障子ヶ岳、天狗角力取山、大頭森山、餓鬼山

障子ヶ岳、天狗角力取山、大頭森山
餓鬼山


【日時】 2005年6月24日(金)〜26日 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 25日:晴 26日:曇り

【山域】 朝日連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 障子ヶ岳・しょうじがだけ・1481.6m・三等三角点・山形県
 天狗角力取山・てんぐすもうとりやま・1376m・なし・山形県
【コース】 南沢出合より周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/大鳥池/大井沢
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「朝日連峰」(昭文社)
【温泉】 大井沢温泉湯ったり館 300円

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大頭森山・だいずもりやま・983.8m・三等三角点・山形県
【コース】 県道大江・西川線より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/左沢/貫見
【ガイド】 山形百山(無明舎)

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 餓鬼山・がきやま・741.0m・二等三角点・山形県
【コース】 蕨峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/塩野町、朝日岳/三面、徳網
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)

【時間記録】
6月24日(金) 20:00 新潟=(R.7、新発田、R.290、大島、R.113、今泉、R.287、宮宿、白滝宮宿線、真室川小国大規模林道、大井沢 経由)=23:30 南沢出合  (車中泊)
6月25日(土) 4:45南沢出合―5:05 林道終点―5:11 出谷向沢―7:09 紫ナデ〜7:15 発―8:13 障子ヶ岳〜8:36 発―9:34 粟畑―9:49 天狗角力取山〜10:16 発―10:44 雨量計小屋―11:35 竜ヶ岳水場〜11:41 発―13:17 登山口―13:23南沢出合=(大井沢 経由)=14:40大頭森山登山口―15:00大頭森山〜15:07 発―15:25大頭森山登山口=(大井沢、大江、R.287、今泉、R.113、小国、板倉、折戸 経由)=19:00 蕨峠  (車中泊)
6月26日(日) 6:31 蕨峠―7:02 山道終点―8:19 餓鬼山〜8:37 発―9:36 山道終点〜9:41 発―10:09 蕨峠=(折戸、板倉、小国、R.113、大島、R.290、新発田、R.7 経由)=13:10 新潟

 障子ヶ岳は、朝日連峰の寒江山付近から東に延びた支綾線上にあり、障子を巡らしたような岩壁を有する鋭峰である。朝日連峰の主稜線へ縦走することもできるが、天狗角力取山と結ぶ環状コースとして歩かれている。
 大頭森山は、朝日連峰登山口の大井沢集落の東に南北に連なる稜線上のピークである。山頂近くを車道が通過しており、その乗り越し部から遊歩道が設けられ、簡単に登ることができる。
 餓鬼山は、小国町の北の山形・新潟県境沿いにある山である。小国町から三面ダムへ通じる道が蕨峠で県境を越しており、地図には、そこから山頂近くまで記載されているが、途中からは藪漕ぎになる。

 6月の晴天が予想される日は、飯豊か朝日連峰ということに半ば自動的になっている。この週末の1日を薮漕ぎ山行にさく必要があったので、朝日連峰の障子ヶ岳の日帰り山行を行うことにした。2002年8月に登ろうとして登山口まで入ったものの、朝方の天気がすぐれないのをみて月山に変更してしまったことがあり、懸案の山になっていた。
 車のナビの推薦コースを辿っていったら、朝日町から谷沿いの細い道に入り込んでしまった。木川ダムを過ぎると、未舗装の林道に変わった。標識を見て朝日鉱泉への道に入り込んでいるのに気がついた。1993年に走って以来であるが、以前よりは道は良くなっている感じがした。途中から大井沢への道に別れるのだが、この調子の道が続くと、途中に峠もあるようで、大変そうだと後悔した。
 突如、二車線幅の車道が現れ、これが大井沢方面へ通じる真室川小国大規模林道であった。自然保護のために工事が中断されたことでも知られている。山中に相応しくない立派すぎる二車線幅の車道で、行程は一気に捗り、大井沢の集落に到着した。東京方面からの朝日連峰へのアクセスとしては、月山ICから大井沢に入ってこの大規模林道を利用すれば、日暮沢、古寺鉱泉、朝日鉱泉といった各登山口は近い。自然保護のために中止に追い込まれた大規模林道のために、登山の便が良くなたったことには、いささか割り切れないところもある。新潟からもこのルートのおかげで、3時間30分の距離となり、朝日連峰も少し近くなった感じである。
 南沢出合の少し手前で車を停めて夜を過ごし、翌朝に車を動かして南沢出合の分岐に到着した。分岐には、障子ヶ岳と天狗角力取山とそれぞれ書かれた案内標識が立てられていた。橋の手前から河原に下りる道に入り、すぐ先の路肩に車を停めた。どちらかの登山口に車を進めることも考えられたが、周遊コースのため、歩く距離は変わらない。水辺の草むら脇のためか、ブヨがよってきて、落ち着いて出発の準備もできなかった。
 反時計回りで周遊コースを歩くことにした。最高点の障子ヶ岳へ一気に登ってしまった方が、後は気楽である。足慣らしといってよい20分程の車道歩きで登山口に到着した。南沢出合で駐車スペースを探している間に追い抜いていった車が一台停められていた。
 沢沿いの道をしばらく辿り、枝沢を渡ると、尾根の急な登りが始まった。汗がしたたり落ちたが、高度も快調に上がっていった。潅木の木立に囲まれて、見晴しが開けないのが残念であった。ようやく尾根が痩せて展望が開けるようになると、ヒメサユリが出迎えてくれた。ここから障子ヶ岳までの痩せ尾根は、ヒメサユリ街道になっていた。谷向こうには、竜ヶ岳を経て下山する尾根が長々と続くのを眺めることができた。
 この先は、ザレ状で足場に注意する急坂も現れたが、危険という程のことはなかった。先行した夫婦連れを追い抜き、登りのペースも快調であった。1196mピークで尾根が右から合わさり、登山道は左にコースを大きく変える。雪田となっており、最高点の手前でコースを変えるので、登山道のつながりが少し分かりにくくなっていた。
 僅かに下った後に、左手が切り落ちた痩せ尾根の登りが始まった。一気に高度を上げると、1849mの紫ナデに到着した。障子ヶ岳が切り落ちたスラブをまとった姿で、目の前に聳えていた。その向こうには、朝日連峰の主脈が姿を現していたが、興味を持ったのは、北に続く稜線であった。大桧原山、枯松山、赤見堂山といった山が連なる稜線である。残雪が利用できれば、楽に歩けそうな稜線であった。紫ナデへの登山道は、痩せ尾根で雪解けが早いはずなので、時期を選べば、赤見堂山への快適な雪綾歩きを楽しめそうなのだが。
 紫ナデから障子ヶ岳へは、周囲の展望も開け、展望を楽しみながらの歩きになった。障子ヶ岳の山頂から谷へ落ちる岩壁の姿もすごかったが、危険は感じない道であった。ヒメサユリに加えて、ハクサンチドリも姿を現した。
 障子ヶ岳の山頂は、朝日連峰主脈の展望台であった。大朝日岳は少し遠く、竜門山、寒江山と続き、目の前に以東岳が大きく聳えていた。緑濃い山腹の上に、白い残雪模様を描いた稜線が広がっていた。素晴らしい眺めを楽しみながら腰を下ろした。一つ残念であったのは、ビールを飲む時間には早かったことである。おにぎりとお茶の朝食で我慢した。
 夫婦連れが到着したのをきっかけに腰をあげた。急坂の下りになった。振り返ると、山頂は高みに遠ざかり、鋭いピラミッド型を見せていた。雪原が現れて、尾根はクランク状に曲がったが、小さな池が雪に半ば埋まった姿を現した。ここが障子池のようであった。
 尾根の前方には、台地状の山頂を持つピークが見え、これが天狗角力取山ということはすぐに判った。その前に、1397mの粟畑を乗り越す必要があったが、さすがにこの登りでは足も草臥れてきた。粟畑のピークの上は、三叉路になって、下山は左への道を辿ることになるが、天狗角力取山への道に進んだ。坂を下っていくと、左手の谷間に入ったところに天狗小屋が佇むのを見ることができた。登山道から少し入ったところにあるので、今回は寄らなかったが、この小屋の位置を把握していないと、避難の目的に使おうとするには判りにくいように思う。
 小屋への分岐を過ぎると、ガレ場の広場に出た。石が土俵のように丸く置かれていた。夜中に天狗が並べたものでもないだろうから、人の仕業であろう。ひと登りで、三叉路に出て、右の道に入ったすぐ先が天狗角力取山の最高点であった。
 山頂標識も無い、山頂であったが、展望は素晴らしかった。出会川に下り、明光山を経て以東岳に至るコース。天狗角力取山から二ツ石山を経て寒江山に至るコース。どちらも容易には歩けないが、それだけに心引かれるものがある。次に歩くコースを考えながら、お待ちかねのビールを飲んだ。
 下山は、粟畑の下からトラバース道に進んだ。半ばを過ぎたところで、雪田のトラバースになった。雪が締まっており、用意してきた六爪アイゼンを使う必要はなかったものの、足元に注意する必要があった。
 ピークを越してきた登山道に合流し、尾根の下りを続けると、右手に雨量観測所が現れた。その先は緩やかな稜線歩きになったが、登山道の周囲は灌木に囲まれて展望は閉ざされていた。竜ヶ岳の北西の肩から、急坂を下ると、沢の水場に出た。雪解け水は、冷たく美味しかった。残雪の回りには、ミズバショウとリュウキンカが咲いていた。しばらくは、トラバース道が続いたが、サンカヨウ、コミヤマカタバミ、ニリンソウの花を楽しみながらの歩きになった。登ってきたグループにも出会ったが、かなり疲れているようであった。
 尾根に戻ったところが焼峰のはずであったが、どこか判らないままに通過した。その先の尾根は、歩きやすいものの、展望もなく、淡々とした下りになった。から松林の台地のバカ平に出れば、ゴールも近くなった。右手に砂防ダムの堰堤を見ると、尾根を左にはずし、登山口に下り立った。登山口には駐車スペースがあり、6台の車が停まっていた。
 登山口から南沢出合に置いた車までは、川原に続く道を歩いてすぐだった。
 結局、障子ヶ岳では、後を他の登山者が追っていたかもしれないが、二組と出会っただけで、静かな山歩きを楽しむことができた。
 暑い日の歩きで大汗をかいたので、大井沢にできた新しい温泉に入って、さっぱりした。翌日は、餓鬼山を予定しており、小国へ戻ることになる。帰りは、大井沢トンネルを経由して大江へ出ることにした。トンネルを出たところで、大頭森山展望台という標識が置かれていた。「山形百山」にも、この大頭森山が取り上げられていることを思い出し、簡単に登れるのだろうと思い、よっていくことにした。
 対向車が来たなら、すれ違いに困るなと思うような細い道が続いた。乗り越し部に到着してみると、大駐車場があり、その先は通行止めになっていた。
 半ズボンにTシャツ、サンダル履きで、GPSとカメラを持っただけで歩き出した。首てぬぐいをしていたのは、偶然であったが、賢明な選択であった。
 登山口の標識から遊歩道に進んだ。良く整備され、急な所には、直登と迂回路の二通りの道が設けられていたが、歩く者は少ないのか、片方は草をかぶっていた。ブナ林の間から、展望台を眺めることができたが、その高さと距離を見て、しまったと思った。すぐそこという訳にはいかず、それなりの歩きが必要であった。体力が無くなっているという訳ではなく、もう一度汗をかかないと登れそうもないということが問題であった。
 山頂が近づくと、つづら折りの道に変わった。ゆっくり歩いたが、やはり、タオルで汗を拭きながらの登りになった。
 大頭森山の山頂は台地状で、鋼鉄製でやぐら風の立派な展望台が設けられている。上に登ると、朝日連峰の眺めが広がっていた。ただ、残念なのは逆光で、細部が見分けられないことであった。この山頂から朝日連峰を見るには、やはり朝日の当たる時間が良いはずだが、そのような時に、この山頂に立つものはめったにいないであろう。
 山頂の三角点はどこかと、展望台の上から見回すと、登り口右手に見つかった。
 車に戻り、大江町を目指したが、旧道に入り込んで、狭い道に苦労した。実際には、走りやすい新しい道が通じているようであった。
 渓彩ランタン会の上村さんから先週電話があり、餓鬼山に登ってきたが、鉈も入って、今なら楽に歩くことができるという連絡があった。先週は、山の先約があったので、今週餓鬼山を目指すことになった。この時期、藪山は終わりと思っていたのだが、登れるものなら藪漕ぎを頑張るしかない。小国から三面へ通じる道は、不通と聞いていたが、県境の蕨峠にゲートが設けられているという。それならば、餓鬼山を目指すには問題は無い。
 夕暮れ近く、小国から三面への道に進んだ。最終人家の入折戸を過ぎると、未舗装の道にかわった。高度を上げていくと、切り通しの先に、コンクリートブロックが置かれたゲートが突如現れた。車の転回場所が無かったため、バックで少し戻り、車の方向を変えた。翌朝のことだが、このゲート手前付近の路肩には、山菜採りかなにかの車が並んで、車の回転が難しい状態になっていた。
 夜は、誰も来ない林道でゆっくりと休めたが、翌朝は、朝早くから車がやってきて、目が覚めてしまった。もう少しゆっくりと寝ていたかったのだが、起き出すことにした。前日の晴天とは変わって、曇り空が広がっていた。
 切り通しの手前から、踏み跡が始まっていた。尾根の上に出ると、整備された登山道といっても良い、幅広の道が杉林の中に続いていた。快調な歩きであったが、小さなピークの乗り越しが続き、水平距離は稼げたものの、高度はなかなか上がらなかった。灌木の間から台形をした餓鬼山の山頂がうかがわれたが、結構な登りが待ちかまえているようであった。
 480m小ピークを下っていき、尾根が南に分かれる地点で、山道は右手のそれて下っていった。この一帯には杉林が広がっていたので、この山道は、杉の植林作業のためなのようである。
 ここから藪漕ぎの開始になった。杉林の中は下生えも少なく歩きやすかったが、すぐに斜面も急になって本格的な藪になった。幸い、鉈目も続いており、踏み跡もあって、藪漕ぎも捗った。ただ、失敗であったのは、うっかり半袖Tシャツを着てきたため、腕が擦り傷だらけになったことである。もっとも厚くて長袖シャツなんぞ着ていられなかっただろうが。
 ひと登りで、痩せ尾根の上に出て、周囲の展望が広がった、曇り空のために、奥三面ダムの一部を見下ろすことはできたが、奥三面方面の山の眺めは得られなかった。この先の数カ所で、痩せ尾根の上に出て、藪から解放されてひと息つくことができた。痩せ尾根といっても、通過には問題はなかった。590m地点で大岩が尾根の上に横たわっていたが、右手を巻くことができた。山道から分かれてから標高差300mの急坂の藪漕ぎに汗を流した。
 傾斜が緩んでから左に方向を変えると、山頂の一画に到着した。GPSと鉈目を頼りに進むと、刈り払われた小広場に出て、その中央に三角点が頭を出していた。周囲は木立に囲まれて展望は得られなかったが、それもまた藪山らしかった。腰を下ろして、改めて朝食とした。
 下りを開始したところで、昔行われた県山協の県境縦走のプレートが木に打ち付けられているのが目にとまった。写真を撮るために近寄ったのは良いが、登ってきたコースを見失ってしまった。踏み跡が北に膨らみ、別な尾根が北に分かれるところで、引き込まれ易い。GPSを頼りにリカバリーしたが、そうでなければ登り返してから、改めて下山のやり直しを行うところであった。
 下りの尾根は、葉も茂って見通しも利かないため、コースが分かり難かったが、GPSでコースを確かめながら、順調に下ることができた。最近は、GPSを使いこなすために、あえて赤布を付けないことにしている。さすがに尾根の屈曲点では、念のために、木の枝を折って、目印にしておいたが。
 藪を抜けて山道に戻ると、登山道とはなんと有難いのだろうと思う楽な歩きになった。
 結局、峠から餓鬼山へは、登り1時間50分、下り1時間30分の歩きであったが、これは鉈目に助けられてのことで、通常の場合では、藪漕ぎと、下りに備えた赤布付けのためにもう少し時間が掛かるであろう。
 時間は早かったが、藪漕ぎを終えて気も抜けてしまい、家に帰って昼寝をすることにした。

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