大佐飛山、男鹿岳

百村山、黒滝山、大佐飛山、男鹿岳


【日時】 2005年4月9日(土)〜10日(日) 前夜発1泊2日 テント泊
【メンバー】 8名グループ
【天候】 2日:晴 3日:晴

【山域】 男鹿山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
百村山・もむらやま・1085.2m・三等三角点・栃木県
黒滝山・くろたきさん1754.8m・三等三角点・栃木県
大佐飛山・おおさびやま・1908.4m・二等三角点・栃木県
男鹿岳・おがたけ・1777.1m・三等三角点・栃木県、福島県
【コース】 光徳寺より塩那道路経由板室
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/那須岳/板室、日留賀岳、栗生沢
【ガイド】 栃木273山(白山書房)
【温泉】 大正村幸の湯 500円(ボディーシャンプーのみ)

【時間記録】
4月8日 20:30 新潟=(磐越自動車道、郡山JCT、東北自動車道 経由)=21:30 那須高原SA  (車中泊))
4月9日 4:30那須高原SA=(東北自動車道、那須IC、塩那道路ゲート 経由)=6:30 光徳寺〜7:00 発―7:50 林道横断点―8:17 見晴らし〜8:30 発―9:03 百村山―12:47 黒滝山〜13:19 発―15:03 大長山―15:40 1813m台地  (テント泊)
4月10日 5:48 1813m台地―6:20 大佐飛山〜6:30 発―7:32 名無山―8:51 ひょうたん峠―10:10 1754mピーク―10:30 男鹿岳〜10:38 発―10:50 1754mピーク〜11:00 発―17:55 塩那道路ゲート=(往路を戻る)=
4月11日 =0:10 新潟

 大佐飛山は、栃木県の那須山塊と塩原の間に広がる大佐飛山塊の盟主である。大佐飛山塊では、作ってみたものの補修が追いつかずに通行不能な山岳道路として悪名高い塩那道路が山塊を貫いているが、登山道のある山はごく限られており、藪山のフィールドとして、現在では貴重な存在になっている。大佐飛山へは、登山道のある百村山から黒滝山を経て登るか、塩那道路の男鹿岳との鞍部にあたるひょうたん峠から登ることになるが、どちらもアプローチは長い。
 会津の男鹿岳に登った時、那須連峰の眺めと共に、南にどっしりとした姿を見せた大佐飛山が目にとまり、いつか登ってみたいと思った。宇都宮の室井さんは、地元の山ということで、すでに二度も登っているようだが、山行を計画するような時には誘ってくれと頼んでおいたところ、今回の山行が実現した。
 計画を聞くと、百村山から黒滝山を経て大佐飛山に登るのは当然としても、その後、さらに男鹿岳を登って、塩那道路を下山に使うという。地図を見ると、塩那道路の長さに、歩き通せるのか、不安を覚えた。特に、一週前の枯木山で、腐れ雪のラッセルとなって敗退したことから、雪の状態が非常に気に掛かるところになった。とはいえ、条件が悪ければ、大佐飛山までで引き返すとのことなので、大佐飛山登頂の目的は果たせるはずであった。
 参加メンバーも8人となって多く、私もテントを持つことになったので、ザックは重くなった。いつもは、室井さんにテントを持ってもらっているので、頑張る必要がある。
 待ち合わせは、塩那道路の板室側ゲートであったが、高速道路の深夜割引を利かせるためと、コンビニで食料を買う必要があるため、那須高原SAで夜を過ごし、朝になってから車を動かした。早朝の那須高原からは、那須連峰と、その左に大佐飛山塊が姿を見せていた。山は白かったが、山の麓からは、雪は消えていた。やはり新潟や会津よりは雪が少ないようである。
 板室温泉手前の幸の湯のすぐ先から、塩那道路が始まっていた。入口には、通行止めと書いてあったが、車を乗り入れられる状態であった。カーブを交えながら、高度を一気に上げていくと、ゲートに到着した。地図を見ると、996点南東の送電線交差部であった。ここまで車で入ることができて、標高差240m、距離にして3.1kmは楽ができた。
 宇都宮からの一行は、登山口の光徳寺で下りて待っており、下山時のために二台の車を置きにやってきたので、私の車に二人のドライバーを乗せて光徳寺に向かった。
 光徳寺入口の杉並木脇の公民館駐車場に車を置かせてもらった。百村山への登り口である林道は、光徳寺の少し先からになるようだが、光徳寺への参道に進み、本堂の脇から沢を左に渡って、杉林を抜けると、この砂利道に出ることができた。砂利道を少し歩き、カーブ地点から登山道に進んだ。杉林の中のつづら折りの道が続いた。
 雪は全くなかったが、芽吹きもまだで、この山の春はもう少し先のようであった。百村山では、カタクリが咲くということで、地元の人気が高いという。新潟よりも花の時期が遅いのは不思議に思えたが、これは、新潟の角田山や弥彦山では、海抜0m付近で咲いているのに対し、那須高原は、登山口で500mもあって冷え込みも厳しいためであろう。
 尾根道に変わると、林道木ノ俣巻川線に飛びだした。四駆の車が上がってきたので林道の状態を訊ねてみると、一部雪で覆われていて、雪かきをして通ってきたとのことであった。当初の予定では、ここまで車で入ることになっていたが、下から登ってきて良かったようである。
 林道を右に少し下がったところから、登山道の続きが始まっていた。尾根道を登り続けると、那須高原や八溝山の眺めが広がる946mピークに出てひと休みした。重い荷物のわりには、体調もまずまずのようである。
 見晴らしから僅かに下った先で、送電線が頭上を通過した。この付近から雪が現れ、雪上の歩きが続くようになった。
 百村山に到着すると、テント泊装備の5名程のグループに追いついた。大佐飛山の往復で、今晩は大長山付近で幕営とのことであった。左手の窪地に、百村山の山頂標識が掛かっており、三角点が頭を出していた。百村山の山頂は、木立に囲まれて、落ち着いた雰囲気であったが、展望は良くなかった。
 百村山から黒滝山への登山道は、黒磯山岳会の手によって、2000年に整備されたという。クマ笹の刈り払いに苦労したとのことであるが、幸い、クマ笹も残雪の下で、どこでも自由に歩ける状態であった。
 これからしばらくは、このグループと先になったり、後になったりの歩きになった。雪の上のトレースを見ると、他にも日帰りの登山者がいるようで、大佐飛山への入山者が予想外に多いことに驚かされた。後日インターネットを見ると、この週の前後、大佐飛山の日帰り山行が流行のようになっていた。
 行く手のピークは、高く遠かった。山頂を見せているのは黒滝山であろうか。大佐飛山の山頂はその先で隠されているようであった。尾根の途中には、美しいダケカンバの林が広がり、目を楽しませてくれた。急坂を登り終えると、ひと休みを繰り返した。次第に、ザックを再び背負うのが辛くなってきた。
 サル山と呼ばれる1467mピークに上がると、黒滝山もようやく迫ってきたが、山藤山と呼ばれる1588mピークを越えていく登りはきつそうであった。黒滝山までは登山道があることからガイドブックにも取り上げられているが、アップダウンや急登があって体力が要求されると書いてある。重荷を背負っていることあり、確かに体力がいった。
 急坂を登り終えた1700m点は、河下山と呼ばれるようであるが、尾根の張り出し部にしかすぎない。幸い、ここから黒滝山へは、緩やかな雪稜が延びており、足も少し軽くなった。
 黒滝山にようやく到着し、昼食とした。もっとも、休みごとに果物をもらったりして軽く食べていたので、特に腹が減ったという感じはなかった。体力的にはきつくなっていたが、ここまで来られれば、後は歩ける所までと思えば気は楽であった。
 黒滝山から先は登山道は無い。残雪歩きとあっては、登山道が有っても無くても同じようなものであるが、緊張感は大きくなる。黒滝山の山頂から先は、針葉樹の林になっており、足が一歩ずつ潜る状態になった。横に張り出した枝の下が空洞になっているようである。進むべき方向へは行きづらいため、一旦北西に向かう尾根に出てから、沢状地形を通って、本来の尾根にのった。その先の鞍部からは、二重の尾根が走っているが、左の尾根を登った。
 気温が上がっており、水の消費も増してきた。雪庇からつららが下がっていたので、折って食べてみたが、少しえぐい味がして、あまり美味しくはなかった。続く1775mピークは西村山と呼ばれるようである。ただ、この山名であるが、ワンゲルの付けたプレートに書かれている名前が流布したもので、地元で昔から使われてきた名前なのかは怪しい気がする。
 この先の1855m大長山までは、緩く長い稜線歩きが続いたはずなのだが、その記憶はすっぽりと抜け落ちている。疲れも出てきて、頭は空白状態になって、ただ足を前に出し続けていたようである。
 ようやく大長山(1866m)の山頂に到着し、針葉樹の間を抜けると、展望が開けて、大佐飛山の山頂が目の前に現れた。谷を巻くように幅広の雪綾が続いていた。今日は、大佐飛山までは行かないようなので、今晩の幕営地まではあと僅かな歩きになった。気分的にも余裕が出て来て、写真を撮りながら、一番後ろからついていくことにした。歩きの心配が無くなったのなら、素晴らしい眺めを楽しみたい。
 1813m点を過ぎた先の、尾根の屈曲点部の窪地に二張りのテントを張った。設営が終わった後、カメラを首から下げて、缶ビール片手に、すぐ先の1810mピークに立った。北斜面に出ると、遮るもののない展望が広がっていた。登る途中でも、姿を変えながら見え続けていたが、那須連峰の眺めが素晴らしかった。表那須と裏那須の両方を眺めるための、最高の展望台であった。遠く、飯豊連峰も真っ白な姿を見せていた。故郷新潟を離れて、そんな所で遊んでいるのかと、問いかけているようであった。もう少し粘れば、雪山がピンクに染まる姿を眺めることができそうであったが、ビールも飲み干し、冷えてきたので、テントに戻って、夕飯の準備に入ることにした。
 食事は各人で準備ということであったが、すいとんを御馳走になり、人の食べ物をもらって、自分の食料はかなり余ってしまった。雪を融かして水を作り、暖かい飲み物を何杯も飲んだ。雪を融かした水はペーパーフィルターで漉し、浄水器は使わずに、そのまま沸騰させて使ったが、コーヒーやお茶の寿状態なら味の問題は無かった。
 寝る前に外に出てみると、空には満天の星、地上には黒磯市街地の灯が輝いていた。山中でこのような夜景を見ると、今日の苦労も忘れ、明日の頑張りの気力が戻ってくる。夜中は冷え込み、スリーシーズンシュラフでは寒くなったが、ホッカイロを一つ開けると、暖かくなって、そのまま朝まで寝てしまった。
 二日目の長丁場に備え、6時前には出発の予定であった。前の晩に作っておいた水を沸かし、慌ただしく朝食をとった。テントを撤収して歩き出したのは、予定通りの時間であった。
 雪も締まっており、体がようやく暖まる頃には、大佐飛山の山頂に到着した。山頂標識もあるようであるが、雪に埋もれていた。大佐飛山は奥深い山であるが、朝のうちのまだ元気な状態で山頂に到着したので、簡単に登ることができたように錯覚してしまう。昨日の疲労困憊状態で到着した方が、感激は増していたと思う。
 大佐飛山からはトレースもなくなり、コースを慎重に見定める必要がでてきた。下りの途中からは、男鹿岳も姿を現した。鞍部から、続くピークの名無山へは、標高120mの登りであるが、雪も締まっており、快調に登ることができた。
 名無山に登り着き、大佐飛山の眺めに別れを告げ、塩那道路への下降に進んだ。急斜面のため滑落を心配していたが、雪が柔らかく、膝まで潜る状態であった。しかも針葉樹林帯で下に空洞が隠されていて、ずぼずぼ落ち込む状態であった。一気に鞍部まで下ったものの、息が上がって、ひと休みが必要になった。そのおかげで、塩那道路への登り返しの100mが辛く感じられた。
 塩那道路に到着すると、男鹿岳は目前に見えていた。林道の雪の状態が心配であったが、谷に向かって落ち込む所のトラバースも、雪が柔らかいため、先頭が足場を霧ながら進めば問題は無さそうであった。
 林道の歩きはじめの1730mピークの下を通過中、先頭にいた私の目の前を、メロン大の雪の固まりが転がりおちていった。当たると、谷にはじかれていたかもしれない。見上げると、雪庇が半ば崩落していた。上に注意しながら急いで危険箇所を通過した。一人ずつ注意しながら通過したが、ピーク越しに歩くべきだったかもしれない。
 鞍部からは、1754mピークに向かった。頂上手前で尾根沿いの雪が大きく割れていたため、左に巻いて登った。
 1754mピークは、下山路と男鹿岳の分岐になる。下山の時間も気になるが、ここまで来たなら男鹿岳に登らないわけにはいかない。空身で男鹿岳を往復することにした。荷物が無ければ、足は軽かった。雪庇が大きく張り出した尾根を登っていくと、男鹿岳の山頂に到着した。
 男鹿岳には、1998年11月1日に男鹿峠から登っており、これが二度目である。先回は、深いクマ笹のヤブコギに苦労し、また満喫したが、今回は、林道からひと登りといった感じの登頂になった。
 山頂標識を探したが、なにも見つからなかった。木立の中にまとまった雪原があり、このあたりに三角点がありそうであった。山頂からは、那須連峰の眺めが広がっていたが、その下には、塩那道路が彼方までうねうねと続くのが見えた。
 1754mピークに戻り、ひと休みしてから下山に移った。まずは1665点を越す尾根沿いに下った。ブナ林も広がって、歩いていても気持ちの良い尾根であった。一旦林道に出たが、カーブをショートカットするため尾根通しに進み、1754mピーク手前から林道歩きに入った。
 この先の林道歩きは長かった。木ノ俣川に向かって落ち込む谷に沿って尾根は彼方まで続き、視界を遮る尾根を回り込むと、その先には同じ風景が広がっていた。1時間毎に休みを入れる、持久戦ともいえる歩きになった。幸い、林道の雪は、厚かったが、つぼ足でも歩ける状態であった。
 気温が上がり、水の消費が増えた。水は1.5L用意してあったが、すでに1Lは飲んでしまい、後は節約しながら飲む必要があった。沢の流れが現れるかと期待していたのだが、1347mピークの東のピークの下で、岩から流れ出る清水を見つけて、腹一杯飲むことができた。乾きを癒すことができ、その先の長い歩きに耐える元気を取り戻すことができた。
 雪上の歩きにも嫌気がさしてきたが、1238mと1141mピークの鞍部を越える頃、ようやく雪道からも解放された。
 標高差920m、15kmに及ぶ長い下りであったが、それでも日没前にはゲートに到着することができ、大佐飛山と男鹿岳といった二つの秘峰を結ぶ縦走を終えることができた。

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