護摩堂山

護摩堂山


【日時】 2005年7月2日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 護摩堂山・ごまどうやま・271m・なし(268.3m・一等三角点補点)・新潟県
【コース】 登山口駐車場
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田
【ガイド】 新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新・新潟花の山旅(新潟日報事業社)
【時間記録】 8:30 新潟=(R.49、茅野山IC、R.403、田上 経由)=9:10 登山口駐車場〜9:25 発―9:35 東西遊歩道分岐―10:13 護摩堂山〜10:30 発―10:41 三角点―10:58 あずまや分岐―11:18 登山口駐車場=(往路を戻る)=13:30 新潟

 新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。この新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山がハイキングの山として親しまれている。この山には、かつて山城が置かれ、南北朝時代(14世紀)には戦いの場になったと伝えられている。応永の大乱(1423年)では、中条町に拠点を持つ武将中条房資が一族を護摩堂山の要害に分勢し、田上原で守護代の長尾邦景と戦ったという。現在では、本丸跡、お屋敷跡、矢場、空堀跡等の遺構が残されている。山頂一帯には、あじさい園が設けられ、この時期は特に賑わう。

 梅雨時の山歩きの選択は難しい。晴という予報が出ているなら、飯豊か朝日とすんなりと決まるのだが、雨の予報が出ていると、頭を悩ます。土曜日は、午前中は雨で、昼から曇りという天気予報が出ていた。雨でも歩ける山ということで、護摩堂山にあじさいを見に行くことにした。護摩堂山のあじさいいは人気があるようであるが、その季節には登ったことがない。
 国道403号線から護摩堂山あじさい園の道標に従って車を進める。坂を登っていくと、湯田上カントリークラブゴルフ場の下を通過するトンネルになる。トンネル出口に、護摩堂山登山口の駐車場が設けられている。数十台がおける駐車場であるが、すでに数台の空きしかなかった。駐車場の管理人がいて、車の誘導を行っていた。少し早めに到着して良かったようである。
 登山口のゲートをくぐると、昔は車道であった砂利を敷いた遊歩道の歩きになる。山を下ってくる登山者にも出会ったが、静かな道であった。遊歩道の周囲には、雑木林が広がり、緑のトンネルになっていた。護摩堂山は、幼稚園や小学校下級生の遠足の山といったレベルであるが、傾斜が増すところもあって、汗が噴き出てきた。涼しい顔をしてスタスタというわけにはいかない。雨上がりで蒸し暑いこともあった。
 中部北陸遊歩道の一部として整備されていることもあり、途中には、トイレやあずまやも設けられていた。山頂近くで東と西の遊歩道が分かれた。東の道は本丸跡の山頂に直接登るが、まずはあじさい園をめざすことにして、西の遊歩道に進んだ。
 石切場を見てひと登りすると、茶山の裏手に出る。その脇の斜面一帯にあじさい園が広がっている。丁度盛りのようで、ピンクや青の花が一面に咲いていた。雨上がりということもあって、花もみずみずしかった。
 あじさいいの写真を撮りながら登っていくと、本丸に到着した。ベンチも設けられた広場になっており、ここからは、新潟平野と角田山や弥彦山を眺めることができて素晴らしい。雨は上がってはいたものの、雲がかかって、遠くの眺めは閉ざされているのは残念であった。
 ベンチに腰掛けて休んでいると、大勢の登山者が到着してきたが、皆大汗をかいての到着になっていた。
 東遊歩道を下っていくと、尾根が左に分かれ、山道が続いており、これが一等三角点への道である。以前は、三角点分岐という標識があったようだが見あたらなかった。小さくアップダウンする尾根を進んでいくと、小広場があり、中央に一等三角点が置かれていた。雨のために、三角点は泥だらけになっていた。ここを訪れる登山者はまれなようであった。ここからの展望は全く開けておらず、本丸跡の山頂に置かなかった理由が判らない。
 三角点広場から先には、尾根を直進する道と、右手の西に進む道の二つが分かれていた。車に戻るために、右の道に進んだ。尾根沿いの急な下りになった。登山道が濡れて滑りやすく、足元に注意が必要であった。水平に通じている道に出て、ここは右に進んだ。左に進むと、三角点広場から南に通じる尾根にぶつかるような気もするのだが、いずか確かめる必要がある。このT字路には、手作りの小さな標識が木に取り付けられていた。
 トラバース道を進んで谷を巻くと、登りに使った遊歩道に、あずまやのすぐ上で飛び出した。
 遊歩道を下っていくと、登りの時以上のハイカーと出会うようになった。うまく混雑する前に登り終えてしまったようである。

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