井戸小屋山、鍋倉山

井戸小屋山、鍋倉山


【日時】 2005年3月19日(土)〜20日(日) 1泊2日テント泊
【メンバー】 峡彩ランタン会山行 14名
【天候】 19日:雪 20日:晴

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 井戸小屋山・いどごややま・902・なし・新潟県
 鍋倉山・なべくらやま・1137.4・三等三角点・新潟県、福島県.
【コース】 棒目貫より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢、御神楽岳/安座、御神楽岳
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)

【時間記録】 
3月19日 6:00 新潟=(磐越自動車道、津川IC、上川、七名 経由)=7:20 棒目貫〜7:50 発―8:45 峠〜9:00 発―9:28 尾根取り付き〜9:42 発―11:29 井戸小屋山下―11:38 井戸小屋山〜11:43発―11:46井戸小屋山下〜12:06 発―13:32 860m標高窪地  (テント泊)
3月20日 7:20 860m標高窪地―8:51 県境分岐―9:28 鍋倉山〜9:48 発―10:05 県境分岐―10:57 860m標高窪地〜12:07 発―13:08 井戸小屋山下〜13:18 発―14:27 尾根取り付き〜14:47 発―15:08 峠〜15:13 発―15:46 棒目貫=(往路を戻る)=18:00 新潟

 鍋倉山は、新潟県上川村の南部、福島県との県境上にある山である。御神楽岳から笠倉山に続く県境を東に辿った所に位置している。夏道はない山で、登るためには残雪期を狙うことになる。
 峡彩ランタン会の3月の会山行として鍋倉山が取り上げられ、そのリーダーを仰せつかった。井戸小屋山には少々薮っぽいものの山道があることを知って、昨年秋の御前ヶ遊窟の下山コースを安全な井戸小屋山経由にするよう提案し、そのコースで会山行が行われた。その関係もあって、井戸小屋山から入ることのできる鍋倉山ということでリーダーが回ってきたようである。
 11月には、薮漕ぎで鍋倉山を目指したものの、県境稜線に出てからの密薮のために、日没の早い時期ということもあって、時間切れで山頂を目前に引き返しになった。その山行によって、途中の尾根の状況も把握でき、幕営地の設定やコース取りに役立てることができた。
 途中から、鍋倉山から御神楽岳への縦走という案が出てきたが、2泊3日の日程を使っても、よほどの好条件が揃わないと難しいのではと思っていた。ともかく、3月に入ったところで、棒目貫と室谷方面の雪の状況を確認するつもりであった。暖冬の長期予報に反して、今年の冬は、19年ぶりとも言われる大雪になった。ということは、登山をはじめてから経験の無い大雪ということになる。3月に入っても、新雪があり、雪が締まる状態にはほど遠かった。
 3月5日に偵察として、STさんと井戸小屋山を目指した。林道の除雪は、棒目貫の佐藤さんの家の入口で終わっていた。地元の佐藤さんに林道の除雪について聞いてみると、今年は大雪のためにいつになるか判らないとのことであった。STさんの話では、例年なら、お彼岸までには峠までの除雪が行われるとのことであったので、林道歩きが余計にかかることになり、この時点で、御神楽岳への縦走の可能性は無くなった。棒目貫からの林道歩きを考えた山行計画を立てる必要がでてきた。
 この日の偵察では、井戸小屋山を一応の目標としたものの、STさんと二人であったため、深い雪のラッセルで体力を消耗し、伐採地上部の急斜面を越えて井戸小屋山から北に延びる尾根に上がるのがやっとであった。二週間後の本番でも、わかん歩きに苦労するのは確実なようであった。
 3月12日には、再び棒目貫を訪れるついでに、すぐそばの古道山に登って、雪の状態を確かめた。あいかわらず柔らかい雪であった。さらに、翌13日には、個人山行であったが、会越県境の福島県側に入った東俣山に登ってみた。風の通り抜けるところでは少しクラスト気味になって、スノーシュー歩きにとしては問題なく歩ける状態であった。
 最終的な山行計画は、直前になって決まり、棒目貫から井戸小屋山を経由して鍋倉山を登る1泊2日の山行ということになった。総勢14名という大人数のため、装備分担や役割分担にも、頭を悩ますことになった。幸い、週末は良い天気予報が出て、本番を迎えることになった。
 三台の車に分乗して棒目貫に向かった。除雪終点部に車をつっこんで停めた。分担荷物を受け取ってパッキングすると、重い荷になった。林道の雪を確かめると、ザクザク状態で、わかんが無ければ歩けない状態であった。ピッケルは持っていってもらうが、アイゼンについては使う可能性は少ないと思い、携行については個人の判断で決めてもらうことにした。この指示については、誤りではなかったものの、後で後悔することになった。自分自身の装備としては、林道歩きが長いことからスノーシューを履くことにしたが、わかんをどうするか迷った。個人的な日帰り山行では、迷ったなら持っていくことにしているのだが、これ以上荷物は増やしたくなかった。大人数で歩くことに甘えさせてもらい、スノーシューでは難しい急登や雪庇部については、別な人にトップをお願いすることにした。
 最初の目標地点である林道の峠までは、1時間程の予定であった。大荷物を背負った列が林道に続いた。今回は、KMさんも参加したため、KIさんに付き添いをお願いした。
 三名のスノーシュー組でトップを歩いた。スノーシューでは、トップでもそうもぐらないが、列の後ろにつくと、掘り込まれたトレースが邪魔になって歩き辛いという問題もある。
 1時間弱で峠に到着した。順調な歩きであったが、雪が降り始めた。天気予報では昼からは晴れるはずだったので意外であった。伐採林道に進むと、雪が深いところも現れた。伐採地の取り付きに到着したところで、帽子を被り直し、暑くて脱いでいたフリースを着込んで、寒さ対策を行う必要が出てきた。風も強まり、雪も本降りになっていた。
 雪に覆われた伐採地の縁に沿って登っていくと、目印に良い枯れ木が立つ枝尾根合流点に出て、方向を南に変える。その先は、若い植林地を埋めた一面の雪原が広がっている。直進すると急斜面になるので、雪原を横切って、北側の尾根に取り付いた。杉が並ぶ尾根は急で、所々雪の段差ができているため、ジグザグにコースを細かく変えながら登る必要があった。傾斜が緩んだところで、ひと休みした。大荷物のおかげでかなり草臥れていたが、二週前の、ここまででやっとというのよりは体力的に余裕はあった。
 雑木林が広がる幅広尾根を登っていくと、尾根も痩せてきて、注意を要する歩きになった。尾根の左端はタツミ沢に向かって落ち込んでおり、また雪庇が発達していたため、尾根の右手の木立の中を歩くことになったが、こちらも谷地川に向かって急斜面で落ち込んでいた。844m標高点を過ぎると、尾根の幅も広がって、のんびりした歩きになった。タツミ沢越しに御前遊窟上部の岩場を眺めることもできるようになった。
 井戸小屋山下のトラバース地点に到着したところで、ザックは置いて空身で井戸小屋山山頂を往復した。ここまでの歩きは、ほぼ予定通りで、時間的に余裕があった。明日の鍋倉山を登頂してからの下山では、時間的にも体力的にも余裕がなくなっているはずである。先回の御前遊窟山行に参加していない人もいるし、冬にこの山に登った者はそうはいないであろう。
 天然杉の並ぶ尾根に沿ってひと登りすると井戸小屋山の山頂に到着した。これが5回目の登頂になった。味わいのある山ではあるが、5回も登った者は、そうはおるまい。山頂は雪に覆われており、西側に雪庇が張り出していることもあって、雪の無いときよりも狭くなっていた。展望は閉ざされており、あいにくと雪も激しくなってきたため、記念写真を撮るなり下山に移った。
 トラバース開始地点に戻り、昼食にした。風が強いため、大木の脇にできた窪地に入り込んだが、一通り食べ物を口にすると、寒いので歩き出すことになった。
 山頂の右手を巻いていくと、尾根に乗ることができる。緩やかに高度を下げていくと、尾根が痩せてきて、右側の潅木帯を通過するようになる。風の通り道なのか、雪が堅くなったところも現れ、右手は急に落ち込んでいるため、滑落しないようスノーシューの操作に気を使う必要が出てきた。難所の通過に加え、吹雪状態になって、気分的にも落ち込んできた。
 鞍部から少し登った所で、雪が張り出しており、通過のために雪をスコップで崩す必要があった。それでも足場の悪い急斜面が3m程できてしまったため、ロープをたらして通過の助けにした。ここが一番の難所で、登りを続けると900m小ピークの上に出て、その先はブナ林の広がる緩やかな斜面になった。
 当初の予定では、展望も少しは開けていそうな860m台地を幕営地にするつもりであったが、風が強いため、その手前で尾根が付け変わる窪地に変えることにした。雪原を下っていくと、目標地点は、擂り鉢状の窪地で、その底部は平地になっていた。まだ13時半と早かったが、ここからなら、明日、空身で鍋倉山を往復した後、荷物を回収して引き返すにも、問題はないはずであった。大荷物を背負って先に進むのは、明日の下山を辛くするだけのことである。今日はここまでと宣言して、重いザックを肩から下ろした。
 雪原を整地し、ジャンボテント二張りと4〜5人用テント一張りを設営した。さらに、雪のブロックを積み上げて、トイレも作った。ただ、窪地の中にあって、風は全くあたらなかったので、雪のブロック壁を作る必要はなかった。この会ならではの趣味的ともいえる幕営地の整備であった。
 幕営地の整備が終わる頃、後続のKMさんも到着し、それぞれのテントでの宴会の開始になった。酒も食料もたっぷりあった。気温が下がっていたが、ガソリンやガスの燃料もたっぷりとあったので、テントの中を暖かく保つことができた。酒を飲む程に、山の思い出や、それぞれの山への憶いで、話は盛り上がった。雪は降り続き、時折テントの表面を滑り落ちる音が耳に入った。
 8時過ぎには、いずれのテントも眠りについた。夜中の0時にトイレのために外に出てみると、半月が明るく雪原を照らし、星も輝いていた。しばらく月明かりのブナ林の眺めを楽しんだ後に、テントに戻った。
 明日の晴天は確実なようである。放射冷却で冷え込みそうだが、雪が凍らないか心配になってきた。アイゼンを置いても良いとは言うのではなかったと反省の気持ちが浮かんできた。荷物が重いと言うのなら、酒や食料を置けば良いと言うべきであっただろうか。この山行は、冬山なのか春山なのか。今年の大雪のために判断が難しくなっている。
 4時過ぎには寒いといって起き出すものがいて、火を炊くために起き出すことになった。スリーシーズンの寝袋を持ってきた者は寒い思いをしたようである。朝食もしっかりとって出発の準備をした。テントの外に出てみると、モルゲンロートでブナ林がピンクに染まっていた。
 急用でこのまま下山のKJさんとOGさんに見送られて鍋倉山へと出発した。
 この日は、スノーシューにオプションのアイゼンを装着し、片手にピッケル、片手にストックを持ち、クラスト対策をした。あまり見かけないスタイルであるが、これなら結構堅い雪でも登ることができる。
 美しいブナ林を抜けていくと、朝日に輝く鍋倉山の山頂が姿を現した。山頂は、遠くはないが、まだ高みにあった。一行からも歓声が上がり、登頂の期待が高まった。835mの鞍部を越すと、登りが始まった。所々でクラストしているものの、快調な登りが続いた。県境稜線へ突き上げる尾根の眺めが、目の前に広がった。尾根通しに登っていった最後がかなりの急斜面になりそうであった。登っていって、その場でコースを考える必要があった。
 山頂が迫った所で、大きな雪庇が現れ、左手の谷が一面の雪の斜面になっていた。尾根通しに登るのは、木立がうるさそうなため、左手の雪原を登ってから尾根に戻ることにした。ここまではトップで歩いてきたが、この急斜面に足場を切るのはスノーシューでは難しいため、わかん組にトップに立ってもらうことにした。
 はじめSGさん、続いてODさんが、雪の急斜面に足場を切りながら一気に登っていった。尾根に戻ったところで、山頂までの最後のルートを考える必要があった。再び谷の雪原登りかと思ったのだが、先回の秋には、最後はピークの右を巻いたなと思って、尾根の右手をうかがってみた。県境稜線はすでに同じ高さにあり、木立の中をトラバース気味に登っていけば、ピークの右肩部で県境稜線に出られることが判った。県境分岐の1077mピークは、地図ではなだらかに横に広がっているように見えるが、中央部では盛り上がっているので、最高点を目指そうとすると余計なアルバイトになる。
 県境稜線に出ると、鍋倉山の山頂も迫ってきた。後は一気に山頂へと思って進むと、雪庇が左手に大きく張り出しており、その右手斜面をトラバースする必要が出てきた。右斜面は一気に切り落ちており、落ちたら助かりそうになかった。雪は柔らかいため、スノーシューでも水平に足場を保ちながら進むことができたが、クラストしている部分が出てきて、斜に足を置く必要が出てくると、進退極まる可能性があった。雪山に慣れているSDさん御指名で、先頭に立ってもらった。頼り無いリーダーであるが、自分の技量の程は自覚している。
 SDさんがトップでトレースを付けていったが、急斜面のトラバースにさしかかって、ロープを出そうという声が出た。少し後ろについていたSTさんから、左手斜面の傾斜は大したことは無いので、雪庇の上に出ろという指示があった。内心恐る恐るであったが雪庇の上に立ってみると、丸みを帯びた雪綾が続いており、なんだということになった。
登りの途中で進むのを止めたKMさんからの無線交信があり、下からも我々の姿が見えるという。登ってきた尾根を振り返ると、雨具を降っている姿が目に入った。
 山頂が近づくと尾根も広がり、難所は終わった。急登を終えた後、さらに進んだところが鍋倉山の山頂であった。井戸小屋山は眼下に遠ざかり、その向こうには真っ白な飯豊連峰が長々と横たわっていた。会津磐梯山や吾妻連峰、那須連峰、南会津の山並、燧ヶ岳から平ヶ岳、荒沢岳、越後駒ヶ岳といった遠くの山々の眺めが広がっていた。眺めを楽しんだが、この山頂からのメインの眺めのはずの御神楽岳が見えていないことに気がついた。鍋倉山の山頂西は木立に覆われ、狢ヶ森と日尊ノ倉山は見えるものの、御神楽岳は隠されていた。このままでは残念なため、木立の中に進んでみた。少し下ると、木立の切れ目から御神楽岳は姿を現した。山頂は真っ白なピラミッドになり、谷は雪の襞が刻まれていた。その前に見えるのが笠倉山であったが、台形状の山頂で、新潟方面からいつも見なれているピラミッド型の姿とは違っていた。御神楽岳への縦走を考えるには、あまりに遠かった。一同に声を掛けて、この眺めを教えた。
 一同記念写真を撮った後に下山に移った。困難な山ほど、山頂での滞在時間も短くなるが、これは仕方無いことである。
 登りに苦労した急斜面も、雪が柔らかくて滑落の心配がないことをみて、スノーシューのテールを使って一気に下った。尾根の途中のクラストしていた所も柔らかくなっており、楽に下れるようになっていた。鞍部が近づいたところで、男女の二人連れが登ってくるのに出会った。わかんは脱いでつぼ足で歩いていた。こちらのトレースを利用できたので日帰りでも登れそうであったが、現在の雪の状態だと、二人だけで歩いたとすると、鍋倉山の登頂は難しかったのではないだろうか。
 幕営地に戻ったところで、昼食にした。雪のテーブルを作り、上には沢山の食料が並んだ。誰も食料はかなり余分に持ってきているようである。テントの撤収を行い、再び重荷での歩きが始まった。昨日のトレースは夜の間に堅くなり、つぼ足で歩けるようになっていた。そのおかげで、引き返す途中の痩せ尾根の通過も楽になって、井戸小屋山下までは1時間で戻ることができた。
 井戸小屋山からは、順調に下山を続け、伐採地上部の急坂は、杉林の中を少し下った所から雪原に進んだ。つぼ足であったため、腰まで潜る状態であったが、急斜面に助けられて、雪玉と一緒に下ることができた。雪まみれになったが、深雪を楽しむことができた。
 林道に戻ったところで、この先はそれぞれのペースで歩いてもらうことにしたが、皆早いペースで下っていってしまった。林道の途中で井戸小屋山を振り返ると、青空は消えて雲がかかりはじめていた。1時間程の林道歩きは、疲れも出て長く感じられた。
 棒目貫に戻り、KMさんの到着を待つ間に、佐藤さん宅へ下山の挨拶をしにいった。
 偵察も含めて、かなりの手間をかけて登った山であったが、鍋倉山は、それが報いられるだけの山であった。

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