては変更するしかない。
 苫小牧に到着してから、コンビニで食料を買い込み、ともかく東大雪方面をめざした。雨ならば、然別湖周辺の山を軽く歩いて終わりにするつもりであった。ラジオで天気予報を確認しながら車を走らせていくと、翌日の午前中は天気が持ちそうであった。ということで、東大雪のウペペサンケ山を登ることにした。糠平温泉の林道入口に到着したところで、その晩は寝た。この林道入口には、ウペペサンケ山の登山標識が立てられていた。
 翌朝起きてみると、夜中の弱い雨は止んで曇り空になっていたので、ウペペサンケ山をめざすことになった。糠平川沿いの林道が長く続き、高度もかなり上がった。路面の状態は悪くはなかったが、未舗装の道が長く続くと、気疲れも大きくなる。北海道の山では、この林道走行が第一関門になることが多い。
 林道の途中で現在地が判らなくなったが、ウペペサンケ山の登山口は、標識もあってすぐに判った。登山口脇の路肩スペースに車を停めた。
 雨も降っていなかったので、雨具を着ずに出発したが、これは失敗であった。登山道に倒れ込んだ笹を掻き分けるうちに、すぐにずぶ濡れになってしまった。いまさら雨具を着ても仕方がないので、そのまま歩き続けることにした。
 歩き出しから僅かで水場に到着した。この水場は、尾根の途中のザレ場からの湧き水で、この下は、沢状に水が流れるほど、水量も豊富であった。エキノコッカスが怖くて山中で生水を飲めない北海道の山では、このような湧き水は有難いものであるが、朝の歩き始めとあっては水を汲む必要もなかった。
 しばらくは台地の緩やかな登りが続いたが、次第に傾斜もきつくなって汗を流すことになった。1399mピークに出て、ひと息ついた。ここからは、一旦下った後に、1610mピークに向かっての登りが長く続く。ピーク周辺には、露岩帯もあって、展望を眺めながらの休憩には良さそうであったが、高みは雲に覆われていた。
 1595mピークを越えると、菅名温泉からのコースが合わさった。かなり歩いたと思って地図を確認すると、水平距離に関しては、まだ中間部であった。分県登山ガイドのコースタイムと比べると、かなり頑張ったつもりであったが、同じ時間がかかっていた。普通なら短縮できるはずなので、気分的に余裕がなくなってきた。後で、昭文社の登山地図のコースタイムを見ると、もっとかかることになっていたので、分県登山ガイドのコースタイムは、かなり厳しいことになる。一般向けのガイドブックとしては、コースタイムも少し緩めにするべきだと思うのだが。
 菅名温泉分岐周辺からは、ハイマツ帯が広がるようになり、風が強くあたるようになった。Tシャツだけでは寒くなり、雨具の上着を着て防寒対策をした。ガイドブックには、ハイマツ帯の快適な稜線歩きが続くと書かれているが、ガスの中、淡々と登りを続けるしかない。
 糠平富士と呼ばれる1834.6mピークに到着。三角点の写真はとったものの、後で記録を纏める際に一等三角点であることに気が付いた。その先の短い岩綾歩きを終えると、標高差50m程の一気の下りになった。鞍部には雪渓が残り、お花畑が広がっていた。ここまでの砂礫地では、イワブクロやコマクサも見ることができたが、ここの草地では狭いながらも、エゾツツジ、エゾノハクサンイチゲ、チングルマ、エゾウサギギク、チングルマ、エゾノツガザクラを見ることができた。北海道ならではの花である。
 再び、失った分を登り返し、後は緩やかな稜線歩きで、1848mピークに到着した。ガイドブックには、ケルンだけが置かれているように書いてあったが、「本峰」と書かれた山頂標識が置かれていた。細い稜線上の一点で、山頂といった感じは無かった。もうひと頑張りして西峰を目指した。
 西峰の山頂標識は、1836m点ではなく、その先の尾根分岐に置かれていた。周囲は背の低いハイマツで周辺の展望は良さそうであったが、残念ながらなにも見えなかった。晴れていれば、二ペソス山を目の前に、大雪山や十勝連峰の大展望を楽しめるはずなのだが。遠い北海道の山とあっては、この山の再訪は、まず無いであろう。遠くの山に登って心が揺れるのは、悪天候の中登ってしまったが、これで良かったのだろうかということである。しかし、晴天を待つだけの時間的な余裕はない。
 風当たりの弱いハイマツに囲まれた広場で、ともあれ腰を下ろした。歩いている途中、靴の中でガボガボと音が立っていた。靴を脱いで靴下を絞ると、たっぷりと水がしたたりおちた。
 再び、長い道を引き返すことになった。糠平富士との鞍部で、夫婦連れとすれ違った。地元の人のようであったので、天気予報を尋ねてみると、午後からは雨だが、10時頃には晴れ間も出るとのことであった。おりしも10時になっていたが、ガスが晴れる様子はなかった。この日の登山者としては、1399mピークへの登り返しで4名グループに出会ったが、かなり疲れていたようで、どこまでいけたのやら。

 帰りも、小さな登り返しがあって、時間と体力が必要な山であった。ずぶ濡れになったのも、疲れを大きくしたのかもしれない。足を早めたおかげで、雨が降り出す前に下山できた。
 糠平温泉で、下山後の汗を流した。温泉旅館は、新しいものより歴史のありそうなものの方が好きなのだが、入った温泉は、施設の古さはともかく、露天風呂への階段に敷いた滑り止めネットがすり減って泥だらけになっていたりして、管理が行き届いていない感じが強かった、次回は別な旅館という気になった。
 温泉から出ると、天気予報通りに豪雨が始まった。途中で急いだのは正解であった。先行の二人連れはともかく、疲労の色の濃かった4名グループがどうなったのか気になるところである。天気予報通りに崩れたので、雨で辛い目にあっても、自己責任ということで、同情はできない。
 計画していた1泊2日の石狩岳山行はあきらめて、三国峠を越して層雲峡を目指した。予定の次の山は武華岳であったが、まずは層雲峡のビジターセンターで天気予報を確認することにした。掲示によると、この後二日間は、曇り時々晴で、テント泊も可能なようであった。黒岳経由で旭岳を目指すことにした。
 旭岳は、1996年8月4日に、北海道の日本百名山の第一番として登った。旭岳ロープウェイを利用し、姿見駅から旭岳、間宮岳、裾合平と周遊するつもりであったが、小雨の中の登山になり、ただザレ場の中を登り、ガスの中で旭岳の山頂標識と一等三角点を写真におさめただけに終わった。大雪山の展望も花も見ていない。登ったにもかかわらず、心残りの山になっていた。日本百名山のピークハントなら、ただ登れば良いのだが、再訪となると、晴れ間を狙う必要があり、条件はかえって厳しくなる。
 層雲峡の駐車場で、1泊2日のテント泊装備を調えた。ロープウェイ駅で運行時刻を確認すると、始発の6時はともかく、最終の19時には驚かされた。以前にも入ったことのあるラーメン屋の登山軒でカツ丼の夕食を取り、意外に空いている駐車場で夜を過ごした。
 翌朝は、層雲峡の岩壁にガスがかかっていたものの、ロープウェイの五合目駅が朝日に照らされているのが見えた。ロープウェイの往復割引切符は当日限りのため、片道切符を買うことになった。始発の乗車を待つ登山者は多く、20分間隔が10分間隔と表示が出ていた。軽装の者がほとんどであったが、始発に乗り込むものは、層雲峡から旭岳ロープウェイへと縦走する者も多いようであった。
 満杯のロープウェイで、一気に五合目へ。駅を出てから遊歩道を進むと、七合目へのリフト乗り場に出た。片方が崖になって切り落ちた黒岳が前方に聳えているのが見えた。黒岳は、深くは考えてのことではなかったのだが、リフト終点から観光客と混じって登る観光の山といったイメージを持っていた。少し甘かったようである。
 リフトにテント泊の大型ザックを持って乗せてくれるかという心配をしていたのだが、これには問題はなかった。ロープウェイも荷物料金は取られなかったが、本州の有名山岳地帯よりは営業的にすれていないということか。ザックを前に抱きかかえ、右肩だけをベルトに通し、半身の姿勢の左手でリフトの座席を掴み、座ると同時に前に向いてザックを右脇に置けば良かった。
 七合目の山頂駅を出た所の休憩所に登山ノートがあり、用紙に記載することになる。この時は無人であったが、下山の時はパトロールがつめていたので、横着をせずに必ず記入する必要がある。下山届けの際には、ヒグマやキタキキツネなどの写真を載せた絵葉書のプレゼントもあった。パトロールも気をつかっていることが判る。
 つづら折りの急登が始まった。始めは子供も混じった家族連れと一緒になって歩き難かったが、直に自分のペースで歩けるようになった。登山地図では1時間10分のコースタイムであるが、急登の連続であるため、山歩きに慣れていない者では足が止まってしまうであろう。太陽がさして気温が一気に上がったが、すぐにガスが出て涼しくなった。
 黒岳から北に延びる尾根が近づくと、東斜面一帯にお花畑が広がるようになった。ウコンウツギ、チシマキンバイ、トカチフウロが大群落を作り、ダイセツトリカブトやハクサンチドリの花も見られた。登りに専念しており、この先でもこのようなお花畑を見られると思って写真を撮らなかったが、草原性のお花畑は、お鉢巡りコースでは、ここだけであった。
 黒岳の山頂に到着して、思わず歓声が上がった。目の前には、雲の平の台地を前景に、北鎮岳から間宮岳、北海岳と連なる山稜の眺めが広がっていた。目指す旭岳の山頂は、間宮岳の山頂の奥に僅かに頭をのぞかせているだけのようであった。他の登山者も同じ思いのようで、後から到着した者の歓声が続いた。
 黒岳の山頂は、砂礫地の広場になっており、ここまでの草原が広がる登山道周辺とは様相が一変していた。エゾツツジやイワブクロが群落を作っていた。花を眺めながら、黒岳石室に向かって斜面を下った。
 黒岳石室は、その名前から、岩峰下の岩屋なのかと思っていたのだが、草原の中に建つ山小屋であった。ここは、下ってきた黒岳方面、北鎮岳と北海道方面に加え、桂月岳への登山道が分かれる十字路になっている。
まずは、ザックを置いて、桂月山を往復してくることにした。目の前の綾雲岳には登山道がないのが残念である。ザレ場を横断してからガレ場をひと登りすると、桂月山の山頂に到着した。黒岳の山頂を振り返ることができたが、黒岳ほどの展望はなかった。桂月山は、黒岳石室からは時間もかからず、泊まり客の時間つぶしといった感じの山であった。
 黒岳石室に戻り、再び重いザックを背負って歩き出した。平坦な雲の平の歩きが続いた。チングルマの大群落が広がっているのを楽しむことができた。左下の赤石川沿いには、火山性の崩壊地も見下ろすことができた。北鎮岳が近づいたところで、尾根の上に出ると、御鉢平の眺めが広がった。三脚に固定した単眼スコープをのぞいている若者がいたが、御鉢平のヒグマを探していたのだろうか。
北鎮岳の肩に向かっての雪渓の登りが始まった。傾斜は少しあったものの、スプーンカットを利用して問題無く登ることができた。ただ、すれ違った大荷物の大学生グループは、ストックも持っていないため、足元がおぼつかず、下りに苦労していた。今回は、このような雪渓登りがあると思って、六爪アイゼンを持ってきていたが、使わないであろうということも想定内であった。
雪渓と登り切った北鎮岳の肩では、大勢の登山者が休んでいた。旭岳ロープウェイから登ってきた登山者と、ここで出会ったようである。
 荷物を置いて、北鎮岳の山頂に向かった。山頂は、目の前にあり、登っている登山者は、空身で往復している者ばかりであった。標高差100m程の急登を終えると、北鎮岳の山頂に到着した。ここからの眺めで特にひかれるのは、比布岳へ至るなだらかな稜線と、その向こうに見える愛別岳の鋭峰であった。愛別岳の眺めには心引かれたが、登りたい山があっても、時間が許してくれないのはいたしかたない。
 分岐に戻り、南へと稜線を進んだ。続く中岳、間宮岳は、2000mピークといっても、緩やかに上下する幅広の稜線上の高まりにしかすぎない。昼になってガスも出始め、近づいてきた旭岳の山頂も見え隠れするようになった。裾合平への分岐を過ぎてひと登りすると間宮岳の山頂に到着した。旭岳、北海岳への登山道の合わさる三叉路は、その少し先であった。GPSのログを見ると、2186m標高点が三叉路であり、地図における破線の分岐とは違っている。間宮岳は、ザレ場の平坦地のため、どこでも歩ける代わりに、ガスに巻かれると、登山道を見失いやすそうで、山頂標識は現在の三叉路部に移動しておいた方がよさそうである。
 間宮岳から南西への尾根を下っていくと、切り立った熊ヶ岳が残雪をまとった姿を見せていた。鞍部の2074標高点が、裏旭キャンプ場と呼ばれるキャンプ指定地である。石組みをしたテン場がいくつも作られていたが、他にテントは無かった。テントを素早く張って、旭岳を往復してくることにした。その前にビールを雪渓から流れ出る沢に浸けておいた。
旭岳に向かっては、雪渓の登りになる。登っていく登山者を下から眺めることができた。傾斜もかなりあって、翌朝では雪が締まって滑落の心配も出てくる。ここで登っておかないと、雲も出始めて天気が明日も持つか心配になってきた。
 サブザックにアイゼンと最低限の荷物を詰め込んで歩き始めた。荷物が軽くなっただけ、登りも楽になった。雪渓は、表面が柔らかく、キックステップを入れながらの登りになった。雪渓が尽きた所から、ザレ場の登りになったが、一直線の登りのために、息が切れた。
 9年ぶり二度目の旭岳山頂であったが、またも、ガスに囲まれていた。ただ、今回は、下から旭岳の山頂を良く眺めることができたので、良しとしよう。山頂では、数組の登山者が休んでいたが、姿見駅への下りには、1時間30分程かかるので、もうひと頑張りが必要である。この後も旭岳を越えていく登山者が続いたが、ロープウェイの運行時間との競争になっていった。旭岳ロープウェイの時刻表は確認していなかったが、黒岳ロープウェイの最終が19時である理由も判ってきた。
 下りでは、雪渓が消えた跡のザレ場では足元が滑るために横向きになって歩く場面もあった。雪渓上になると、踵のキックも入って快適に下ることができるようになった。
 テン場に戻り、遅い昼食兼夕食になった。雪渓の雪解け水につけておいたビールは、ほど良く冷えていた。ここの水場は、雪渓からの雪解け水を利用するものであったが、雪渓の末端からとっても、細かい砂が混じっていた。煮沸をしてそのまま使ったが、神経質なものは、ペーパーフィルターで漉した方が良いであろう。
テン場を通り過ぎていく登山者も絶えて、ぼんやりしているうちに夕暮れも近づいた。この日のテン場には一人切りかと思っていたところ、五時過ぎになった頃、最初は空耳かと思ったのだが人声が入ってきた。テントから頭を出して見渡すと、旭岳の雪渓を4名が下ってくるところであった。途中で止まってしまい、下りに苦労しているようであった。日もかげって、雪も堅くなってきているのかもしれない。やがて到着した4名は、外国人であった。話声を聞いても、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、何語を話しているのか判らなかった。コースタイム的には可能であろうが、午後の遅い時間に出発して、異国の山中のテン場までというのは、計画が無謀ではあるまいか。
レジオで翌日の天気予報を聞いていると、翌日は雨が降り始めるという。二日目の御鉢巡りは時間もあまりかからないことから、白雲岳を往復していこうと思っていたのだが、これは諦めるしかないようであった。1999年8月6日に赤岳に登った際も、白雲岳までと思っていたものが、悪天候のために、赤岳までとなった。白雲岳は、相性の悪い山のようである。
夜中になって、雨が降り出し、風も強くなった。フライが風にあおられてばたつく音で目が覚めた。自分のテントは、張り綱もしっかりしていて問題は無かったのだが、外人の張った二張りのテントの一方が、あおられたようである。
翌朝は、ガスが流れるものの、雨は止んでいた。テントの撤収時に雨が降っていないことに感謝して、すばやく出発の準備を整えた。
 間宮岳に戻り、稜線を東に向かった。地図には荒井岳とあったが、間宮岳の肩で、どこが山頂か判らないままに通過した。続く松田岳も、幅広稜線上の小ピークであった。雲が厚いものの、その切れ間から時折御鉢平の眺めが広がった。緩やかな登りを続けていくと、北海岳の山頂に到着した。この山頂からは、白雲岳方面への道が分かれているが、ガスの中に先は消えていた。稜線歩きが辛くなるほどの風ではなかったが、視界が閉ざされているので無理はしないことにした。
 北海岳から下っていき、岩峰の下をトラバースするようになると、登山道周辺の花が多くなった。下方の眺めも広がり、黒岳方面は晴れているようであった。花の写真を撮りながらのんびりと下ることにしたので、北海岳から黒岳石室間の歩行時間は、大幅に超過した。
 北海沢の出合は雪渓が残り、エゾノリュウキンカやエゾコザクラの大群落が広がっていた。このお花畑を見ることができただけでも、このコースを歩いて良かった。小さな尾根を乗り越すと、赤石川の徒渉点に出た。ワイヤーで纏められた石のブロックを足場に、飛び越しながら渡るようになっていたが、水量も多いためか、最後は、水面下の石を踏み石にする必要があった。増水時には徒渉が難しくなりそうである。
徒渉点から緩やかに登っていくと、黒岳石室の十字路に戻ることができた。黒岳に登り返すと、曇り空ながら、展望が広がっていた。白雲岳の山頂も眺めることができたので、頑張って歩いていればと思わずにはいられなかったが、その分、花をゆっくりと眺めることができた。
黒岳の山頂は、このピークだけを目的とする登山者で賑わっていた。後は、リフト終点まで下るだけなので、登りの際に取り損ねた花の写真を撮りながらのんびり歩いた。太陽が照りつけるようになり、気温も上がってきた。山歩きに慣れていない初心者には、この登りは厳しそうであった。
 黒岳七合目付近は、観光客で賑わっていた。特に見るものも無いのだが、リフトに乗って少しでも高い所まで上がれれば満足できるようである。ロープウェイの山頂駅周辺は、高山植物のお花畑が整備されて、花も美しく咲いていた。
 駐車場に戻り、温泉に入り食堂で昼食をとった後、コンクリート敷きの上に濡れたテントを並べて、乾かした。初日に濡らしてしまった登山靴は、車の中に放置しただけでは、濡れたままであった。テント装備を解いて、日帰り装備を調えるのに、時間もしばらくかかった。少し早めの下山であったが、その後の山行を続けるための整理の時間となった。
国道を上川まで走り、そこのコンビニで買い物をした。この時間になって天気予報もあたったようで、一時雨がぱらついた。翌日の天気も悪そうであった。歩行時間もさほどかからず、険しいところも無さそうな武華岳を翌日の山とした。
 層雲峡に戻ってさらにその先の石北峠の下り口が、武華岳への林道入口になる。行ったり来たりと無駄が多いが、食料の買い出しのためには仕方がない。コンビニが全く無いというなら、保存食料で我慢するしかなく、車にもパックライスやレトルトカレーは積んでいたのだが。
 石北峠を下っていくと、武華岳登山口の標識が現れた。これに従って林道に進むと、イトムカ川の支流を渡ったところで、林道分岐になり、右手の林道に進む。林道の状態は未舗装ながら、そう悪い訳ではないが、車のすれ違いが難しい区間が続き、対向車が来ないか運転に神経を使った。とはいっても、この林道を使うものは、武華岳の登山者くらいのもので、平日の入山者はいそうになかった。
 砂防ダム脇で林道は終点になり、登山口の標識とポストが置かれていた。付近の駐車スペースは傾斜があって車の中で寝づらいため、少し戻った路肩の広場に車を停めて寝た。
 夜には雷雨となったが、朝は止んでいた。速攻で登山を終えれば良いと思って歩き出した。この日は、雨具のズボンを履き、スパッツも付けて、雨対策も行った。
伐採道であったという幅広の道の緩やかな登りが続いた。左手の沢に滑滝を見ると、その先で、ライオン岩コースと前ムカコースの分岐に出た。周遊コースで、どちらから登っても良いので、特に理由は無かったのだが、ライオン岩コースに進んだ。途中で現れた登山標識では、前ムカコースを最初に登るように、目標地点までの距離が書いてあった。イトムカ川を飛び石伝いに渡ると、しばらくは緩やかな登りが続いた。傾斜が増してライオン岩から南東に延びる尾根に出ると、その先は尾根沿いの登りになった。雨が降り出したが、急登で暑かったため、雨具の上着は着ずに、傘をさしながら歩き続けた。
 小ピークに出て草原を横断していくと、その先にライオン岩がガスの中から姿を現していた。岩の基部から踏み跡が始まっていたが、悪天候の中、先を急ぐことにした。一旦下った後に、武華岳の山頂への登りが始まった。水をたっぷり含んだハイマツを傘で掻き分けながらの登りになった。このシャワー状態では、雨具の上着は着ても同じということで、上半身は濡れたままにすることにした。一旦曲がった骨を曲げ直したぼろ傘であったため、骨も一本二本と折れていった。

 ここが武華岳の山頂かと思ってからも、もうひと歩きする必要があった。登山道脇のハイマツの下に三角点を見ると、その先の大岩の上に武華岳の山頂標識が置かれていた。天気が良ければ、岩の上で展望を楽しみながらゆっくりするところであろうが、下山を急ぐ必要があった。
 天気が良ければ展望を楽しみながらの稜線歩きが楽しめるはずであるが、あいにくの雨の中であった。それでも振り返ると、ガスの中から一瞬であるが、山頂が姿を現した。1747mピークで東進してきたコースは南に向きを変える。このピークから北に続く尾根の先には武利岳があるのだが、視界は閉ざされていた。武利岳も登ってみたいピークなので、またの機会を待つことにしよう。登山道周囲には、旭岳付近とも違った花が咲いていたが、足を止める余裕もなかった。
 尾根の下りに入って、ひと安心と思ったところで、雷が鳴った。稜線歩きの途中でなくて良かったと思いながら、足を早めた。つづら折りの下りを終えると、沢沿いの緩やかな道になった。周遊コースの分岐に戻れば、車のある登山口まではもうひと歩きであった。
 ずぶ濡れになった衣類を着替えて、ひと息ついた。雨はまずます激しくなるようで、時間は早いが、この日の山歩きは終わりになった。とにかく、旭川まで出てから、明日の山を考えることにした。温泉は層雲峡ということになるが、黒岳の湯は前の日に入ったので、今度は、層雲峡簡易保険保養センターで風呂に入った。大浴場を独り占めしながら、雨の音を聞きながら、温泉に入る気分は格別な気分であった。
 旭川で壊れた折りたたみ傘や食料を買い込み、夕食も終えた。天気が良ければ富良野岳とも思っていたのだが、これは無理そう。旭川から遠くはなく、歩行時間もさほど長くない神居尻岳をめざすことにした。R.459から県道に入る四番川で、道路が土砂崩れの恐れのために閉鎖になっていた。この県道に勧めなければ、登山口にはたどり着けないため、手前の空き地に車を停めて、翌朝の様子を見ることにした。
 今回の山行には北海道夏山ガイド全六冊も持ってきていたので、それを読んで、雨の中でも簡単に登れそうな山を探すことになった。
 翌朝、雨はほとんど上がっていたが、7時を過ぎてもゲートは閉ざされたままであった。この時間から移動しても登れる簡単そうな山ということで、塩谷丸山を選んだ。日本海側の国道に出て小樽を目指した。南下するにつれて本降りの雨となったが、やがて小振りになっていった。今回の雨は、道南部で被害が大きかったようである。
 小樽は、あいかわらず観光客で混雑していた。小樽を通過したとこころ県道と分かれ、塩谷駅に向かい、その脇で線路を渡り、後は丸山登山口の標識に従って車を進めた。
 山に向かって一直線に伸びる車道の終点が登山口であったが、その脇は人家の前庭で駐車禁止であったため、少し戻った路肩に車を止めた。雨は一旦止んだかと思ったが、また降り出した。雨でも歩くつもりであったので、雨具を着けて歩き出す準備をした。
 丸山の登山口には、熊注意の看板が置かれていたが、このような集落裏手の山でも熊はいるのだろうか。しばらく林道跡のような幅広の道を歩いていくと、左に登山道が分かれた。尾根に乗ると、緩やかな登りが続いた。雨も止んでくれたが、ヤブ蚊が出てきて、刺されたあとをかきながらの登りになった。
 つづら折りの急坂を登り終えると、台地に出て笹原が広がるようになった。マイクロウェーブの反射板が現れたので、山頂到着かと思ったが、まだ先であった。先が見通せるようになると、一面に広がる笹原の台地の先に丸山の山頂が頭を持ち上げているのが見えた。美しい眺めであった。
 最後の登りは急坂になったが、長くはなかった。小岩峰の脇を過ぎて登り着いた左手に三角点があり、その奥に進むと岩の上に祠があって山頂標識が置かれたいた。ニセコや羊蹄山の眺めが広がっているのだろうが、展望は閉ざされていた。雨が降っておらずに、山頂で腰を下ろして休めるだけでも満足すべきであった。
 下りにうつると、眼下には、余市湾の眺めが広がった。山と渓谷の雑誌でも、時々海の見える山という特集があるが、この山もその一つに入れることができる。
 車に戻って、またまた濡れきった服を着替えることになった。これまで着替えた衣類も大荷物になっていたが、カビ臭くなってきて困った。車を走らせる途中、コインランドリーはないかと思ってみていたのだが、見つからなかった。洗濯のためにも、途中でライダーハウスあたりに泊まる必要があるのかもしれない。
 当初の計画では、翌日は夕張岳であったが、遠くに来すぎてしまった。この日の温泉を考えていくうちにニセコが思いついた。ニセコには、良い温泉が幾つもあるし、ニセコアンヌプリは登っていたが、チセヌプリやイワオヌプリといったピークが残されている。
 午後になって太陽も顔を出すようになって、雨は通り過ぎたようである。岩内が近づくと、チセヌプリの登山口である神仙沼への道標が出てきて、これに従うことになった。ニセコパノラマラインとも呼ばれる県道を山に向かって登っていくと、濃い霧の中に入った。神仙沼の登山口には休憩所も併設された大駐車場が設けられた。ここで夜を明かすことにしたが、まずはこの日の温泉として、ニセコ温泉・国民宿舎雪秩父に向かった。山中の温泉とあって施設は古びていたが、硫黄泉と鉄成分泉の二種類の源泉があり、広い露天風呂が設けられていた。この後はすることもないので、浴槽を変えながら、ゆっくりと温泉に入った。入浴後外に出て旅館脇の大湯沼の遊歩道を散歩した。沼に足をつけてみると、すぐに引っ込めなけらばならない熱湯であった。この湯は、旅館に引き込まれて風呂に使われているようである。沼一つが温泉というのも、なかなかお目にかかれない。
 神仙沼に戻ると、濃い霧に包まれた駐車場には、誰もいなくなっていた。
 翌日は、場合によっては、ピークを結んで歩くことのできる沼めぐりを行おうかと思って早起きしてみたが、霧に包まれて展望も閉ざされていたので、これは諦めてもうひと眠りした。
 神仙沼へは、幅広の板敷きの遊歩道が設けられていた。緩やかにピークを越えていくと、大沼との分岐に出た。まずは、神仙沼を訪れていくことにした。帰りには観光客で賑わって、朝の静けさは損なわれているはずである。
 左に曲がると、そのすぐ先で湿原に出た。小さな地塘には、ネムロコウホネの黄色い花が咲いていた。オゼコウホネに似た花であるが、雌しべの色が違うという。あいにくと、花の中をのぞき込めるほど近くには咲いていなかった。木道脇には、タチギボウシやトキソウの花も見られ、トトマツに縁を囲まれた美しい湿原に彩りを添えていた。木道の奥に進むと神仙沼に出た。ミツガシワの葉が湖面に浮かぶ静かな沼であった。
 分岐に戻り、大沼へ向かった。砂利敷きの遊歩道を辿っていくと、県道からの林道跡に出て、すぐ先で大沼の畔に出た。湖面にはガスが流れて展望は閉ざされていた。ここからは、普通の登山道に変わった。長沼に南端に出ると、登りが始まった。緩やかな登りで、シャクナゲ岳とチセヌプリの間の鞍部に到着した。
 まずは、シャクナゲ岳を往復していくことにした。ガスがかかって山の全貌が判らなかったのだが、目の前に見えていたのは、手前のピークであった。ひと登りした後にこのピークの南を巻いていくと、白樺山との分岐に出て、ここからは、急坂の登りになった。大岩を踏み越えていくようなところもあり、歩きづらい道であった。最高点を少し越した先にシャクナゲ岳の山頂標識が立てられていた。
 分岐に戻り、チセヌプリをめざした。しばらく緩やかな下り気味の道を辿ると、湯本温泉への登山道の分岐に出て、ここから標高差250m程の急坂のつづら折り登りが始まった。足にも疲れが出てきて、辛い登りになった。
 傾斜が緩んだ後、稜線部の一段下をトラバースしていくと、チセヌプリの山頂に到着した。山頂部は台地になって、北側には小さな湿原がハイマツの中から姿を見せていた。展望が無いのは残念であったが、静かな山頂を楽しむことができた。
 下りは東に続く登山道を下ろうかとも思ったが、車道歩きが長くなるので、来た道を戻ることにした。
 神仙沼登山口に戻ると、駐車場は観光客で賑わっていた。僅かな歩きで訪れることができる湿原ということで、観光客にも人気が高いようである。
 続いて、車をイワオヌプリの登山口に移動させた。少しでも楽をするため、五色温泉旅館を過ぎて坂を登った先の駐車場から歩き出した。遊歩道を辿っていくと、温泉旅館からの道が合わさり、尾根の登りが始まった。丸太の階段が設けられていたが、歩幅が合わず、脇の金網の上を歩く必要があった。台地の上に出ると、トラバース道が続いた。右手上方には、草の生えない火山性の山頂が迫ってきた。
 20人近くの団体が下山してくるのとすれ違った。大沼への道と分かれると、ザレ場の登りが始まった。どこでも歩けるため、踏み跡は判りにくくなっていた。ひと登りすると、前方に火口原が広がった。荒涼とした火口原を巻きながら登っていくと、ピークに出て、イワオヌプリの山頂標識が置かれていた。地図の1116m点は、窪地を越した先であったが、ここを山頂として休むことにした。風が冷たかったため、一段下りた岩陰に腰を下ろして休んだ。
 下山は、火口原の反対側を歩いて、登り着いた地点にもどった。登りの時よりもガスが濃くなって、ルートを探るのに、注意が必要であった。
 下山後は、五色温泉旅館で温泉に入った。二カ所の露天風呂があり、硫黄泉の湯をたっぷりと楽しんだ。イワオヌプリは、この温泉と合わさって魅力を増している。
 最終日の山として余市岳に向かった。この山だけが、当初の計画通りということになった。温泉でのんびりしていたため、キロロリゾートに到着した時は夜になっていた。はでな造りのホテルが建ち、明かりが煌々とつけられていた。大駐車場が設けられていたが、野宿には適さない場所であった。国道に戻って夜を過ごした。
 朝になってからキロロリゾートに戻り、ゴンドラの始発時間を確かめた。6時半からということなので、登山のためには都合が良い。登山口までの林道は、ホテル脇でゲートが閉ざされており、3km程の歩きが必要になる。林道を歩くよりは、ゴンドラを使ってお気軽登山にすることにした。
 ゴンドラの料金は、温泉と組み合わせると、1250円と割安なものになっていた。始発のゴンドラに乗りこんだ。眼下には、大規模なスキー場が広がっていた。一気に高度を上げて山頂駅に到着した。山頂駅前の広場には高山植物が植えられており、目の前には、朝日をあびた余市岳の山頂が広がっていた。ひさしぶりの晴天下での登山になった。
 山頂駅の係員には、前日の大雨で登山道が荒れている可能性があると注意された。歩き始めは、登山道が雨水に掘り込まれて深い溝ができていたが、その先は荒れたところもなかった。笹原に囲まれた中の緩やかな登山道が続いた。朝里岳に続く稜線が近づくと、トラバース気味に南に方向を変えた。この一帯は、台地状の笹原になっており、ここは飛行場とも呼ばれているらしい。朝里岳方面にも登山道が延びているかと期待していたのだが、その方面への道はなかった。僅かな距離ではあるが、身の丈を越す笹藪のため、積雪期以外は朝里岳へは到達できそうもない。
 林道経由の登山道が合わさると、その先で一旦下りになり、その先には余市岳の山頂が高く聳えていた。登山道も目で追うことができ、登りを頑張る必要があるなと、心構えをした。
 鞍部では、白井川からの登山道を合わせると、本格的な登りが始まった。標高差150m程は、急坂の登りに耐える必要があった。ゴンドラを使って横着をしているといっても、楽には山頂に立たせてはくれない。
 傾斜が緩んでからもしばらく歩きが続いた。ケルンと観音像が置かれた広場に出て、山頂到着かと思ったら、山頂はまだ先であった。この先は、古い山火事の跡で、白骨化したハイマツの枝が白く光り、コガネギクが黄色い群落を作る台地になっていた。
 広場になった余市岳山頂で、ひさしぶりの青空のもとのんびりした。ピラミッド型をした山頂は羊蹄山のようであった。ゴンドラの山頂駅や麓のホテルを見下ろすことができた。山行最後の山頂をゆっくりと楽しんだ。
 下りの途中、登山者にもすれ違うようになった。家族連れが多く、日が昇って暑くなっており、登りに苦労している者が多かった。
 下山後、セット料金で安くなった温泉に入り、ホテルで昼食をとることにした。ホテルは、家族連れで大賑わいであった。昼食バイキング1600円という看板を見て、他の食事は割高感があったため、これを食べることにした。コンビニ弁当と食堂で通してきたのだ、たまの贅沢ということになる。ひさしぶりに腹一杯食べることができたが、そのおかげで腹が苦しくなった。食いだめのおかげで、翌日まで腹が空かなかったので、安いものについた。
 しばらく休んだ後、時間を見計らって高速にのって苫小牧東のフェリー乗り場に向かった。帰りのフェリーは満杯状態であった。帰りは、コンピューターを立ち上げて山行記録を書いて時間を過ごした。
 今回の山行は、雨に見舞われて予定通りにいかず、目的のひとつである300名山巡りも一山で終わったが、限られたチャンスをものにして大雪山の展望と花を楽しむことができたので、満足である。今後も、夏休みの休暇には北海道の山と行くことにしよう。

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