笠峰、宝蔵山、白山

笠峰、宝蔵山、白山


【日時】 2005年5月29日(日)
【メンバー】 6名グループ
【天候】 曇り 

【山域】 白山・粟ヶ岳山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 笠峰・かさみね・483.8m・三等三角点・新潟県
 宝蔵山・ほうぞうざん・897.1m・三等三角点・新潟県
 白山・はくさん・1012.4m・二等三角点・新潟県
【コース】 上高柳より慈光寺へ周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/越後白山
【ガイド】 なし
【温泉】 美人の湯 700円(タオル、バスタオル付き)

【時間記録】 5:00 新潟=(R.49、茅野山、R.403、新津、村松、慈光寺、上戸倉 経由)=6:10 上高柳〜6:28 発―7:00 鉄塔―7:33 登山道合流―7:48 笹峰―8:28 高柳・小乙分岐―9:05 橋立―10:00 宝蔵山〜10:20 発―11:00 934m点〜12:20 発―12:45 白山〜12:56 発―13:21 七合目(天狗の腰掛け)―13:44 五合目―14:11 鉄塔―14:25 慈光寺=(加茂、R.403、茅野山、R.49 経由)=18:00 新潟

 白山と粟ヶ岳は、新潟周辺で人気の山になっている。この二つの山を結ぶ縦走路が整備されているが、1日で歩くことは難しいため、中間に位置する権ノ神岳や宝蔵山を訪れる登山者は、両脇の二山に比べて格段に少ない。中間の橋立で区切り、宝蔵山と白山、権ノ神岳と粟ヶ岳と組み合わせれば、車の回収など考えなければならないところもあるが、1日行程の手頃な山となる。
 山の誘いが入り、人と歩くなら、車の回送の問題があって単独では難しい宝蔵山から白山への縦走を行うことにした。一般登山道だけでも平凡なので、笹峰も組み合わせることにした。そろそろヒルの季節も始まろうとしており、2003年6月8日に会山行で訪れた時に、犠牲者も二名出たため、沢沿いの道の続く笹峰への登山道は避けて、送電線の管理道から尾根通しに登ることにした。藪漕ぎが必要になるが、長い距離ではない。
 白山登山口の慈光寺に集合し、境内の広場に余計な車を置いて上高柳に向かった。笹峰の西の送電線鉄塔へ続く林道の入口付近は、民家の軒先の広場ばかりで、車の置き場所がなかったため、400m程戻ったバス停広場に車を置いた。
 登山道の姿で歩き出したものの、付近に一般に知られる登山口があるわけではないので、犬に吠えられて当然の不審な集団であった。「どこへ」と聞かれて、「白山へ」といっても一般には通じないコース取りである。林道に入って姿を隠し、ようやくほっとした。
 林道は、今年の2月に笹峰へのスノーシュー歩きで訪れているが、雪の無い季節は初めてである。小型のオフロード四駆なら上がってこれそうな道であった。歩く者は少ないのか、のびきったワラビが林道に多く生えていた。
 ひと汗かいたところで、鉄塔下に到着した。朝霧のために遠望は利かなかったが、袴腰山が目の前に見えていた。袴腰山はヒメサユリ大賑わいだろうと話していると、林道脇にヒメサユリの花が一輪咲いていた。
 林道は鉄塔下で終わるが、鉄塔の先もしばらくは山道が続いている。送電線巡視路を左に分け、333m点を越えると、杉の植林地で山道は終わりになり、ここから藪漕ぎの開始になった。
初めて笹峰に登った2000年11月26日の時も同じコースを歩いているが、今回は木の葉も茂って見通しが利かなくなっていた。枝を掻き分けながら進む本格的な藪漕ぎであるが、先で山道に出ることが判っているので気分的に楽であった。それでも、後続が離れると、待ってという声がかかった。
 標高430m地点で、高柳川沿いにある登山口から登ってきた山道に飛び出した。ここからは、道があるだけに楽な歩きになった。登山道周辺には、チゴユリの群落が広がり、幾つかは踏まないと歩けない状態であった。ヒメサユリもかなりあったが、蕾はまだ硬かった。
 緩やかな登りを続けると、最初の目的地である三角点の置かれた笹峰山頂に到着した。谷向こうに宝蔵山の山頂が大きな姿を見せ、権ノ神岳から粟ヶ岳にかけての山綾は高く聳え、雪を残していた。比較的短時間で登ってこられる山頂としては素晴らしい眺めであるのに、訪れる登山者は少ないのはもったいないことである。私にとってはこれが5回目の登頂である。会越国境近くの井戸小屋山と同じで、有名山でないにもかかわらず何度も登ってしまう山がある。
 笹峰の山頂から東に進んだ先のピークは、山頂以上に展望が開けている。橋立方面への尾根は、一旦大きく下った後に高みへと上っていく。500mの標高とは思えないダイナミックな眺めである。細尾根の下りになるが、刈り払いが昨年末あたりに行われたようで、先回の1993年6月8日の時と比べると、歩き易くなっていた。このままでは藪に帰ってしまうと心配していたので、ひと安心した。開いたヒメサユリの花があり、写真撮影のために足を止めることになった。
 鞍部からは、急坂の登り返しになる。振り返れば笠峰がピラミッド型の山頂を見せていた。足が止まりそうになる登りをなんとか終えるとピークにでるが、もう少し頑張って501mピークを越すと、小乙・高柳分岐で、高柳川からの登山道に合流する。
この先は、橋立まで林道跡かと思うような幅広の道が続く。宝蔵山へは、一般にはこの道を登ってくることになる。また、笹峰だけが目的ならこの道を下れば、良い周遊コースになる。
 歴史を感じさせる山道を登っていくと、橋立に到着した。橋立は、五差路になっており、斜め右より小乙からの道が合わさり、右へは権ノ神岳を経て粟ヶ岳。正面は、仙見川方面へ続いているが、踏み跡は草に覆われている。宝蔵山へは、左の道に進む。
 高柳川の源頭部を巻いていくと、宝蔵山に向かっての登りがはじまった。灌木帯の中で見通しの利かない登りが続いた。急坂をなんとか切り抜けたと思ったが、ドーム型の山頂のため、傾斜が緩むと共に山頂が遠ざかる感じであった。坂道の途中で腰を下ろしてひと休みする必要があった。
 息を整えて再び歩き出すと、時期に分岐に出て、左に曲がると、宝蔵山の山頂に到着した。藪に囲まれて展望は無かったが、粟ヶ岳方面の木立だけが刈り払われていた。やはり、この山は、雪の季節に登るのが面白い。
 昼には少し早いので、白山への縦走路途中で休むことにした。烏帽子山を経て荒沢山に通じる尾根が分かれる890mピークを越えると、痩せ尾根となって周囲の展望が開ける。川内山塊が幾重もの山なみを重ねて広がっていた。毛石山が谷越しの目の前にあるはずであったが、山頂を見分けることは難しかった。振り返れば、粟ヶ岳がひと際高い山頂を見えていた。ここからの眺めは、白山・粟ヶ岳山塊の中でも好きなものである。
 この稜線部にもヒメサユリを見ることができた。粟ヶ岳にはヒメサユリがあるが、白山には無いというイメージがあったので、ヒメサユリの分布については新たな発見であった。白山にも本来はヒメサユリがあったものが、登山者が多いために無くなってしまったのだろうか。
 934mピークに到着した所で昼の大休止にした。ここまでくれば、白山まではあと一息である。仲間内でのんびり休むために、あえて白山山頂は避けた。登山道の上に腰を下ろしたが、他の登山者が来る気配はなかった。久しぶりに会った仲間と酒を酌み交わしながら、ゆっくりと休むことができた。
 再び歩き出せば、思ったよりも短い時間で白山山頂に到着した。山頂直下にスミレの群落が広がっていたのが、ひと際印象的であった。白山山頂は、やはり登山者で賑わっていた。ここまでは誰にも会わなかっただけに、賑やかな山頂は、落ち着かない感じがした。
 時間にも余裕があったことから、田村線を下ることにした。白山には度々登っており歩き慣れた道と言いたいところだが、1998年2月8日以来なので、このコースはひさしぶりであった。
 葉も茂って眺めも無い季節なので、淡々と歩いていくうちに、慈光寺の境内に下りたった。細切れに歩いていたコースだったが、縦走を行って断片化を少し纏めることができた。

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