火打岳、塩野原起線東端、塩野原起線西端、金沢山・陣ヶ峯、蔵増村、大洞山

火打岳、塩野原起線東端、塩野原起線西端、金沢山・陣ヶ峯、蔵増村
大洞山


【日時】 2005年7月9日(土)〜10日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9日:曇り 10日:曇り後雨

【山域】 神室山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 火打岳・ひうちだけ・1237.9m・一等三角点本点・山形県
【コース】 土内より新コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/羽前金山/神室山
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【山域】 新荘
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 塩野原起線東端・しおのはらきせんとうたん・221.4m・一等三角点基点・山形県
【コース】 車横付け
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/羽前金山/羽前金山
【ガイド】 なし

【山域】 新荘
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 塩野原起線西端・しおのはらきせんせいたん・146.6m・一等三角点基点・山形県
【コース】 車横付け
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/新荘/新荘
【ガイド】 なし

【山域】 新荘
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 金沢山・かなざわやま・184.1m・一等三角点本点・山形県
 陣ヶ峯・じんがみね・323.9m・三等三角点・山形県
【コース】 東山総合公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/新荘/新荘、舟形
【ガイド】 金沢山:なし 陣ヶ峯:山形百山(無明舎)

【山域】 天童
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 蔵増村・くらますむら・89.2m・一等三角点補点・山形県
【コース】 車横付け
【地形図 20万/5万/2.5万】 新荘/楯岡/寒河江
【ガイド】 なし
【温泉】 天童最上川温泉ゆぴあ 200円

【山域】 南陽
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大洞山・おおほらやま・737.2m・一等三角点補点・山形県
【コース】 時沢からの農道
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/赤湯/赤湯
【ガイド】 一等三角点の山々(新ハイキング社)

【時間記録】
7月8日(金) 20:30 新潟=(R.7、鶴岡R.345、R.47 経由)=23:50 道の駅戸沢  (車中泊)
7月9日(土) 5:10道の駅「戸沢」=(R.47、新荘、R.13、五日町、土内 経由)=5:50 土内登山口〜6:23 発―7:12 二・五合目―7:48 五合目―8:17 水場入口―8:25 見晴らし分岐―8:31 八合目―9:00 火打岳〜9:25 発―9:52 八合目―9:56 見晴らし分岐―10:02 見晴らし〜10:07 発―10:11 見晴らし分岐―10:14 水場入口―10:27 五合目〜10:33 発―10:52二・五合目―11:25土内登山口=(土内 経由)=12:00塩野原起線東端=(赤坂 経由)=12:14塩野原起線西端=(赤坂、R.13、新荘 経由)=12:46 東山体育館―13:00 金沢山分岐―13:15 金沢山―13:30金沢山分岐―14:10 陣ヶ峯〜14:15 発―14:21 金沢山無線中継所―14:57金沢山分岐―15:09東山体育館=(R.13、蟹沢、R.287、蔵増 経由)=16:36 蔵増村=(高山、R.13、赤湯、時沢 経由)=19:30 大洞山取り付き  (車中泊)
7月10日(日) 8:15 大洞山取り付き―8:36 峠〜8:46 発―9:17 大洞山〜9:23 発―9:46 峠―10:00大洞山取り付き=(時沢、赤湯、R.113、大島、R.290、新発田、R.7 経由)=13:30 新潟

 火打岳は、端正なピラミッド型の山頂を持つ一等三角点ピークで、神室山塊においては主峰の神室岳、最高峰の小又岳と並ぶ代表的ピークになっている。
 新庄市北部に、三角測量の原点である塩野原基線が置かれている。その東端と西端に加え、一次増大点は薬師山と金沢山であり、二次増大点は火打岳と与蔵峠で、さらに三次増大点は丁岳と葉山であり、それぞれに一等三角点が置かれている。このうち、平地に置かれた東端と西端は別として、金沢山と与蔵峠は一般登山の対象にはなっていない山である。
 蔵増村は、天童の西の平地部に置かれた一等三角点である。
 大洞山は、米沢と山形を結ぶ米沢街道(R.13号線)の赤湯北東部にある山である。一等三角点が置かれているが、登山道は無い。

 梅雨の合間とあって、この週末、二日続けての晴れ間は期待できないようであった。飯豊や朝日連峰に並び称される神室山塊において、登り残していた火打岳を登りに出かけることにした。
 日本海沿岸を北上し、鶴岡から新庄に向かった。深夜になったので、道の駅「戸沢」で車を停めて寝た。もうひと頑張りすれば登山口まで入れるが、様子が判らない林道を暗い中走りたくはない。
 翌朝、車を走らせると、それほどの時間もかからず、登山口への林道起点となる土内に到着した。集落の先からは、未舗装なものの、走り易い一車線幅の林道になった。地図では火打岳の登山口がどこかはっきりしなかった。吊り橋があるということであるが、渓谷の下に架かるような吊り橋は、見落としやすい。少し心配していたのだが、道路脇に一段高く架かっており、いやでも目に止まる吊り橋であった。周囲には、10台以上は置ける駐車スペースが設けられて、大きな神室山塊の案内図が置かれていた。
 火打岳への登山道は、砂利押沢からコースが以前から使われていたようだが、土内川の徒渉があり、沢のへつり道が続く難コースのようである。この吊り橋から始まる火打新道は、急ではあるものの、特に問題箇所はなさそうなので、このコースを往復することにした。
 吊り橋を渡ると、河川敷の丸石が露出した道になった。山際に突き当たり、左に曲がって進むと、突如ブル道が現れた。この道を辿るのかと一瞬迷ったが、道を横断した先の沢の対岸に火打岳への登山道を示す案内板がかかっていた。土木工事のために新しく付けられた道のようで、迷わないように注意が必要である。細い沢であるが、意外に水量は豊富で、飛び石伝いに越すのに、足場を考える必要があった。
 杉の植林地の急斜面の登りが始まった。登山道は、足場の土を削ってあったり、ロープが張ってあったりで、良く整備されていた。一の坂という看板も取り付けられていた。尾根の上に出てからも急な登りが続いた。傾斜が緩むと641m標高の台地で、ひと息つくことができた。
 この先は、傾斜も緩い尾根歩きとなり、左手には、土内川沿いの谷間の眺めが広がった。かなり歩いたように感じるのだが、土内川は足下で、遠ざかっていなかった。細尾根上で2.5合目の標識が現れて、休憩タイムになった。歩き始めると、すぐに二の坂が現れた。ブナ林の中で気持ちも良く、また休んだばかりなので、快調に登ることができた。
 五合目は、ブナ林に囲まれて、休みを取るにも良い場所であった。この先で三の坂の急登になった。ここを乗り切ると1069mの台地に出て、灌木帯に続く道となって傾斜も緩やかになった。水場の標識が現れたが、50m下るとあったので、確認はしなかった。
 見晴らしへの道が右に分かれたが、ガスがかかっていたため、帰りによることにして先に進んだ。西火打岳とも呼ばれるらしい1160mのピークに出ると、八合目の標識が置かれていた。一旦下った後に高みに向かって尾根が続くのが見えたが、残念ながら火打岳の山頂は雲に覆われて、あとどれくらいの登りが残されているかは判らなかった。
 帰りの登り返しが少し辛いかなと思いながら坂を下り、近づいてきたはずの山頂へ向かって力を振り絞った。大汗をかいているものの、風が冷たかった。
 ガレ場に出て、急斜面をひと登りすると、火打岳の山頂に到着した。視界は閉ざされており、火打岳山頂の標識と一等三角点だけが、目にとまるだけの山頂であった。小又山から見た時は、鋭い山頂に見えていたのだが、意外に広い山頂であった。
 腰を下ろして朝食を取り、山頂直下の草原に咲くハクサンフウロとマルバダケブキの写真を撮った。杢蔵山方面への登山道から回転鋸の音が聞こえてきており、登山道の草刈りが行われているようであった。ガスが上がるのを待ったのだが、天気予報は下り傾向で、晴れ間は期待できそうになかった。諦めて下山することにした。
 いずれ、神室岳からの縦走として、このピークを再び踏むことにしよう。神室岳の避難小屋は、老朽化のため、今年から使用禁止になってしまっている。テント泊が必要になるが、それだけに静かな山歩きを楽しむことができるであろう。今日は、一等三角点峰のピークハントということで、満足しよう。
 鞍部から西火打岳への登り返しで、単独行にすれ違い、これが出会った登山者の全てであった。山頂先のガスの中で草刈りを行っていた地元の関係者が別にいるが。
 途中の分岐から、200m先とある見晴らしへ寄り道をした。灌木帯を抜けると、草原状の広尾根に飛び出して、新庄方面や火打岳の展望が広がった。火打岳の山頂の位置はなんとか判ったものの、雲が薄れると、次の雲が押し寄せるといった状態であった。雲が、尾根を越しながら滝のように流れていた。天気の良い時なら、お勧めのポイントである。
 登山道は良く整備されており、急坂のせいもあって、一気に下りることができた。
 歩きはじめのブル道に出て、林道にどのように続いているのだろうと下ってみると、土内川に土管が埋め込まれて、本流はそこを通り、靴底をぬらす程度の浅瀬を横断するように道が付けられていた。林道に上がると、銀次郎小屋の前であった。今なら、吊り橋を渡るよりも、このブル道から入った方が早いことにはなるが、工事が終われば、簡単には渡れなくなってしまうのだろう。
 下山時間も早かったことから、この後は、一等三角点巡りを行うことにした。この近くには、塩野原起線があり、火打岳の一等三角点も、この二次拡大点にあたる。
 まずは、東端をめざした。平地の三角点探しは意外に難しい。以前も、須原起線で、畑の中をいったりきたりと彷徨った覚えがある。現在は、車のナビで、地図から読み取った位置をマークして、後は車を走らせれば良い。近くまで行ったら、後はGPSの出番となる。
 国道方面へ来た道を戻り、県道を北に向かうと、農道に少し入った所に東端がある。といっても、この三角点は、道路の真ん中に置かれた金属製マンホールの中にあって、直接見ることはできない。マンホールが持ち上がらないかと指をかけてみたが、手で持ち上がるものではない。標石の代わりにマンホールの写真を撮って終わりになった。
 車横付けならぬ、車でこの三角点の上を通過して、西端に向かった。直線距離では5kmほどの距離ではあるが、道路を辿るには右往左往する必要がある。車のナビでは、細かい農道まで表示されないので、最後は勘になったが、迷うこともなく三角点に到着できた。西端は道路脇にあって、端が少し欠けていた。
 周囲の一等三角点のうち、北の薬師山は以前に登ったことがあり、西の与蔵峠は少し時間がかかりそうなため、南の金沢山を続いてめざすことにした。点の記によれば、東山スポーツセンターから陣ヶ峯遊歩道に進み、途中から小道を辿るとあった。
 新庄市街地のはずれにある東山スポーツセンターの体育館前の駐車場に車を停めた。ここから陣ヶ峯へ至る登山道は、陣峯ライン北コースと呼ばれるらしい。陣ヶ峯遊歩道は、東北自然歩道として整備されており、幅広の道が付けられていた。入口付近には、最上三十三観音ということで、石像が短い間隔で置かれていた。
 金沢山への分岐になる小ピークへの登り口に、テープが付けられていた。藪の中をのぞいたが、踏み跡のようなものはなかった。ピークの上から道が分かれているのかと思って、段々を登ると、ピークの上にはベンチが置かれていた。金沢山方面への道はと眺めると、一面の藪であった。そう遠くない200mほどの距離なので、ヤブコギで進むことにした。
 灌木やらクマザサの密生した藪であった。両腕で枝を掻き分け、すねを打つ、本格的なヤブコギになった。視界も完全に閉ざされ、GPSで方向を見定める必要があった。古い残置テープも見かけられたが、歩くのは一等三角点マニアくらいのもののようである。よく目立つ赤松があり、そこを目指していくと、その先で小広場が切り開かれて一等三角点が置かれていた。東端と西端が車横付けで楽をしたが、その分、苦労をしたような感じである。再びヤブコギをして、遊歩道に戻ってほっとした。
 金沢山は、陣ヶ峯の枝尾根上の張り出しである。陣ヶ峯を無視するのは片手落ちということで、陣ヶ峯の山頂にも登っていくことにした。陣ヶ峯への遊歩道は、だらだらと緩やかな登りが長く続いた。山頂近くには、市民の森というらしい、園地が広がっていたが、草が茂っており、利用者は多くはなさそうであった。展望台という標識に従ってひと登りすると、あずまやとベンチ、石の祠の置かれた山頂に到着した。新庄市街地を眺めることのできる、展望ピークであった。
一旦下ってからアンテナマークのあるピークに進むと、舗装道路に飛び出した。ひと登りすると中継基地に出たが、登山者関係の標識のようなものは無かった。陣峰ライン南コースとして車道歩きでも下れるようであったが、土道の方が疲れないので、来た道を戻ることにした。
 山形県の平地の三角点としては、天童の蔵増村がある。翌日の目標の大洞山への道順にもなるので、この日最後の三角点巡りとして、蔵増村を目指した。この移動にも車のナビは絶大な威力を発揮した。
 県道からビニールハウスが並ぶ農道に入り、三叉路に出ると、その脇に一等三角点が置かれていた。これで、この日五個目の一等三角点になる。さすがに夕暮れも近づき、山歩きも終わりになった。さっそく温泉ということになるが、この三角点からも「天童温泉ゆぴあ」の建物が見えている。「天童温泉ゆぴあ」には前にも入ったことがあり、道路地図を見てこの一等三角点の位置を確認したところ、この温泉の近くなのかと、意外な思いをした覚えがある。「天童温泉ゆぴあ」は、施設も充実している割には、200円と格安な料金でお勧めである。逆な話にはなるが、この温泉を訪れたならば、すぐ近くにある、蔵増村一等三角点を訪れてみるのも良いであろう。
 温泉に入ってさっぱりし、夕食も取ってから、大洞山に向かった。
 大洞山へのコースは、南北の肩を峠越えの道が地図に記載されており、その東西のどちらからか取り付くかで、四通りが考えられる。インターネットで2004年11月の記録が見つかったので、これに従うことにして、時沢から青井流に通じる新しい道路から南の肩を目指すコースをとることにした。現地に到着してみると、二車線幅の立派な道であった。取り付きのカーブ地点を過ぎた先の路肩広場に車を停めて夜を過ごした。
 夜には雨となり、登山も危ぶまれたが、朝になってみると雨は上がっていた。葉に残った雨粒でびしょぬれになるのは確実のようであったが、登山はできる状態でひと安心した。
 地図によれば、車道のカーブ地点まで小道が上がってきており、峠に向かっては谷沿いに破線が記載されている。ガードレールから下をのぞくと、下からの道は、消えて無くなっていた。峠に向かう谷間には杉の植林地が広がり、夏草が茂っていた。かすかな踏み跡があったので、これが峠道かと思って登り始めた。身の丈を越す夏草が茂り、踏み跡は消えてしまっていた。棘のある植物も多く、倒れ込んでいる倒木に足を取られて、前進もままならぬ状態になった。秋になってこの草が枯れた時期でないと、この谷間の通過は難しい。
 一旦戻って、コースを再検討することにした。谷間の左手に尾根が落ち込んできており、下生えも少なそうであった。この尾根を登ることにしたが、尾根の末端に近づくのも、藪に遮られて容易ではなかった。
 尾根に取り付くと、急斜面であったが、下生えも少なく、歩くのには問題はなかった。尾根を登っていくと峠よりも高い地点に出るはずなので、傾斜が緩んだところからトラバースに入った。うっかり峠への下降点を通り過ぎていたが、すぐに気が付いて戻り、僅かに下ると峠に到着した。峠一帯は、台地状の幅広尾根で、ひと休みするには良いところであった。
 大洞山の山頂方向を見ると、青いビニールテープが連続的に張られており、それに沿って踏み跡も見分けられた。登山者が付けたものかとも思ったが、このテープの列は一等三角点手前で他の方向に逸れていったので、地元の者が付けたもののようである。山菜採りかキノコ狩りの巡回コースなのであろうか。
 標高差100mの急登が始まったが、踏み跡もあり、雑木林の中を登るのは難しくはなかった。山頂南の台地に出ると、ビニールテープの列は、南東尾根に逸れていった。踏み跡もなくなったが、幅広の尾根を北に向かって歩くのは特に問題はなかった。三角点手前で、密生した藪が現れたが、これを突破すると、広場に飛び出して一等三角点が頭を出していた。三角点周辺は藪に囲まれて、展望は無い山頂であった。
 下りの途中、雨が降り出した。すでに泥だらけになっていたため、雨具を着ずに、しずくを垂らしながらそのまま歩き続けた。尾根の下りは問題なく歩けたのだが、植林地に出てから車道までの短い区間が、棘に刺されてながらの難所になった。
 この後予定していた山もあったのだが、本降りの雨の中、山登りの気持ちも失せて家に帰ることにした。

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