台倉高山、宮床湿原・伝上山、浅草岳

台倉高山、宮床湿原・伝上山
浅草岳、平石山


【日時】 2005年6月18日(金)〜19日 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 18日:単独行 19日:8名グループ
【天候】 18日:曇り 19日:晴

【山域】 帝釈山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 台倉高山・だいくらたかやま・2006.7m三等三角点・福島県、栃木県
【コース】 馬坂峠より往復
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/帝釈山
【ガイド】 山と渓谷2005年6月号

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 宮床湿原・みやとこしつげん・825m・なし・福島県
 伝上山・でんじょうやま・999.5m・三等三角点・福島県
【コース】 宮床湿原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/針生/会津山口、和泉田
【ガイド】 なし
【温泉】 さゆり荘 500円

【山域】 浅草岳
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 浅草岳・あさくさがけ・1285.5m・一等三角点本点・新潟県、福島県
 平石山・ひらいしやま・1035.0m・三等三角点・福島県
【コース】 田子倉登山口より入叶津へ
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟、日光/小林、須原、守門岳、只見 /田子倉湖、毛猛山、守門岳、只見
【ガイド】 山と高原地図「越後三山・平ヶ岳、巻機山」(昭文社)

【時間記録】
6月17日(金) 19:20 新潟=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、川崎北、R.351、栃尾、R.290、渋川、R.252、只見、R.289、山口、R.401、内川、R.352 経由)=23:40檜枝岐  (車中泊)
6月18日(土) 5:20 檜枝岐=(舟岐林道 経由)=6:00 馬坂峠〜6:32 発―7:23 小湿原―8:23 台倉高山〜8:37 発―9:29 小湿原―10:14 馬坂峠=(舟岐林道、檜枝岐、R.352、内川、R.401、山口、R.289、堺 経由)=12:10 宮床湿原登山口〜12:53 発―13:06 木道入口―13:14 木号出口―13:24 スキーゲレンデ―13:41 伝上山〜13:51 発―14:08 林道―14:16宮床湿原登山口=(堺、R.289、只見、R.252、叶津、R.352 経由)=17:30 入叶津登山口  (車中泊)
6月18日(日) 7:30 入叶津登山口=(R.352、叶津、R.252)=8:00 田子倉登山口〜8:20 発―9:05 最後の水場〜9:13 発―9:47 田子倉見晴らし〜10:00 発―10:29 剣ヶ峰〜10:39 発―10:41 鬼ヶ面見晴らし―11:57 山頂下分岐〜12:20 発―12:28 浅草岳〜13:00 発―13:24 水場〜13:30 発―すだれ上〜14:04 すだれ上〜14:20 発―14:30 沼の平分岐―14:52 平石山取り付き―15:05 平石山―15:11平石山取り付き―15:48沼の平分岐(山神の杉)〜16:00 発―18:28入叶津登山口=(叶津、R.252、渋川、R.290、栃尾、R.351、川崎北、R.8、、中之島見附IC、北陸自動車道 経由)=19:20 新潟

 台倉高山は、福島・栃木県境の帝釈山脈中の鋭峰である。かつて黒岩山から帝釈山にかけて黒岩新道という登山道が開かれたが、利用者も少なく廃道になっていた。最近、林道が檜枝岐村から栃木県に抜け、県境部の馬坂峠には車で入ることができるようになり、峠から帝釈山への登山道が整備されて、かつては田代山を経由して登った奥深い山も、40分程で登ることができるようになった。2005年の今年になって、檜枝岐村により馬坂峠から台倉高山への登山道も整備され、台倉高山は一般登山の山に仲間入りした。
 伊南川沿いにある堺集落の奥に広がる南郷スキー場の脇にある湿原が宮床湿原である。東西400m、南北300m程の小振りな湿原であるが、会津百名山に選ばれている。伝上山は、この湿原の背後に広がる山であるが、山頂までスキーゲレンデが延びている。
 浅草岳は、江戸時代より越後と会津を結ぶ交易路として利用された六十里越と八十里越に挟まれたかつては未開の山域にある。只見線の開通、只見ダムの完成と六十里越の車道化(R.252)によって、この地も登山客が入り易くなり、最近では、東京方面からの登山者も多くなっている。なだらかな山容の西面に対し、福島県側の浅草岳から鬼ヶ面山に続く稜線の東側は、大岩壁になって、対称的な姿を見せている。登山道は、一般には、歩行時間の短いネズモチ平あるいは桜曽根から登る者が大部分であるが、沼の平のブナ林と組み合わせることのできる入叶津に至るロングコース、急登の連続となるが鬼ヶ面山の岩壁の眺めが素晴らしい田子倉登山口からのコース、六十里越峠から岩壁の縁を辿りながら鬼ヶ面山を越して浅草岳に至るコースなど、それぞれ特徴のあるコースを楽しむことができる。

 雑誌「山と渓谷」で台倉高山に登山道が開かれたというニュースを見て、驚かされた。馬坂峠の反対にある帝釈山に、峠から登山道が開かれたのは最近であるが、今では短い時間で登れることから人気のコースになっている。台倉高山へは、1998年9月13日にヤブコギで登ったが、この時は、越ノ沢に下山したこともあり、ヤブコギに苦労した。山行記録には、将来、台倉高山にも馬坂峠から登山道が整備されるのではないだろうかと書いたのだが、まさか現実のものになるとは思っていなかった。
 檜枝岐村のホームページより、馬坂峠への林道が6月14日に開通したことを知り、さっそく台倉高山を登りに出かけることにした。
 新潟から檜枝岐村へは、会津坂下から会津田島経由か、長岡から栃尾、六十里越え、只見経由の二通りが一般的である。翌日、浅草岳に只見側から登る予定があったので、六十里越えをすることにした。
 長岡から栃尾、入広瀬と巡る道は、良く使う道であるが、昨年の中越地震以来となる。被害の最も大きかった山古志の外周部を通過する道であるが、被害も大きく、現在でも応急補修道路で一方通行の信号が連続していた。六十里越えが近づくと、また信号機が多くなるが、これは道路の補修工事が続いていることによる。豪雪地帯を通過する道路として仕方の無いことではある。赤信号も、ドライブの休憩と思って、気長に待つしかない。その代わりに、福島県側に入ると、信号機も少なくなった。少し前は、福島県側の方で連続した工事が行われていたのだが、これは終わったようである。
 ドライブのついでに、浅草岳の田子倉登山口を過ぎたすぐ先にある只見線の田子倉駅をのぞいて行くことにした。最近読んで感動した本として、牛山隆信著「秘境駅へ行こう」がある。まわりに人家も道も無く、鉄道でなくては行けない駅を秘境駅というらしい。この田子倉駅は、総合評価全国第17位にどうどうランクされている。国道脇にある駅としては、異例の高ランク入りである。
 田子倉駅は、それと知らなければ、ダム関係の資材置き場と思ってしまうかもしれない。人家は全く無い山中の闇の中に、駅だけに明かりがともっていた。駅とは思わせない外観は、波板トタン張りの壁によるのも大きいであろう。中に入ると、床は工事中の建物よろしく砂利が敷いてあった。コンクリート製の寒々とした階段を下りていくと、ようやくプラットホームに出ることができる。「白いプラスチック製のベンチがあるだけ。言葉が出ない。駅寝のベテランである私でも、ここで寝ろと言われれば断るだろう。」と本には書かれている。確かに、寒々とした感じで、駅近くの浅草岳登山口の登山者用の休憩所の方が、人くささがあって居心地は良さそうである。この駅の利用者のほとんどは、浅草岳への登山者ではないだろうか。田子倉駅から浅草岳に登って、入叶津あるいは五味沢方面に下山すれば、タクシーあるいは民宿の車で拾ってもらうこともできる。
 現在、冬の間は、只見線の列車は、この駅に停車しない。この季節には、隣の只見駅から歩くという裏わざも、雪崩に命を落とすのが必至とあって、絶対到達不可能な秘境駅になっている。再び停車するようになるのは、4月1日からということになるが、国道はまだ冬季閉鎖中で、この時でも充分な秘境駅である。駅の外は、雪崩跡に埋まっていると思うが、どのような様子か見てみたいとも思う。
 只見から檜枝岐村へは、道路の状態も良く、快調なドライブが続く。何度となく訪れてお馴染みの檜枝岐村から舟岐林道に少し入った所の空き地に車を停めて寝た。
 キャンプ場の先からは未舗装の道に変わるが、以前よりも路面は良くなった感じがする。檜枝岐から馬坂峠へは、14.5kmもあり、いささかうんざりする。高度を上げていくと、道路は崖際に続くようになり、運転にも注意が必要になる。早朝のドライブとあって対向車が来るとは思っていなかったのだが、小型の観光バスが下ってくるのに出会って、これは困ったと思ったが、なんとかすれ違えた。登山者を送ってきた空の車であったので、台倉高山に団体でも入ったかなと思ったが、山中では出会わなかったので、帝釈山から田代山へ抜けたようである。
 馬坂峠の駐車場には、すでに数台の車が停まっていた。栃木県側は通行止めになっていたが、小型のオフロード四駆が上がってきた。グループが、車の外で椅子を並べて朝食をとっていたが、車の外はブヨの大軍が乱舞していた。携帯虫よけを腰にぶるさげ、防虫スプレーを吹きかけたが、サンダル履きであったため、登山靴を履く間に、足のつま先を刺されてしまった。
 峠から帝釈山方面に向かっては、幅広な登山道が続いており、大きな標識が立てられている。台倉高山の登り口は、その向いであったが、こちらには登山標識はなかった。これから登山標識が立てられるのだろうか。
 台倉高山への歩き出しは、笹薮の刈り払い道で、足下で切り落としの茎がボキボキ音を立てる状態であった。すぐにシラビソやコメツガの針葉樹林帯に出ると、オサバグサの群落が林床一面に広がっていた。薄暗い林の中に、米粒のような白い花が光っていた。今回の目的は、このオサバグサを見ることであったので、林道から一歩入っただけで目的を果たすことができてしまった。オサバグサは、花が終わると茎から落ちてしまうのだが、咲きはじめとあって、きれいな花が揃っていた。先に進むと、オサバグサはあるものの、花は開いていない状態になった。花は、これからが本番で、しばらく楽しめそうであった。
 登山道は、福島県側の斜面をトラバースするように続いていた。小さな沢を越して、これで稜線上を目指すのかと思ったが、再び、一段下のトラバース道になった。前回の薮漕ぎ山行でも、稜線から僅かに外れた所で古い山道が所々で現れたのだが、今回の山行でも、時折、別な踏み跡が合わさった。今回開かれた登山道は、昔の道を忠実には辿っていないようである。登山道沿いには、頭を赤く塗られ、檜枝岐村と書かれた杭が埋められていた。テープやペンキマークも短い間隔で付けられていたが、見通しの利かない針葉樹林帯の中のため、登山道を外さないように注意が必要であった。
 1898mピークを巻き終わると、残雪が広がるようになった。横幅のある斜面を登るようになったため、登山道を辿るのに、細心の注意が必要になった。薮漕ぎ山行なら、残雪が現れたことで楽ができると喜ぶところであるが、登山道歩きでは、残雪はむしろ障害になってしまう。ずいぶんと身勝手だとは思うけど。
 傾斜が緩むと、小さな湿原に飛び出した。雪が融けたばかりで、枯れ草が広がっているだけではあるが、ひさしぶりの開放的な空間に、ひと息つくことができた。この付近には小さな湿原が連続するので、登山道の開通によって、荒らされないことを願っている。
 2028mピークを越すと、稜線下のトラバースが長く続いた。しばらくぶりに稜線上に出ると、小湿原があり、その先の谷越しに台倉高山のピラミッド型の山頂が姿を現した。シャクナゲも美しく咲いており、風景に彩りを添えていた。
 手前の2060mピークは南斜面に巻道が続いていた。先回も、このピークは巻いたが、笹藪のトラバースに苦労した覚えがある。今回は、登山道を歩けば良く、難なく手前の鞍部に到着した。
 笹原に付けられた登山道をひと登りすると、台倉高山の山頂に到着した。山頂は刈り払いの広場になっていた。雲が多かったが、長須ヶ玉山の向こうには、雪を抱いた会津駒ヶ岳を望むことができた。
 登山道歩きで到着した山頂は、先回のヤブコギ山行の時ほどの感動は無かったが、これは二回目ということもあるかもしれない。孫兵衛山方面をうかがうと、藪に覆われていた。孫兵衛山を経て黒岩山まで登山道がつながると面白いのだが、ヤブコギフィールドとして残されておいた方が良いのかもしれない。
 残雪のために、下りは道が分かり難く、足を止めてあたりを見回すのも数回に及んだ。登りの際に難しいなと感じた幅広斜面を下っていくと、夫婦連れが登ってくるのに出会った。コース取りに苦労しているようであった。この日の状態では、残雪期の山行に慣れていないと難しい状態であった。
 登山口手間に戻ったところで、オサバグサの写真撮影に興じた。ガスが出てきて、薄暗い天気になったのは残念であった。
 歩いている途中では、下山の時間も早いことから、続けて帝釈山とも思ったが、峠から見上げる山頂はガスに覆われて展望は無さそうであった。先回帝釈山に登ってから、そう時間も経っていなかったことと、目的のオサバグサも見ることができたので、山を下ることにした。
 時間も早かったが、さりとて頑張って歩く気にはなれなかった。会津百名山に選ばれている宮床湿原を思い出し、只見に向かう途中でもあるので、この機会に訪れることにした。
 堺の温泉施設さゆり荘の駐車場をつっきると、一車幅の舗装道路になり、ヘアピンカーブを繰り返す急坂になった。スキーゲレンデの管理道になっているようで、一段登ると、南郷スキー場のロッジ前に出た。ゲレンデ一面にヒメサユリが咲いており、観光客が散策していた。花の写真は後回しにして、先に進んだ。
 ゲレンデの中を上方に登っていき、右にそれてから僅かに下ると、宮床湿原の登山口に到着した。付近の路肩には5台程のスペースがあったが、満杯状態であった。意外に知られている湿原のようである。
 宮床湿原は予定外であったので、まずはコンピューターを立ち上げて、GPSにコースをダウンロードし、地図を印刷した。宮床湿原だけなら、遊歩道を歩くだけなのだが、その上の伝上山にも登るつもりであった。
 ナラの雑木林の中を登っていき、傾斜が緩むと、分岐に出た。左に曲ると、少し先で宮床湿原の木道の入口に到着した。伝上山の山裾に広がる湿原で、ゲレンデは視界に入ってこず、静かな風景を楽しむことができた。湿原には、ツツジとニッコウキスゲの咲き始めがあるだけで、花としてはちょっとさびしかった。丁度、花の端境期になっているのかもしれない。誰もいない湿原の眺めを楽しみながら、木道を先に進んだ。湿原を横断すると、右手から延びて来た山道が合わさった。ここまま帰るなら、右手に進むのだが、伝上山を目指して、左に曲った。以前は、植林のための林道であったような幅広の道であったが、倒木が道を塞いでいるところもあった。歩く者は少ないようであった。
 緩やかに登っていき、尾根を乗り越すと、ゲレンデに飛び出した。ここから先は、ゲレンデの上を目指しての登りになった。草の丈も短く、歩く支障にはならなかった。ゲレンデ上部に出てから、左にあるリフト終点駅に近づいてみると、その脇に三角点が埋められていた。ただ、除雪の機械に痛めつけられたのか、回りの土との間に隙間ができて、ひっくり返りそうになっていた。
 ゲレンデが下に延びていく先には、ヒメサユリ栽培地やロッジを見下ろすことができ、伊南川の流れも眺めることができた。宮床湿原と合わせて登るには手頃なピークであるが、ここまで登ってくる者はほとんどいないようであった。
 帰りは、ゲレンデをそのまま下って林道に出て、後は林道歩きで車に戻った。スキー場のヒメサユリ栽培地で、花の写真を撮った。花が幾輪も咲いた大きな株も混じり、見事なお花畑が広がっているのだが、なぜか山で見る花程の感動は無かった。
 温泉に入った後は、夕食と翌日の食料の買い出しが問題になった。只見町周辺には、コンビニはあるにはあるのだが、お馴染みの24時間営業の全国チェーンとは違っており、中をのぞいてみたが、買う気のおきるような弁当はなかった。ひさしぶりの不便さをあじわい、駅前の食堂で夕食をとってから、入叶津登山口に向かった。
 浅草岳の登山口の広場は、他の登山者で賑わっていたため、先に進んだところの広場に車を停めて寝た。
 翌朝、宇都宮からの一行が到着したところで、下山後の車の回収のために私の車を置いて、田子倉登山口に向かった。只見町を通り抜け、只見ダムサイトを登っていく道は曲がりくねって長く、30分程もかかった。
 田子倉登山口は、国道脇と線路を渡った先の二カ所にあるが、休憩所のトイレを使う関係で国道脇の広場に車を停めた。朝日をあびて浅草岳の山頂が高く聳えていた。新潟県側の浅草岳は、穏やかな姿を見せているが、こちらの只見側からは一気に切り落ちた男性的な姿を見せている。
 線路を渡った先の広場にある登山口の大きな看板脇から只見沢沿いの登山道が始まる。ブナ林に囲まれた、緑豊かな道である。浅草岳の山開きも近いはずなのだが、沢の徒渉点にはパイプが地面に横たえて置かれており、仮橋の設置はまだであった。道木沢は問題なくわたれたのだが、次の只見沢の徒渉は、水量もあり、足場を考える必要があった。幸い、倒木に手をかけて、水をかぶった石を足場にして渡ることができた。
 ここからはブナ林の登りになるが、大木が並んでおり、目を楽しませてくれる。最後の水場で、一息いれた。ここからは急な登りが始まる。登るにつれて、ブナ林も背を低くしていき、やがて灌木に囲まれた尾根の登りに変わる。
 両脇が切り落ちた岩尾根の上に出ると、周囲の展望が広がった。田子倉見晴らしと呼ばれるように、背後を振り返ると、田子倉ダムの眺めが眼下に広がっている。浅草岳の山頂が、まだまだ高く見えている。山頂からは、雪渓が白い筋を引いて落ち込んでいる。左手には鬼ヶ面岳の岩壁が、残雪を残した姿を見せている。この鬼ヶ面岳は、登るにつれて姿を変えていき、このコースの大きな魅力になっている。
 急登の連続になって、各人の登りのペースにも差が出てきた。写真を撮る必要もあったので、先行させてもらうことにした。気温も上がってきて、自分のペースで歩かないと、辛いことにもなりそうであった。姿を変え続ける鬼ヶ面岳の写真を撮りながら登り続けた。
 1137mの剣ヶ峰さらに鬼ヶ面見晴らしを過ぎて浅草岳の本体に取りかかる頃には、ブナ林も現れて、ひと息入れることができたが、その先は、ここまで以上の急登が始まった。岩場も現れて、足場にも注意する必要が出てきた。幸い、尾根を巻くように登山道は続いており、直登よりは少し楽ができた。急登の途中にはシラネアオイの花が咲いており、写真撮影のために足を止める理由になってくれた。
 山頂直下の分岐からは、前岳の肩に回った。前岳直下は、広い雪田が広がっていた。ひと登りで浅草岳山頂に到着した。山頂は大勢の登山者で賑わっていたので、少し先のピークに進んで腰を下ろした。
 田子倉ダムは眼下に遠ざかっていたが、登山口に置いた車を見分けることができた。登っていきた急な尾根も目で追うことができた。
 下山は、入叶津コースへ進んだ。緩やかに広がる草原を下っていくと、雪原の上に出て、その下に避難小屋が見えた。傾斜も緩やかであったので、登山道から離れて雪原を下った。避難小屋の脇で、コースは右に方向を変える。沢の横断点に出て、水を汲むことができた。雪解け水は冷え切っていて、頭が痛くなるため一気には飲めないほどであった。
 この尾根では、シラネアオイ、コミヤマカタバミ、ツバメオモト、マイズルソウ、サンカヨウが次から次に現れた。ヒメサユリは、時期が遅れて見られなかったのは残念であったが、その代わりになってくれた。
 1077m点で沼ノ平への道が分かれるが、登山道崩壊のために立ち入り禁止のロープが張られていた。
 登山道は、平石山の西をかすめて下りていってしまう。登山道から平石山へは、標高差もないことから寄っていくことにした。湾曲点から入ったが、取り付きが悪かったため、いきなり椿の密藪にはまって突破に苦労した。台地の端に進み、GPSでこの辺と見当をつけて探し始めると、すぐに三角点を見つけることができた。帰りは、尾根沿いに進んだが、この方が歩きやすかった。
 平石山からは、急斜面のつづら折りの下りになった。こちらの登りも楽ではなさそうである。山神の杉で最後の休憩をとった。時間も少し遅くなっていたが、日没の遅い季節であるので助かった。ここからの沼ノ平への道も、ロープが張られて立ち入り禁止になっていた。
 山神の杉からは、それほどの時間もかからずに下山することができた。一同には、登山口で待っていてもらい、室井さんと二人で再び、田子倉登山口に向かった。往復1時間近くかかってしまうが、1日たっぷり山歩きを楽しんだので、これはしかたがない。
 田子倉からは、六十里越を通って新潟県側に出た方が近くなるため、田子倉登山口で室井さんと分かれて家路についた。

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