舟鼻山、御前ヶ岳、白沢山、沼の沢山

舟鼻山、御前ヶ岳
白沢山、沼の沢山


【日時】 2005年4月23日(土)〜24日(日)
【メンバー】 23日:単独行 24日:7名グループ
【天候】 23日:曇り 24日:晴

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 舟鼻山・ふなはなやま・1234m・なし・福島県
 御前ヶ岳・ごぜんがたけ・1233.1m・二等三角点・福島県
【コース】 舟鼻峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/針生/大芦、針生
【ガイド】 会津百名山(歴史春秋社)
【温泉】 西山温泉・せいざん荘 310円(石鹸のみ)

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 白沢山・しらさわやま・959.7m・三等三角点・福島県
 沼の沢山・ぬまのさわやま・1205.8m・三等三角点・福島県
【コース】 倉谷発電所より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/小林/会津小林、城郭朝日山
【ガイド】 なし
【温泉】 深沢温泉むら湯 500円

【時間記録】
4月23日(土) 5:40 新潟=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、西山、喰丸、R.400 経由)=8:45舟鼻トンネル手前国道分岐〜9:10 発―9:40 舟鼻峠―10:20 林道上取り付き―11:16 舟鼻山最高点―11:42 林道横断点―12:37 御前ヶ岳〜13:00 発―13:46 林道横断点―14:36 林道上取り付き―14:58舟鼻峠―15:25舟鼻トンネル手前国道分岐=(R.400、喰丸、西山、R.252、会津坂下IC、R.252、只見、R.289、黒谷 経由)=19:30 倉谷  (車中泊)
4月23日(土) 8:00 黒谷発電所―9:45 白沢山〜10:00 発―11:35 沼の沢山〜12:40 発―13:43 白沢山―14:38 771mピーク〜14:46 発―15:15 黒谷発電所=(黒谷、R.289、只見、R.252、会津坂下IC、磐越自動車道)=19:20 新潟

 舟鼻山は、会津田島の北側、昭和村への山越え道である国道400号線の舟鼻峠の脇に聳える山である。山の周囲は急斜面で取り囲まれているが、山頂部は台地になっている。この山の名前は、上州の荒船山と同じように、船の鼻先、すなわち、へさきから由来しているようである。
御前ヶ岳は、舟鼻山の北西に隣り合う山である。伝説に彩られた山であり、治承の乱の折、平家討伐の挙に破れた高倉宮以仁王の妃紅梅御前と桜木姫が追手を逃れて隠れ住んだという伝説が残されている。一般登山道も整備され、山開きも行われて、比較的登山者に親しまれている山になっている。一般登山口のある畑小屋からの登山道は、鎖も掛けられている急斜面が続くが、舟鼻山方面からは、緩やかなブナ林の中の登りとなる。

 白沢山と沼の沢山は、会津朝日岳の一般ルート途中の叶の高手から東に派生する尾根上のピークである。会津朝日岳から丸山岳、坪入山、山毛欅沢山、城郭朝日岳と馬蹄形状に続く稜線の水を集める黒谷川にのぞんでいるため、これらの山を一望することができる。

 室井さんから、火奴山に登ろうという誘いが入った。火奴山に登ることができれば、会津丸山岳へのルートが開くことになり、関心も高い。アプローチの黒谷林道がどこまで車で入れるのか、また雪崩の危険性がどれほどなものか、確認しなければならないが、これは現地に入ってみないことには判らない。無理というならば、白沢山から沼の沢山のコースなら、集落脇から取り付くことができるので、第二案として良いのではないだろうかという話になった。
 日曜日が只見の山ということなので、土曜日も会津の山を考える必要があった。会津百名山のうち、只見川沿いの山を考えていくと、舟鼻山が思い浮かんだ。以前、御前ヶ岳に登った後で、登り口の舟鼻峠を偵察がてら通り過ぎたことがあったが、そのままになっていた。登山道の無い山であるが、まだ残雪を使えるはずであった。地図を見ると、舟鼻山からは御前ヶ岳までは僅かな距離なので、そこまで足を延ばすことにした。
 土曜日は、小雨が残ったが、次第に天気は回復するはずであった。4月も末となり、さすがに北国の山にも枯れ草色が戻ってきた。ヤブコギを避けるために、雪が残っていて欲しいなあと思いながら車を走らせた。舟鼻峠までは、只見川から離れた後に、山奥に向かって入り込むことになる。
 峠下の喰丸集落の先から、国道は峠越えのために高度を上げていく。道路にシャーベット状の雪が現れたと思ったら、あっというまに30cm程の積雪になってしまった。べちゃべちゃ雪で、タイヤは、舗装面に接触しているので、なんとか運転はできた。しかし、すでにノーマルタイヤに変えているため、対向車とのすれ違いで止まったら、坂道のせいもあって発進できなくなった。幸い、スコップは車に常備していたので、タイヤの下の雪を除いて、ようやく車を発進させることができた。
 車の方向転換もままならず、舟鼻トンネル手前の、県道バイパスと国道の分岐まで進むことになった。道幅は広いものの、路肩の雪に車をつっこむと、またタイヤが空転するようになった。なんとか車を動かせるようにして、登山に頭を切り換えた。
 舟鼻峠まで車で入れないのは残念であるが、先日の大佐飛山での、塩那道路の15km近い林道歩きを考えれば、足慣らし程度の距離であった。小雪が舞って舟鼻山は隠されていたが、天気は回復傾向にあるはずであった。ベチャベチャ雪が積もっているため、登山靴では水がしみ込むと思って、長靴を履き、アイゼンは置いてわかんを持って、歩き始めた。
 車道上には、オフロード四駆と思われる轍が続いており、楽に歩くことができた。つづら折りの道を登っていくと、旧県道との分岐に出て、その僅か先で、舟鼻峠に到着した。
 林道は、入口こそ判るものの、雪の斜面になっており、辿るのは難しかった。カーブのショートカットも考えて、尾根通しに登った。右から回り込んできた林道に飛び出し、左に辿ると、上に林道が横切っているのが見えた。かなりの急斜面であったが、雪が柔らかいので、真っ直ぐに登ることができた。再び林道に出ると、この上が舟鼻山の山頂であったが、道路脇の崖は急であった。登れる場所を探しながら、西に林道を辿った。
 ようやく登れそうな所を見つけたが、とりかかってみると、腰まで雪に埋もれてしまった。わかんを履くことにした。まさか4月も末に、ラッセルをするとは思わなかった。ひと登りすると、ブナ林が広がる台地に出た。南西に向かって進んだが、平らな地形が続いた。
 東斜面は伐採地になっているようで、真っ白な雪原が広がっていた。1226点を超えると、その先が少し小高くなっていた。この最高点からは、ガスの切れ間から田島市街地を望むことができた。強い風が時折通吹き抜けていた。
 天気も悪いので、御前ヶ岳は諦めようかと思ったが、ガスの中から御前ヶ岳の山頂が、姿を現した。そう遠くはないようで、標高差も小さいようであった。やはり御前ヶ岳へ向かうことにした。
 北西に向かって下っていくと、小ピークに挟まれた窪地で、林道に飛び出した。窪地を辿った後に、右手の尾根に上がった。その後はなだらかな地形が続いたが、窪地が入り込んで、コースを替えながら歩く必要があった。
 鞍部からは、ブナ林の中の登りが始まった。急斜面という程ではなく、ブナの眺めを楽しみながら登り続けることができた。傾斜が緩み、細いブナの木の間を抜けていくと、御前ヶ岳の山頂に到着した。登ってきた南を除いた方面の展望が広がっていた。遠くの山は隠されていたが、博士山が大きく見えていた。
 山頂直下に虎ロープが現れており、山の神コースは通行禁止と書かれていた。急斜面で落石の危険性があるために、閉鎖になっているようである。御前ヶ岳への一般登山道は、ふた通りあるが、どちらもロープや鎖の下がる急斜面である。残雪期に限られるが、舟鼻山からの今回のコースの方が、よほど登り易いということになる。
 山頂は風当たりが強いため、下りの斜面まで戻って、ブナを眺めながら昼食にした。太陽も顔をのぞかせるようになり、雪原に美しい影が描かれていた。
 鞍部に戻った後は、林道を辿った。林道は雪に埋もれて、どこにあるのか判らない所もあるので、適当にショートカットをしながら歩いた。わかんの踵で蹴り上げた雪が長靴の中に入り、長靴の中は、水たまり状態になってしまった。スノーシューならば、気持ち良く歩けるはずであったが、わかん歩きは、体力を消耗した。
 林道の下降地点に到着してみると、雪の急斜面になっており、トラバースのために一歩ずつ神経を使うことになった。崖マークの上を通過してから、林道に下りた方が良かったようである。その先の斜面の下りでは、新雪が層となって滑るため、おっかなびっくりの歩きになった。
 車に戻ると、朝の苦労は夢のように、道路の走行部から雪は完全になくなっていた。思わぬ一人ラッセルに苦労したが、ブナ林の中を彷徨う、充実した山歩きができた。
 只見に向かうのに、舟鼻トンネルを抜けるか、来た道を戻るか迷った。温泉とコンビニでの買い物の関係で、会津坂下へ戻ることにした。R.252の只見川沿いのコンビニは、会津坂下ICから奥には無いので、不便である。
 只見の町を通り過ぎ、倉谷に到着した時には、すでに暗くなっていた。人家の前を通り過ぎた先で、除雪の終了地点になった。脇には、駐車スペースもあり、ここで夜を過ごすことにした。GPSを立ち上げ、付近を少し歩いて、地図に現在位置をおとした。どの地点にいるのかと見ると、倉谷と書かれたすぐ南の、道路がクランク状に曲る地点であった。林道の入口から歩くことになり、火奴山の取り付きまでは、8kmほどはありそうであった。林道歩きに時間もかかり、雪崩の危険性もありそうであった。林道の偵察と割り切るか、沼の沢山に計画を変更するか、迷うところであった。
 翌朝は晴天になり、残雪が輝く稜線を見上げながら、室井さん一行を待った。除雪終点の場所を確認すると、火奴山は無理ということで、沼の沢山に変更することで話はすぐに決まった。
 来た道を少し戻り、黒谷川を橋で渡って、黒谷発電所前の広場に車を移動させた。発電所の脇には、雪原が広がっていた。
 771mピーク近くへ林道が続いており、雪原も広がっているので、帰りにはここに下ってくることにして、登りには、大沢を越した先の尾根を使うことにした。
 雪に埋もれた林道をしばらく辿り、大沢側の谷間から、残雪を拾って尾根の上に登った。尾根上は雪が消えており、予期していなかった踏み跡が続いていた。登山道程は明瞭ではないが、ヤブコギの苦労からは免れることになった。咲き始めのイワウチワやイワナシを眺めながらの登りが続いた。
 尾根が広がるようになると、雪原の登りになった。雪もほどほどに柔らかく、ステップを切りながら一気に高度を上げていく、快適な登りになった。背後を振り返ると、幾重もの会津の山並みが広がり、鬼ヶ面岳を従えた浅草岳がひと際印象的な姿を見せていた。
 白沢山の山頂は台地状で、朝日岳の眺めが広がり、そこに連なる尾根の肩に沼の沢山が山頂を見せていた。黒谷川沿いの谷間の奥には、城郭朝日岳から稲子岳、三岩岳に至る稜線が続くのを眺めることができた。
 沼の沢山へは、ブナ林になった幅広の尾根が続いた。1014m点では、尾根通しの雪が大きく割れていたが、右手の雪面をトラバースして通過することができた。鞍部からは、長い雪綾登りが続いた。難しいところも無かったが、途中で息が切れて、一気には上がれなかった。
 下から頂上に見えていたのは、尾根の張り出しで、頂上へはもう少し登る必要があった。沼の沢山の山頂に近づくと、アンテナを備えたコンクリート製の構造物があるのが目に入った。どうやら、無人の雨量計のようであった。登る途中の尾根の踏み跡は、この施設の管理のためのものかもしれない。
 沼の沢山の山頂は、雪原になっていた。腰を下ろすには、風が冷たかったので、少し先に進んで、ブナの大木の下で休んだ。
 沼の沢山からの朝日岳の眺めは、白沢山よりも近づいたこともあって、迫力を増していた。鋸刃のような稜線を連ね、大きな雪庇が張り出しているのを、目の当たりに見ることができた。沼の沢山から叶の高手へと続く尾根も目で辿ることができた。沼の沢山に泊れば、朝日岳へピストンできそうなのだが、このルートはどうなのだろう。また、会津丸山岳も山頂をのぞかせていた。沼の沢山の南西部の台地には、ブナの大木が並んでおり、風景を眺めながらの散策を楽しんだ。
 下山は、鞍部までの下りは一気であったが、その先は、なだらかな稜線歩きのために、白沢山までは、意外に時間がかかった。
 白沢山からは、北に向かって下山することにした。山頂部は急な雪面になっていたが、雪が消えて現れていた薮に入ると、この尾根にも踏み跡が続いていた。しばらくこの踏み跡を辿り、傾斜が弛んだところで、雪の上に戻った。
 北に続く尾根は、なかなか高度を下げず、長く感じられた。大部分は雪堤を利用することができたが、雪が消えているところでは、薮の中の踏み跡を辿った。
 771mピークまで進むと、眼下に鉄塔や発電所の眺めが広がった。尾根沿いに少し下った後、谷間に向かっての下降を開始した。急斜面ではあるが、雪も柔らかく、滑落の心配はなかった。林道を横断してさらに下降を続けていくと、雪が消えて、草地が出ているところが現れた。見ると、フキノトウが生えており、一同山菜採りモードに入ってしまった。最後は、フキノトウを探しながら林道を下っていくと、黒谷発電所に戻ることができた。
 沼の原山は、予備知識も期待感も無い山であったが、会津朝日岳を初めとする展望台で、ブナ林も素晴らしかった。後日、インターネットで検索をかけても、登ったという記録は見つからなかった。注目度の低い山であるが、山頂からの素晴らしい展望は、登るに値する。今度は、テント泊でという声も上がっていた。再訪の機会もあるかもしれない。
 晴天に恵まれたおかげで、ひどく顔が日焼けしてしまった。タオルが赤く染まってしまう温泉に入り、まだ明るく輝く雪の稜線を見ながら家路についた。

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