津久の岐山、鼓ヶ倉山、阿能川岳

津久の岐山、鼓ヶ倉山
阿能川岳


【日時】 2005年5月21日(土)〜22日(日)
【メンバー】 5月21日:単独行 22日:6名グループ
【天候】 21日:快晴 15日:曇り 

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 津久の岐山・つくのまたやま・810.0m・二等三角点・新潟県
 鼓ヶ倉山・つつみがくらやま・1036.9m・三等三角点・新潟県
【コース】 栃ノ木トンネル入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯、未丈が岳
【ガイド】 なし
【温泉】 ゆーパーク薬師 湯之谷薬師温泉センター 600円

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 三岩山・みついわやま・1568.1m・三等三角点・群馬県
 阿能川岳・あのうがわだけ・1611.3・二等三角点・群馬県
【コース】 仏岩ポケットパークより谷川サービスエリアへ周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/水上
【ガイド】 なし
【温泉】 こぶしの里ふれあいセンター 500円

【時間記録】
5月21日 6:30 新潟=(関越自動車道、小出IC、R.352、奥只見シルバーライン 経由)=8:30 11号トンネル(栃ノ木トンネル)入口〜8:53 発―9:42 尾根分岐―9:58津久の岐山〜10:14 発―11:51鼓ヶ倉山〜12:22 発―13:56津久の岐山〜14:03 発―14:15 尾根分岐―14:54 11号トンネル(栃ノ木トンネル)入口=(奥只見シルバーライン、R.352、R.17、六日町IC、関越自動車道、水上IC、R.291、相俣水上線 経由)=18:30 仏岩ポケットパーク  (車中泊)
5月22日 5:12仏岩ポケットパーク―5:33 赤岩越―6:03 ヨシガ沢山〜6:09 発―7:09 鍋クウシ山―7:40天子山〜7:51 発―9:09 三岩山〜9:22 発―9:54 阿能川岳〜10:30 発―12:46 鉄塔〜12:55 発―13:35 尾根分岐―13:46 関越トンネル線鉄塔〜13:50 発―14:07 巡視路入口―14:15 谷川サービスエリア入口=(水上IC、関越自動車道 経由)=18:30 新潟

 鼓ヶ倉山は、小出から奥只見湖に抜けるシルバーライン沿いにあり、黒又川を挟んで未丈ヶ岳と向き合っている山である。西にある津久の岐山と稜線がつながっており、この山から入ることができる。

 阿能川岳は、谷川連峰の群馬県側、関越自動車道の谷川PAの上に位置する山である。登山道の無い山であるが、群馬百名山に取り上げられて関心が高まっている。赤谷越から三岩山を経て阿能川岳を往復するコースが一般に用いられている。

 今週は、風邪をひいてしまい、その回復をひたすら願うことになった。2月の三連休は風邪で自宅謹慎となり、その後の回復も長引いた。今年二度目の風邪とあって、幸い治るのも早く、週末には山にいけそうであった。といっても、日曜日に予定が入っている山は、谷川連峰の阿能川岳で、薮漕ぎも必至で、体力が持つか不安があった。といって、この機会をのがせば、いつ登れるか判らない山でもあった。
 土曜日は、鼓ヶ倉山をめざすことにした。4月17日にも登ろうとしたが、稜線沿いの雪が大きく割れており、通過ができずに引き返しになった。この山は、2001年3月21日にも登ろうとしたが、守門・黒姫の翌日で疲れていたので、津久の岐山までで止めてしまったこともある。今回は、稜線の雪は消えているが、薮漕ぎも必要になっているはずである。三度目の挑戦でだめなら、津久の岐山から入るのは諦めて、他のコースを考えなければならないことになる。いわば背水の陣で臨むことになった。
 新潟西ICから小出ICは、97.5kmの距離のため、ETC通勤割引を使えば、2700円のところが5割引で、1300円になる。朝発なら、大抵はこの割引が使えるので、山行の際には利用価値が高い。もっとも、距離無制限で三割引の深夜割引もあるので、山の作戦はもう少し複雑になるが、いずれにせよ、小出には行き易くなった。
 いつものように、シルバーライン11号トンネル(栃ノ木トンネル)入口手前左手の広場に車を停めた。広場から直接尾根に取り付く道があるか様子をうかがったが、見当たらなかった。杉林を抜けて尾根に上がればどうなのだろうと思ったが、いつもの尾根を登ることにした。
 トンネルの中を少し歩くと、左右に出口があり、外に出ることができる。右手の広場に出ると、山菜採りのものか、車とハイクが置かれていた。もっとも、雪がある時期は、この出口は閉鎖されており、車で外に出ようとするあてが外れると、車の方向転換のために、シルバーラインを延々と走らなければならなくなる。車でトンネル内に戻る時も、普通のドライバーはこのような所から車が出てくるとは予想しないので、衝突される危険性もある。外の広場から歩いた方が無難であろう。
 広場は、雪は消えていたが、雑草もまだ延びていない状態であった。出口左手の尾根に取り付いた。出だしは急斜面で、枝に掴まりながらの登りになった。尾根沿いの登りになっても、以前あったような刈り払い道は現れなかった。津久の岐山に始めて登った1999年当時は、測量のための刈り払いがしっかり行われており、テープの列が続いていて、偵察のつもりで歩き出したものが、そのまま津久の岐山の山頂に到着してしまった。5年の歳月の間に、刈り払い道は消えてしまっていた。
 本格的な薮漕ぎがしばらく続いた。枝を掻き分けながら、じっくりと薮に対するしかない。幸い、最初の目標の尾根上までの距離は長いわけではない。傾斜が緩むと、残雪が現れて、薮漕ぎから解放された。大湯温泉からの尾根が合わさる分岐付近は、二重山稜風の窪地になっているが、一面の雪原が広がっていた。
 尾根の分岐からは、ブナ林の中の登りになる。ここの雪は消えていたが、下生は少なく、歩くのに支障はなかった。ブナの新緑も色鮮やかになり、イワウチワの花がそこかしこに咲いていた。再び雪の上に乗ると、津久の岐山の山頂に到着した。
 前二回の時も快晴であったが、春霞みがかかっていた。今回は、空気もすんでおり、最高の眺めが広がっていた。一通り写真を撮ったが、気になるのは、鼓ヶ倉山への道であった。今回こそ鼓ヶ倉山へ登るぞと決意も新たにし、先に進んだ。
 津久の岐山の山頂から少し下った先の幅広尾根は、残雪が残っており、新緑のブナ林を眺めながら、快調に歩くことができた。先回の引き返し地点に到着してみると、右手の斜面が崩壊して、急な崖で落ち込んでいた。左手は、木が生えているものの、急斜面であった。痩せ尾根を足下に注意しながら通過した。境界見出しの杭が連続的に埋められているのが目にとまったが、刈り払い道は、部分的に痕跡が残るだけになっていた。リョウブなどの潅木をかき分けていく道は、スピードが上がらないだけで、そう難しいわけではなかった。
 870mピークを越えると、東に稜線を辿った先に鼓ヶ倉山の山頂が迫ってきたが、最後は急斜面になるようであった。小さなピークを越えていく道は、意外に体力を消耗した。風邪のために鼻がつまっており、口で息をしていたら、口の中が乾燥してしまった。おかげで、水の消費もいつもに比べて多くなってしまった。
 鼓ヶ倉山への最後の登りは、両脇の斜面は雪崩の滑り落ちた後の草地で、その中に続く灌木が茂る痩せ尾根をルートにとることになった。木の枝を支えに登るような急な所もあったが、見た目よりは難しくはなかった。傾斜が緩まると雪原に乗って山頂到着かと思ったが、北東に少し進んだ所が鼓ヶ倉山の山頂であった。
 山頂は雪が融けており、藪の中に三角点が頭を出していた。山頂からは、権現堂山塊、守門岳、毛猛山塊、未丈ヶ岳、荒沢岳、越後駒ヶ岳と、素晴らしい展望が広がっていた。わずかに小出方面が開いただけで、ぐるりを山に取り囲まれた山頂であった。取り分け興味深いのは、未丈ヶ岳の登山道を尾根の取り付きから山頂まで一望できることであった。未丈ヶ岳は、山奥にあって容易には姿を見せないので、この眺めは新鮮であった。
 1999年当時に鼓ヶ倉山の山頂をめざせば、もっと楽に登れたはずである。一旦は取り逃がした山頂であるが、その間に、藪山にも少しは慣れてきたため、少々の藪にも負けずに登頂を果たすことができた。それも、青空と残雪と新緑に彩られた最高の舞台で。山頂近くには、タムシバやシャクナゲの花が咲き、風景に彩りを添えていた。
 帰り道は、小さなピークの乗り越しがあるため、行きと同じ時間がかかった。津久の岐山からの下山は、前の二回では登りの時とは別な駐車場広場の脇へと続く尾根を下ったが、今回は同じコースをとった。大湯温泉分岐から先の藪尾根の下りは、コースから逸れないように注意が必要であった。
 長年の懸案であった鼓ヶ倉山の登頂を果たし、翌日の阿能川岳のために、水上に向かうことになった。温泉に入った後に、六日町で買い物や食事をしてから高速に乗った。
 待ち合わせは、こぶしの里ふれあいセンターか仏岩トンネル入口の仏岩ポケットパークでということになっていた。トイレのある方が良いので、仏岩ポケットパークに進んだ。翌朝、車のセットのために余計な時間がかかるが、早起きをすれば良い。水上と猿ヶ京とを結ぶ県道の仏岩トンネル入口には、広い駐車場が設けられ、ここからは、吾妻耶山への登山道が始まっている。宇都宮一行の到着後、軽く飲んだが、朝も早いので、早々に寝た。
 翌朝、朝食を軽くとるなり、谷川PA入口に車を置きに出かけた。予定では、赤谷越から阿能川岳に登り、下山は谷川PA脇に通じる、阿能川左岸尾根を使う予定であった。阿能川岳へのルートは、赤谷越からの往復が普通であり、谷川PAからの阿能川左岸尾根は、5月連休の頃に残雪を使って登ったという記録を山の雑誌で読んだ覚えはある。周遊コースは興味深いが、雪解けも進んでおり、歩きととおせるのか不安が残るところであった。
 仏岩ポケットパークからの歩き出しは、吾妻耶山登山口の標識が立つ杉林の中の山道と、吾妻耶山一帯の案内図脇の林道のどちらでも良い。林道のすぐ先で、右手から登山道が上がってきて横断する。杉林の中のつづら折りの登りで、しばらく汗を流すことになった。左に向かってトラバース道が続くようになると、やがて赤谷越の峠に到着した。左に曲れば吾妻耶山、直進すれば赤谷を経て猿ヶ京。阿能川岳へは、右へと尾根を辿ることになる。阿能川岳方面の入口には、木の枝を横たえて、一般登山者が迷い込まないような印が置かれているが、はっきりした山道が続いていた。「阿能川岳歩道 水上営林署/延長7201メートル 新設年度昭和36〜37年」という標識もあるのだが、これは阿能川岳の山頂まで道が切られたということなのだろうか。峠から阿能川岳の山頂までは、直線距離で4.5km程なので、カーブも入れれば、歩道の距離ほどにはなるだろうか。いずれにせよ、この道は、送電線の巡視路として、途中までは維持されており、阿能川岳登山の助けになっている。
 落ち葉に覆われているが、歩くのには支障の無い山道がしばらく続いた。尾根は小さな起伏があったが、山道はその一段下をトラバースしていくので、楽に歩くことができた。最初の目標地のヨシガ沢山(1117m)は、台地状の山頂を持ち、ススキの原になっていた。このススキをヨシと間違えて名前が付けられたのだろうか。
 ヨシガ沢山から僅かに下った後に登り返した1230m点の先で、送電線の矢木沢線鉄塔の下に出た。その少し先で巡視路は、右手の谷へトラバースしながら続いていき、尾根から離れていった。ここから薮漕ぎの開始になった。ブナ林の中の下生えは、背の低い笹のため、歩くのは難しくはなかった。所々残置テープも残されていたが、継続的に付けられていないため、便りにはならなかった。
 次の目標地点は、鍋クウシ山(1314m)ということであったが、これは尾根上の一地点で、どこが山頂か判らない場所であった。続く天子山(1399m)の先は、地図でも尾根の周りが岩場記号で囲まれているように、いくつかの小岩峰が連続し、本コースで一番の難所になった。下が切り落ちている所もあったが、しっかりした踏み跡ができており、木の根をステップにして通過することができた。岩場の通過は、コースを慎重に判断する必要があったが、左右のどちらかに巻くことができた。残雪を期待できない薮漕ぎの季節であったが、残雪が凍結しているような時期よりは、通過は楽であったように思える。
 花盛りのシャクナゲを掻き分けながらの藪漕ぎを続けていくと、三岩山の山頂に到着した。三岩山の先は雪原が広がっており、薮漕ぎからも解放された。三岩山の山頂からは、至近の距離に阿能川岳が見えて、登頂は確実ということで、ひと安心になった。
 カメラを首に下げながらの、気持ちの良い雪綾歩きになった。右手の谷底には、これから下る予定の谷川PAを眺めることができた。ここまでは小出俣山の山頂を谷越しの左手に眺めながら歩いてきたので、小出俣山の写真を撮りたかったのだが、木立が邪魔をしていた。阿能川岳の手前で、小出俣山へ続く稜線が分かれる。ジャンクションピークから少し下ってみると、西の展望が広がった。あと少しの時間をかければ、小出俣山の山頂まで歩いていけそうであった。小出俣山には、オゼノ尾根からすでに登っていても、誘いこむような眺めであった。
 分岐からは、僅かな距離で阿能川岳の山頂に到着した。阿能川岳の山頂は、歩いてきた感じでは、顕著なピークではなく、幅広の稜線の一点といった感じであった。雪綾脇の薮の中を探すと、三角点を見つけることができた。少し手間取ったが、これで落ち着いて休むことができた。雪原の縁に腰を下ろせば、吾妻耶山、三峰山、武尊山、至仏山の眺めが広がっていた。もう少し早い残雪期には、それなりに賑わう山なのかもしれないが、この日は、我々独占の山であった。
 山頂部からは、谷川連峰の眺めが木立に邪魔されていた。少し下ってみると、北の展望が広がった。谷川越しに、谷川ロープウェイ上の天神山から谷川岳の山頂へと続く天神尾根の全貌を眺めることができた。谷川岳の山頂も目の前で、山頂直下の雪原に登山者が見えるように思えたが、目の錯覚であろうか。隣の小出俣山からの眺めとはだいぶ違うのが面白い。
 阿能川岳からは、予定通りに阿能川岳山頂からは、阿能川左岸尾根を下ることにした。雪綾を下ると、僅か先で岩峰の脇に出た。幸い、岩峰は、尾根の北側に広がっており、右手谷側の雪の斜面を下ることができた。急斜面であったが、キックステップで足場を切れば、ロープを出す必要はなかった。手の届かない高さに虎ロープが付けられていた。春先の雪の多い時期にロープを固定して登った者がいたようであるが、工事用の虎ロープとなると、地元山岳会のルート整備のようにも思える。
 再び尾根上に戻って下りを続けると、ブナ林が広がるようになった。残雪に並んだ芽吹きのブナが美しかった。高度を下げると雪も消えて、再び薮漕ぎが続くようになったが、うっすらと踏み跡があり、オレンジのペンキマークが連続して木に付けられていた。シャクナゲも満開で、目を楽しませてくれた。
送電線の鉄塔が近づいた所で、巡視路が合わさった。薮漕ぎも終わりかと思って、鉄塔下の見晴らしで、谷川連峰の眺めを楽しんだ。
 巡視路を辿っていくと、尾根から外れて、左手の谷間に下っていってしまった。再び、薮漕ぎになったが、薄い薮で問題はなかった。イワウチワが一面に広がっているところもあり、シャクナゲやトウゴクミツバツツジなども多く、花を楽しむことのできる尾根であった。
 960m標高で、尾根から外れて谷川岳PAに続く枝尾根に進むと、境界見出標が埋められ、しっかりした刈り払い道が続いていた。
 送電線関越トンネル線の鉄塔の下に出て、最後の休憩になった。ここからは、つづら折りの送電線巡視路の下りになった。急斜面であったので、巡視路がなかったら、下りに苦労したことであろう。最後は、小さな沢を渡ると、高速道脇に付けられた車道に飛び出した。
 車道を下っていくと、谷川岳PAの上り線の駐車場脇に出た。生け垣の間からパーキング内に入ることができた。驚いたことに、一般道から大清水の水汲みに入り込んでいる者がいた。皆にはここで待っていてもらうことにして、車の回収のために、室井さんと二人で 仏岩ポケットパークに向かった。
 最後は、こぶしの里ふれあいセンターで汗を流して、山行を終えた。服を脱ぐと、背中から木の葉や枝が出てきたのも、薮山を歩いた印であった。
 今回は、阿能川岳へ登るのに、周遊コースとして歩いたが、登りに使った赤岩越コースも、下りに使った谷川岳PAコースも、途中までは送電線巡視路を利用でき、薮にも踏み跡が続いていることから、残雪期の少し雪融けの進んだ時期にも歩けることが判った。

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