平ヶ岳、景鶴山、檜高山

平ヶ岳、景鶴山
檜高山


【日時】 2005年5月3日(火)〜6日(金)
【メンバー】 5月3日〜5日:6名グループ 6日:単独行
【天候】 3日:晴 4日:晴 5日:晴 6日:曇り

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
スズヶ峰・すすがみね・1953m・なし・群馬県
大白沢山・おおしらざわやま・1942.0m・三等三角点・群馬県、新潟県
白沢山・しらさわやま・1952.8m・三等三角点・群馬県、新潟県
平ヶ岳・ひらがたけ・2141m・なし(2139.6m・二等三角点)・群馬県、新潟県
景鶴山・けいづるさん・2004m・なし・群馬県、新潟県
岳ヶ倉山・たけがくらさん(日崎山・ひざきやま)・1816.1m・三等三角点・群馬県
【コース】 鳩待峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/藤原、燧ヶ岳、八海山/至仏山、尾瀬ヶ原、平ヶ岳
【ガイド】 なし
【温泉】 寄居山温泉センター  500円

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
檜高山・ひだかやま・1932.2m・三等三角点・群馬県
【コース】 大清水より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/三平峠、燧ヶ岳
【ガイド】 なし
【温泉】 寄居山温泉センター  500円

【時間記録】
5月2日(月) 19:30 新潟=(関越自動車道、沼田IC、R.120、鎌田、R.401 経由)=23:00 尾瀬戸倉  (車中泊)
5月3日(火) 6:50 尾瀬戸倉=7:10 鳩待峠〜8:00 発―9:12 山の鼻〜9:30 発―10:55 尾根取り付き―(11:05〜11:42 昼食)―12:47 稜線上―13:48ススヶ峰〜13:58 発―14:35 テン場〜15:08 発―15:28 大白沢山〜15:42 発―16:00 テン場  (テント泊)
5月4日(水) 5:22 テン場―6:32 白沢山〜6:47 発―7:40 平ヶ岳〜8:12 発―9:00 白沢山―10:27 テン場〜1:47 発―13:12 景鶴山〜13:40 発―15:08 テン場  (テント泊)

5月5日(木) 5:35 テン場―6:37 ススヶ峰〜6:45 発―7:53 岳ヶ倉山―8:34 尾根下―9:48 山の鼻〜10:20 発―11:31 鳩待峠=(尾瀬戸倉 経由)=17:00 大清水  (車中泊)
5月6日(金) 6:00 大清水―6:50 一ノ瀬〜6:57 発―8:03 三平峠―8:16 三平下―8:34 尾根取り付き―9:30 檜高山〜9:38 発―9:58 湖畔〜10:17 発―10:40 三平下―10:57 三平峠―11:47 一ノ瀬―12:37 大清水=(往路を戻る)=17:20 新潟

  平ヶ岳は、中華鍋を逆さにしたような丸みを帯びた独特な形をして、名前もその形に由来している。山頂付近には楽園のような高層湿原が広がるが、そこに至る道は長くて辛く、遥かな山として知られている。深田百名山でも、「平ヶ岳は、日本百名山を志した最初から私の念頭にあった。」と紹介されており、登山愛好家の憧れの山になっている。尾瀬ヶ原から群馬・新潟の県境線を辿ればそう遠くない距離であり、残雪期の登山が可能である。
 檜高山は、尾瀬沼の東岸にたたずむ山である。尾瀬沼の湖畔に立つと、対岸の燧ヶ岳に目がいってしまい、この檜高山を気にするものはまずいない。この山が、気になるのは、小渕沢田代を訪れた際に、湿原越しに見える山としてである。

 五月連休に平ヶ岳を目指すのは、これが二度目である。一昨年は、鳩待峠への道路の除雪が遅れ、富士見峠越えをして尾瀬ヶ原に下り立ち、景鶴山に登っただけに終わった。その山行は、尾瀬ヶ原北縁のカッパ山や八海山を訪れることができて面白かったのだが、平ヶ岳まで歩くという課題は残ってしまった。今年の五月連休に再度の挑戦になった。
 五月連休の前半は、野反湖周辺の山を歩き、体力をかなり消耗してしまった。中二日の出発は、体力の回復と、テント泊の装備の準備にやっとであった。GPSのコース設定も、メインの他に予備コースも考える必要があり、地図の印刷でも時間がかかる。
 前夜に出発し、戸倉スキー場の駐車場で夜を明かして、待ち合わせした。鳩待峠の駐車場は、1日2500円、延長料金は少し安くなるようだが、高額になるために一台に乗り合わせていく予定であった。
 快晴の朝になった。天気予報でも、三連休中は、晴の予定が出ており、登山の期待は高まっていた。
 早めに到着した室井さんの車に乗せてもらい、鳩待峠に向かった。津奈木橋から鳩待峠への道に入り、つづら折りを終えると、車道脇に車の列が続いていた。すでに駐車場が満員となっての路上駐車の列であった。峠からかなり下がった所に車を停めて歩き出す準備をした。 三日分の装備を詰め込んだザックは重かった。峠までは、10分程の歩きになった。道路を流れる水が凍結しており、足元に注意が必要であった。
峠は、夏の盛りと同じように、大勢の登山者で賑わっていた。快晴の連休とあって、至仏山の山スキーヤーが繰り出したようである。中には、運動靴の軽装で尾瀬ヶ原を目指そうとするハイカーもいた。さすがに、硬い雪に足元が滑って、すぐに引き返したようであるが。
 鳩待峠から山の鼻への夏道は、斜面をトラバースするようにつけられているので、残雪期に自分自身で正確にトレースすることは難しい。足跡を辿っての下りになった。雪は硬くて足元に注意が必要であったが、アイゼンをつけるほどではなかった。一気に高度を下げると、オヤマ沢とワル沢の中間部で、送電線の電柱が並ぶ川上川の川岸に下り立ち、しばらくは左岸沿いの歩きになった。スノーブリッジを使い、ヨセ沢の手前で右岸に渡り、あとは右岸沿いの歩きになった。帰りの際のコースは、これとは違い、終始右岸沿いであったが、地図の破線よりは、上部を高巻いていた。登山道をスコップで削った跡があるので、連休中に整備の手が入ったようである。
 ハイカーの大人数のグループが、少し急な下りで立ち往生していたりしているのも途中で見かけた。五月連休の残雪の尾瀬ヶ原は、ハイカーにとっても魅力的であるが、軽アイゼンにストックを持ち、雪が緩んでからの少し遅い出発、コース整備の済んだ連休二日目以降に歩くことを勧める。
 山の鼻手前で、右手に迂回路が分かれた。川上川にかかる橋が通れないための迂回路かと思ったが、これは、原の川上橋が落ちているため、山の鼻から十字路方面に行くためのものであった。後で、大清水の登山口で、目立たない掲示を見ることになったが、鳩待峠の登山口周辺に、掲示があったのだろうか。
 川上川を橋で渡ると、すぐ先が山の鼻であった。テントも並び、小屋も営業を始めていた。キャンプ場の水場も使用可能で、下山の際の水の補給に役に立ちそうであった。
 原に進んでみると、燧ヶ岳と至仏山の眺めが広がっていた。猫又川の上流部に見えるのが、今日の目的地であるススヶ峰のようであった。幸い、燧ヶ岳や至仏山と比べれば、標高差は無いので、ひと安心した。
 写真を撮ってひと休みした後、北に向かって雪原を進んだ。一昨年は、尾瀬ヶ原で水芭蕉もみかけたのだが、今回は、ようやく雪が融けはじめて、水面が僅かにのぞく程度であった。
 猫又川の左岸沿いの雪原を進んだ。川が山裾に迫ってきた所は、山の斜面を高巻く所もあったが、概ね平地の歩きが続いた。途中の枝沢の徒渉が気になっていたのだが、雪に完全に埋まっており、問題は無かった。
 左俣に進み、フタマタ沢手前の尾根を登ることにした。枝沢に少し入ってから尾根上に向かって直登した。尾根の上には美しいブナ林が広がっており、昼食の大休止になった。谷奥には、景鶴山の岩峰の頭をのぞむことができた。順調にいけば、明日は、平ヶ岳の後に、あの山頂に登る予定である。
 尾根は、登りやすい傾斜であったが、荷物が重たいために、苦しい登りになった。高さを上げていくと、ブナ林は消えて、オオシラビソの針葉樹林が広がるようになった。
 標高差400wを登り終えて稜線上に辿り着き、ひと安心と思ったものの、ススヶ峰への登りは意外に辛かった。一旦傾斜が緩んだものの、さらに先があり、湿原マークのある肩に出て、ようやくススヶ峰の山頂も目の前に迫った。幅広の稜線を辿っていくと、ススヶ峰の山頂に到着した。明日登る予定の平ヶ岳の眺めにまず目が奪われた。山頂は、真っ白なドームになっていた。距離はあるものの、歩けない程ではない。振り返ると、至仏山は高く聳えていた。尾根沿いは雪が消えているため、雪を拾いながら登るためのコースを目で追ったが、三日目に至仏山越えをするだけの体力が残っているかが問題である。
 ススヶ峰からの下りは急斜面であるが、雪も柔らかいため、気持ちよく下ることができた。雪の上には、足跡やスキーのトレースが見られ、入山者も多いようであった。1852m点を過ぎたところから1911mピークを東に巻いた。大白沢池上部の針葉樹林帯を幕営地とした。すぐ脇には、白沢山の山頂が聳えていた。
 テントの設営を終えた所で、手ぶらで白沢山の山頂まで足を延ばした。室井さん達は、山頂目指して急斜面を直登したが、東に回り込んでから登ることにした。
 二度目の白沢山になった。白沢山は、展望が素晴らしい山である。平ヶ岳、赤倉山、至仏山、景鶴山は目の前にあり、遠く日光連山や会津駒ヶ岳方面も眺めることができる。他の山域にあったら、人気のピークになるところだが、名山に囲まれた中で、忘れられた存在になっている。この展望をなによりのつまみにビールを一本開けることにした。
 テントに戻り、少し早いが夕食の開始とした。一日の歩きで疲れ、7時過ぎには、眠りに就いた。
 二日目は、朝食を簡単に済ませて歩き出した。北に向かう稜線に乗ると、中華鍋を伏せたような平ヶ岳に向かっての歩きが続いた。左手には、巻機山から下津川山、越後沢山に至る稜線が長く続いていた。この稜線もいつか歩きたいものである。
 中間点の白沢山には1時間の歩きで到着し、快調なペースであった。幅広の尾根が続き、特に難しいところは無かった。平ヶ岳も目の前に迫り、その眺めに魅入られた。
白沢山から僅かに下った後に、しばらく緩やかな登りを続けると、山頂までの続く一気の登りが始まった。雪にステップを蹴り入れながら、高度を上げていく登りは、きついながらも爽快であった。
 平ヶ岳の山頂は、広大な雪原となり、最高点と思われるところに、金属製のポールが立てられていた。中ノ岳に越後駒ヶ岳、八海山の越後三山も目の前であった。荒沢岳、毛猛山塊、浅草岳、守門岳といった越後の山の眺めが広がっていた。平ヶ岳が新潟の山であるということを改めて実感した。雲一つ無い青空が広がっていたが、吹く風は冷たかった。
 少し低い所に、針葉樹がブッシュ状に頭を出していたので、休憩する場を探しに近づいていくと、山頂標識が雪の上に「平」の一文字だけを出していた。記念写真を撮った後、北側斜面に腰を下ろして休んだ。
 登山道が切り開かれている池ノ岳から台倉山に至る稜線、が長く続くのを眺めることができた。鷹ノ巣から平ヶ岳へ登るのは、軽装での日帰りか、テント泊1泊2日の行程となる。ススヶ峰下から歩いてきた行程を考えると、このまま引き返してテントを撤収すれば、今日のうちに下山できそうである。残雪期に限られるが、尾瀬から入山しても1泊2日で登頂可能とは、意外な近さであった。
 カメラ片手に、雲上のプロムナードともいえる道を引き返した。スキーでなくとも、山頂から続く大雪原の下りは自然に駆け下るようになって早かった。
 この日行き会った登山者は、十字峡からの縦走者が二組、尾瀬方面からの往復組が、山スキー、徒歩を含めて十組程であっただろうか。入山者が意外に多いのに驚かされた。
 昼前にはテントに戻り、湯を沸かして昼食をとった。
 昼からは、予定通りに景鶴山を目指すことになった。大白沢山の北をトラバースし、続く1892mピークは南を巻いて、時間の短縮をはかった。
 景鶴山の西の肩に出て、岩峰の眺めを楽しんだ。眼下には、尾瀬ヶ原が広がり、そこに落ち込むケイズル沢は、所々雪崩の跡を見せていた。
 尾根通しは、岩峰の乗り越しになって難しい。一昨年と同じように、北斜面をトラバースし、山頂直下から雪を使って直登することにした。樹林帯のトラバースになって、位置が掴みにくいが、GPSで一昨年のデーターをとっているので、直登に移るポイントも判っている。
 雪の付き方も良い具合で、急斜面の登りも、キックステップで登るのに問題はなかった。捕まる木も多く、滑落の心配は無いのはありがたい。稜線部に出ると、シャクナゲや灌木が少しうるさいが、踏み跡が続いている。最高点と思われる所に到着したが、山頂標識が見あたらなかった。少し先の東のピークに進むと、見覚えのある山頂に到着した。二度目の登頂になったが、先回は、ガスに覆われて展望は閉ざされていた。今回が初登頂のメンバーも半分いた。山頂標識のある小ピークは、狭いながらの広場になって、尾瀬ヶ原や燧ヶ岳の展望が広がっていた。標高は少し低いかもしれないが、ここの方が山頂とするには相応しい。
与作岳に通じる稜線は、トレースが続いており、今日もかなりの人数が登ったようである。岩が露出しており、基部を巻いた先がどうなっているのかは見えなかったが、急斜面のトラバースになって難しいところである。一昨年も、私たちが登った数日後に、滑落して死亡者が出ている。その点、北斜面からのアプローチは、危険性は少ない。
 下山は、山頂からすぐ西側の雪原を下った。ピッケルを出して足元に注意する必要はあったが、滑落の恐れはなかった。すぐに傾斜が緩んで、トラバース可能な斜面になった。
 予定通りに平ヶ岳と景鶴山の二山を登ることができたが、疲れもかなりでてきた。戻る途中の相談で、明日の至仏山越えは止そうということになった。明日は下山に専念するだけとなれば気分的に楽であるし、今晩用意する水の量も少なくて済む。この晩の食料も豊富であり、良く食べ、飲むことができた。
 三日目は、薄曇りの朝になった。快晴の二日間と比べれば、少しは悪くなったが、三日間の山行中は、良い天候に恵まれたことになる。テントを撤収し、パッキングしなおしたザックは軽くはなっていたが、背負う辛さは変わらなかった。
 この日の一番のアルバイトは、スズヶ峰への登りになった。朝一番の元気なうちといっても、頂上についた時には、休みが必要になった。この先は、高度を下げていくので、平ヶ岳の眺めとはお別れになる。
 登ってきた尾根との分岐を過ぎて、小さなピークを二つ越すと岳ヶ倉山に到着となった。少し先の鞍部を越えて、至仏山が高く聳えていた。やはり、至仏山を越すのは、体力的に無理であった。ひと休みの後、山頂から東に延びる尾根を下った。
 雪原を一気に下ると、再びブナ林が広がるようになった。右手に沢が近づいてきたが、沢には亀裂が入っていたため、そのまま尾根通しに歩いた。針葉樹の大木が並ぶ小ピークを越し、尾根の末端近くで、右手の雪原を下った。
 丁度、左沢の入口に下り立ち、後は、平らな雪原の歩きになったが、長く感じられた。山の鼻に戻ったところで、売店が開いているのをみて、誘惑に負けてビールを買ってしまった。480円の値段は、山中であることを考えれば安い。山行もほぼ終わりといった安心感もあり、飲み干すビールは美味かった。
 最後の鳩待峠への登りも、他のグループを追い抜くうちに勢いがついて、一気に上がってしまった。鳩待峠は、あいかわらず山スキーヤーや軽装のハイカーで賑わっていた。
三連休の最後の日になって、初日に比べれば入山者も少なくなったのか、停めた車の周辺には、他の車は無く、なんでこんな所に車を停めているのだろうといった感じになっていた。
 戸倉スキー場に戻って、自分の車を回収し、鎌田の温泉に入って解散となった。
 コンビニで、食料を買い込み、空腹を満たす傍ら、近くの休憩用駐車場の地面に濡れたマットや靴を並べて乾かし、翌日の山の装備を調えた。
 翌朝は、平日のため、休みの日には賑わうであろう尾瀬沼から檜高山を登ることにした。天気は下り坂のようだが、午前中くらいは持ちそうであった。
 夕暮れ時に大清水に入り、人気も少ない湿原で水芭蕉の花を見た。最近は、尾瀬口の水芭蕉という看板のもとに観光バスが訪れる観光スポットになっているようである。残照に白い花が浮かび上がっていた。
 翌朝は、曇り空のまずまずの天気になった。大清水からの歩き出しでは、車道周辺に雪は少なかったが、みるみる多くなって、周辺に雪原が広がるようになり、その中に除雪された車道が通じる状態になった。一ノ瀬までは、1時間程の歩きであるが、少しは上り坂なのだろうが、行きに関しては足慣らしといった感じで終わる。下山の時は、長く感じられる車道歩きになるのだが。
 一ノ瀬から先の冬ルートは、冬路沢を経由するとガイドブックに書いてあったので、五月連休の頃はどうなのだろうと疑問に思っていた。ガイドブックを読んでも、ルートを地図に引くことはできなかったので、踏み跡に従うしかないのだが。
 一ノ瀬の休憩所のすぐ先で橋を渡ると、登山道が始まる。雪の上には、多くの人が歩いた踏み跡が続いていた。沢が大きく迂回してきて山が削られ、護岸工事が施された斜面に道が付けられている所があり、ここに雪が付いていると通過は難しくなりそうであった。
 しばらく歩くと、冬路沢の左岸に沿っての登りになり、橋がかかっており、右岸に渡って、ジグザグの登りが始まった。夏道通りにルートが続いていた。中止になった車道工事跡を横断し、さらにジグザグの登りが続いた。大清水コースで尾瀬を訪れるハイカーが、苦労する急坂である。木道はほとんど雪に埋もれていたが、穴が開いている所もあり、落ち込まないように注意が必要であった。うかつに踏み抜くと、足をぶつけて怪我をする可能性も高い。
 尾根の上に出ると、針葉樹林帯の緩やかな登りに変わる。テープが短い間隔でつけられていた。トレースが明瞭なので問題は無かったが、幅広尾根で、途中からトラバース道になるので、コースを外さないように注意が必要である。
 三平峠は、看板が出ていたので、現在位置を確認することができた。峠からは、夏道と違って、沢状の窪地の雪原を一気に下ると、三平下に到着した。
 湖畔に下り立ち、燧ヶ岳の眺めを楽しんだ。沼は氷で覆われていたが、沢が流れ込む所は、水面が出ていた。写真を撮りながら歩いている男性とすれ違ったのが、この日山中で出会った登山者の全てであった。
 目的の檜高山の登りには、湖畔を少し北に進み、早稲沢を越した先の尾根を使うことにした。尾根は針葉樹林となって、展望は利かなかった。一本尾根ではあったが、曲がりくねっているので、方向感覚が掴みにくかった。1847m点の手前からトラバース気味に歩いて、檜高山に続く尾根に乗った。
 鞍部では、貧弱なダケカンバの林が広がり、檜高山の山頂をようやく眺めることができた。尾瀬沼の湖畔からは、檜高山の山頂は見えなかったようである。もっとも、燧ヶ岳の方に目が奪われていたからもしれないが。
 笹原が出ている所もあり、雪を拾うと、意外に急な斜面に行き当たった。途中で傾斜が緩むようなコースを選びながら登った。下りは、用心のためにピッケルを出すかどうか迷うところであった。
 傾斜が緩んでから少し進んだ所が、檜高山の山頂であった。位置的に尾瀬沼の眺めを楽しめるかとも思ったのだが、黒木に覆われて眺めは閉ざされていた。僅かに、小渕沢田代がうかがわれるだけであった。風が冷たく、窪地に入って腰を下ろした。
 下山は、あらかじめ予定していた通り、ヒノキ沢右岸尾根を下ることにした。このコースの難しい所は、目印の乏しい所で、コースを北から西に変える点であった。GPSで設定したコース通りに歩ければ良いし、少しコースミスをした所で、尾瀬沼湖畔に出ることは確かである。GPS頼りに歩くのも、かなり前に流行ったことのある迷路遊びと思うと面白い。
 檜高山の北斜面は、針葉樹林といっても、大きな木が並んで開放感があった。程よい傾斜で、雪を蹴散らしながら気持ちよく下ることができた。鞍部の手前でコースを西に変えていき、弱い尾根沿いに下り、最後は左に方向を変えると、湖畔に出ることができた。
 すぐ北側には長蔵小屋の建物が見えていた。ビールを開けて、尾瀬沼と燧ヶ岳の眺めを楽しんだ。湖畔に人はおらず、眺めは独占であった。空が曇っているのは残念であったが、静かな風景は、なによりの贈り物であった。
 下山は、木道上の雪の踏み抜きが一番の注意事項であった。一ノ瀬まで下ると、運動靴履きの観光客に数組出会った。他のシーズンでもそうだが、一ノ瀬までのハイキングという者が結構いるのが不思議である。
 昼になって、天気も悪くなってきたようで、明日は雨のようであった。体力的にも限界を感じて、このへんで、尾瀬の山歩きを終えることにした。

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