与蔵ドッケ、烏帽子山、栗駒山、秣岳、瀧山

与蔵ドッケ、烏帽子山
栗駒山、秣岳
五郎岳、瀧山


【日時】 2005年7月16日(土)〜18日(月) 前夜発3泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 16日:曇り 17日:曇り 18日:曇り

【山域】 新荘周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 与蔵ドッケ・よぞうどっけ・702.3m・一等三角点本点・山形県
【コース】 羽根沢温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/清川、大沢/羽根沢温泉、大沢、清川、中野俣
【ガイド】 なし

【山域】 雄勝周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 烏帽子山・えぼしやま・954.2m・一等三角点補点・秋田県
【コース】 湯ノ沢温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/湯沢/横堀
【ガイド】 秋田の山登り50(無明舎出版)
【温泉】 湯ノ沢温泉 300円、小安峡温泉共同浴場 300円(石鹸なし)

【山域】 栗駒山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 栗駒山・くりこまやま・1627.4m・一等三角点本点・岩手県、宮城県
 秣岳・まぐさだけ・1424.0m・三等三角点・秋田県
【コース】 須川温泉より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/秋の宮/栗駒山、桂沢
【ガイド】 秋田の山登り50(無明舎出版)
【温泉】 須川温泉・栗駒山荘 600円

【山域】 蔵王山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 五郎岳・ごろうだけ・1413.1m・三等三角点・山形県
 瀧山・りゅうざん・1362.1m・二等三角点・山形県
【コース】 中央高原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/上山、山形/蔵王山、笹谷峠
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 蔵王温泉・源七露天の湯 450円(石鹸なし)

【時間記録】
7月15日(金) 20:30 新潟=(R.7、鶴岡、R.345、R.47、戸沢 経由)
7月16日(土) =0:30 羽根沢温泉先林道  (車中泊)
5:30 ゲート―6:30 羽州湯の里線終点―7:12 与蔵沼登山口―7:49 与蔵ドッケ〜7:54 発―8:19与蔵沼登山口―8:50羽州湯の里線終点―9:41 ゲート=(羽根沢温泉、鮭川、真室川、R.13、院内 経由)=10:50 湯ノ沢温泉―11:25 一息平―11:41 林道―12:15 展望台―12:44 高清水―13:08 烏帽子山〜13:32 発―13:54 高清水―14:11 展望台―14:36 林道〜14:46 発―14:55一息平―15:21湯ノ沢温泉=(R.13、須川、R.398、小安峡、栗駒道路)=19:30 須川温泉  (車中泊)
7月17日(日) 6:12 須川温泉―6:20 名残ヶ原―6:40 苔花台―6:51 地獄谷―7:03 昭和湖―7:21 賽走り―7:45 天狗平―8:05 栗駒山〜8:13 発―8:29 天狗平―10:09 秣岳〜10:28 発―10:41 分岐―11:10 秣岳登山口―11:50 須川温泉=(栗駒道路、R.398、花山湖、R.457、R.47、赤倉温泉、尾花沢、R.13、山形、蔵王温泉 経由)=20:00 紅葉峠  (車中泊)
7月18日(月) 6:47 五郎岳入口―6:51 五郎岳登山口―6:59 五郎岳〜7:04 発―7:10五郎岳登山口―7:14五郎岳入口=7:28 中央高原駅―8:16 温泉分岐―8:26 北ピーク―8:36 瀧山〜8:57 発―9:05 北ピーク―9:12 温泉分岐―10:02中央高原駅=(蔵王温泉、R.13、赤湯、R.113、大島、R.290、新発田、R.7 経由)=14:30 新潟

 新庄市北部には、三角測量の原点である塩野原基線が置かれているが、与蔵ドッケ(点名与蔵峠)は、その二次増大点である。羽根沢温泉から林道「羽州湯の里線」を進んだ先から与蔵沼への登山道が整備されており、その途中から三角点ピークへ踏み跡がある。
 烏帽子山は、秋田県雄勝町の山形県境近くにある一等三角点ピークである。山間の秘湯湯ノ沢温泉が登山口になる。
 栗駒山は、秋田、岩手、宮城の三県にまたがる独立峰である。高山植物に彩られ、山麓には多くの温泉が点在していることから人気の高い山になっている。秣岳は、栗駒山の西の秋田県内にあるピークで、草原が広がっている。
 瀧山は、蔵王山塊の主峰熊野岳の北西部に位置する山である。蔵王温泉の背後に聳え、蔵王温泉は、この山の火口に位置している。冬は中央ゲレンデへスキーヤーを運んでいるロープウェイが夏も運行しており、トレッキングコースが整備されている。

 海の日の三連休は、梅雨明けが間に合わず、どこに行くか迷うことになった。先週の一等三角点めぐりの続きと、温泉巡りを目的に東北の山に出かけることにした。
 最初に与蔵ドッケを目指した。先週と全く同じコースになった。先週は、道の駅「戸沢」で夜を過ごしたが、もうひと走りして羽根沢温泉を目指した。羽根沢温泉から先は、未舗装の林道になったので、路肩スペースを見つけて車を停め、夜を明かした。
 明るくなってから車を動かすと、松防沢を渡った先で林道にロープが渡されて通行止めになっていた。ロープは簡単に外せるものであったが、ここから歩き出すことにした。少々の林道歩きは覚悟の上であった。
 歩き出してみると、車の走行には支障のない道が続き、車を乗り入れれば良かったかなと思った。羽根沢を渡ると、林道を土砂崩れが塞いでいた。大規模な土砂崩れで、警報装置らしきものも置かれていた。ここまでは20分程の歩きであったので、無用なトラブルを避けるためにも、歩いてきて良かったということになる。
 稜線上に送電線の鉄塔が見えていたが、そこに向かっての登りが始まった。途中、林道を土砂が覆って、夏草を掻き分けるような所も出てきた。
 ひと登りすると稜線上に出て、与蔵ドッケと思われるピークも前方に迫ってきた。456標高点手前で、林道から破線が分かれており、これが与蔵峠へ通じる昔の峠道であろうと思っていた。現地に到着してみると、広場になっており、林道「羽州湯の里線」終点の看板や、与蔵峠の説明板が置かれていた。
 広場から踏み跡を辿ると、すぐ先の鉄塔下で終点になっていた。進むべき道は林道しかないので、林道歩きを続けることにした。林道「羽州湯の里線」は、幅も充分な林道であるが、雨水が流れて1m以上の溝が掘り込まれているところもあり、もう一度車が通れるようにするには、かなり大規模な工事が必要そうであった。この林道の開通は平成15年6月ということなので、まだ2年しかたっていない。無用な工事の見本ということになりそうである。
 林道は、北に向かって続き、目的地とは離れていった。古い峠道を見落としてしまい、コースミスを犯しているのではと不安も覚えるようになった。引き返そうかと思う頃、ようやく林道は南に向きを変えた。
 送電線の下に戻り、沢を渡った先で、ようやく与蔵沼登山道の標識が現れた。ここから下の旧道は、林道の開発によって、消滅してしまったようである。
 登山道に一歩足を踏み入れると、ブナの原生林が広がっていた。沢を渡ると尾根の上に出て、右手から伐採地が迫ってきてしまい、少しがっかりした。左下には、林道が長々と続くのを見ることができた。
 鉄塔下を過ぎて僅かに下った先のピークが、与蔵ドッケであった。山頂手前の鞍部から登山道から分かれて薮に進んだ。ブナ林と笹の下生えで、歩くのは難しくは無かった。山頂手前で、密集した潅木帯が現れた。GPSで方向を見定めて薮に突入すると、小広場に飛び出し、一等三角点が頭を出していた。三角点広場の回りだけが密な潅木に覆われているということをしばしば経験するが、測量のための刈り払いによって植生が変化してしまったためのように思える。
 三角点の回りは木立に囲まれて展望は全くなかった。広場からは、西に向かって踏み跡が続いていた。これを辿るとブナ林に出て、登山道に戻ることができた。山頂を少し行き過ぎた南西部から踏み跡を辿るというのが、正解であった。
 目的の一等三角点にも会えたし、与蔵沼まではまだ遠いので、引き返すことにした。下りの林道歩きは長く感じられた。往復4時間強であったので、思ったよりも時間がかかった。
 続いて、秋田県に入ってすぐの烏帽子山を目指すことにした。烏帽子山は一等三角点ピークでもあるが、登山口が湯ノ沢温泉で、下山後ただちに温泉に入れることが良い。
 国道脇に湯ノ沢温泉の看板があり、これに導かれて脇道に進んだ。車のすれ違いが難しい道で、これが温泉への道なのかと疑問がわいてきた。少なくとも観光バスの乗り入れは不可能である。烏帽子山登山者用駐車場という看板が現れたので、車を止めた。車は無く、他の登山者はいないようであった。
 坂を登っていくと、湯ノ沢温泉日勝館の前に出たが、ここの駐車スペースは10台程と狭かった。駐車場手前から烏帽子山への登山道が始まっていた。登山道は、夏草に覆われており、足下に注意が必要であった。
 沢の対岸の旅館を見ながら進んでいくと、沢に突き当たって道は無くなった。間違えたことに気が付いて戻ることになった。つづら折りで登っていく、本来の道が見つかった。カーブ地点が草に覆われて分かりにくくなっていた。
 歩き初めからこの調子ではと案じたものの、その先ははっきりした道になった。つづら折りに登っていくと、旅館の建物は、下に遠ざかっていった。
 歩き始めで、ミスに気がついていた。手ぬぐいの忘れであったが、汗が流れるままにするしかなく、披露が余計に増した。急斜面の登りのせいもあるが、蒸し暑くて、ズボンまで濡らすほど汗がしたたり落ちた。手ぬぐいを忘れるということも良くやるので、非常用にバンダナをザックに入れておくべきだろう。
 急登を終えて尾根上に出ると、一息平という標識が現れた。いっぷくだいらと読みがふられていたが、意味は判るが、字が違っている。
 534mピークを越えていくと、林道に飛び出した。林道を横断した先に登山道が続いていた。再び急な登りが始まった。烏帽子山は、そう大きな山ではないと油断しており、辛い登りになった。展望台という標識があり、振り返ると湯沢方面の眺めが広がっていた。
 北西ピークの高清水に出てひと息入れることができた。小ピークを越していく先には、烏帽子山が、ピラミッド型の山頂をのぞかせていた。最後に息を切らせながら急斜面を登ると、山頂に到着した。
 山頂は小広場になって、汚れのないきれいな一等三角点が頭をのぞかせていた。山頂周辺は切り落ちており、木立もなく、遮るもののない展望が広がっていた。曇り空で遠望は利かなかったが、甑岳が近くに見えていた。晴れていれば鳥海山や神室山あたりを眺めることができるようである。
 大汗をかいてしまったが、タオルはない。しかたがないので、Tシャツを脱いで汗を拭き、絞ってから再び着込んだ。裸になっても見る者はいない。
 下りも、急斜面を踏ん張る必要があって体力を消耗した。小さな登り返しが辛く感じられた。登り下りが、それぞれ2時間弱の行動時間であったが、意外にハードな山であった。
 下ってみると、温泉旅館前の広場は車で満杯になっていた。ザックを車に放り込み、着替えを持って旅館に向かった。赤く塗られた橋を渡った先の斜面に建物が並んでいる。湯舟は小さかったが、無色透明の温泉が溢れ出ていた。山あいの秘湯として人気があるようである。
 翌日は、栗駒山から秣岳を歩く予定で登山口の須川温泉を目指した。途中、子安峡温泉の共同浴場にも入ってみた。ここの温泉も無色透明の湯であった。
 栗駒山の登山口の駐車場は混み合っていると思い、少し手前にあった広場に車を止めて寝た。
 翌朝、早く目が覚めたものの、ガスがかかっていたため、ゆっくりと出発することになった。栗駒山荘の先の大きな駐車場に車を止めた。登山者もぽつりぽつり出発していったが、朝の散策といった風情の温泉泊り客も歩いていた。
 栗駒山への登山道は、コンクリートで固められた遊歩道で始まった。名残ヶ原に出ると、ガスも上がり始めて、木道の敷かれた草原の先に剣岳の岩壁が崩れおちているのが見えた。栗駒山の山頂はガスに覆われたままであるが、歩いているうちに晴れてくるかどうか。急ぐ必要もないのでゆっくりと歩くことにした。草原では、ワタスゲの白い実が風に揺れ、キンコウカが黄色い絨毯を作っていた。
 緩やかな登りを続けていくと、地獄谷に出た。左の谷間からは噴煙が立ち上っており、硫黄の匂いも、下山後の温泉の期待を大きくした。
 尾根に囲まれた台地に出ると、コバルトブルー色をした昭和湖がひっそりと湖面を広げていた。ガスが、湖面の上を静かに流れていた。静かな眺めであったが、朝も早い7時なので、登山者で賑わうようになると印象も違ってくるのであろう。
 ここからは、単調な登りが続いた。途中で、ヒナザクラの花も見ることができた。花の時期としては遅いはずなので、雪田が遅くまで残っていたようである。東北地方の北部には白いヒナザクラ、南部にはピンクのハクサンコザクラと分布が違うのは面白い。さらに朝日連峰にはヒナザクラで、飯豊連峰にはハクサンコザクラが咲くのは不思議である。小さな花であるが、それだけに可憐な感じがして好きな花である。
 広尾根に出ると、天狗平で、ここは秣岳との分岐であり、湯浜温泉からの道が南から合わさる十字路になっている。栗駒山への道は左の道へと進むことになる。シャクナゲの花が目立つ潅木帯の中の緩やかな登りを続け、崩壊地の縁を辿っていくと、栗駒山の山頂に到着した。
 山頂広場の周辺には、風当たりの弱いところを選んで登山者が休んでいた。この山も一等三角点ピークであるが、標石は角が欠けてみすぼらしい姿になっていた。栗駒山は、1994年10月30日にも登っており、これが二度目の登頂である。この時もガスに覆われて、見晴しの利かない山頂であった。
今日の一番の目標は秣岳であったので、ひと休みして、歩き出した。
 天狗平に戻り、秣岳への道に進んだ。栗駒山は秋田、岩手、宮城の三県にまたがっているが、山頂は岩手と宮城の県境になっている。三県境は、天狗平のすぐ西隣にある御駒岳とも呼ばれる1573mピークの西の肩であるが、特に目印もなく、そのまま通過してしまった。笹原の中に切り開かれた道で、天馬尾根と呼ばれるにしては、薮の中にすっぽりと覆われていた。足下も雨水でえぐられており、歩いていて楽しい道ではなかった。しばらくは、ただ足を運ぶだけの歩きが続いた。
 県境線を離れて北に向きを変えるところから一面の草原が広がるようになった。木道が敷かれ、小さな池塘も傍らに見ることができた。サワランやトキソウといった湿原の花を見ることができた。ミヤマリンドウも沢山あったが、曇り空で花が閉じていたのは残念であった。
 秣岳の南東斜面は、急斜面であるが、草原でお花畑になっていた。急坂を登り切ると、秣岳の山頂に到着した。後は秣岳からの下りと車道歩きが残るだけなので、腰をおろして大休止にした。ガスが流れて栗駒山の山頂は隠されたままであった。
 夫婦連れが登ってきたのと入れ違いに下山に移った。二人連れは、山頂に着くなり腰を下ろして昼食体勢にはいってしまったが、直接このピークに登ってきたのなら、山頂を越した先の草原まで足を延ばすべきである。
 秣岳からの下りは、結構急であった。1300m小ピークの分岐に出ると、眼下に須川湖を見下ろすことができた。露雁岩帯をトラバースしてからブナ林を下っていくと、車道に飛び出した。後は、2.7kmの車道歩きを頑張ることになった。
 登山口の駐車場は、広いと思っていたのだが、満杯になって、路上駐車の列が続いていた。須川温泉の人気の程がうかがわれた。
 栗駒山荘で温泉に入った。大勢の客がいたが、施設が大きく、内風呂も露天風呂も広々としているため、ゆったりすることができた。露天風呂からは、今登ってきたばかりの秣岳の山頂を見ることができた。乳白色の温泉なのも人気の原因なのかもしれない。
 最終日の予定は、はっきりとは考えていなかった。自宅に近づいた所ということで、蔵王の瀧山を登ることにした。今回のテーマである温泉巡りということで、下山後に蔵王温泉に入れることも良い。
 蔵王温泉からロープウェイで登り、瀧山の頂上からは歩いて戻る予定であった。ロープウェイの運行時間を調べていなかったので、まずは山麓駅をめざした。山交ロープウェイの駅は閉まっていて時間表は判らなかったが、中央ロープウェイの時間表を見ると、8時半のようであった。温泉街付近は観光客で賑わっており、野宿ができる状態ではなかった。車で上がった先のゲレンデ脇あたりで夜を過ごそうと思って、エコーラインに向かって車を進めた、
 左に車道が分かれ、どっこ沼という表示が掲げられていた。どっこ沼まで車で入れるとは思っていなかった。途中で車のすれ違いに注意しなければならない細い場所もあったが、舗装された車道が続いていた。中央ゲレンデやどっこ沼のホテルには明かりがともり、駐車場には泊まり客の車が止まっていた。静かそうなところということで、少し戻った紅葉峠に車を停めて寝た。
 翌朝、まず紅葉峠の少し先の五郎岳に登った。車道を横断するどっこ沼からの遊歩道に進むと、ひと登りで五郎岳登山口の標識のある分岐に出た。つづら折りの登山道を登っていくと、すぐに五郎岳の山頂に到着した。小広場になった山頂からは、地蔵岳方面の眺めが広がっていたが、山頂部には雲がかかっていた。
 車に戻り、どっこ沼の少し先の山交ロープウェイの中央高原駅に向かった。ロープウェイ駅の前は広場になっており、蔵王権現の社が置かれていた。ロープウェイはまだ運行前で、人は登ってきていなかった。
 瀧山への標識に従って、ロープでしきってあるゲレンデに進んだ。リフト駅脇を進んだ後、ゲレンデを少し下った後に、左手の尾根に付けられた登山道に入った。この入口を見落とすと、ゲレンデをあらぬ方向に下りてしまいそうである。
 登山道は幅広に整備されていたが、周辺の木立が濃く、展望は利かなかった。小さなピークを乗り越していく道で、意外に体力も必要であった。鞍部まで下がるとブナ林も現れた。
 1252mピークまで来ると、瀧山が目の前に大きく迫ってきた。瀧山は南北に二つのピークを連ねているが、山頂は南のようであった。温泉に向かう斜面には赤茶けた崩壊地が広がっていた。蔵王温泉の熱源は、この瀧山に由来していることが良くわかる。
 一旦大きく下った後、急な登りが始まった。途中の1240m小ピークは、尾根沿いの急登と巻道の二通りが整備されていた。行きは楽をするため、巻道を通った。
 その先の鞍部では、温泉と宝沢への道が左右に分かれた。ここからは、ガレ場も現れる急登になった。左手の谷越しには、瀧山がピラミッド型の鋭い山頂を見せていた。
 北ピークに登り着くと、西蔵王放牧場への前滝コースが分かれたが、「急な岩場があり下山は不可」と書かれており、登山道入口にはロープが張られていた。瀧山の山頂を越した先から西蔵王放牧場へ下山する大滝コースは落石のため通行止め、姥神コースは中級向きとも書かれていた。西蔵王放牧場方面からは、健脚コースになるようである。
 瀧山に向かっては、短いが急な登りになった。斎藤茂吉の歌の書かれた木柱のある広場に出て山頂到着かと思ったが、三角点は灌木を回り込んだ先であった。灌木に囲まれて、赤屋根の木のお堂が置かれていた。温泉へと下山する際に歩く尾根を見下ろすことができたが、展望は手前の広場の方が良いため、戻って腰を下ろした。
 広場の斎藤茂吉の木柱には、「山の峰かたみに低くなりゆきて 笹谷峠は其處にあるはや」と書かれていた。目の前には、最高峰の熊野岳から左に長く尾根が続き、雁戸山のピークを越えた後は再び緩やかな尾根が続く眺めが広がっていた。確かに緩やかな尾根の先の笹谷峠は、どこなのか判らなかった。斉藤茂吉自身が、この山頂に立ってこの歌を詠んだのではないだろうかと思わせる眺めであった。
 本来ならば、蔵王温泉に向かって下山するところなのだが、車でロープウェイの山頂駅まで上ってきてしまったため、来た道を戻ることにした。温泉まで下った後に、ロープウェイで上がってくることも考えたが、そこまでする必要もないだろうということになった。
 ロープウェイの山頂駅が近づいた頃には、ファミリーハイクの一行にもすれ違うようになった。
 車に戻った後は、蔵王温泉に入っていくことにした。人気の高い大露天風呂は入ったことがあったので、今度は別な露天風呂に入った。時間も早かったが、道路が混み合う前に家に戻ることにした。

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