大高山、エビ山、八十三山、大倉山、白砂山

三壁山、大高山、エビ山
八十三山、大倉山、白砂山


【日時】 2005年4月29日(金)〜30日(土)
【メンバー】 単独行
【天候】 23日:晴 24日:晴

【山域】 上信越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
三壁山・みつかべやま・1974m・なし・群馬県、長野県
大高山・おおたかやま・2079.4m・三等三角点・群馬県、長野県
高沢山・たかざわやま・1906m・なし・群馬県
エビ山・えびやま・1744m・なし・群馬県
弁天山・べんてんやま・1650m・なし・群馬県
【コース】 野反湖バス停より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/野反湖、岩菅山
【ガイド】 山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)
【温泉】 花敷温泉・関晴館本館 500円

【山域】 上信越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
堂岩山・どういわやま・2051m・なし・群馬県、長野県
八十三山・やそみやま・2101m・なし・長野県
大倉山・おおくらやま・2054.0m・三等三角点・長野県
白砂山・しらすなやま・2139.7m・三等三角点。群馬県、長野県
【コース】 野反湖バス停より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/野反湖
【ガイド】 山頂渉猟(白山書房)
【温泉】 六合村やすらぎの湯 400円

【時間記録】
4月28日(木) 8:50 新潟=(関越自動車道、月夜野IC、中山新田、R.145、中之条、長野原草津口、R.292 経由)
4月29日(金) =13:30 六合村  (車中泊)
5:30六合村=(R.405 経由)=6:30 野反湖バス停〜6:50 発―8:16 三壁山―8:58 かもしか平―10:02 大高山〜10:20 発―11:01 かもしか平―11:20 分岐―11:30 高沢山―12:07 エビ山〜12:25 発―13:17 三角点―13:30 弁天山―13:45 富士見峠―14:50野反湖バス停  (車中泊)
4月30日(土) 6:00野反湖バス停―6:20 ハンノ木沢出合―7:08 地蔵山―8:31 堂岩山〜8:44 発―9:15 八十三山―10:03 大倉山〜10:14 発―10:51 八十三山―11:16 堂岩山―12:30 白砂山〜12:58 発―14:11 堂岩山〜14:16 発―15:14 地蔵山〜15:22 発―15:42 ハンノ木沢出合―16:02野反湖バス停=(R.405、六合村、暮坂峠、下沢渡、R.353、中之条、R.145、中山新田、月夜野IC、関越自動車道 経由)=20:50 新潟

 上信越の国境近くにある野反湖は、標高1514mの高地にあるダム湖である。周辺の草原は、ニッコウキスゲをはじめとする高山植物も豊富で、キャンプ場も設けられ、ハイカーで賑わっている。野反湖の周囲は、2000m級の山に囲まれているが、湖の西岸に連なる三壁山から高沢山、エビ山を経て弁天山に至るコースは、ハイキング向きのコースとして親しまれている。また、大高山は、湖の北西部の上信国境上に位置し、野反湖から大高山を経て志賀の赤石山までの縦走路上が開かれている。
 上信越国境に位置する白砂山は、野反湖から堂岩山を経由する登山道が開かれて、登山者にも親しまれている。堂岩山から北に向かって分かれる支脈上には、八十三山と大倉山といった2000m級の山があるが、登山道は無く、訪れる者は少ない。

今年の5月連休は、残雪も豊富で、道の無い山をめざす絶好の機会になりそうである。連休前半の山として、昨年の白砂山から佐武流山への縦走の際に地図を見て気になった、2000m峰の八十三山と大倉山を登りに出かけることにした。時間の余裕を持たせるために、早朝発としたいのだが、新潟から野反湖までは時間がかかって、夜に出発したのでは、途中で寝て翌朝到着となる。二日目を本命に当てるとして、一日目は、ゆっくりと出発しても登れる山を考える必要があった。これも気になっていた大高山と野反湖西岸のエビ山と組み合わせて登ることにした。
連休前とあって、片づけなければならない仕事もあり、家を出るのは遅れた。六合村に到着したのは深夜となり、路肩の広場に車を停めて寝た。野反湖まで車を走らせたのでは、あと少しではあるが、寝る暇がなくなる。
 快晴の朝になった。山里は桜が満開であったが、野反湖に向かって一気に高度を上げていくと、季節は逆戻りした。野反湖への道は、4月22日に開通したばかりである。富士見峠に到着すると、野反湖の眺めが広がるが、湖面は氷に、周囲の山は真っ白な残雪に、覆われていた。
五月の連休に野反湖入りするのは、1998年5月3日以来ということになる。この時は白砂山から佐武流山への往復を計画していたのだが、残雪はほとんど見られず、雨も降る悪天候のため、八間山から白砂山までを歩いただけに終わった。その時と比べれば、絶好のコンディションといってよい。
 白砂山や大高山の登山口になる野反湖バス停前には、大きな駐車場が設けられているが、二台の車が停められているだけであった。以前は、佐武流山に登るのは残雪を利用できて、まとまった休みを取ることのできる五月連休と決まっていたのだが、秋山郷からの登山道が復活した今となっては、残雪山行は敬遠されて、入山者は少なくなっているのようである。
バンガロー村への道は雪に覆われていた。そこだけ雪が融けていたダムの堰堤を渡ると、人気の無いバンガローが立ち並んでいる。子供が小さい時、このバンガローに家族で泊まり、おきまりのバーベキューを楽しんだことがある。バンガロー村の営業が始まるのは、まだ先になりそうであった。
大高山までは登山道が開かれているが、雪に覆われて、どこが入口かも判らなかった。バンガロー村の上部から、高みに向かって登り始めた。
朝というのに、早くも気温が上がっており、残雪もステップを切りやすい状態であった。県境尾根が合わさるところで傾斜が増したが、問題なく尾根上に出ることができた。背後には、野反湖の眺めが広がっていた。明日登る予定の白砂山方面の山々も眺めることはできたが、逆光でまぶしかった。

 快適な雪綾歩きを続けるうちに三壁山に到着した。地図には、山頂から下がった所に崖マークが広がっているが、そのような地形はうかがい知れない、雪に覆われた平凡な山頂であった。ハイキングコースが整備されているはずであるが、山頂標識のようなものは見あたらなかった。雪の下なのだろうか。
 三壁山を下っていく途中、方向を右に変えるところもあって、結構油断がならない。以前、子供連れのハイカーが道を見失って、数日後に発見されるという遭難事故も起きており、また遭難騒ぎでも起こそうものなら、何を言われるやら。地図でコースを良く確認しながら歩いた。
 1930mピークに立つと、高沢山の山頂が目の前に盛り上がっていた。鞍部に下ってからは、県境線沿いに山腹をトラバースし、北西の肩に出た。眼下の鞍部には、雪解けの進んだ笹原が広がっていた。これが夏にはお花畑になるというかもしか平のようであった。
 夏道も一部出ていたが、雪原を辿って鞍部に下った。鞍部には、かもしか平の標識が立ち、北の沢に向かって水場200mと書かれていた。日当たりが良いせいなのか、この一帯だけが雪解けが進んでおり、土の上に腰を下ろして休むことができた。
 大高山に向かってしばらくは、雪の下から現れてきた登山道の登りになった。幅広の登山道であったが、歩く者は少ないようで、笹の切り口が足元でボキボキと音を立てていた。再び雪の上の歩きになり、左から回り込んできた県境線に出たところで、方向は北に曲がった。1956mピークは、南西の肩を回り込んだ。針葉樹の林の中で見晴らしは無く、地形も複雑であったが、GPS歩きとあっては、それも迷路遊びのようで面白い。
 1990mピークに到着すると、谷を巻いた先に大高山の山頂が迫ってきた。雪原を一気に登ると、大高山の山頂に到着した。山頂標識と三角点が雪の上に姿を現していた。横手山と草津白根山がすぐそこに見えていた。山頂の北側には、真っ白な雪に覆われた岩菅山から烏帽子岳に至る稜線が見え隠れしていたのだが、木立が濃くて、写真になるような眺めが得られなかったのは残念であった。
縦走路は、志賀の赤石山へと続いているのだが、車の回収を考えると、計画が難しい。赤石山から大高山へ往復して縦走路をつなげてしまおうか。そうすれば谷川連峰から志賀の山までがつながる。
雪原を快調に下ると、かもしか平まではあっという間であった。夏道を辿って、高沢山へ登り返した。雪の中に見え隠れする登山道を辿るのは、かえって気をつかう。
 針葉樹の木立に囲まれた中に、高沢山の山頂標識が置かれていた。その先の雪原に出ると、エビ山から弁天山に至る稜線が一望できた。エビ山は、雪解けが進んで、笹原が広がっていた。
 緩やかな稜線の、残雪歩きと登山道歩きのミックスが続いた。雪が消えた後は、濃い笹藪のようで、登山道を辿る必要があり、登山道を探す山勘が必要になった。エビ山一帯は、人気のハイキングコースのようであるが、残雪のこの時期は、誰も歩いていなかった。
 エビ山の山頂で、登山道脇の笹原に腰を下ろし、昼食にした。コースを考える必要があった。このままキャンプ場に戻れば、すぐに下山できる。しかし、弁天山を越して野反湖の南端に至る稜線が目の前に見えていた。帰りの車道歩きが長くなるが、それも覚悟して、縦走をさらに進むことにした。
 エビ山を下ると、野反湖の湖面とは標高差が僅かな鞍部になった。美しい白樺林が広がっていた。再び弁天山への登りが始まった。急坂ではないが、足も疲れてきた。判らないのは、弁天山の位置であった。ガイドブックによっては、1652.6mの三角点ピークが弁天山とされている。登山道は、このピークの下を巻いているので、ヤブコギで山頂に立った。三角点を見つけることはできたが、人の登らないピークのようであった。
登山道を辿って次の1650mピークに登ると、弁天さんの石像が置かれていた。この石像は新しいものであったが、傍らに古びた石の祠が置かれて、古くからの信仰の対象であったことが伺われた。三角点ピークの東に位置する、地形図にも名前が書かれているピークが弁天山として正しいことが判った。
 弁天山からは、すぐ近くに富士見峠の駐車場が見えていた。緩やかに下っていくと、駐車場に出て登山は終わったが、長い車道歩きが待っていた。移り変わる湖面と、今歩いてきた対岸の山並みを眺めながら、1時間5分の歩きで車に戻ることができた。
 温泉入浴と食料の買い出しにために一旦山を下り、夕暮れ近く、再び野反湖に戻ってきた。
 二日目も快晴の朝になった。気合いを入れて歩き出そうとしたが、駐車場の脇の雪の斜面が堅くしまって登れなかった。アイゼンを履いて、再出発になった。尾根の張り出しを越すと、トラバース道となり、ハンノ木沢に向かっての下りになった。木の橋があり、沢を渡ることができた。夏道は、徒渉点のすぐ向かいの小さな沢沿いに始まっているようであったが、歩いた様子は無かった。
 事前のGPSへのルート設定でも、この夏道は辿れないだろうと思い、1802mの地蔵山へ直接続く尾根を登るコースを考えていた。右手方向に進む足跡を辿ると、尾根を回り込んだ所から登り始めていた。急斜面も僅かで、枝尾根に挟まれた窪地の登りが続くようになった。アイゼンが気持ちよく雪原に食い込み、快適な登りになった。踏み跡は、左の尾根に移ったが、そこは針葉樹の林が続き、雪も柔らかいため、そのまま雪原登りを続けた。どこでも歩ける幅広の尾根なのだが、踏み跡は、一本のトレースから外れようとしないのは面白い。
 意外に早く1802mの地蔵山に登り着くことができて、さい先は上々と思った。ただこの先をうかがうと、堂岩山へは、まだかなりの登りが待ちかまえていた。僅かに下った後に、雪庇が張り出した稜線の縁を辿る道がしばらく続いた。堂岩山への登りの途中には、濃い針葉樹林に行く手を阻まれるような所もあったが、おおむね雪原の歩きが続いた。ただ、夏道はどこに続いているのかは、全く判らなかった。
 かなり草臥れて堂岩山の山頂に到着した。堂岩山の山頂は、夏には木立に囲まれて、通過点に過ぎないが、残雪期には、展望台に変わっていた。小ピークを越していく稜線の先に見える白砂山のピラミッド型の姿が素晴らしかった。しかし、今回の第一の目的は、この白砂山ではない。白砂山は、時間と体力が余ったらということになる。
堂岩山の山頂からの眺めでは、八十三山は、一旦下った後のひと登りのようであった。密生した針葉樹林帯を下っていくと、木立もまばらな気持ちの良い雪原の歩きになった。ひと登りして、早くも山頂到着かと思ったら、山頂はまだ先であった。
 八十三山の山頂は、傾斜が緩んだ後に、もうひと歩きして到着となった。どこが最高点か判らないような雪原の広がる山頂であった。かたわらの木に、山頂標識が付けられているのを見つけることができた。
 次の大倉山へは、緩やかな稜線が続いているのを眺めることができた。もっとも、八十三山からは、一旦下る必要があるので、帰りも含めた、体力との相談は必要になる。
 八十三山からの下りは、針葉樹に囲まれて見通しの利かない中で方向を変える必要がある。八十三山の山頂で、大倉山の山頂を確認できていなく、磁石と地図だけが頼りであったら、かなり難しいコースである。
 大倉山の山頂が近づいた所で、谷向こうに大きく広がる佐武流山の眺めに、思わず足が止まった。佐武流山は、この方面からでは、台形の山頂を見せている。昨年の連休の縦走では、急な登りが終わった後も、山頂になかなか到着しなかったことを思い出した。体力の限界まで追い込まれていたことも今では思い出である。
 急登が終わって大倉山の山頂に到着と思ったが、GPSを確認すると、もう少し先と出ていた。地図を見れば判ることだが、三角点は、西の端に置かれている。雪綾歩き僅かで、大倉山の山頂に到着した。眼下には、野反湖を見下ろすことができた。振り返ると、八十三山は高く聳え、帰り道の苦労が思いやられた。
 この先の予定を考える必要があった。白砂山にも登りたかったが、時間があるのかどうか。堂岩山から白砂山へは、1時間30分みれば良いであろうか。11時30分までに堂岩山まで戻れれば、白砂山へ進もう。ひと休みの後に、下山を開始した。
 八十三山への登り返しは、かなり体力を使ったが、堂岩山への登り返しは、意外に短かった。八十三山の山頂には、二人連れが休んでいたが、大倉山へは、足を延ばさないようであった。
11時過ぎに堂岩山に到着したことで、白砂山に進むことになった。山頂の先には、テントがひと張り置かれていた。佐武流山への往復に出かけているようであった。
 堂岩山を下っていくと、雪が消えて、その先の稜線はしばらく登山道歩きが続くようなのでアイゼンを外した。雪も柔らかくなって、つぼ足歩きにも具合の良い状態になっていた。
 尾根の左手には、登ってきたばかりの八十三山が、谷に向かって急斜面を落としこむ姿を見せていた。堂岩山の山頂から見た穏やかな姿とは対照的であった。2042mピークを越して最低鞍部を越えると、白砂山の山頂への長く感じられる登りが続いた。登山道の上を覆う雪庇も崩れて、藪に入って通過する所も現れ、時間がとられた。白砂山の山頂近くは、雪の急斜面になっており、キックステップを利かせながらの登りになった。早朝で雪が硬ければ、アイゼンとピッケルは必要な急斜面であった。傾斜が緩んでも、山頂は少し先ということは、以前の経験から判っていた。
 ようやく、雪のピラミッドになった白砂山の山頂に到着した。誰もいない山頂であった。山頂下で三人連れとすれ違ったのが、日帰り登山者の最後であったようである。山頂標識が一段低い所に頭を出していた。山頂の少し先には、テントがひと張り置かれていたが、無人のようであった。
文字通りに360度の展望が広がっていた。北に続く稜線の先には、佐武流山が姿を現し、その彼方には苗場山が平らな山頂を見せていた。その左には、鳥甲山が鋭い山頂を。登ってきた八十三山や大倉山も振り返り見ることができ、その向こうには岩菅山から烏帽子岳に至る白い稜線を眺めることができた。東に続く稜線の先には、上ノ間山、忠治郎山、上ノ倉山が連なっていた。昨年の縦走の時に比べれば、雪は充分ついているようであった。
 幸い、この大展望を楽しみながらひと休みする時間は、残されていた。ビール片手に独り占めの山頂は、最高の気分であった。時折、雷鳴のような雪崩の音が、静かな山に轟いていた。
 重い足に頑張ってもらい、ようやく堂岩山に戻ると、大型ザックを背負った二人連れが休んでいた。日帰り登山者とテント泊組の交代のようである。堂岩山の下りでも、5組程のグループとすれ違った。
 地蔵山まで戻って、ようやく安心することができた。眼下に明るく輝く野反湖も眺めることができ、下りも、もうひと頑張りになった。地蔵山からの雪原の下りは一気であったが、ハンノ木沢徒渉点からの登り返しは、息があがった。
 結局、時間にも余裕を持って、八十三山、大倉山、白砂山の三山巡りを終えることができた。時間的には少しせわしなかったので、もう少し早立ちをすれば良かったのかもしれない。

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